螺旋虫
ガラス遊園地 ふたり花を摘む
紫空天鵞絨 一輪また一輪
白い服が、着れますようにと。
死んでそして『あちら側』の世界に行った時に。
真っ白な服が、着れますようにと。
けれども僕の服は血に塗れている。
けれども僕の心は闇に侵されている。
何処に行っても、何処に戻っても。
同じ場所に僕は立っている。
螺旋を巡る運命の辿りついた先は。
初めから同じ場所だった。
僕は、何処にもいけない。
回る観覧車 それは 螺旋虫
天国行きの列車 凍えた手をつなぐ
何処にもいけないのなら、ここにいればいい。
何処にも戻れないのなら。何処にも進めないのなら。
ほら、ここにいればいい。
僕がその手を暖めてあげる。冷たい指先を。
冷た過ぎるその指先を。僕が、暖めてあげる。
死んだら天国にいけるなんて、そんなの嘘だよ。
死んだら何もかもがなくなるんだから。
何もかもがなくなって、そして消えるんだ。
全てのものが消え去って、そして。
そして何もかもが終焉へと向かうのだから。
下弦の月 照らされた君の目の中
星が浮かぶ ガラス玉 笑ってた
「貴方は、誰?」
巡り巡る螺旋の運命。絡み合う紅の糸。その先に、その一番最期の辿りついた場所は。
「…翡翠…如月 翡翠……」
微かに曇る景色の中で浮かび上がった綺麗な笑顔に、ひどく懐かしいものを感じたのは僕の気のせいなのだろうか?
「僕が君の『運命』だよ」
そう言って彼は僕の指に自らの指を絡めると、そのままそっと包み込んだ。冷たかった僕の指先にじわりと温もりが灯ってゆく。柔らかいその、暖かさが。
「壬生 紅葉」
名前を呼ばれてその瞳を見返せば、それは硝子の瞳。全てのものを透過し反射する硝子の瞳。
「…紅葉…僕の、運命……」
その瞳に吸い込まれる前に、僕の唇はその冷たい唇によって塞がれていた。
嵐が来る予感に 胸は狂おしく
夜に迷う螺旋の 観覧車は揺れる
「死ぬ事も、生きる事も拒絶した可愛そうな魂」
彼の腕がそっと僕を包み込んで、そして抱き締められた。その温もりと優しい腕はまるで母に抱かれているようだった…実際に母親の温もりなど自分は知らないのに。
ただひどく安心してそして。そしてひどく胸が高鳴った。
「君は生きる事に疲れていた。人を殺す事に疲れていた。館長の人形でいる事も。全てに疲れていた」
彼の言葉は真実だけを述べた。ああ、そうだ僕は疲れている。人を殺す事に。この手を穢す事に。他人の血を流し続ける事に。
そしてあの人の操り人形でいる事に。あの人の為に動いて、あの人の為に身体を差し出す。
あの人の望むように生かされる。その事に。その事に僕は疲れていた。
何もかもを投げ出したかった。何もかもを捨てたかった。何もかもから逃げたかった。
「けれども君は死ねない。死ぬには後悔が多すぎた」
…後悔…人を殺し続けたこと?男たちに身体を差し出したこと?…違う…違う…何かが、違う。何かが抜けている…何かが…足りない?
「君の後悔を僕は知っている。だって僕は君の『運命』だからね」
硝子玉の瞳。透明な瞳。僕のよく知っている瞳。…よく知っている?……違う…何処か違う。何処か、違う。
「思い出せないの?紅葉。わざわざこの顔で僕が現われたのに」
……何処かが…違う………
静かの海 滑り出す 君の目の中
星が消えた ガラス玉 笑ってた
…君はなんの為に生きるの?……
差し伸べられた、手。生まれて初めてなんの見返りも代償も望まずに差し出された手。
その手は僕を欲望の捌け口にしない。その手は僕を暗殺者にはしない。
ただ。ただ無償に差し出されたその手。
…生きる意味のない人間なんてこの世にはいないよ。生きてはいけない命なんてこの世にはないんだ。だから紅葉…君は生きていていいんだ……
生まれて初めて僕自身に『価値』を与えてくれた人。僕の入れ物以外に僕の肩書き以外に僕の『存在』を認めてくれた人。
大切な、ひと。何よりも誰よりも大切なひと。失いたくないと、失いたくないと思った。
生まれて初めて他人を、失いたくないとそう思った。
…紅葉…大切な命だよ……
そう言って僕の胸に手を当てて、命の鼓動を確認してくれたひと。ただひとりの、ひと。
『君は、生きていてくれ』
「…愛しているよ、紅葉……」
硝子玉の瞳のままで、彼は呟いた。言葉はまるで胸を滑るように僕へと落ちてくる。
「君だけを、愛しているよ」
それは小波のように繰り返される。僕への呪文。僕へ掛けられた呪文。その呪文に溶かされて僕の意識は拡散していく。けれども。けれども…何処かが…違う……
「愛しているよ、紅葉。君の為ならば僕はこの命を幾らでも差し出すよ」
…違う……違う………そんな冷たい声じゃない。そんな機械的な声じゃない。もっと。もっともっと…もっとその声は。
その声は優しい。その声は暖かい。その声は僕の全身に降り注ぐ。その声は。
「君の為なら僕は、死ねるよ」
その声は僕のこころに…魂に…降り注ぐ……。
『…生きてくれ…紅葉……』
嵐が来る予感に 胸は狂おしく
夜に迷う螺旋の 観覧車が揺れる
…自由に、なりたい……
この鎖を解いて、この血から逃れて。
自由になりたい。何も望まない。
全てを白紙にしてもう一度初めから。
初めからやり直したい。
生まれ変われるならもう一度生まれ変わって。
そして貴方の傍にいたい。
何もなくていいから。どんな形をしてていいから。
人間の姿でなくてもいいから。貴方と対等でなくてもいいから。
どんな姿でも、いい。
貴方の傍にいたい。貴方の傍に。
…如月さんの傍にいたいんです……
「…違う……」
抱き締めてくれるこの腕は。髪を撫でてくれるこの指先は。降り積もるその声は。
違う、違う、違う。これは貴方のものじゃない。あのひとのものじゃない。
「…違う…違う……」
あのひとの腕はもっと優しい。あのひとの指先はもっと暖かい。あのひとの声はもっと心に響く。
「…如月さんじゃ…ない……」
あのひとはもっと…もっと…深い瞳の色をしている……。
「そうだよ、紅葉。僕は君の『如月翡翠』じゃない。言っただろう、僕は君の『運命』だってね」
「…じゃあ…じゃあ…如月さんは?……」
「思い出せないの?紅葉。君が」
「君が殺したんじゃないのかい?」
『…紅葉…君は…生きてくれ……』
いやっいやですっ如月さん…生きる時はふたりでですっ!
『…生きてくれ…紅葉…君の望みは叶っただろう?…これで自由に…拳武館から自由に…』
…違う…違います…如月さん…僕は…僕の望みは……
『…紅葉…背中に翼が見えるよ…』
…如月…さ…ん?……
『…白い翼が…見えるよ…綺麗だね…綺麗だよ…紅葉……』
…きさ…ら…ぎ……さ…ん………
その広い翼で君は空を飛び立ってくれ。
自由と言う名の翼で。
もう何者にも捕らわれず何者にも縛られず。
君の心のままに。君の思うままに。
その翼で、飛び立って。
…君に、自由を。そして君に……
『馬鹿な男だ。この拳武館に…俺に逆らうなど……』
自由な翼。背中に生えた翼。貴方の命と引き換えに手に入れたもの。
『そこまでして…お前を自由にしたかった…嬉しいか?壬生。そこまで愛されて』
貴方の命と引き換えに。かけがえのない貴方の命と…貴方の…命と…
『…今までお前は愛を知らなかった…やっと手に入れた愛だ…幸せか?』
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」
誰もいない辺りは 音の無い世界
夜に迷う螺旋の 観覧車が揺れる
死にたい、死にたい。
貴方のいない世界でなんて生きていたくない。
死ねない、死ねない。
貴方の最期の願いを裏切ることなんて出来ない。
僕は。僕は、どうしたらいいの?
どうしたらいいの?
…ねえ…如月さん…教えてください……
死ぬ事も許されずに生きる事も出来ない僕は何処にも行けない。
この場所で立ち止まって。立ち止まってただ。
ただ身動きも出来ずに僕は。僕はうずくまっているだけ。
何処にも、戻れない。何処にも、進めない。
ただここに。ここに立ち止まる以外には。
「ここにいればいい、紅葉」
差し出される手。冷たい指先を包み込む手。
「…如月…さ…ん……」
抱き締める腕。優しい腕。冷たい腕。
「…ずっと…ここに…紅葉…何処にも行けないのならば……」
何処にもいけない。もう、何処にも。
「…はい…如月…さん……」
何処にも、僕はいけない。
ガラス遊園地 回る観覧車
End