SEASONS

―――君といた、夏。君がいた夏。君と一緒にいた夏。


その地平線の先に見えるのは、生と死の境界線。


君と、生きてきた日々。君と一緒にいた日々。一面の蒼い空だけが世界の全てになったその瞬間。僕らは互いの存在が唯一のものだと、気が付いた。他に必要なものがあった筈のなのに。他に欲しいものがあった筈なのに。その全てが一瞬のうちに消え去って。そして。そして君だけになった。―――僕の世界に君だけが存在した。
それはあまりにも突然に、そして自然に訪れたから。だからふたりは、瞬きすらもしなかった。それすらも忘れて…互いを見つめあった。


睫毛の先から零れる光。太陽の光。きらきらと、零れてゆく。その先に口付けて、そして。そして永遠を誓う。


「―――ああ、そうか…僕は君が好きなんだ」
見えるのは蒼い空と貴方だけ。貴方に溶ける蒼い空だけ。
「君が、好きなんだ」
あまりにも自然にその言葉は貴方の口から零れた。それが本当に空気のように僕に届いたから。だから。
「…僕も…貴方が好きです……」
何の抵抗も無く、僕はその言葉を口にしていた。ごく自然に、その言葉を。
「好き、です。貴方が」
そっと差し出した手に、貴方の大きな手が包み込んだ。暖かい指先。触れ合った指先。その温もりだけが、僕の感じる全てになる。暖かい、手。優しい、手。全てを包み込んでくれる、手。これ以上望むものはもう何もない。
「…如月さん……」
重ね合った手を自らの頬へと持ってゆき、その暖かさを感じた。その温もりを感じた。貴方の命を、感じた。生きているもの、動いているもの、かけがえのないもの。――――僕が、見つけた…もの……。
目を閉じて、感じる。貴方の温もりだけを、感じる。命の鼓動の刻まれる暖かいものだけを、感じて。生きていると言う事の、どうしようもない切なさと愛しさを感じて。
「貴方の手はとても、暖かいですね」
ひとつだけ瞬きを、した。そこから零れる光の雫が、貴方にとって綺麗に見えますように。


あの海の先には何があるのかな?あの空の先には何が見えるのかな?


ずっと一緒に、いたかった。ずっと傍にいたかった。一緒に笑い合える日々。一緒に生きてゆく日々。そんな日がずっと続いていけるなんて、そんなの夢でしかないけれど。それでも夢を夢のままで、信じてゆきたかった。


「君の手も、暖かいよ」
君の睫毛から零れる光が、とても綺麗で。綺麗過ぎて、触れるのを躊躇ってしまうほどに。多分これは、夢のような日々。夢のような時間。こんなふうに君が傍にいて、君と触れ合うことは。夢の中の、時間。
「…如月さん……」
そっと君が瞳を開く。澄み切った夜空の瞳を。綺麗だなと、思った。綺麗だよと、思った。君の壊れゆく、その。その危ういまでの儚さをこの腕で護りたいとそう思った。
「…紅葉…と呼んでも…いいか?」
「…はい……」
「―――紅葉……」
絡めた指をそっと外して、その細い肢体を抱きしめた。一瞬だけぴくりと震えたその身体は、けれどもゆっくりと体重を僕に預けてきた。
「君がここにいるのが幻みたいだ」
「幻じゃないです…だってほら……」
背中に廻した腕に力がこもる。腕の中の温もりは確かに、その暖かさを感じるから。確かに君はここに、いる。僕の腕の中に、いる。
「そうだね、紅葉」
唐突に気付いた想いだから。多分無意識の内に想い続けて、それでも何か違う物に摩り替えていた想い。違う、もの。そう違うものに。
それは君に対する同情?それとも君に対する友情?でもどれもこれもがいとも簡単に愛情へと擦り返られて。いとも簡単に、その答えを導き出して。―――これが、愛だと。ひとを愛するということだと。
「君がこの腕の中にいる、それが現実だ」
君を、愛するという事。


きらきらと乱反射する光と。手のひらから零れる銀の砂。世界中の一番綺麗なものを閉じ込めた瞬間。
貴方の、瞳。貴方の、声。貴方の長い睫毛と、貴方の紅い唇。世界中の一番綺麗なモノを閉じ込めたこの瞬間。


「…如月…さん……」
手を伸ばして、貴方の髪に触れる。風からその髪を指からさらっていかないようにと祈りながら。
「―――紅葉…」
ただひとつだけ、祈った。貴方を失いたくないと。それだけを僕は祈った。貴方の声が僕の名前を呼んでくれる瞬間。貴方の瞳が僕を映してくれる瞬間。そのひとつひとつを僕は瞼の裏に焼き付ける。この何よりも大切な時を、こうやって。そうしたら、もしも。もしもこの時間が終わってしまっても、僕は淋しくないから。―――独りになっても、淋しくないから。
「キスして、ください…全てを忘れないように…」
「…紅葉……」
「どんな事になっても…貴方と出逢え…そして愛した事を、忘れない為にも……」
これがもしも夢だとしても僕は構わない。だって僕は貴方を愛している。その事実は消えないから。僕の胸から永遠に、消えないから。
「…ああ…紅葉……」
夢のような。夢のような、甘いキス。でも本当にこれが夢ならば、こんなにも僕の胸は、切なくはならないから。


波が今全てをさらっていったとしても。この『想い』だけは決してさらえないから。


「―――さよなら…如月さん……」


貴方の髪が紅く染まる。僕の血。僕が流した血で。そして、そして溶けてゆく。僕の身体は溶けてゆく。この空と同じ蒼い海に。蒼く澄んだこの海に。銀の砂を指に絡めながら、溶けてゆく。


「最初から、死ぬつもりだったのか?」


ええ、だって。だって貴方が好きだって言ってくれた瞬間に。その瞬間に僕は死のうと決めました。だってそれが何よりも一番僕にとって幸せな瞬間だから。だから僕は迷わずにそうしようと決めました。だからこうして胸にナイフを自ら突き付けました。


―――貴方を、愛しているから……


「でも僕は君を死なせたりはしない。例え夢は醒めると分かっていても」


この一番綺麗な瞬間のまま、君を閉じ込める幻想。一番綺麗な君を最期に見たのが自分だと言う喜び。でも。でもそれ以上に。それ以上に願う事。夢が醒めても願う事。―――君とともに、いたい。


君が綺麗でなくてもいい。夢が醒めてもいい。君と言うただひとつの命が僕の腕の中にあれば。僕はそれがどんな形だろうとしても構わない。


「死なせないよ、紅葉」


今日が、今が何よりも最高の瞬間だとしても。もしかしたら明日、それ以上の最高の瞬間が訪れるかもしれないじゃないか?それは誰にも分からないのだから。


―――君といた、夏。君がいた夏。君と一緒にいた夏。



――――これからもともにいる、夏。


地平線の先に見えるのは、未来だと僕は信じたいから。


End

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