瞼の裏の現実
僕は嘘ばかり付いていた。
好きなのに好きだと言えなかった。
ただ一言貴方が好きだとそう言えば。
そう言えば、きっと。
きっとこんな事にはならなかったのだろう。
僕の足元に転がるひとつの死体。
―――冷たい屍。
真っ赤な血。僕が殺した。
僕がこの手で、殺した。
どうして、貴方は僕の手を、離さなかったの?
離してくれれば。
貴方なら出来るのに。
貴方なら出来たのに。
僕は貴方に絶対に勝てないのだから。
このまま振り下ろされるナイフを避けて。
そして僕を殴れば。
それで終わったのに。
貴方は僕の手を、掴んだ。
僕の手を、掴んで。
そしてその心臓にナイフを突き刺させる。
ずぶずぶと音を立てながら。
貴方は自らの心臓を抉ってゆく。
僕の手を掴みながら。
―――僕の唇を、奪いながら……
好きだといえば、よかったの?
貴方を好きだとそう言えば。
そう言えば、よかったの?
そう言えば僕らはなにかが変わったの?
その瞳の見ている先を、僕は知りたかった。
―――紅葉、君をどうしたら僕だけのものに出来る?
見えない糸。無数の糸。とっくに貴方に絡め取られているのに。
―――どうしたら君をこの腕の中に閉じ込められる?
とっくに貴方に捕らわれているのに。とっくの昔に貴方に。
貴方に僕は、捕らわれているのに。
瞼の裏の現実では、僕は貴方に絡め取られ首が切れている。
好きだと、貴方だけを好きだと告げたならば。
そうしたら終わってしまうかもしれないでしょう?
手に入らないものだから、欲しいと思うものでしょう?
―――手に入らないから…追い掛けたくなるものでしょう?……
真っ赤な血は、まだ暖かい。
暖かくて、しあわせ。
僕はコンクリートに零れる貴方の血をそっと舌で舐め取った。
甘い、甘い血を。
ぺろぺろと、猫のように舐めた。
そして冷たくなった屍の隣に僕は横たわる。
そして丸まって、眠る。
もう二度と目が醒めないようにと、祈りながら。
瞼の裏の、現実。
そこにいる僕には首がない。
首から上は、貴方の手のひらの中。
貴方が抱いて、そして。
そして僕の唇に口付ける。
髪を、そっと撫でながら。
目を開いた、現実。
そこにあるのは貴方の屍。
冷たい死体、僕の隣で横たわる。
僕はその胸に凭れ掛かり。そして。
腕の中で丸まって眠る。
髪を、そっと撫でながら。
どちらが、現実?どちらが、夢?
境界線は次第に曖昧になって、僕のリアルを犯してゆく。
侵食する幻覚と甘い夢に足元を捕らわれながら。
捕らわれながらも、僕はもがく事すらしない。
好きだと言えば、よかったの?
そうしたらしあわせになれたの?
嘘なんてつかずに。
貴方を好きだとそう言えばよかったの?
―――そうしたら僕は、貴方を殺さなかった?
違う、本当は。
本当は違う。
貴方は僕に、僕に『殺させる』つもりだった。
最初から、僕に貴方を手に掛けさせるつもりだった。
「ハハハハハハハハハハ」
声を上げて笑った。ひどく可笑しかった。
そう、それはとても簡単な事。
僕を永遠に手に入れる為に。
手に入れる為に貴方が、仕組んだ事。
「―――好きです…如月さん……」
嬉しい?嬉しい?僕も嬉しいです。
浸透する狂気に身を任せる事は貴方の腕に抱かれる事に似ている。
犯されてゆく幻想は、貴方に身体を貫かれる事に似ている。
嬉しい。ああ、嬉しい。僕は、しあわせ。
―――僕は、しあわせです……
End