さくら

〜be fore〜


…言葉しか、縋るものが…なかったから……

一面の、桜。ひらひらと手のひらに落ちてくる。その花びらを掬うと、壬生はそれを口に
含んだ。
「君は、花が主食なのかい?」
如月の手が壬生の顎に掛かると、そのまま唇を塞いだ。舌を絡めようと口中に侵入させると、逆に花びらが放りこまれた。如月は構わずに、そのまま花びら事壬生の舌を軽く噛んだ。そこから微かな桜の香りが広がる……。
「…痛い、如月さん……」
「花びらごと、君を食べてしまいたい」
「…食べても…いいよ…僕が貴方の中に取りこまれたら…ずっと一緒にいられる……」
壬生の両腕が如月の背中に廻ると、そのまま縋るように抱きついた。そんな壬生を如月はそっと抱きとめる。こんな風に優しく抱きしめられるのを、彼がどんなに好きか知っている。そして、どんなに切なくなるかを。
「そうだね、君がずっと僕の中にいれば…僕はもう何も望むことはない……」
「じゃあ、食べてよ」
挑発的に見上げてくる瞳に。その中に揺れる淋しさと狂気に。どれだけ自分は魅せられているのか。そして。
「君が望むなら、幾らでも抱いてあげるよ」
そして、どれだけ自分が狂っているか………

桜の木の下で、抱き合った。
狂い咲く花びらの下で、何度も何度も。
身体を繋ぐことでしか互いの存在を確かめる術がないのなら。
愛していると確認する手立てが他にないのなら。
何度でも、抱き合って。そして。
……そして、狂ってしまおう………

「如月さん、貴方は光の中に生きている人だ」
乱れた衣服を直そうともせずに、壬生はそう言った。その声は未だ、快楽に濡れていた。
「僕は貴方とは違う。この手は血に塗れ、穢れている。それでも貴方は僕を抱くの?」
壬生のその手を取り、如月は口付けた。そしてそのまま指を噛み切る。そこから流れ出た血を如月は舌先で辿った。
「…駄目だよ…如月さん……貴方が、穢れる……」
噛み切られた痛みよりも、疼くのは甘い切なさ。広がるのは、闇い悦び。
「君の身体も、君の血も、君の心も。僕だけのものだ。君が穢れると言うのなら、僕も穢れている」
「…貴方は…穢れない……どんなになっても、貴方は綺麗だから……」
どんなにこの身体を抱いても。どんなに口付けられても。貴方は、綺麗。決して闇には穢されない。闇すらもその光で反射してしまう。
「僕の両腕だけが、血に塗れている」
「…ならば、僕の手も…血に塗れよう……」
そう如月は言うと。綺麗な笑みを浮かべて、自らの手首をナイフで切り裂いた。

…言葉よりも縋るものが、他にあると。貴方だけが、教えてくれた。

「如月さんっ!!」
驚愕に見開かれる彼の瞳を、本当に綺麗だと今この瞬間に思った。その瞳に噛みついて、自分だけのものにしたいと。
「…これで、君と一緒だ……」
差し伸べた手に、彼は口付けた。そして流れる血を全て飲み干そうとでも言うように、唇を這わす。……愛していると、思った……
こんなにも自分は彼を、愛していると。それだけを思った。
「…どうして?…如月さん……」
何時しかその声は涙声へと変わっていた。事実腕には生暖かい雫が零れ落ちていた。
「君がそうやって、壁を作るから。君と僕との違いは何だい?君が人殺しで僕が人殺しでないからか?君の手が穢れてて、僕の手が綺麗だからか?」
中々止まらない血に、壬生の身体が小刻みに震える。今、もしも自分が死んだら。彼はどうするのだろうか?……それは、最期の禁じられた願望………
「君の手が血に塗れてても、人殺しでも、僕は構わない。僕が欲しいのは、君だけだ。君さえ手に入れられれば、僕は何もいらない」
「……僕だって……貴方以外何も……いらない………」
零れる涙を舌で辿り、血塗られた両腕でその身体を抱きしめる。このまま桜の木の下に埋もれてしまえたらと。叶わない幻を望みながら。
「僕は簡単に人を殺せるよ。僕から君を奪う者ならば、どんなになっても殺してやる」
「……どんなに、なっても?……」
「殺してあげるよ。僕は君さえ手に入れば、それでいい」

…そうだね…君さえ手に入れば……僕は幾らでもひとを殺せる。
………たとえそれが、自分自身であっても…………

「桜の下には死体が埋まっている」
狂い咲く、桜。舞い散る花びら。その全てが。
「どうして、そんな事が分かるの?」
その全てが僕を、狂わせる。

「……桜は綺麗に咲くから」

さくら
           

 硝子の入れ物に、生命が微かに灯る。
「・・ああ、そうか・・俺は『如月』・・だったんだな・・」
村雨は自重気味に笑うと、そっと壬生の身体を抱きしめた。痩せこけた細い身体は、たちまちに村雨の腕の中へと閉じ込められてしまう。閉じ込められて、しまう。
「・・お前が・・永遠に断ちきれねー・・幻、だったんだな・・」

「すぐに行くよ・・・」 蒼い部屋で逃れる術も知らず
月が満ちる前に そっと舞い降りて
波がさらって行く ずっと「永遠さ」

・・・さくらは、嫌い。大切な人を連れていってしまうから。

音のない部屋は、いつも冷たかった。
いつも壬生は、この部屋へと帰ってきた。何もない、空間だけの場所に。
体温のしない室内は現実から、壬生を隔離してくれて。ここに居る時だけは、全てを忘れさせてくれた。そう、全てを。
・・・狂い咲いた桜の下の悪夢を。

「桜の下には死体が埋まっている」
そう言ったあの人は、どんな顔でこの言葉を呟いたのだろうか?
何時もの感情を感じさせない声で、自分だけに与えられる優しい笑顔で、そう言ったはずだ。
「・・どうして、分かるんですか?・・・」
そう、尋ねた時も。何時もの優しい口付けをくれて。そして。そして、そっと抱きしめてくれたのに。
「・・桜は、綺麗に咲くから」
その言葉が予言だったなんて・・誰が信じるのだろう。

「・・如月さん・・・」
板張りの床に、壬生は倒れ込む。冷たい床が頬にあたり、ひんやりと冷たかった。その冷たさが何処か、心地よい。
「・・今年も綺麗に・・咲きましたよ・・・」
南向きの四角く区切られた窓からは、無数の桜が咲き乱れている。
それはとても、綺麗。
「・・これは・・『貴方』・・なんですね・・・」
微かに開いた窓から花びらが舞い込んで来て、壬生の頬をすり抜ける。その瞬間だけ、部屋の中に体温が灯った気が、した。
「・・如月さん・・・好きです・・・」
床に散らばった小さな袋をひとつ掴むと、壬生はそれを一気に口に含んだ。白い粉末状の薬が、彼の口中へと溶けてゆく。
・・・それが、合図、だった・・・。
「・・如月、さん・・・」
手を伸ばして、その幻を掴む。掴んで、抱きしめて・・そして・・
夢を、みる。ひとときの儚い、夢を。
誰にも救えない、哀しい程幸せな、夢を。

・・・ちぎれた体に救いはない クスリは悲しいだけ

桜の下には死体が埋まっている。最も大切な人が埋まっている。
だから、綺麗。哀しいくらい、綺麗。
何よりも強い人だった。信念を持って生きている人だった。
そして何よりも、優しいひと、だった。

「・・そろそろ、俺は帰らねーと・・・」
しばらくの間、壬生の身体を抱きしめていた村雨が、あやすように彼に言った。
「・・もう・・帰るの・・ですか?・・・」
捨て猫のように淋しそうな瞳が、村雨を貫く。どうして彼はこんな瞳をするのだろう。
「・・そんな瞳、するなよ・・帰れねーだろうが・・」
「・・・帰らないで・・ください・・・」
壬生の視線が、村雨から窓の外へと移動する。鉄格子の窓の外には、眩しい程の蒼い空。
「・・もう・・桜が・・咲いていない・・・」
「・・・壬生?・・・」
「桜が咲くまで、如月さんに・・逢えない・・・」
「・・壬生・・お前・・まさか・・」
壬生の細い手が、宙をさまよう。まるで何かを掴もうとするように。
「・・如月さん・・何処にいるんですか?・・どこに・・いるの?・・・」
見えない花びらを、壬生はその手に掴む。聞こえない風の音を、その耳は聴く。
「・・・・如月さん・・・早く・・来て・・・」
そして、いるはずのないそのひとを、抱きしめる。

・・・ごまかす痛みに涙はない 嘘つき 苦しいだけ

『・・紅葉・・愛している・・・』
そう呟いた如月の声を聴いたのは・・・。
・・・村雨の耳の、錯覚だったのだろうか?

もう一度 ここで会えるなら
今度は上手に笑うから
キラメク海が枯れたなら
最後は愛と笑うから

        
〜after〜


……何処へ、行けば。……貴方に、逢えるの?

小さな窓から覗き込む月の光だけが、この部屋の明かりの全てだった。その明かりに照らされた壬生の横顔は、哀しいまでにやつれ果てていた。
「…お前…死にたい、のか?……」
村雨の問いに、壬生は答えない。答える変わりに微笑んだ。その笑みに村雨は全てを悟った。自分を見ない、瞳。何も映し出さない、瞳。微笑む先に、彼は何も見てはいない。
…もう何処にも、‘彼’は、いない。
「逢いたいか?『如月』に」
「…如月、さん……」
伸びてきた壬生の腕が、自分の頬に触れる。その手を掴んで、自分へと引き寄せた。もう重みすら感じない、細すぎる身体。
それでも村雨は、抱きしめた。この存在が幻でないと、確認する為に。この存在が嘘ではないと、確認する為に。
…でももう、この身体の中に、彼の魂は何処にもない……
「如月さんがいれば…それだけで、いい……」
「何も、いらねーか?」
「…いらない、何も……」
その笑みがあまりにも、幸福で。あまりも、無邪気だったから。村雨は彼に口付ける事すら…出来なかった……。

愛することと、愛されることは。どちらが罪深い?

ひどく遠い昔の事のように、感じた。
真っ赤な血の海と、狂い咲く桜の木の下で。
眠っている彼を見つけたのは。
愛する者の屍を抱きしめ。まるでひとつになろうとでも言うかのように寄り添い。
このまま誰にも発見されずに、死なせてあげた方が。
……彼にとっては、幸福だったのかもしれない。
それでもその腕を引き寄せ『こちら側』へと呼び戻したのは。
呼び戻したのは、多分。
多分、自分が。その崩れかけた魂を、救いたかったたらだろう。

君は、綺麗だよ。哀しいくらいに、綺麗だ。
だから僕は。
僕は君の全てを閉じ込めてしまいたかった。綺麗なままで。
この腕の中に、閉じ込めてしまいたかったんだ。

……幻を追い求めて行きつく先には、一体何があるのか?

あの時と同じように、桜は咲いていた。
夜の闇の幻に、その色だけが鮮やかに瞳に映る。鮮やかに、蘇る。
まるで瞼に焼きついた残像のように。
「…壬生……」
歩くことすらままならない壬生を、村雨はあの小さな部屋から連れ出した。この腕で抱き上げて、ここまで運んだ。それがどんな意味をもたらすか…分かっていながら。
「ここが何処だか、分かるか?」
その瞳は舞い散る花びらだけを追っている。透明な瞳は、今何を映しているのか?
「…如月さんが…呼んでいる……」
「壬生?」
不意に壬生の身体に力がこもり、村雨の腕から逃れようとする。村雨は壬生のなすがままにその腕から開放すると、地上に彼を下ろした。
「…如月さん……」
ふらふらとよろめきながら、壬生は摂り付かれたように桜の木へと向かう。その足取りはおぼつかなかったが、村雨は彼を追いかけなかった。いや、追いかける事が出来なかった。
……初めから、分かっていた事だ。
壬生は誰にも救えない。如月以外の誰にも。自分に出来る事は『如月』を演じる事だけだ。それだけが唯一、彼をこちら側へと引き止める手段。唯一の方法。でも。
……自分は決して、如月にはなれない。
そう、なれはしない。自分は自分以外の者には決してなれない。どんなに嘘で塗り固めても、偽者は偽者でしかない。
それでも、と村雨は想う。それでも自分が壬生へと向けた気持ちは。決して。
……決して、偽者では…なかったと………

「…如月、さん……何処にいるの?………」
何度も地面に崩れ落ちながらも、壬生は歩きつづけた。その桜の木の下へと。それだけを、目指して。
「……僕を…呼んでよ…如月さん……」
風が吹き、花びらを散らす。ひらひら、ひらひらと。それが壬生の髪へ、瞼へ、降り注ぐ。
降り注ぐ、全身に。花びらの雨が。
「名前を…呼んでよ……」
舞い散る花びら。夜に溶けて。溶けて、儚く消えてしまう。消えて、しまう。
「如月さん…僕を…僕を独りにしないで……」
何時しか、壬生は叫んでいた。叫んでも声は風にかき消されてしまう。そして頬に零れた涙も、風がさらっていってしまう。
「いやだ、如月さん…僕を独りにしないで……」
ずっと一緒だと、そう言った。ずっと傍にいると。貴方だけが、気付いてくれた。このひび割れた魂に。貴方だけが、救ってくれた。
「…もう…独りは…いやだ……」
貴方以外誰も、気付いてくれなかった。どんなに独りが淋しくて、哀しかったか。どんなに自分を偽って、強がっていたか。
貴方だけが、無条件に愛してくれた。見かえりも何も望まずに、愛してくれた。自分以外何もいらないとそう、言ってくれた。
…自分以外何も、いらないと……
「…如月さんは…僕が…そんなにも欲しいの?……」
貴方だけのものなのに。身体も心も魂も。全部貴方だけのものなのに。それでも、もっと自分が欲しいの?
……これ以上…自分が、欲しいの?………

「……如月さんっ!………」

名前を、叫んだ。たとえ風にかき消されるかもしれないけれど。たとえ声が届かないとしても。それでも、叫んだ。
………貴方に、逢いたくて…………

その時、村雨は見える筈の無いものを見ていた。聞こえる筈の無い声を聴いていた。
そう、これは幻覚だ。それ以外のなにものでもない。でも。
…春の夜の幻にしては…あまりにも自分に残酷なのではないか?

『…紅葉……』
差し伸べられた手に、壬生は素直に従った。
「…如月さん……」
柔らかく微笑うその笑顔に。耳に届く心地よい声に。壬生はこの上も無く幸福な笑みを口許へと浮かべた。
『…おいで、僕の元へ……』
迷わずに壬生はその手を取る。そしてその身体を如月の腕の中へと預ける。
「……やっと…貴方に逢えた……」
抱きしめてくれる腕。その腕に包まれて、初めて。初めて壬生は安心出来る。その腕に抱かれる事だけが。抱かれる事だけが、全て。
『…ああ…これで…これでずっと…ずっと一緒だ……』
何も、いらない。貴方の傍にいられるのなら。

それは壬生が見てた、幻覚だったのだろうか?

桜の木の下に崩れ落ちた壬生の身体を眺めながら、村雨はぼんやりと想った。
これは本当に、自分が見た幻覚なのだろうか?と。
でも確かに自分には、見えた。壬生を抱きしめる如月の姿が。
そして彼を連れて逝った、如月の残像が。
今壬生の元へと駆け寄れば…彼を再び『こちら側』へと戻せるかもしれない。でも。
でも、それが本当に彼にとって幸福なのか?
地上にはもう無い魂。身体だけを地上に繋ぎとめて。もう、心は何処にも無いのに。
このまま桜の花びらごと、ここに埋もれてしまうのが。如月の眠る桜の木の下で。
それが、彼が望んだものならば……。

「へっ、そんな役回りだぜ」

貴方を永遠に手にいれたい。それだけが、僕の望み。

           

End

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