…誰よりも優しく、してやりたいと思ったから……
眠れない夜はずっと。ずっと傍にいてくれた。
「寒くないか?紅葉」
肩からずり落ちた毛布を掛けてやりながら、如月は壬生に尋ねた。その動作は何処までも、優しくて。
「…平気です、如月さん…でも…」
「でも?」
「…こうしていた方が…暖かい……」
そう言って壬生は少しだけ照れながら、如月に抱きついた。その瞬間せっかく掛けた毛布は床に落ちてしまったが。
「そうだね」
しかし如月は気にする事無く壬生をその腕に抱きとめると、再び床に落ちた毛布をその細い肩に掛けてやった。そしてそっと、壬生の髪に口付ける。
「…まだ…雪…降っていますね……」
…とくん、とくん…と。如月の心臓の音を聴きながら、壬生はそっと呟いた。命の、音。このひとを動かしているかけがえのない、大事な大事なもの。
大切なたったひとつの、貴方の命。
「…ああ…降っているね……」
壬生の言葉に答えるように如月の視線が四角く区切られた、その空間を見上げた。柔らかく降り積もる雪が。その雪が地上の全てを白く染めてゆく。全ての罪を隠すように。
「このまま降り積もって、僕らふたりで埋もれてしまいたいね」
…小さな夢のかけらを。少しづつ、集めて。
しんしんと微かな音を立てながら、この小さな世界に雪は降り積もる。柔らかく優しく。そして少しだけ、哀しく。まるでふたりを閉じ込めるかのように。
「何だか世界から隔離されているみたいですね」
頭上にある何よりも綺麗な瞳を見上げながら、壬生は言った。何よりも、綺麗な。綺麗な自分だけの、瞳。
「…そうだね……」
柔らかく微笑う、如月の瞳。その瞳を見れるのは自分だけだと。自分だけがそれを独占出来る。それがどんなに幸せか、貴方には伝わるだろうか?
「このまま君とふたり、世界から隔離されたいね」
綺麗な指が壬生の頬に触れる。その指先はひんやりと冷たかった。冷たい自分の身体を抱きしめていてくれた、その指先。
「…他の人間は、いらないのですか?…」
「いらない、君がいればいい」
静かに降りてくる唇。そっと。そっと静かに降りてくる唇。それが触れた瞬間に、少しだけ泣きたくなった。
理由なんて、無い。ただ。ただ切なくて。切なかった、から。
「僕もいりません。何も、いらない」
真っ直ぐな、瞳。真っ直ぐな、視線。それは一寸も逸らされる事は無くて。何時から壬生はこの瞳を自分へと向けるようになったのだろうか?何時から彼は自分への視線を逸らす事がなくなったのだろうか?
…何時、から?……
「貴方が好きだから」
真っ直ぐな剥き出しの想いを、君は僕にぶつけてくる。覆っていたもの全てを捨てて。何もかもを捨てて、最期に君が残したものが僕への想いならば。
「僕もだよ、紅葉」
僕への想いならば。それならば僕は何も、遮るものがない。君が僕へ全てを向けてくれるのならば、僕はもう何も何もいらないのだから。
「僕も君だけを愛している」
拒まない壬生の唇に如月は、口付ける。哀しい程優しい、口付けを。
このままずっと。ずっとふたりでいられたら。
そんなものはただの幻想に過ぎない。過ぎないと分かっていても。
それでも。
…それでも、もしも……
「雪が止んだみたいだね」
如月の言葉に促されるように壬生の視線が窓の外へと移る。そこから見える一面の銀世界に、目を細めながら。きらきらと反射する白に。
「そうですね」
雪が止んで再び世界が動き出す。ふたりだけの静かな時間が今、終わる。
「このまま永遠に止まなければと…思いました…」
「このままふたりきりで、閉じ込められたかった?」
「…はい……」
小さく頷く彼に、再び瞼に唇を落とした。誰よりも淋しがりやで誰よりも孤独で。でもそれを決して誰にも見せようとはしなかった。誰にも見せずにずっと独りで耐えてきたから。
…独りで…強がっていたのが、見えたから……
「僕はずっと君の傍にいるのに。それでも僕を独りいじめしたいの?」
「…如月さんの未来が…綺麗だから…」
「紅葉?」
「僕には貴方しかいないけれど貴方にはたくさんのものがある。僕には無いものをたくさん…持っている……」
「ならば君に無いものをふたりで作ってゆけばいい」
「…如月さん?……」
「君に何も無いと言うのならば…これからふたりで作ろう。そして大切な物を沢山作ろう」
一瞬、壬生の顔が泣きそうになった。けれども。けれども次の瞬間に彼は。彼は少しだけ戸惑いながら…微笑って。そして。
…そして小さく、頷いた………
「貴方との未来を…夢を見てもいいのですか?…」
「聴くまでもないよ。僕の隣には君以外考えられない」
「…綺麗な未来じゃ…なくても?…」
「綺麗な未来よりも、君がいい」
「僕のせいで貴方を穢してしまうかもしれない」
「君と一緒なら、構わないよ」
そう言ってそっと壬生の唇に如月は口付けた。それが全ての誓いだと、告げる変わりに。
…愛していると、言葉にする前に……
「指きりなんて、子供みたいですね」
くすくすと壬生は微笑った。それはひどく子供みたいで、如月の口許に無意識に笑みを浮かばせた。
「でも僕指きりなんてした事…なかったな…」
そっと延ばした細い壬生の指先に、如月は優しく絡め取る。そこから触れる温もりが柔らかい優しさとなって、壬生の全身に浸透してゆく。
それはとても。とても心地よいから……
「じゃあこれから僕と沢山しよう。取りあえずこれが最初の約束」
「…そうですね…これから…これからいっぱい貴方と…」
「ふたりだけの、約束だよ」
「はい、如月さん」
…ふたりだけの…ふたりだけの、約束だから。
『…ずっと、一緒にいよう……』
天使の詩が、聴こえる。
遠くからそっと。そっと聴こえる。
幸せになってねと。
優しい詩が、聴こえる。
僕と貴方に降ってくるSweet Song。
それは天使の、贈り物。
End