生まれたての、太陽

…いつしか、生まれたての太陽を見せてあげたい。

笑う事を知らない子供だった。
心の底から、本当に笑う事を。楽しいと感じる事を。嬉しいと思う事を。
なんにも知らない子供、だった。

だから君を、笑わせてあげたかった。ただそれだけ、だった。

「どうして僕は、生まれたのでしょうね」
そう言って儚く笑う彼の瞳は、泣いていた。それが胸を貫いて苦しくなった。
「何故、そんな事を言うんだい?」
真っ直ぐに見つめるとその視線が怖いのか、彼は自分から視線を逸らした。その肩を微かに震わせながら。
「…だって僕は…必要じゃないから…」
「…紅葉?…」
「きっと今、僕が死んでも誰も哀しまない…っ」
壬生の言葉は最期まで言葉にならなかった。その頬を如月の綺麗な手が、ひとつ叩いたので。そして怖い程真剣な瞳で如月は壬生を睨みつけた。
「冗談でもそんな事を言うな。君は自分の両親や友人をなんだと思っているんだ。そして…そして僕を…」
「…本当のこと、ですよ…だって僕はいらない子供だったのだから…」
また、壬生は笑う。泣きながら。泣けない瞳で、笑う。
「いらない子供など、いる筈が無い」
如月の言葉に壬生は首を横に振った。その言葉を頷くには自分はあまりにも、何も持ってはいなかったから。
母親の暖かい温もりも、父親の大きな手も知らずに。心から分かり合える友達も、大切にしたいと思う恋人も。自分にはない。自分には…なかった。だから。
「…だから僕なんて…生まれなくても…よかったんだ…」
「………」
如月の大きな手が伸びてきて、そっと壬生の髪を撫でた。それに驚いたように壬生は顔を上げて、如月を見返した。真剣な、瞳。真っ直ぐで一点の曇りの無い…。この人は何時も、何時もこんな強い瞳をしている。誰にも誰にでもそれは平等に与えられて、そして誰にもその強さを傷つける事なんて出来ない。
…傷つけてみたいと…思った……。
この人の‘傷ついた瞳’を、見てみたいと思った。
誰も見た事のないであろう、この人の弱い部分を見てみたいと。
「…紅葉…僕が…哀しむよ」
何度も何度も髪を撫でる如月に、戸惑いながらも壬生はその瞳を見つめ続けた。このまま時が止まってしまえたら…そう思ってしまったから。
「君が死んだら、僕が哀しい」
そう言って如月はそっと、壬生の身体を抱きしめた。その腕の中はひどく、暖かくて。そして、切なかった。泣きたくなるほどに。
「だからそんな哀しい事言うな」
「…如月、さん……」
もうそれ以上如月は何も言わなかった。ただずっとずっと自分の髪を撫でてくれた。父のように、そして母のように。
凍えてしまった壬生の心をそっと、暖めてくれた。

…これが恋だと、思った。
このひとを好きだと、そう思った。
好きだら、この人の全てを知りたいと。
他人の知らない彼を知りたいと、そう思ったから。

だから手首を、切ってみた。

本当に僕が死んだらこの人が哀しんでくれるのか。
それが、知りたかったから。

口付けられて、初めてその答えを知った。
「…君は…どうしてこんな無茶をする?……」
切り刻んだ手首には綺麗に包帯が巻かれていた。血まみれの筈のシャツは綺麗なものに取りかえられていた。
「…僕が死んだら…貴方…哀しんでくれるかなーって…そう思って…」
そう言って笑った顔がひどく無邪気だったから。如月は一瞬目を疑った。何時も泣きながら笑っている彼の、無邪気な笑顔に。
「心配してくれたんですね…嬉しい…」
ぎこちない動作で、壬生の手が如月の髪に伸びる。そしてその感触を確かめるかのように、そっと指を絡めた。
「当たり前だ…」
その言葉にまた、壬生は笑った。そんな彼に堪らなくなって再び如月は、その冷たい唇を自らのそれで塞いだ。
…彼の傷ついた瞳が、見たい……。
その願いは今、叶えられた。この人は今、自分の前にその瞳をさらしてくれたから。だから。だから…。
「…好きです、如月さん…」
「僕もだよ、紅葉」
「大好きです、如月さん」
もう死にたいとは、思わなくなった。

傍にいてずっと、貴方を見ていたい。
その瞳に映るものを。その笑顔の先を。
ずっと、見ていたい。
何もいらないから。ただそれだを。
それだけを、願った。

手を繋いだ。
時が止まったみたいに。ずっと。
その指先の温もりだけが全てだと言うように。
それだけが、全てだと。

「…このまま、眠ってもいいよ。紅葉」
「イヤです。僕は貴方を見ていたい」
「僕を、見ていたい?」
「…はい…ずっと…見ていたいです……」
「僕も君を見ていたい。永遠に」
「…永遠って…存在すると思いますか?…」
「僕の君への気持ちが、永遠だよ」

そう言って笑う貴方はとても、綺麗。
その綺麗な笑顔を瞼に閉じ込めて。
…ずっと…永遠に……。

唇がそっと降りてくる。貴方の綺麗な笑顔を残像にして、それを受け入れた。触れ合った唇の熱さが互いの想いならば、それはどんなに幸せだろう。
「このまま永遠に、なろう」
その言葉に僕は小さく頷いた。ゆっくりと自分に被さってきた貴方の背中に、腕を廻して。そして…。
「…如月…さん…」

…そしてふたりで、夜の波を越えた。

貴方の腕が、自分を抱きしめてくれるから。
貴方の熱が、自分に全て伝わるから。
だから、何も。
もう何も、怖くは無い。

「…如月さん、見て…」
ベットから起きあがると裸のまま壬生は窓の傍に立った。如月は答える代わりにその隣に立つ。
「どうした?紅葉」
「夜が、明けますよ」
「本当だね」
薄紫の光りが空を覆い、そして壬生を包み込んだ。そんな瞬間を、永遠に閉じ込めておけたらと…如月は思った。このまま自分だけのものに、と。
「もうすぐ、太陽が生まれますね」
「……そうだね……」
如月の手が細過ぎる壬生の肩を抱き寄せる。壬生は無言で如月の胸に凭れ掛かった。その場所が自分だけに与えられるものだと確認する為に。
「君も、今生まれたんだね」
「…如月さん?…」
「淋しい瞳の君は消えて、今は僕の為に笑ってくれている。だから今、君は生まれたんだ、僕の為に」
「はい、如月さん」
貴方の為に…そう言い掛けた壬生の言葉は如月の降りてきた唇のせいで閉じ込められた。けれども。けれども…言葉は伝わる筈だから。

……ふたりで、生まれたての太陽を、見た……。


End

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