友達のままいられない 恋人にはなれない
真っ赤な糸をたどったら あなたへと続くはず
海の中の月はぼんやりとしていて、まるで水に溶け込んでいるみたいだった。
「……」
影を踏まないように、ひとつだけ下がってその背中に付いてゆく。その距離がふたりの間の永遠の距離だった。
「…紅葉…」
名前を呼ぼうとする前に、自分の名前を呼ばれる。本当は自分からは呼ぶ事が、出来なかったけれども。
「何ですか?如月さん」
月明かりに照らされた如月の顔はとても綺麗で。綺麗だから、壬生はとても哀しかった。
「君は何を考えている?」
真っ直ぐな如月の視線。何時でもどんな時でも、それは反らされる事はなくて。こうやって何時でも自分を真っ直ぐに見つめてくれる。
「…貴方の、事……」
何時だってどんな時だって、自分は。自分は貴方の事を考えている。貴方の事だけを、考えている。
「ならばどうしてそんな事を僕に言うんだい?」
「何をですか?」
「僕に龍麻の元へ行けと」
如月の腕が何時の間にか壬生のその腕を掴んでいた。如月の手でも簡単に掴めてしまう程の細い腕。それを逃さないようにと、力の限り捕まえた。
…けれども…その力強さが…強さが壬生をまた哀しくさせた……
「言いました。貴方は龍麻の元へといかなければならない。貴方は飛水流の末裔。たった一人の後継者。そして龍麻を護る為に生まれてきた…」
「君は残酷だね。僕が出来ないと分かってて、そう言うのかい?」
「ならば戻れるようにします」
「紅葉?」
胸に聴こえてくる歌は哀しい歌ばかり。心に響くのは泣き声だけ。だけど。
「…もう貴方には逢いません…如月さん……」
「…紅葉……」
「貴方が幸せになれないのならば、僕なんていらないから」
海に映る月が不意に、消滅する。そしてふたり。ふたり静かに闇に包み込まれる。
「僕といても貴方は幸せになれません」
「何故君がそう決める?」
こんな闇ならば、泣いても気付かれないだろうか?…だけど…。
だけどこの優しい人は、自分が涙を零したら決してそれを見逃しはしないだろう。
「貴方には護らなければならないものがたくさんあります。家も血も…龍麻も…それを全部捨ててまで、僕を取る事は貴方には出来ないでしょう?」
「………」
「…捨てられる前に別れた方が…僕は惨めでは無いでしょう?…」
その言葉は、嘘。貴方は僕を捨てたりはしない。そう言う人だから。そんな貴方だから僕は好きになった。大好きに、なった。
…だから僕は…僕は、貴方から離れなければならない。言葉にして嘘でもいいから言葉にして貴方を拒絶して、そして。そしてその手を僕から離さなければ…
このひとを手放せなくなる。永遠に、離れられなくなる。
「もういい機会ですよ。僕達はもう子供ではないのだから」
「…子供だよ、君は」
「…あ……」
不意に抱きしめられて唇が奪われる。柔らかく優しいその口付けは心をそっと溶かしてくれる。だけどそれが。それが返って、苦しくて。
「君はどうしようもない子供だ」
唇が離れたと同時に抱きしめられる。華奢な身体はいとも簡単にその腕の中に閉じ込められた。
「…如月さん?…」
「僕は確かに無力かもしれない。けれども愛する者を哀しめる程、弱い人間ではないつもりだ」
…何故、分からないのだろうか?こんな簡単な事を。
何故、君は分からない?
「僕はこの宿命も君もどちらも捨てない…いや…僕は君を離す事なんて出来ない」
「…でも貴方は…貴方は…飛水の宿命から…逃れられない……」
…今ならまだ…まだ…この手を離す事が出来る…きっと…出来る、から……
「だから君は子供だと言うんだ」
今にも泣きそうな瞳で。そんな瞳で自分を見つめる君を離す事など出来はしない。ましてそれが何よりも大切な存在ならば。
「愛している、紅葉。そう言ったはずだよ」
「…如月さん……」
「君が分からないのなら何度だって言うよ。君が分かるまで。だからそんな言葉二度と言わせない」
「……」
「…それでも分かってもらえないのならば…僕は全てを捨てる……」
「如月さんっ?!」
「僕は君のそんな哀しそうな顔を見たくない。それだけだよ」
「…如月…さん……」
「泣かないで、紅葉。僕がいるから」
何時の間にか零れ落ちた涙を、如月の優しい手が拭ってくれた。その優しさはすぐに壬生の心に染み込んでゆく。
「…泣かないで……」
何度も何度も僕の名を貴方は呼んでくれた。僕が淋しくないように。僕が哀しくないように。何度も、何度も。
「…天使に、かまれました…」
「どうかしたのかい?」
壬生は如月の腕の中で。腕の中で不意に、呟いた。その言葉に如月は優しく尋ねる。
「ここ、天使にかまれたみたいです」
そう言って壬生は、自分のこころを指で指した。
誰にも話せないこと やわらかなほほえみで
あなたはいつも答えてた 「その翼 閉じないで」
何時の間にか、水の中の月は再び浮かんでいた。
End