ただ、零れ落ちる涙。
泣いているのかい?と、貴方は聴いた。
僕はその言葉に微笑った。口許を笑みの形を作って、そして。
そして笑ってみせた。
そうしたら、貴方は言った。
―――瞳が泣いている、と。
口許は笑っているのに瞳が泣いていると。
泣いていると、貴方は言った。
どうして?僕の瞳からは涙は零れていないのに。
また笑ってみた。でも自分でも分かる。口許が歪んでいる、と。
一生懸命に笑おうって心で思うのに。
思っているのにどうしても、口許が言う事を聞いてくれない。
筋肉が緊張して、強張って。そして。
そして、また。また上手く笑えなくて。
そして貴方は同じセリフを言った。
―――まだ瞳が、泣いている、と。
「泣きたい時には泣けばいいんだよ」
貴方はそう言って僕の頬にそっと手を重ねた。暖かい、手。優しい、手。全てを包み込みそして癒してくれるその手。その温もりに全てを預けたくて。けれども、預けてしまったら何もかもがダメになってしまう気がして。
好き、だから。貴方が好きだから。
全てを預けてしまいたい。貴方のすべてに包まれたい。貴方の優しさに溺れたい。
愛してる、から。貴方を愛してるから。
全てを預けたくはない。貴方の全てを護りたい。貴方にとって必要な人間になりたい。
ただ護られるだけの、ただ甘えるだけの人間でいたくない。
貴方と同じ位置に立って。貴方と同じ視線を重ねて。貴方と一緒に。一緒に歩きたい。
一緒に、歩きたいから。
だから。だから僕は。
貴方に護られる価値のある人間になりたい。
貴方を護れるだけの強さが、欲しい。
「でも泣いてしまったら、貴方に甘えてしまう」
「甘えて、欲しいのに?」
「…だってそうしたら僕は際限がなくなってしまう」
「際限?」
「貴方と一緒にいたくて、貴方が大好きで、貴方を独りいじめしたくて…そんな事ばかり考えてしまう。我が侭になってしまう」
「君の我が侭ならば僕は幾らでも聴くよ、紅葉」
「…そんなんじゃダメです…そんなんじゃ僕はイヤなんです」
「どうして?」
「僕だって、貴方の役に立つ人間になりたい。貴方にとって必要な人間になりたい。貴方のそばにいる資格のある人間に…」
「資格?変な事を言うね。僕はこうして君がここに存在してくれて、僕の腕の中にいてくれれば何も望まないよ」
「…でもっ!」
「でも?」
「僕は何も出来ない。貴方の為に何ひとつ。僕は貴方に与えてもらうばかりで何一つ返してはいない」
「…紅葉…馬鹿だね…」
「如月、さん?」
「でもそんな所が僕は大好きなんだよ」
君が、生まれてきた事。
君が、生きている事。
君がこの世に生を受けて、そしてこうやって呼吸をしている事。
君の命の鼓動が刻まれている事。
君が、存在する事。
君が、今ここにいる事。
僕の目の前で生きて、動いている事が。
僕の目の前で喋ってそして色々な表情を見せてくれる事が。
その全てが僕にとって、かけがえのないものなんだ。
君から僕に与えられた、大切なものなんだ。
「君がここにいて、僕と話している。僕と見つめあっている。それだけで充分過ぎる程充分なんだから」
「…でも…僕は…」
「分からない?紅葉。君がこうしてこの世に生を受けて、こうして巡り合えた事が…それだけでもう僕にとっては最高の贈り物なんだよ」
「…如月さん……」
「他の誰でも駄目なんだ。君だから…君だけが…それを僕に与えてくれる」
「……僕…何も貴方にしていない…」
「でも僕を好きでいてくれるだろう?」
「…貴方に役立つ事を何もしてない……」
「でも僕の傍にいてくれるだろう?」
「…貴方の…ために…何も……」
「でもこうやって」
「こうやって僕の為に泣いてくれるだろう?」
ぽたりと、頬から零れた。
泣かないようにと。笑おうと懸命に唇を象っても。
けれども瞳から零れる涙は、止められなかった。
ぽたり、ぽたりと。
頬から溢れて、そして溶けた。
「この涙は僕のものだ」
貴方の手が指先が伸びて、涙を拭ってくれた。そして、そっと舌先がその雫を掬う。
「全部僕の、ものだ」
「…如月…さ…ん……」
「全部僕だけの…」
何時しか唇が濡れた睫毛に触れて、そのまま鼻筋から唇へと堕ちてゆく。溶ける程に、甘い口付けが。
―――降って、くる。キスの雨が。
貴方が、生まれてくれたこと。
貴方に、出会えたこと。
…貴方が僕を愛してくれたこと……
その全てが、その全てが僕にとって。
僕にとっても大切で。とでも大切なものだから。
貴方が僕と共にいてくれることが。
何よりも、何よりも、大切だから。
「泣き顔も可愛いけど、やっぱり僕の前では笑っていて欲しいな」
「…ごめんな、さい……」
「あやまらないで、紅葉。これは僕の我が侭なんだから」
「僕だって君に関しては相当我が侭なんだよ…紅葉……」
End