―――指を、噛んだ。
歯を立てて、かりりと噛んだ。
そこから血が染み出して、鉄の味が広がった。
この広がる味が生きている証。
こんな事でしか僕は自分の『生』を確認出来ない。
広がる味と、ちくりと刺す痛みでしか。
僕は自分が生きているんだと分からない。
生きているんだと、分からない。
ひとを愛すれば生きていると実感出来る。
誰かがそんな事を言っていた。
けれども僕には愛が分からない。
僕を無条件で愛してくれるひとは何処にもいない。
初めから僕にはそんなものを与えられなかった。
誰も僕を愛してはくれない。
愛してくれないから、愛し方が分からない。
愛された事がないからどうすればいいのか分からない。
僕には、分からないんです。
―――だから。
だから貴方が差し出してくれた手をどうしていいのか…分からない……。
君の瞳の奥に見えたものは。
君の瞳の奥に見えたその哀しみが、僕を捉えて離さなかった。
人形のような瞳。何も映さない瞳。でもその中に。
その中に見え隠れする小さな哀しみを、僕は。
僕は決して見逃しはしないから。
その微かにひび割れた箇所から零れ落ちたものを。
だから僕は手を差し伸べた。
けれども君は戸惑ったように僕を見返すだけ。
どうしていいのか分からないと、そう。
戸惑いながら、僕を見つめるだけ。
分からないのかい?
ああ、そうか君はどうしていいのか分からないんだ。
それながら教えてあげる。僕が教えてあげる。
ひとを、愛すると言う事を。ひとに、愛されると言う事を。
僕が君に、教えてあげるから。
手を、伸ばした。君に届くようにと。こころまで届くようにと。
「…如月さん……」
伸ばした手を君はどうしていいのか分からずにただ。ただ僕を見返すだけ。ただ僕の瞳を見つめるだけ。
「―――紅葉……」
言葉にしなければ君に伝わらないのだろうか?僕の想いは君には届かないのだろうか?心を閉ざし、自分を閉ざしている君には。
―――この手で胸を引き裂かなければ、君の心までは届かないのだろうか?
「手が、冷たい」
そのまま僕は君の手を取ると、そっと包み込んだ。ひんやりとした冷たい手。まるで死人のような手。君は何時もこんな手をしていたのだろうか?こんな手を、していたのか?
誰にも暖めてもらえずに、誰にも包んでもらえずに、君の手は。
「…貴方の手は……」
戸惑いながらそれでも君は。君は僕の手を拒まなかった。絡めあった指先から伝わるものがあれば。伝わってゆくものが、あれば。
「ひどく暖かいですね」
君を想っているからだよ。そう口にしようとして、止めた。今この空気に言葉を、想いを溶かしてしまうには。溶かしてしまうにはあまりにも寒いから。
「暖めてあげる」
だからそれだけを言って、僕らはただこうして手を繋いでいた。
ゆっくりと浸透してゆくもの。
指先から浸透してゆくもの。
そのぬくもりが、そのあたたかさが。
僕の凍りついたこころを静かに溶かしてゆく。
―――貴方が、静かに僕を溶かしてゆく………
「…如月さん……」
名前を呼ぶことしか思い付かない。貴方に何を言えば、何を伝えればいいのか分からない。僕は貴方に何を云えば、いいの?
「何、紅葉?」
何を貴方に伝えればいいの?どんな言葉を言えば、いいの?
「…あの……」
言葉を、探している。たくさんの言葉を探している。僕の気持ちを伝える言葉を。けれども僕は。僕が浮かんでくる言葉は。
「…とても…暖かいです……」
ただそれだけで。それだけしか云えなくて。もっと気の効いた言葉を、もっとちゃんとした言葉を口に乗せられたらいいのに。
「よかった」
でも、それでも。そんな僕に対しても貴方は優しく微笑んでくれるのですね。
「君の指先も」
「…暖かく、なっているよ……」
何故だろう、どうしてだろう。
僕はひどく泣きたくなった。
今この瞬間に、どうしようもなく。
どうしようもなく僕は。
―――僕は、泣きたくなった……
白い、息。
繋がった、手。
そして。
そして唯一のぬくもり。
それが、世界の。
世界の全てに、なる。
その瞬間、僕は初めて気がついた。
血を流さなくても、生きていることは確認出来るんだと。
こうして、触れ合っているぬくもりで。
ぬくもりで、生きることを確認出来るんだと。
―――僕は貴方に出逢って、初めてその事に気が付いた。
End