――――貴方の声を、聴くだけで。
こうして瞼を閉じていても、貴方の声が耳に届けば。その優しい声が、そっと。
そっと耳に届けば。それだけで、僕は。僕は、静かに満たされてゆくから。
大好きな人、大切な人、ずっとそばにいたいひと。
「―――紅葉……」
名前を呼ばれて、そっと。そっと目を開いた。閉じたままでも、もう。もう僕は『独り』だと感じることはなかったけれど。それでも、やっぱり。やっぱりこうして僕は貴方の顔をちゃんと見たいから。
「…如月さん……」
かち合った瞳にそっと微笑って。本当に自然に零れた笑みだった。わざと口許を笑みの形にしたものでもなく、一生懸命に作った表情でもない。自然に、本当に自然に零れたものだった。そっと零れたもの、だった。
「やっと君にその顔をさせれるようになった」
そっと貴方の手が僕の頬を包み込む。少しだけ冷たい手、だった。でも今はその冷たさが何よりも心地いい。少しだけ火照っているであろう僕の頬には。
「やっと君が、本当に微笑ってくれた」
何時も貴方はその瞳で僕を見ていてくれた。包み込むように、僕を。抱きしめるように、僕を。孤独に苛まれ、何もかもに絶望し、ただ生かされているだけの僕に。そんな僕を貴方は決して見捨てはしなかった。手を、差し伸べてくれた。
「それは如月さん…貴方がいてくれたから……」
血の匂いのする僕を。決して消えない染み付いた血の匂いのする僕を、貴方の水が洗い流してくれた。貴方の水だけが、僕を綺麗にしてくれた。消えなかった筈の血の匂いを…貴方が奪い去ってくれた。
「貴方がこうしていてくれるから…僕は『生きている』って思えるんです。こうして普通に笑えるんです」
貴方の手に、そっと触れた。そのまま目を閉じて、貴方の感触を感じる。指の微かな冷たさも何時しかこうして触れる事で、ぬくもりが芽生えてきて。そしてそのまま。そのまま甘く溶けてゆく。
「君のその言葉が聴けただけで、僕はもう何も要らないよ」
唇に触れる暖かい感触。貴方の唇が、触れる。甘く溶ける優しいキス。泣きたくなるくらいに優しいキス。それをくれたのは、貴方だけだった。
―――生きると云う意味を、知らなかった。
今まで『生きる』と云う事が、本当に分からなかった。
僕はただあの人の命令通りに動く人形で。ただの殺人機械でしかなかった。
命じられたままに他人の命を奪う。それに痛みすら感じない心。
血で穢れてゆく手が、身体が、こころが、何時しか。
何時しか何処か遠い場所から悲鳴を上げている事すら、気付かずに。
気付かなかった、少しずつ壊れてゆくことこそが『生きている』証拠だと云う事に。
『泣きたかったら泣けばいい。苦しいのなら苦しいと言えばいい…助けて欲しいなら…助けてくれと声を上げればいい』
気付かせてくれたのは、貴方。
壊れゆく心こそが、生きている証だと。
その奥に閉じ込めた想いこそが『生』だと。
それを気付かせてくれたのは、貴方だった。
貴方がいるから、今の僕がいる。
貴方がいてくれたから、今ここに僕がいる。
「君がちゃんと言えるようになったから」
抱きしめてくれる広い腕に、僕はそっと目を閉じ顔を埋めた。胸に耳を当てて、その鼓動を感じる。とくん、とくん、と聴こえてくる命の音に。
「自分の気持ちを言葉に出来るようになったから」
かけがえのない音。貴方の命の鼓動。貴方が生きていると言う証。大切な、大切な、貴方の命。
きっと僕はこれを護るためなら、どんな事でも出来るだろう。
「…如月さん……」
貴方の声が、聴きたい。ずっと、聴いていたい。過去も今も、そしてこれからも。これからもずっと。ずっと貴方の声を、聴いていたい。
「うん?」
どんな時も、どんな瞬間も。僕が永遠の眠りにつく瞬間に、最期の声を聴くのは貴方がいい。貴方が、いい。
「…あの…僕は貴方が……」
瞼の裏に最期に残るのも。最期の残像も、貴方がいい。貴方だけが、いい。他に何もいらない。いらない、から。
「…好きです……」
何もいらないから、ずっと。ずっと、僕のそばにいてください。僕をそばに置いてください。
「―――ああ……」
そっと口許が微笑って。そして瞳が優しく微笑って。もう一度貴方は。貴方は僕にキスしてくれました。言葉よりも想いが伝わる、優しく切ないキスを。
「僕もずっと君だけだ。君だけを、見ていた」
君の孤独を癒したかった。全てを絶望したような瞳で。全てを諦めたような瞳で。それでも。それでもその奥にあるただひとつの。ただひとつの綺麗で無垢な光が、僕を捕らえて離さなかったから。その綺麗な、こころが。
僕は誰よりも幸運だと思っている。僕だけがそれに気付いたことに。君の何よりも脆く、それでいて何よりも純粋なこころを。それを僕だけが、気付いたことに。僕だけが、気付けたことに。
誰にも君を渡しはしない。誰にも君をあげない。
僕の唯一の執着は君だけだ。全てのものに冷め切っていた僕の。
僕のただ一つ、こころを動かし。そしてただひとつ。
僕を『生きている』と思わせる存在。
君が僕によって『生』を感じたように、僕も君と出逢って初めて『生きている』と思ったんだ。
生きて、いる。命の鼓動が、刻まれる。
それは全て君という存在がここにあるから。
君という命が僕に与えられたから。
――――君という存在が、僕のそばに在るから。
「…紅葉…愛している……」
何もいらない。君がいればそれだけでいい。
「…如月さん……」
僕の命は君のものだ。だから君の命は僕のものだ。
「…愛しているよ…紅葉……」
ただそれだけがあればいい。それだけが、結ばれていればいい。
「…僕も…です…如月さん……」
他に何も、いらないから。
声を聴いていたい。ずっと、君の声を。僕が永遠の眠りにつく、その日まで……。
End