ACT/9
ひとつづつ、積み上げていこう。
ひとつづつで、いいから。
小さな夢の欠片をひとつづつ。
そうしたら何時かは。
―――何時か、虹を描けるかもしれない……。
繋がった手を、離さなかった。
ただ今僕らを結ぶものがこの指先だけだとしても。
触れ合っているのが、この手のひらだけだとしても。
でも。でも、今。
今こころが繋がったと。
繋がったと、思えるから。
「目、真っ赤だね」
柔らかく笑って、貴方はそっと僕を引き寄せた。そしてそのまま、その広い腕の中に抱きしめられる。
「いっぱい泣いちゃったね」
左手は重ねあったまま、右手が僕の背中を撫でる。何度も、何度も繰り返し。それは飽きる事なくずっと。ずっと、続けられる。
「――今まで…我慢していた分…全部流した気がします……」
目を、閉じる。そうする事で耳に貴方の命の鼓動が聴こえる。その優しい音に、僕は。僕は何時しか意識を溶かしていた。その音に。とくん、とくん、と聴こえるその優しい音に。
―――貴方の、命の音に……
生きている、事。生きている、音。貴方が生きている証。命がこんなにも大切なものだとは、僕は気付かなかった。こんなにも大切でそして。そして、かけがえのないものだと。
生きて、いる。貴方が、生きている。こうして手を伸ばせば僕の届く場所に貴方がいる。目を開ければ貴方の優しい笑顔がそこにある。―――貴方が、いる。
貴方が、生きている。こうして、生きている。
―――生まれてきて…よかった……
貴方に出逢えてよかった。
貴方と同じ時代に生まれてきてよかった。
貴方と同じ時を刻めてよかった。
貴方と同じ空気を吸えてよかった。
貴方と同じ時間軸にいられてよかった。
―――貴方が、気付いてくれて…よかった……
生キタイ…僕ハ…生キタイ…
誰ノモノデモナク、自分自身トシテ
自分ノ力デ、生キタイ
何時も全てを諦めていた。
期待すれば、傷つくと分かっていたから。
だから僕は全てを遮断した。
初めから何も望まなければ、与えられなくても苦しくないでしょう?
初めから絶望の翼を与えられていれば、傷つく事もないでしょう?
小さな期待を胸に抱いて、そして壊されるくらいならば。
初めから何も。何も持たなければいいでしょう?
だから僕は目を閉じた。だから僕は耳を塞いだ。
全てのものに背を向けて、ただ。
ただ与えられるものを享受した。ただ奪われるものを奪われた。
そして、空っぽになった。
空っぽになれば奪われるものも、傷つけられるものも何もないから。
こころを閉ざしてしまえば。感情をなくしてしまえば。
痛みも、苦しみも、感じないから。
―――僕は『人形』になった。
それでも。それでも傷つき壊れるのは。
やっぱり何処かで。
何処かで、期待していたのかもしれない。
だれか僕に気が付いてくれる事を。
僕は、こころの何処かで待っていたのかもしれない。
小さな部屋の片隅で僕は蹲りながら待っていた。
この白い部屋で、僕は手首を切りながら。
母が、来るのを。母が、抱きしめてくれるのを。
ずっと、ずっと待っていた。
『…紅葉……』
声。貴方の、声。
僕を呼ぶ声。
僕はその声に近づきたくて。
貴方に近づきたくて。
――― 一生懸命に手を、伸ばした………
「…眠ったの?紅葉……」
「…如月…さん……」
目を開ければそこに、貴方の笑顔。これは、夢でも幻でもない。手を伸ばせば、伸ばせば触れられる、貴方の笑顔。
「眠ろう、紅葉」
「如月さん?」
「一緒に、眠ろう」
「こうやって、手を繋いだまま」
僕らはそのまま、眠った。
繋いだ手を離さずに、ただ。
ただ、眠った。
そっと貴方の腕に抱き寄せられながら。
――僕は、眠りに落ちた。
生まれて初めて、手に入れた。僕が安心して眠れる場所を。
身体を丸めて眠るのは。
胎児のように丸めて眠るのは。
君の哀しい癖なのだろうか?
それとも。
それとも僕の腕の中で安心してくれているのか?
どっちなんだろうね。
「…紅葉……」
名前を呼んでも君は気付かない。それほどに深い眠りに落ちている事が、僕はひどく安心する。きっと。きっと、今まで君はこんなにぐっすりと眠れなかったのだろう。
―――そう思うと、胸が、痛む。
「…紅、葉……」
無意識に繋いでいる手に、力がこもる。そして。そして身体を僕へと摺り寄せてくる。それが僕には、哀しいよ。君を完全に安心して眠らせてあげられない事に。
繋いだ手は離さないよ。君が離そうとしても離さないよ。絶対に、この手は離さない。だから。だから、紅葉。
―――こんなにも力を、こめないで。
「愛しているよ」
自分がこの言葉を使う日が来るとは思わなかった。
僕には愛など芽生えないとそう思っていた。
そんなものは僕には存在しないと思っていた。
誰かを愛しく思う気持ちを。誰かを大切に思う気持ちを。
僕は。僕は、そんな気持ちを知らずに生きていくと思っていた。
―――他人を愛する事など出来ないと、思っていた。
他人は僕にとって他人でしかなく。
人間関係は僕にとって欲と立場のみで存在すると思っていた。
打算と駆け引きのみが支配する、僕の周り。
その中で君だけが。君だけが剥き出しの魂を僕に見せてくれた。
君だけが、僕の魂に触れてくれた。
君だけが、僕の傷に触れてくれた。
君だけが。君だけが。
―――今、分かった。僕は。
僕は本当は誰よりも『愛』を求めていたんだ。
誰かを、愛したかったんだ。
駆け引きも、打算もなにもない。
何もない真っ白なこころで。
欲望も権力も力も金も何も存在しない場所で。
ただ剥き出しのこころで。
誰かを、愛したかったんだ。
こころの空洞が、君という存在で埋め尽くされてゆく。
「セックスなんてしなくても」
触れ合っている、手。繋がっている、手。
「身体なんて重ね合わなくても」
触れ合っている、体温。分け合う、体温。
「愛は手に入るんだよ」
僕を求める女達に言ってやりたい。身体を差し出さなくても、愛の言葉を囁かなくても。そんな事をしなくても、僕を手に入れる事は出来るんだと。
―――貴方の顔が、好き。ずっと見ていても飽きないわ。
「僕の顔が好きだと言った。じゃあ僕がこんな顔でなかったとしたら愛しはしなかったんだろう?」
―――貴方の全てが、好き。見つめているだけで幸せ。
「見つめているだけで?それだけで僕の何が分かると言うんだい。どうして僕のこころまで踏みこもうとしない?」
―――こうして、抱かれるだけで幸せ…愛しているわ…
「抱かれるだけでいいのかい?ならば僕でなくても構わないじゃないか。目を閉じてセックスすればいいんだから」
千の言葉よりも万の抱擁よりも、ただひとつ僕を見つめる真実の瞳が欲しい。
「…紅葉、紅葉……」
名前を呼ぶだけで。それだけでどうしようもない愛しさが込み上げてくる。君の名前を呼ぶだけで。
「怖いくらいだ。君と出逢う前の僕を思い出せない」
君と出逢う前僕は何を考えていた?何を思っていた?何を、していた?
「…何も、思い出せないよ……」
―――これが、愛なのか?これがひとを愛すると言う事なのか?
だとしたら、それは。それはどうしようもない程の幸福感と、どうにも出来ない切なさが支配する。
どうにもならない想いが、溢れて止まらない。
「――紅葉…僕の、紅葉……」
とまら、ない。
ずっと、その背中を撫で続けた。
飽きる事なくずっと。
君の眠りを護りたくて。
君が安心して眠れる場所を与えたくて。
僕は。僕は、ずっと。
―――ずっと、君を抱きしめていた………
ACT/10
生まれ変わるならば 君の目になりたい
いつも同じ視線向けて微笑みたい
どうしたら君と、同じ位置に立てるのか?
どうしたら君と、同じになれるのか?
僕は、君と。
―――君と同じ高さに立ちたい。
聴こえてくるのは鳥の囀りと。
瞼の上を通り過ぎる太陽の光。そして。
そして、瞼を開いた先に映る貴方の優しい瞳。
「おはよう、紅葉」
柔らかく微笑う、貴方。ああ、これは夢じゃない。夢じゃ、ない。
「…おはよう…ございます……」
背中に腕は廻されたままで。重なり合った指先は解かれることがなくて。ずっと。ずっと貴方がこうしていてくれたと…分かった……。
「眠れたかい?」
まだ手を、繋いでいてくれる。このまま。このまま永遠に、離したくないなんて。離したくないなんて僕の我が侭かな?
「―――眠れ、ました。初めて」
「ん?」
「生まれて初めて、ぐっすりと眠れました」
君が、笑う。
子供のような笑顔で。
君が、微笑む。
君すら気付いていない表情を、見つけたのが僕だと言う事に。
僕はどうしようもない程の幸せを感じた。
―――君の生まれたての、子供のような笑顔を。
「紅葉、寝癖」
「え?」
貴方の空いている方の手がそっと。そっと僕の髪に、触れる。
「くす、子供みたいだね」
優しく、触れる。それだけで。それだけで、瞼が震えた。
「震えている、まだ僕が怖いの?男の手が怖いの?」
「…違います…これは…これは…」
言い掛けて、言葉を止めて。止めてみて、僕は少しだけ後悔する。
―――君の言葉で、君の声で伝えればいいんだよ
思った事を、そのまま伝える。思っている事を。自分が今まで出来なかった事。他人に言われるまま流されるまま生きてきた僕。でも。でもこれからは。
これからは、僕は。僕は自分の思っている事をちゃんと。ちゃんと口にしていいたい。
だから。だから僕はもう。
もう自分には…貴方には…嘘を付きたくない。
「…貴方に触れられて…どきどきしているから…です…」
「…紅葉……」
「…僕は…僕は…」
「…貴方が…好き…だから……」
好き。貴方が、好き。
どうしようもない程に。
どうにも出来ない程に。
貴方が、好き。
出逢った時間なんて。触れ合った時間なんて関係ない。
そんなもの、この気持ちの前には何の効力も持たない。
ただ、貴方が好き。貴方だけが、好き。
その想いが。その想いだけが支配する。
他にはもう何も。何も考えられない。
空っぽの僕を埋めてくれたのは貴方。
何も持っていない僕に与えてくれたのは貴方。
貴方だけが、僕に。僕に『愛』をくれた。
貴方だけが僕に。
―――僕に『本物』を与えてくれたんだ……
「…紅葉…その言葉を…」
初めて、気が付いた。
「…僕は都合のいい解釈をしてしまうよ…」
初めて、分かった。
「君の孤独に付けこんで、僕は」
生きていると言う事の本当の意味を。
「僕は、君を……」
今僕は、生きたいと言う気持ちの本当の意味が分かった。
貴方を、愛したい。貴方に、愛されたい。
それが、生きる事。
生きる事は誰かを愛する事。
生きる事は誰かに愛される事。
そうする事で、初めて。
初めて、本当の。
本当の命が、生まれる。
「如月さん、理由なんて…もうどうでもいいじゃないですか?」
生きていると、命が在ると、そう感じる事が出来る。
「…紅葉…」
愛する気持ちが、生んだ生命の鼓動を。
「…僕は…どうでもいいです…僕にとって大切なのは…」
僕は、僕は大切にしたい。
「…貴方と、出逢えたこと……」
大切に、したいから。
「貴方と言う人間に出逢えたこと。そして貴方を好きだと言うこの気持ち。僕はそれだけで充分です。それ以外に僕は何もいりません」
―――僕は、生きている。
こうして、生きている。
貴方を好きだと。好きだとこころから、思える。
そんな僕が。
そんな僕が、好きだから。
自分自身を好きだと言えたのは、貴方がいてくれたから。
「そうだね、紅葉」
僕は何を戸惑っていたのか?君がいて、そして僕がいる。それ以上、それ以上何に理由を求めたのか。
「この時代に僕らは生まれ、そして出逢った…それ以上に何を求めるというんだろうね…」
ひとを愛する事に理由も理屈もいらない。ただ、目の前の人が愛しいと思う事。愛していると、思う事。それ以上に何が必要なのか?
「君と、出逢えた。他でもない君と。君と出逢えた。それ以上の理由など…僕らにはいらなかったね」
―――どんな理由をつけたとしてもそれは意味のない事。この気持ちの前では、どんな理由をつけてもそれは。それはただのこじつけでしかない。
君の何を好きになったのかと聴かれても僕は答えられない。君の何処に惹かれたのかと聴かれても。聴かれて答えられる想いならば、それだけのものなんだ。
―――それだけのもの、なんだ……
「時間なんて僕らには無意味だ。時すらも無意味だ。そんなものに捕らわれるくらいならば、初めから君を愛しはしなかった」
そんなモノで説明なんて出来る訳がない。そんなモノで片付けられる訳がない。僕ですら知りたいんだ、君を何故こんなにも愛してしまったのか?
「…君を…こんなにも……」
「僕は今、自分が好きです」
「貴方を好きな、僕が好きです」
今までうつむくだけだった、自分。
流されるだけだった自分。
何も出来なかった自分。
本当は誰よりも求めていたのに、それを諦めていた自分。
自分から踏み出そうとせずに。自分ではなにもしなくて。
諦めると言う言葉で、全てから逃げていた自分。
自分自身と向き合うことすらしなかった自分。
でも。でも、今は。
今は、向き合いたい。そして、自分の足で歩きたい。
「僕もだよ、紅葉」
生きる意味すら持てずに、ただ。ただ全てを冷めた瞳で見つめながら。全ての事を他人事のようにして。自分から決して踏み込む事はしなかった。
「君を好きな僕が好きだ」
全てを流すことで、全てを捨てていた。本当は。本当はその中に輝きがあったのかもしれないのに。
「でもそれ以上に」
「――君が、好きだよ」
生きているんだと、僕は生きているんだと。
君の瞳を見つめながら、思った。
ひとを愛する事がこんなにも。
こんなにも、ひとを強くし弱くするものだと。
僕は、初めて分かった。
―――愛とは、そう言うものなんだと……
「―――紅葉……」
「…如月さん…」
「…君が、ずっと独りだったのは…」
「僕に愛されるため、だったんだね」
―――はい、如月さん。僕は。
僕は貴方に逢う為だけに、生まれてきました。
貴方に愛されるために、生まれてきました。
でなければこんなにも。
こんなにも僕は、満たされはしない。
――貴方と名の付く全てのものが、僕を満たしてゆく……。
絡め合った指先をそっと貴方は解いた。そして。
「君の傷」
そして僕の手首にひとつ、口付けた。
「君のこころの、傷」
僕の傷だらけの手首に、そっと口付けた。
「何時しか僕が必ず君を癒してあげる」
何度も切り刻んだその跡に。
「君の、傷を」
貴方の唇が、触れる。
「…如月さん……」
そこから広がる甘い痺れが、全身を駆け巡る。
「いいんです、この傷は」
貴方で、埋められてゆく。
「この傷は僕の叫びだから。言葉に出来なかった僕の。だから、いいんです」
「――紅葉」
「何時か僕自身でこの傷を乗り越えたいと…思います…」
貴方が僕を埋めてくれたから。だからもう。何も。何も怖くは、ない。
「…紅葉、君は…強いね…」
「…いいえ…貴方が…いてくれるから」
もう何も、怖くない。
「…貴方がいてくれるから…僕は強くなれると…思います……」
強く、なりたい。
僕に襲いかかる運命から、僕を護れるくらいに。
強く、なりたい。
全ての事を、自分の口から否定出来るように。
僕は。僕は、強くなりたい。
そして貴方に真っ直ぐに向き合える人間になりたい。
「独りでは弱いけど…貴方がいてくれるのならば……」
貴方の愛。貴方の想い。それが。それが僕を、強くしてくれる。
「…僕は…これからどんなことがあっても…耐えられる…」
「…紅葉……」
「…だから…如月さん…僕が…僕が強くいられるように…」
「―――キスして、ください……」
これから先僕にどんな運命が降りかかろうとも。
どんな事になろうとも。
耐えられるように。僕が『人間』としていられるように。
――僕の運命に、向き合えるように。
そっと貴方の手が頬に、触れて。
そして。そして、そっと。
―――唇が、触れる………
ただ、一度だけの、キス。
触れただけ。
唇がそっと触れただけ。
でも。
でもそれだけなのに。
どうようもない想いが全身を支配する。
言葉になんて出来ない、溢れ出る想いが。
―――これで僕はきっと。きっとどんな運命にも耐えられる……
ACT/11
紅い涙の運命が、僕を壊したとしても。
それでも、胸に降り積もる貴方の言葉が。
貴方の言葉が、愛になれるのならば。
―――貴方の愛に、なれたのならば。
「―――行くのかい?」
このまま。このまま貴方の腕の中閉じ込められたならば。もしも、このまま。
「…はい……」
その腕の中に永遠に閉じ込められたならば、幸せになれる、かな?
「行かせたくないと言ってもかい?」
貴方の腕の中でただ。ただ眠れるのならば、僕はそれ以上何も望みはしない。僕が欲しいものは貴方だけ。貴方だけ、だから。
「僕も貴方の傍にいたいです」
―――貴方の優しい瞳を見ていられれば幸せ。貴方の優しい声を聴けたならば幸せ。
「ならば……」
貴方が、幸せでいてくれればそれだけでいいの。
「僕は貴方に真っ直ぐに向き合える人間になりたい」
「紅葉?」
「綺麗な貴方の。光在る場所にいる貴方と、同じ位置に」
同じ場所に、立ちたいから。同じ位置で、瞳を合わせたいから。貴方と同じ所へ行きたいから。
「今までの僕は、ただ。ただ何も出来ずに膝を抱えているだけでした」
自分の起こる全ての事を無理やりこころの奥底に閉じ込めて、そして。そして全てを諦めると言う行為で自分を護っていた。
「ただ与えられた運命を享受するだけの人形でしかありませんでした」
ただ与えられたものを受け取るだけ、逆らうこともせずにただ。ただ諦めと言う行為に甘えて自分からは何一つしなかった。
「でも僕は貴方から命を貰いました。貴方のその手から。だから僕は、僕はもう人形じゃない」
自分からは何も、何もしなかった。何も変えようとは、しなかった。
「だから僕は。僕の運命を自分の手で変えたいんです」
そして。そして、貴方と同じ位置に立ちたい。貴方とともに、生きたい。
「だから、如月さん…今は…今は、僕はまだ貴方の腕の中にはいられません……」
貴方が僕にくれたもの。それは。それは、貴方の愛。それだけが、僕を強くさせる。
「そうだね、紅葉」
「ひとはいくらでも、生まれ変わることが出来るんだ」
貴方の愛が、僕を生まれかわせた。
貴方の愛だけが、僕に命を吹きこんだ。
貴方のその、全てを包みこんでくれる愛だけが。
「強くなりたいです」
どんな運命にも負けない強さを。
「貴方とともにいられる強さが欲しい」
どんなモノにも負けない強さを。
「…貴方と…未来を、生きたい……」
強さを、強さをください。
「じゃあ、紅葉。今はこれだけ」
貴方の手がそっと。そっと僕の手のひらを包みこむ。
「君が僕の元へ帰って来てくれると、信じているよ」
そこから伝わる体温が。そこから伝わるぬくもりが。
「その時は。その時こそは」
「誰にも負けない恋を、しよう」
君が、微笑う。
子供のような無邪気な笑顔で。
生まれたての子供の笑顔で。
君が、微笑む。
―――ああ、僕は。僕は君を愛している……
「さよならはいわないよ、紅葉」
「…如月さん…」
「いっておいで。そして」
「そしてここへ『帰って』おいで」
「はい、如月さん」
「うん」
「必ず…必ず僕は…」
「貴方のもとへ帰って来ます」
必ず、必ず貴方のもとへと。
僕がいるべき場所。
僕がいたい場所。
僕が、帰るべき場所。
それは。それは。
―――貴方の腕の、中。
だからさよならは、言わない。
貴方だけを、愛している。
これが愛。僕が欲しかったもの。
誰かを愛し、そして誰かに愛される事。
それが貴方で。
貴方で、よかった。
僕はこの世で誰よりも幸せだと、そう思った。
―――紅葉。
君の運命がどうなろうとも。
これから先君がどうなろうとも。
これだけは。これだけは、覚えていてくれ。
君を決して独りでは泣かせはしないと。
約束したからね。
君と、約束を。
約束をしたからね。
―――僕は君との約束を、決して破ったりはしない。
…如月さん…如月さん…
名前を呼べるだけで、幸せ。
貴方の名前を呼べるだけで。
幸せ、です。如月さん。
―――幸せ、です……
紅い涙の、運命。
壊れた月の、運命。
その中に、僕は独り、いた。
「―――何処へ、行っていた?」
この人から与えられた部屋。何もない部屋。ただ眠る為だけに存在する部屋。そこに生活の色は何処にもない。
「…館長……」
僕の目の前に立つのは、僕の支配者。そして僕の飼い主。僕に生きる権利を与えて、そして。そして僕の生きる希望を全て奪った人。
「俺に嘘を付いてどこに行っていた?」
「…貴方には…関係のない事です―――っ!」
言葉は最期まで言葉にならなかった。その大きな手が僕の頬を叩いた。大きな、大人の手が。
「口答えするのか?お前は自分の立場を分かっていない。お前は俺の所有物なんだよ」
大人の、手。僕を傷つける大人の手。僕を犯す大人の手…。
「……ち……がう……」
だけど。だけど僕には。僕には僕を癒してくれる手があるから。僕を包みこんでくれる手があるから。僕は。僕は、もう――。
「僕は、貴方の所有物なんかじゃないっ!僕は僕だけのものだっ!」
もう、運命に流されたりはしない。
その瞬間、大きな手がもう一度僕の頬を強く叩いた。
「お前は俺に命じられるまま動いていればいいんだ」
そして間髪入れずにその足が僕の脇腹を蹴った。何度も、何度も、僕の脇腹を。
「お前は俺のモノなんだよ。俺の人形なんだよ」
髪を掴まれ、腹を何度も蹴られ。そして、また頬が叩かれる。
―――痛イ…痛イ…痛イヨ…オ母アサン……
そして。そして動けなくなった僕の服をびりびりに引き裂いて。そのまま何も準備が施されていないソコに、楔が埋められる。
「――――っ!!!」
ムリに抉じ開けられたソコから、血が溢れ出す。けれども行為は止まらなかった。硬い異物は内壁を傷つけながら、最奥まで侵入してきた。
「こうやって、お前は俺に抱かれていればいいんだ。それしか生きる資格なんてないんだよ」
―――痛イ…痛イヨ…助ケテ…誰カ…誰カ助ケテ……
「ほら、入れられただけで勃っているぞお前のソレは。こんなに血を流しながらも、な。この淫乱めがっ!」
腰を激しく打ち付けられながら、髪を引っ張られる。そして僕の中に熱い液体が注ぎこまれた。
「出したのにまだ締め付けて来るぞ、お前のココは。この売男がっ」
―――助ケテ…如月…サン……
「……さん……」
「何か言ったか?言う前にお前はすることがあるだろうが。その口で喘ぐ事がな」
「…さらぎ…さ…ん…」
「…如月…さ…ん……」
平気。どんなことになっても。
どんなことになっても。
貴方の名前が呼べれば。
僕は。僕は、それだけで。
貴方の愛を感じる事が出来るから。
「如月さん―――っ!」
後の事はもう僕は覚えていない。
ただ何度も何度も館長に犯されて。
僕の意識が失っても。
失ってからも僕は、その身体を貫かれて。
それでも。それでも僕は。
僕は泣かなかった。声を上げなかった。
僕が口にしたのは貴方の名前だけ。
ただずっと。ずっと貴方の名前を呼び続けた。
そうすればどんな運命にも耐えられるから。
どんなことにも耐える事が出来るから。
そして。
そして、約束したから。
『君が、泣きたい時は 僕が傍にいてあげると』
だから決して僕は泣いたりしない。
どんなに辛い目にあっても、絶対に。
絶対に泣いたりはしない。
―――貴方の腕の中へと、帰るまで……
如月さん。
如月、さん。
幸せに。幸せになりましょう。
ふたりで。ふたりで、幸せに。
―――しあわせに、なりたい………
ACT/12
そばに、いたかった。
貴方の綺麗な瞳を見つめていられたなら。
それだけで。
それだけで、幸せ。
貴方の優しい声を聴けたならば。
それだけで。
それだけで、幸せ。
―――僕の小さな祈りは、届く事はないのかな?
ねえ、如月さん。
僕は間違っていたのかな?
僕は間違って、いたのかな?
貴方の傍にいたいから。
貴方にもっと近づきたかったから。
―――貴方を傷つけたくはなかったから。
貴方を巻き込みたくはない。
綺麗な貴方を。光の中にいる貴方を。
だから、僕が。
僕が貴方の場所まで行けるように。
僕が光の中へといけるように。
僕が貴方まで、辿り着けるように。
なのに、僕は。
僕は取り返しのつかない事をしてしまったのかもしれない。
貴方を護りたいと。貴方をこの穢れから護りたいと。
僕は。僕はそれだけを願っていたのに。
それでも、如月さん。
それでも貴方の傍にいたかった。
貴方を穢してしまっても、光に帰れなくしてしまっても。
それでも僕は。
―――僕は貴方のそばに、いたい。
目が覚めた瞬間、僕は闇の中にいた。知っている。僕はこの部屋の匂いを、知っている。
雄の精液と、欲望だけがまみれた黒い部屋。僕が閉じ込められ輪された部屋。
あらゆる欲望と快楽を刻まれた部屋。毎日毎日代わる代わる男たちに犯され…そして。そして赦される事のない日々。ただソコを貫かれ液体を注がれるだけの日々。あらゆる穴の全てを楔で埋め尽くされた日々。
「久しぶりだろう?この部屋に来るのは」
頭上から聞こえて来る声に、僕は目を開けることすらしなかった。館長…貴方の顔はもう僕は見たくはない。
「ここで、どのくらいだったかな…お前が監禁されていたのは」
足首に金属の感触がする。鎖だと、僕にはすぐに分かった。あの時もこうやって、手足を鎖に繋がれて逃げられないようにされていた。
――逃げる…幼い僕が大人達から逃げられるとでも思ったのだろうか?
「ガキのくせにお前は凄かったよ。犬のモノを咥えた時は…お前は生まれながらの娼婦だと思った程にな」
煙草の煙が顔に掛けられる。何時しかこのひとの匂いが煙草と混同するようになったのは何時からだっただろうか?もう、どうでもいい事なのかもしれないけれど。
「今度は狼のモノでも突っ込んでやろうか?」
力任せに僕の足が広げられる。あの時のように僕は衣服を何も身に付けてはいなかった。この部屋に閉じ込められている限り、それは必要のないものだから。
「ここにいる間お前のココにモノが咥えられていない瞬間はなかったからな」
「―――っ!!」
あまりの痛みと熱さに一瞬意識が真っ白になる。煙草の火が押し付けられたのだと気付いたのは、再びソコに館長の楔が埋められた衝撃で意識が戻ったせいだった。
「もう一度教えてやるさ。お前は俺のものだと言う事をな。そして俺からお前は永遠にのがれられないと言う事をな」
一度塞がれた筈の傷が再び抉られる。太ももに生暖かい感触。僕の、血。ソコから零れた僕の血。
「…ちが…うっ…僕は…僕は貴方のモノじゃ…ないっ……」
痛みで意識が壊れそうだった。そこにはただ暴力と支配が存在するだけで。それだけで。
「――如月…とか言ったな……」
「…僕は…僕だけの…ものだ……」
「如月家の跡取息子か?飛水流の末裔か…性奴のお前にしては随分の上玉を捕まえたじゃないか?」
「…き、如月さんは…貴方なんかに…貴方なんかに…」
「噂には聴いた事があるぞ。恐ろしい程綺麗な男だとな。綺麗過ぎて『同業者』は、逆に恐れるほどだと」
「…貴方なんかに……」
「美と恐怖は紙一重だとな…見てみたいものだ」
「…貴方なんかに…負けは…しないっ……」
「負ける?面白い事を言う。初めから勝負は決まっているんだよ」
「お前が俺の手の中にいる限り、俺は負けはしないんだよ」
―――如月翡翠か…俺はお前を知っている。
お前に恋焦がれそして死んでいった女を知っているぞ。
奇遇だな、まさかこんな形でお前と対峙する事になろうとは。
どんな女が寄り添っても本気になった事などないんだろう?
お前は誰の手にも落ちなかったのだろう?
それが。それが、俺の所有物に惚れたのか?
よりにもよって俺のモノに。
―――運命とは…面白いモノだな……
「―――しばらくは頭を冷すんだな…おい」
「ヘヘ、待ちくたびれましたよ」
「俺もさっきから勃ちっぱなしですよ。早くコイツをぶちこみたいって」
「しょうのないやつらだな。まあいい。思う存分犯してやれ。どうせこいつにはソレ以外の能はないんだからな」
「じゃあ言葉に甘えて…」
無数の手が、僕に絡みついた。
そして。そして後は。
後はもう僕の身体は男達の欲望の道具にされるだけ。
ありとあらゆる場所を塞がれて。
その楔をねじ込められるだけ。
―――ただ、それだけ……。
「―――如月、翡翠か……」
意識が遠ざかる寸前、もう一度あのひとの口から貴方の名前が零れる。
「殺してやるよ、俺がこの手で」
…殺す?如月さんを?……
「俺がこの手で、殺してやろう」
「そしてお前に絶望を与えてやろう…紅葉……」
…駄目…止めて…如月さんを…如月さんを…
「ほらもっとちゃんと腰を使えって」
…如月さんに手を出さないで…如月さんに……
「へへもっと気合入れて舐めろよ」
…いや…いや…僕の為に…僕の為に……
「我慢できねーよ、ほら手で握れよ」
…僕の為に…あのひとが…あのひとの身に何かが起こるのは…
「ホントたまんねーな。あれだけ毎日ヤラれてて、この締まりはなんだよ」
―――そんなのは…いや……
…そんな…僕自身が…許せない……
―――貴方を、護りたかったのに。僕が貴方を傷つけてしまう……
「――拳武館か……」
如月はそう一言呟くと自分の目の前に積まれていた資料を粉々に引き裂いた。
「これが紅葉を縛る『鎖』」
紙くずが部屋中に散らばる。けれども如月はそれすら気にならなかった。そんな事はどうでもよかった。
「ふ、いいだろう。僕が相手になろう。飛水流の血にかけて」
「愛する者を護る為に」
黄龍の器を護る為の四神の血だと、東京を護る為の力だと祖父は言った。その為の力だと。その為に存在する力だと。ならば僕はその全てを否定しよう。
東京なんて、この星なんて護れなくてもいい。ただひとり、君さえ護れるのならば。
この世の中なんて滅びてしまっても構わない。君が。君が僕の腕の中にいてくれさえいれば。
―――君さえ、いてくれるのならば。
「ああそうか、これが愛か…」
君の、笑顔。子供のように微笑う、笑顔。その笑顔を護る為ならば。その全てを護る為ならば。
「これが人を愛すると言う事か…怖いくらいだ、紅葉…」
僕は修羅にでも何にでもなろう。人以外のものにでも。何にでも、なろう。
「…怖いくらいだよ、紅葉……」
君の為ならば僕は。僕はどんなことでも出来る。君のため、ならば。
「君が望むのならば、僕は」
「――僕はこの身を、地獄にでも堕とそう」
世の中の綺麗事なんて僕には必要ない。
僕に必要なのは、君への想いと。そして。
そしてふたりだけの、真実。
たとえそれが、どんなに血にまみれようとも。
たとえそれが、どんなに穢れようとも。
君と僕とに在る真実ならば。
――僕はどんなものでもほしい。
「…紅葉……」
―――如月、さん……
「…君の声が好きだよ」
―――如月…さん……
「戸惑いながら…それでも懸命に僕の名前を呼ぶその声が…」
―――きさらぎ…さん……
「君が、好きだよ」
言葉でどれだけ僕の気持ちが君に伝えられるのか?
言葉なんかでは言い尽くせない気持ちを。
言葉なんかでは追い付けないこの気持ちを。
どうしたら君に。君に伝える事が出来るのか?
出来るならこの胸を引き裂いて僕の心臓を見せたい。君だけに染まっているこの鼓動を。
君の、場所。
闇に跪く君の場所。
君が孤独に眠る闇。
―――綺麗な貴方の。光在る場所にいる貴方と、同じ位置に
紅葉、君は僕を光だと言う。
眩しい光だという。
けれども、紅葉…それは間違っている。
僕にだって闇は在る。
光る在る場所に、闇は必ず存在するのだから。
だから、紅葉。
君にもあるんだ。
君にも、あるんだ。
―――光在る場所が……
君すら気付かない、君の透明で優しい心が作り出すその空間を。
君の優しい心が作る、誰にも穢すことの出来ない。
綺麗な、綺麗な、場所が。
君の無垢な魂が作り出す、場所が。
―――紅葉、僕もそこに辿りつきたい。
君の一番綺麗で、無垢な場所に。
君の優しさをどれだけの人間が気付いているのか?
君の壊れそうな程優しいこころを。
君のその、哀しい程の優しいこころを。
それに気付いたのは僕だけだと、自惚れてもいいかい?
手探りの未来。手をかざせば壊れそうな未来。
そんな中に僕らはいた。僕らは在った。
触れたら、崩れそうなその未来に。
たったひとつの『愛』だけを頼りに。
僕らは、生きていた。
愛する者の為に。愛する者への想いの為に。
―――僕らは懸命に、生きていた……
End