冷たくなった手をずっと、暖めてくれた。
…寒くない?と何度も聴く貴方に、僕は一生懸命に微笑ってみた。
上手く笑う事が出来なくて、ちゃんと笑う事を知らなくて。
だから自信がなかったけれども。それでも僕は一生懸命に笑ってみた。
僕の一生懸命が、貴方に伝わるように。
「もっと君の笑った顔を見ていたい」
如月の指先が壬生のそれに絡まると、そのまま口許に寄せて息を吹きかける。白い息と共に壬生の指先にほんのりと体温が増す。
「どうしたら、笑ってくれる?」
「…僕は…笑っていない…ですか?…」
指先にひとつ、唇が落ちた。その感触に壬生の瞼が震える。その瞬間を如月は決して、見逃したりはしない。どんな些細な変化も決して。
「意識して、笑っているから。君の自然な笑顔が見てみたい」
重なり合った指先から溶け合う体温。ゆっくりと浸透する温もり。その全てが壬生にとってどうしようもない程に、切なくなる。切なくて、苦しくなる。
「…如月さん…僕は…」
「ん?」
「…ごめんなさい…上手く笑えなくて…その…笑い方を知らなくて……」
遠い昔に自分が置き忘れたもの。幸せだった記憶は遥か彼方の遠い場所に置いて来てしまった。だから笑い方も楽しい事も全部、全部閉じ込めてきた。
笑っても哀しいだけだから、幸せを願っても絶望しかないから。だから、全部。でも。
「…ごめんなさい……」
でもそれを全部貴方が、否定してくれた。
幸せに、なろう。
そう言って貴方は手を差し伸べてくれた。
誰からも手を差し伸べられず、誰からも振り向いてもらえず。
ただ独り膝を抱え、そして俯いていた僕。
上を見上げるのには空の蒼さは眩し過ぎて。輝く太陽の光は強過ぎて。
僕はずっと下を向いていた。
頭上から与えられた優しい笑顔に気付かず、優しい瞳に気付かず。
何も望まないようにと。何も欲しがらないようにと。
ただ息を殺して俯いていた僕に。そんな僕に。
貴方は気付いてくれた。僕の無意識に叫んでいた声に。
何時も本当はこころのどこかで叫んでいた『助けて』と言う声に。
貴方だけが。貴方だけが、気付いてくれた。
…声にならない叫びを、貴方だけが……
「謝らなくてもいいよ、紅葉」
柔らかい瞳が壬生を真っ直ぐに見つめる。決して、決して如月は視線を逸らす事はない。
人の瞳を見て話す事が出来なかった壬生にとって、この視線を見返すことが出来るようになったのはつい最近になってからだった。
初めはどうしてもこの瞳を見つめる事が出来なくて。
怖かったのか、恥かしかったのか自分でもよく分からない気持ちが支配して。そしてごちゃ混ぜになって、混乱して。どうしていいのか、分からなくて。
「僕が君をいじめているみたいだ」
けれどもそんな時壬生の頬に手を重ねて、如月は自分の方へと顔を向けさせた。そして呪文のように、繰り返す。
…君の瞳に僕が、映っているよ…と……。
「…僕はただ君に優しくしたいだけなんだ……」
だから僕の瞳に君を映させて、と。瞼に口付けながら。額に唇を落としながら。優しく、優しく囁く。
まるで降り積もる粉雪のようにそっと。そっと壬生の全身を言葉が埋めるまで。
「如月さん」
何度も、何度も。孤独と言う名の空洞をその言葉が埋め尽くすまで。
「何?紅葉」
埋め尽くしてそして溢れ出すまで。想いが哀しみを越えるまで。愛が孤独を埋め尽くすまで。ただそっと、そっと。
「…優しいですよ、如月さんは……」
はにかむように言う壬生に如月はそっと笑って、盗むように口付けた。壬生が瞼を閉じる暇を与えないほどに。
「……あ………」
「そんなに驚いた顔をしないでよ」
くすくすと笑い出した如月に壬生は恥かしいのか、ほんのりと目尻を赤くしてそのまま俯いてしまう。
…何時まで経っても純粋な、僕の恋人……
心の中で呟いて、如月はやっぱりくすりとひとつ笑った。
君の中身は空っぽで。
その空っぽの身体の中にきらきらとした。
きらきらとした魂が宿っていた。
孤独と言う名の空洞がその輝きを隠して。
隠して閉じ込めてしまう前に。
僕はその細くとも強い輝きをこの手で掬いたかった。
この手のひらに、その輝きを。
誰も気付かなかった、綺麗なこの魂を。
言葉にしようとして、壬生は声にする事が出来なかった。
ちゃんと言葉にして、真っ直ぐにみつめあって伝えようとした事が。
何だかどうしても言葉にならなくて。
ただ黙って如月を見つめる。一生懸命に、見つめる。
「どうしたの?紅葉」
ただ好きですの一言を伝えるのがこんなにも難しくて。こんなにも困難なのが哀しい。
ただ貴方を好きですと、言いたいだけなのに。
言葉にしたら何だか想いが消えてしまいそうで。何だか気持ちが溶けてしまいそうで。
どうしても、どうしても言葉に出来なくて。こんなにも大好きなのに。
「いえ…何でもないんです。ただ…幸せだなって…」
初めて手に入れたものだから。生まれて初めてこの手のひらに掬い取ったものだから。この想いを。この大切な想いを。
「君が幸せなら僕も幸せだよ」
大事に、したくて。子供が宝物を護るように、大切に。大切に護りたくて。
「本当ですか?」
「本当だよ、紅葉。僕が君に嘘を言った事があるかい?」
その言葉に壬生は小さく、けれどもこくりと頷いた。如月だけに、分かるように。
今はまだ本当の笑顔をさせる事は出来ないけど。
それでも少しずつ、少しずつ君は僕に色々な顔を見せてくれるようになったから。
君の感情を見せてくれるようになったから。だから、一緒に。
ふたりで、一緒に。
こうやって少しずつ進んでいければいい。歩んでいければいい。
急がなくてもいい。僕が少しだけ前に立って何時でも君を振り返るから。だから。
だからずっと一緒にいよう。ふたりでいよう。
君の本当の笑顔を見るのが僕が最初になれるように。
ふたりで、ずっと。
ずっと、一緒にいよう。
君の笑顔の行方が、僕の傍で在るように。
End