優しい夢

何処にも、行きたくないと思った。

貴方の腕に抱かれながら、夢を見る。
優しい夢。幼い頃の夢。
何も知らずに無邪気に生きてきた頃の。
そんな、そんな夢。
ただ光だけを信じていた、そんな夢。

目覚めた瞬間に、貴方はいない。

手を、伸ばして貴方の髪に触れた。さらさらの、髪。柔らかい、髪。その髪に指を絡めて、そして眠りたい。
「…如月…さん……」
名前を呼ぶと貴方はそっと微笑った。綺麗な笑顔で、包み込むような笑顔で。
「どうした?紅葉」
「…いえ…如月さんが…いるなって思って」
自分でも変な事を言っているなと思った。けれども貴方はそんな僕に優しく微笑む。優し過ぎる笑顔を向ける。
「僕はここにいるよ、紅葉。怖い夢でも見たのかい?」
「…あ、いえ…違うんです…」
少しだけ戸惑いながら答える僕の額にそっとキス。それだけで瞼が震えてしまう僕は、少しだけ淋しくなっていたのかもしれない。
「幸せな夢を、見てました」
「幸せな夢?その中に僕が登場してくれると嬉しいんだけどね」
冗談混じりに言う、貴方。それが貴方の優しさ。何時でも、どんな時でも貴方は優しい。
「幼い頃の夢です。僕がまだ何も知らなかった頃の。人殺しも母の病気も何も知らなかった頃の」
「子供の頃の夢か。じゃあ僕は完敗だ。君の子供の時代まで思い出を奪えない」
「…幸せな夢でした…でも…」
「でも?」
「…貴方がいなくて…不安で目が醒めました……」
自分で言った言葉に恥ずかしくなって僕は、そっと目を閉じた。

一番幸せな瞬間だと思っていた。
父がいて母がいて、そして僕がいる。
ただそれだけのことが。それだけの事が何よりも幸せだと思っていた。
けれども。それ以上に僕は。
僕は『幸せ』な瞬間に気付いてしまったから。
こうやって貴方と共にいる事が。
何よりもどんなものよりも大切だと、そう気付いてしまったら。

「そんな可愛い事を言われると、自制心が効かなくなるよ。紅葉」
目を閉じた瞬間に落ちてくる唇。額に瞼に頬に、そして唇に。隙間なく振り続けるキスのシャワー。このシャワーに打たれている瞬間が何よりも大切な時間になる。
「…如月さんの…バカ……」
こめかみがかあっと熱くなるのを感じる。そして心臓の鼓動が高鳴るのも。何時までたっても僕はこの人に慣れる事はないだろう。ずっと、ずっとこの先永遠に恋をし続けるのだろう。
「君の為なら幾らでもバカになるよ」
頬を包み込む手。ひんやりと冷たくて心地よかった。僕はそっと目を開けて、その綺麗な顔を見つめ返す。決して見慣れる事はないその綺麗な笑顔を。
「どきどきしてます」
「ふ、どうして?」
「如月さんの顔が目の前にあるから」
「僕もどきどきしてるよ」
「…嘘ばっかり…顔が笑ってます」
「だって君の可愛い顔をこうして見ているんだから、にやけても仕方ないだろう?」
「……如月さん………」
「何?」
「どうして何時もそんな恥かしいセリフばっかり言うんですか?」
「だって僕は君が大好きだから」
そう言ってまた、貴方は僕の唇に口付けた。囁きと同じ甘さで。

夢と現実との境目が分からなくなって。
何時も不安になっていた。
幸せな夢を見れば見るほど。幼い頃の夢を見れば見るほど。
貴方がそこにいなくて。貴方の存在がそこになくて。
僕は貴方と出会った事すら、幻ではないかと不安になって。
だから僕は、幸せな夢をみたくはなかった。
夢なんかより、現実の貴方がいいから。
こうして触れ合える、貴方が。

「…如月さん…好き……」
この言葉を言えるようになったのは何時だったのだろうか?初めは言えなかった。どんなに好きでも言えなかった。言ってしまったら、想いが消えてしまうような気がして。
「僕も好きだよ、紅葉」
でも想いは消えなかった。貴方が全て受け止めてくれたから。僕の想いを、全て。
「…貴方だけが…好き……」
声に出して想いが伝えられる事。言葉にして貴方を好きと言える事。それがどんなに幸せでどんなに大切な事か、やっと気付いたから。
「うん、紅葉。僕も君だけを愛している」
こうやって互いの想いを言葉にして。そして伝えられる事の幸せ。気持ちが結ばれる事の幸せ。貴方に出会うまで知らなかったから。
「愛しているよ、紅葉」
だから何度だって僕は、その想いを貴方に伝えるから。

そしてまたキスをする。
言葉以上に大切な事。気持ちを伝え合う手段。
もう何も、怖くはない。

「君が夢を見る度に僕がそばにいるから。だから紅葉」
「…如月さん……」
「不安にならないでくれ」

幸せな夢を見るのは貴方の腕の中だけだから。
優しい夢を見るのも、貴方の腕の中だけだから。
だから、大丈夫。どんなに僕が不安になっても。
その腕が受け止めて、くれるから。

「はい、如月さん」

そして君は微笑った。僕にだけに見せてくれるようになった本物の笑顔で。
笑い方を知らなかった君が僕と共に覚えた笑顔で。
君は僕だけに、笑った。

…ありがとう、紅葉……


End

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