そっと、手を繋いだ。
偶然に指が、触れ合ったとでも言うように。
そして。そして、そっと。
そっと指を絡めて。
絡めて、僕らは漂う。
時空を漂う風に、なる。
ただ何をする訳ではなく、ふたりでここにいた。
緑と風だけがある場所でただふたり。
閉じ込められた静かな時間軸の中で。
その中で、ただふたりだけで。
ただこうして手を繋いで。そしてみつめあう。
「風が、気持ちいいね。紅葉」
髪を擦り抜ける優しい風。さらさらの貴方の髪を揺らす。不意にその髪に触れたいと、思った。僕の指先に極上の感触を与えてくれるその髪に。
「…気持ち、いいですね。如月さん…」
その前に、貴方の指が僕の髪に触れた。形よい綺麗な指先が。
「君に触れている。髪と手が」
「…如月さん……」
「こうやって指先で君を確かめる事が出来るのが、何よりも幸せだと思う」
繋がった、指先。髪に触れている、指。その全てが。その全てが貴方を感じる事が出来るもの。
「僕も貴方にこうして触れられて…幸せです……」
はにかむように、微笑んだ。少しだけ恥かしかったから。だから、こうやって。けれどもそんな僕に。僕に貴方は何よりも優しい笑顔を向けてくれて。
「もう少し触れても、いいかい?」
そう言うとそっと。そっと唇を塞いだ。その甘さに、何もかもが溶けてゆく。
空っぽの瞳に、命を吹き込んでくれたのは貴方。
空っぽのこころに、愛を注いでくれたのは貴方。
空っぽの僕に、生きる意味をくれたのは貴方。
全部、全部、貴方が僕に教えてくれた事だから。
「如月さん」
「ん?」
「―――貴方の瞳が好き」
「どうして?」
「…貴方の瞳に映っている時だけ…僕の顔は嬉しそうだから…」
「じゃあ僕が君を見ていない時は?」
「…その時の僕は…死人みたいな顔をしています…」
「だったら」
「だったら、僕は君から目が離せないね」
始めから、離す気なんてさらさらないれどもね。
―――紅葉。僕の、紅葉。
君を見ている時が僕も一番生きていると実感する時なんだ。
君の笑顔を、君の泣き顔を、君の微笑みを、君の哀しみを。
それを見ていると、僕も。僕も同じ気持ちになれるから。
喜怒哀楽をどうでもよくなって、他人の事をどうでもよくて。
ただ醒めた瞳で世の中を見過ごしていた僕に。そんな僕に。
君は、教えてくれた。
生きてゆく事の楽しさを。人を愛する事の喜びを。誰かを大切にしたいと言う想いを。
…君に優しくしたい…と言うこころを……。
君が。君だけが僕に、教えてくれた事なんだ。
「…離さないで…くださいね……」
俯きながらぽつりと言った君の目尻がほんのりと紅くて、僕は口許に浮かぶ笑みを止められなかった。君が、どうしようもなく可愛くて。
「離す気なんて、ないよ。僕だけの紅葉」
大事な、君。大切な、君。僕だけの愛しい恋人。その綺麗なこころを誰にも渡したりはしない。この腕の中に閉じ込めて、大切に、大切にしたいから。
「…如月さん…あの…」
「ん?」
「…もう一度…キスして…ください…」
その言葉がよっぽど恥かしかったのか、君は僕の胸に顔を埋めてしまう。その仕草がひどく子供のようで…可愛かった。
「紅葉、顔を隠したらキス…出来ないよ…」
「…あ…でも…その…」
「こっち向いて。君が望むだけキスしてあげるから」
「…如月…さん……」
おずおずと顔を上げて僕を見上げてくる。耳まで真っ赤にしながら。
どうして君はそんなにも僕を喜ばせるのが上手いのか?
どうして君はこんなにも僕のこころを掴むのか?
「まずは、睫毛から」
「…あ……」
「次は瞼に、鼻筋に、頬に…そして…」
「…ん……」
「…唇に……」
何度も何度も君と口付けているのに、飽きる事は全然なくて。それどころか数を重ねる事にまた。また君にキスをしたくなるのはどうしてだろう?
―――それだけ、僕が。僕が君に惚れ直しているからだろうね……。
貴方といるだけで。
それだけで、こころが暖かくなれる。優しくなれる。
今まで灰色だった景色に色がついて。
そして今まで気付かなかったものが見えてくる。
空がこんなに蒼かったのか、とか。
花はこんなにいい香りがする、とか。
緑はこんなに鮮やかな色をしていて。そして。
そして日差しはこんなにも暖かく優しい。
それは全部。
全部貴方が僕に、教えてくれた事。
―――貴方だけが僕に、教えてくれた事……
「紅葉、愛しているよ」
「…僕もです…如月さん…だから…」
「だから?」
「…ずっと一緒に…いてください……」
みつめあう瞳が、微笑む。
優しく、微笑みあう。
それは、貴方が教えてくれたこと。
みつめあう瞳が、優しい。
穏やかに、微笑みあう。
それは、君が教えてくれたこと。
他人を思いやるこころ。
誰かを愛するこころ。
人に優しくするこころ。
それは全部、貴方が教えてくれた。
一緒に笑い合う事。
一緒に哀しむ事。
全てを半分に分け合う事。
それは全部、君が教えてくれた。
一番身近にあって。そして一番大切な事。
それは君が、僕に教えてくれたこと。
End