ああ、これが。
これが壊れるコトなんだと、思った。
目の前で硝子が砕ける。
破片が散らばる。散らばって、広がる。
きらきらとした硝子の破片が。
破片が、広がる。
だって叩きつけたんだもの、壊れるのは当たり前だよね。
当たり前。当たり前って何?
呼吸をして、生きている事?命の音を刻む事?
違うよ、違う。そんな事じゃない。
当たり前なのは。
―――当たり前なのは、僕が壊れる事。
壊れたから、笑った。
うつろな目をして笑った。
灰色の世界の中で、硝子の破片だけがきらきらと輝くから。
その眩しさが、いやで。いやだったから。
だからもっと、もっと砕いた。
そうしたらね、手から。指から血が零れたの。
ぽたりぽたりと。
色がイヤだったから、硝子を砕いたのに。
灰色の世界が、ほら。
ほら僕の血で鮮やかに色付いていく。
…こんなの…イヤだ……
『壊れてしまえばいい。そうしたら君は僕だけのものになるだろう?』
貴方のモノに、なりたかった。
あなただけのものに、なりたかったの。
そうしたら。
そうしたら、僕は。
僕はもう何も望まないから。
だから、壊れた。
僕は自分を壊した。
貴方だけのものになりたかったから。
あなただけのものに。
『紅葉』
もっと呼んで、呼んで僕の名前を。
僕の名前だけを呼んで。
そうしたら、そうしたら僕は、淋しくないから。
空っぽの僕を埋めてくれるのは貴方の声だけだから。
『紅葉、もう何も考えなくていい』
そう言って差し出された手に指を絡めて。
絡めて、抱きしめられた。
抱きしめられて、そして貴方の腕の中で眠る。
もう何も考えなくていい。
煩わしい事を全て。
母親の事、人を殺す事、他人に身体を差し出す事。
その全てを何一つ、何一つ考えなくていい。
貴方の事だけを、思っていればいい。
貴方の頬から紅の、色。
僕が割った硝子の破片が頬を傷つけたの?
貴方の綺麗な顔に傷を、付けたの?
―――イヤだ、貴方を傷つけるものは僕ですら許せない。
「如月さん」
貴方の傷に舌を這わせその血を舐め取った。甘い、味が広がる。
広がって、広がって。そして。
そして全身を支配した。
「…如月…さん……」
抱いて欲しいなと、思った。このまま僕をぐちゃぐちゃに掻きまわしてほしい。そうしたら、そうしたら僕はもっと完璧に壊れる事が出来るから。
壊れて、意識すらも何処かへ飛び去って。そして。
そして貴方だけのものになりたいから。
「…如月さん…好き……」
好きだから、愛しているから。だからもう誰のものにもなりたくない。貴方だけの傍にいたい。
貴方の傍にいられるなら、この腕もこの足も、この身体もいらない。
瞳だけになって、貴方を見つめていたい。
魂だけになって貴方の傍を漂いたい。
「…好き……」
ああ、この手をもぎ取って。この足をもぎ取って。
素足に広がる、ざらりとした硝子の破片。
これが紅葉、今の君。
粉々に壊れた、今の君自身。
でもそれを望んだのは僕。
僕が君を壊した。壊したかった。
そうしたら、もう。
もう君に誰も触れないだろう?
誰も君の身体を自由にしない。
誰も君の心を傷つけたりしない。
だって僕だけだ。
君を傷つけていいのも、君を自由にするのも、君を抱くのも。
君を壊していいのは、僕だけだ。
ほらもっと、もっと壊してあげるよ。
…だから僕だけのものに……
幸せだなと、こころから思う。
僕は幸せだと。
貴方の腕に抱かれ、貴方の中で壊れる。
もう、何も望む事なんてない。
だって貴方のものになれるのだから。
この世に散らばる小さな優しい幸せなんかより。
この世にひとつしかない狂気の愛の方が僕には必要だから。
世界の果ての楽園なんかよりも、世界の終わりの閉鎖された空間の方か欲しいから。
誰にも入りこめない、閉じ込められた時間軸の方が。
耳たぶを引き千切ってあげる。これで君が聴いた最期の声は僕だろう?
目に噛みついて上げる。これで君が最期に見たのは僕の顔だろう?
ねえ、もう。
もう肉体になんて意味ないのかもしれないですね。
心も魂も、全て。
全て意味のないものなのかもしれませんね。
貴方がいて、僕がいる事が。
それが全てならば。ならばもう、何もかもが。
ふたりを隔てている肉体すら、もどかしいから。
一緒に壊れてしまおう。
そうしたら君も淋しくないだろう?
一緒に壊れてしまいたい。
そうしたら貴方とずっといられる。
―――この硝子のように。
End