指先が、そっと触れ合って。
触れ合って、重なり合って。
――そして。
そして、感じる。
命の暖かさを、感じる。
君は生きているんだねと、貴方は言った。
こうして触れ合った指先の体温が、言わせた貴方の言葉。
冷たかった指先が、こうやって。
こうやって貴方の手に包まれて体温を灯す事が。
ほんのりと熱を帯びる指が。
僕が生きているんだという証。
ただひとつの命の物語。
生まれて来た事の意味をずっと考えていました。
何故僕はこの世に生を受け、そして生きているのかを。
生かされているのかを、ずっと考えていました。
中途半端な勇気は僕を死へとは導きませんでした。
死んでしまったら楽になれる、終わりが来る。そう分かっていても。
死ぬ勇気すら、持てなかったのです。
ただ生きて。ただ生かされて。他人の命じるままに。他人の命じられるままに。
機械のように動き続ける人形。それが僕でした。
今までの僕でした。誰かに操られるだけの、ただの人形。
『自分の足で、歩きたいです』
言葉にするのは簡単で。口にするのは簡単で。けれどもそれを実行する事が僕には出来なかった。中途半端な、勇気。平気で人を殺す事は出来るのに、自分自身で歩き出す事が出来なかった。たった一歩を踏み出せばよかったのに。そのたった一歩を踏み出す勇気がなかったのです。
『――おいで、紅葉』
差し出された、手。
大きくて優しい、手。
光ある場所へと導く手。
光ある場所へと連れて行ってくれる手。
その手に捕まれば、僕は。
僕は全てから、逃れられるのだろうか?
―――逃れる?違う…それじゃあダメなんだ……
「如月さんは、ずっとその場にいてくださいね」
「うん、紅葉…分かっている」
「僕が辿り着くまで…待っていてください…」
「分かっているよ、紅葉」
「必ず自分自身の足で貴方の元へと辿り着くから」
自分自身の足で。自分自身の勇気で。
そして貴方の元へと辿り着く事が。
貴方の手を掴む事が。
それが僕にとっての、初めの一歩。
この僕の、命の物語の始まりだから。
この冷たい指先で、貴方の指に触れる事が。
―――貴方の場所までたどり着くことが。
夢に見たのは、柔らかい想い出。
何も知らなかった子供の頃の、ただの純粋な想い出。
そこには欲望も打算も何もない。
ただ優しいだけの、夢。
それを胸に抱かえながら、僕はそっと歩き始める。
―――自分自身の、足で。
「手、冷たい」
指先が触れ合った瞬間に、貴方はそっと微笑みながら言いました。柔らかい笑顔で、貴方は言いました。
「…貴方の手は…暖かい…ですね……」
「生きているからね」
貴方の両手が僕の手のひらを包み込むと、小さく一つキスをくれました。零れ落ちる吐息の暖かさに、瞼を震わせながら。
「君にも命の暖かさが、伝わるように」
もう一度貴方は微笑ってくれて、ゆっくりと僕の身体を抱きしめてくれました。優しく暖かい腕の中に包まれて。包まれてひどく、泣きたくなりました。
―――泣きたく、なりました……
「身体も、冷たいね」
貴方の腕の中で、貴方の心臓の音を聴きながら。その鼓動を感じながら。僕はそっと目を閉じる。とくんとくんと聴こえる音だけが、僕の全身を支配して。
「いいよ、このままでいよう。このままこうして君を…君を僕が暖めてあげるから…」
髪を撫でてくれる優しい指先。繋がったままの手。そこから流れてる暖かさ。命の温もり。冷たかった僕の身体に注がれる暖かさは、空っぽの僕に注がれる命。
―――何もなかった僕に、貴方だけが暖かさを注ぎ込んでくれた。
命の物語。
小さな命の物語。
それは僕だけの。
僕だけのちっぽけな物語。
こうして、貴方の腕の中で生まれる。
うまれる、暖かな物語。
「紅葉、顔を上げて」
言われた通りに貴方へと顔を向けた瞬間、小さなキスが降りて来る。
唇に、触れるだけのキス。
「…如月さんっ……」
小さく貴方の名前を呟く僕の頬は、微かに紅く染まっていて。そう頬にも体温が生まれて来る。
「唇も、冷たかったから」
そう言って僕の頬を両手で包み込むと、もう一度僕にキスをくれた。小さく優しく柔らかく。ただ与えられるだけの、キス。瞼が震える、キス。
「効果抜群だろう?唇だけじゃなく…身体中火照っている……」
唇が離れて、耳元に囁かれた言葉に。その言葉に、僕は反論が出来なくて……。
―――悔しいから、ちょっと背中をつねって、みた。
少しだけ顔を歪めた貴方に、僕は笑う。
そんな僕を見て、貴方も笑う。
声を上げてふたりで、笑う。
そんな瞬間を。そんな時間を。
僕らはきっと欲しかったんだと。
求めていたんだと、思った。
―――こんなたわいもない、瞬間を……
命の物語。
ただひとつの僕の物語。
その始まりは、今。
今貴方とともにいるこの瞬間から。
この、瞬間から。
―――僕の命の物語は、始まる……
End