ACT/25
指を、絡めて。
そして。そしてふたりで。
静かに眠ること。
誰にも邪魔されない空間で。
睫毛が触れるほどの距離で。
「ごちそうさま。美味しかったよ」
貴方はそう言うと、机の上にある食べ終えた後の食器を流し台に運び出した。僕が洗いますと言ったら、作ってくれたお礼だよと笑って貴方はそのまま食器を洗い始めた。
僕は何をする訳でもなく、椅子に座ったままその後ろ姿を見つめていた。
―――にゃあ…
何時しか僕の足元にくーがじゃれついてくる。僕はそっと抱き上げて、膝の上に乗せた。その途端気持ちよさそうに喉をごろごろと鳴らし始める。
「よしよし」
喉の下に指を入れて撫でてやれば、僕の手のひらへとすり寄って来る。小さな腕の中にある命。でも生きている、もの。
僕が見つけて、貴方が救った命。それが今僕の腕の中でこうやって生きている。生きて、いる。それがどんなに大切なことで、それがどんなにかけがえの無い事か。
それは貴方といて初めて。初めて気が、付いた事。こうやって僕の手のひらでも護る事が出来るんだと言う事。
今までひとを殺すしか出来なかった、腕。ひとを殺す為だけに存在していた、手。でも。でもこうやって小さな命を護る事が出来る。小さな、命を。
―――僕の手でも、護る事が出来る。この、血まみれの腕でも。
こんな僕にでもこの命を護る事が出来るんだ。それが何よりもこころを、暖かくするから。
「何時の間に、ここにいるんだ?」
台所から戻ってきた貴方は僕の膝の上に乗っているくーを撫でながら、尋ねてきた。その瞳に映る僕の顔がひどく嬉しそうなのが…なんだか少し恥かしい。
「さっきからですよ。くーも淋しがり屋なのかもしれない」
「君も淋しがり屋なのかな?」
「…そうかもしれません…今までそんな風に考えたこと…なかったけれど……」
今までずっと独りで、そしてこれからも独りだと思っていたから。淋しいと思う事すらなかった。僕に関わる人間の全てが、僕にとっては苦痛の対象でしかなかったから。でも。
でも貴方の姿が見えないと。ふと自分の視界から貴方が消える瞬間が。
―――理由の無い切なさに、襲われる……
「考えなかったけれど…でもそうなのかもしれません……」
「その方が僕としては歓迎だけれどね」
「どうしてですか?」
「下手な理由をつけないで、君の傍にいられる。そして君に触れられる」
貴方の手がくーから僕の頬に移って、そして。そして額にキス。唇にしてもらうのも嬉しいけど、額にされるのも好き。貴方の優しさが一番感じられるから。
「こうやって君にいっぱいキスが出来る」
「…そんな事…理由をつけなくたって……」
「ん?」
「理由なんていらないですよ」
目尻がほんのり赤くなるのを感じながら、僕はそっと貴方の頬にキスをした。
理由なんて、いらない。
ただ一緒にいたいから。
ただふたりでいたいから。
それだけだから。
それだけで充分だから。
―――だからふたりで、いよう。
「困ったな」
「如月さん?」
「このまま君を押し倒したくなってしまった」
「…き、如月さん……」
「でも今日はもうしないよ。だからこれだけ」
「…あ……」
「キスだけで、我慢する」
顔面に降り注ぐキスのシャワー。
額に睫毛に鼻筋に。
頬に顎にそして唇に。
余す所無く降りて来る貴方の唇に。
何度も瞼を震わせながら。
このまま時が止まってしまえたらなって…思った……
「もうこんな時間だね。今日は寝ようか?」
見上げた時計の先の針は12時を少し廻った時刻を差していた。今まで僕はこんな時間に眠ったことなんてなかった。大抵その時間は館長に呼び出されて人を殺しているか、そうでなかったら抱かれているかのどっちかだから。
眠ると言う行為をまともに出来ない自分。睡眠障害だと昔医者に言われた事がある。けれども渡された睡眠薬を僕は手に付けなかった。そんなものを使って眠ってしまったら、館長にまた何をされるか分からなかったから。
僕はあの人の従順な人形でいなければならなかったから。あの人の、思い通りに動く人形。
「…あ、あの…」
「うん?」
「…一緒に……」
独りで眠るのが怖い…なんて子供みたいだろうか?けれども。けれども僕が唯一安心して眠れる場所が貴方の腕の中だけだから。貴方のその広い腕の中だけだから。
「うん、一緒に眠ろう」
柔らかく笑いながら言う貴方の瞳を、ずっと見つめていたいと思った。
君が不安にならないように。
そっと君の指を自らの指で包み込んだ。
丸まって眠る君の身体を抱き寄せて。
抱き寄せて包み込んだ。
君が怖い夢を見て夜中目が醒めても大丈夫なように。
君が泣いても僕の指がその涙を拭えるように。
―――君の優しい眠りが護れるように……
君の子供のような寝顔を見つめながら僕はぼんやりと考えていた。
これからのことを。これから先のことを。
このままでいられる訳がないことは分かっている。多分…紅葉も分かっている。
これが束の間のしあわせでしかないことを。これが僕らにとっての束の間の。
それでも。それでも、今はまだ。今はまだこのままでいたい。
ただの甘えだろうか?ただの我が侭だろうか?けれども、まだ。まだ僕らは何もしていない。まだ君に与えるものが僕にはあるから。
君の身体の傷が、君の心の傷が癒えるまで。それまではまだ。まだこの時間を終わらせるわけにはいかない。
「…紅葉……」
名前を呼んでも反応がない程ぐっすりと眠っている事が何よりも嬉しい。なんの不安もなく僕の腕の中で君が眠っている事が。それが何よりも、嬉しいから。
―――このままふたりで、逃げようか?
言葉にしようとして何時も寸での所で堪えているセリフ。このままふたりで。ふたりだけで何もかもを捨てて逃げられたならば。
誰にも邪魔されない場所で。誰にも邪魔を出来ない場所でふたり、逃げられたならば。
けれどもそれが夢だと言う事は分かっている。ただの夢でしかないと。僕らは逃げられはしない。
僕が如月翡翠で君が壬生紅葉である限り。僕らはそれ以外のモノにはなれないのだから。
全てのモノは僕にとって不必要でいらないものだった。飛水流の末裔も、如月家の跡取も。何もかもがいらなくて、何もかもが捨て去りたいものだった。けれども。
けれども僕はその血を、その力を利用した。君を助けたいが為だけに。君を護りたいが為だけに。そう分かっている、僕は逃れられない。
どんなに別の人間になろうとしても、僕自身だけになろうとしても。僕は自ら背負っているモノを逃れることなんて出来ないんだ。
―――ならば清算するしかない。
この血の呪縛を、この家を。何もかもを僕の手で綺麗に清算して。そして本当に意味で僕自身だけになって。そして、その時こそは本当に君の手を取って逃げよう。
君とふたりだけで誰にも邪魔をされない場所へと逃げよう。誰にも邪魔をされない場所へと。
―――黄龍の器を護る為に与えられた四神の血……
ならば護ってみせよう。そして東京を護ってみせよう。でもそれだけだ。その血の宿命に従って黄龍の器を護る。それだけだ。それ以上でもそれ以下でもない。それが与えられた運命ならば僕は、こなしてみせよう。―――紅葉、君の為に……
全てを捨てて逃げることは簡単だ。何もかもを捨てて逃げることは。けれども、僕はもうそんな事はしない。そんな事をしたくはない。
―――君にそんな情け無い自分を見せたくはない。
どうでもよかった。何もかもがどうでもよかった。どうなろうとも所詮は他人事だから。僕にとって全ては他人事だったから。でも。でも今僕は。
君を護れる人間になりたい。君の前に胸を張って立っていられる人間になりたい。その為に僕は全てのことから逃げる事なんて出来ないんだ。
「…君が…教えてくれたんだよ…紅葉……」
君は僕と向き合いたいと言った。向き合う人間になりたいと。その為に君は単身拳武館へと乗りこみケリを付けようとした。それならば、僕も。僕も全てにケリを付けなければならない。本当の意味で君としあわせになる為に。
逆らって逃げるだけじゃダメなんだ。立ち向かって全てをこなして、そして終わらせる事が大切なんだ。
―――僕の手で、全てを終わらせる事が……
血の呪縛。それから逃れられないなら、自らの手で立ち切ればいい。逃れられない運命があるのならばその手で片付ければいい。それだけの事だ。それだけの、事。
出来るはずだ。君の為ならば。君の為ならば僕はどんな事でも出来るから。
「本当にしあわせになろう」
しあわせに、なろう。今まで君が積み重ねてきた傷すら吹き飛んでしまうほどに。全てを埋めてしまえるほどのしあわせを。ふたりで手に、いれよう。
「ふたりで、しあわせに」
どんなに廻り道をしても、最期に。最期にふたりへと辿り着けたならば。
かりそめではない、本物を。
偽りではない、真実を。
僕らが求めていたものはそれだけで。
何時もそれを求めてさ迷っていた。
それが欲しくてさ迷っていた。
―――この螺旋階段の運命を。
巡り合えた。
君と出逢えた。
君に導かれた。
僕らの運命が惹きあった。
これは奇跡なのか?
奇跡なんかじゃない。
これは必然。
僕の空洞を埋めるのは君だけで。
君の孤独を埋めるのは僕だけだから。
巡り合うのが当然だったんだ。
ひとは生まれた時は天使だったの。
真っ白なこころで、穢れなきこころで生まれてきた天使。
けれども欲を悪意を知って、ひとは人間になるの。
少しずつ人間へと堕ちてゆくの。
それでも、それでも。
片翼だけは失われないから。
その半分を探す事を、止められはしないの。
ACT/26
何時か、何時の日にか。
もう一度貴方と巡り逢えたならば。
その時こそは、きっと。
きっと『本物』になれますように。
―――僕が忘れないから。貴方を忘れないから……
夢の中で生きて、いる。
貴方より先に目を醒ましたかったのに。
「おはよう、紅葉」
目覚めた瞬間に貴方の包み込むような笑顔。嬉しいけど、少しだけ悔しい。貴方よりも先に目を醒ましたかったのに。貴方の綺麗な寝顔を見たかったのに。
「…おはようございます……」
それでも貴方の寝起き特有の声が聞こえたから。微かに掠れてそして、耳元をすり抜ける声が。聴こえた、から。
「よく、寝ていたね。夜中に目覚める事もなかったよ」
「…え…如月さん…夜中って?…」
「抱きしめていたんだよ。君が目覚めればすぐに分かるだろう?」
確かに僕の身体は貴方の腕の中に包まれていた。無意識にその胸に寄り添って、僕は眠っていた。貴方の暖かい腕の中で。
「――如月さん…ちゃんと寝れましたか?」
見上げた貴方の顔は何時もと変わらず綺麗な笑顔で。疲労の影は何一つない。見掛けだけでは全然分からない。けれども。けれどもこのひとの精神力は僕の想像も出来ない程に強い。強い、から。だから逆に不安になる。
「眠ったよ。君が腕の中にいるのを確認して、ちゃんと眠ったよ」
「本当ですか?」
「君は意外と心配性だね」
「…貴方ほどじゃ、ないです……」
「僕は別に心配性でもないよ。むしろ冷たい男だと言われているくらいだしね。でも君は特別」
長い指が僕の髪をそっとかきあげる。男の人の指なのに、何でこんなに長くて綺麗な指をしているんだろうか?
「僕が君から目を離したくないだけ。何時も君を傍に置いておきたいだけ。ただの我が侭だよ」
「…貴方の傍にいたいのは…僕だってそうです……」
貴方の顔を見ているのが恥かしくて、僕は堪えきれずに目を閉じた。その途端、貴方の唇が僕の睫毛に降ってくる。睫毛への、キス。
「ああ、駄目だ。僕は君を好きになってからどんどん情け無い男になってゆく気がする」
「どうしてですか?」
「君の事ばかり考えて他に手が着かないなんて…シャレにもならないくらいバカだろう?」
「―――そんな事…ないです…」
「…僕だって…貴方の事…ばかり考えています……」
君が穏やかに眠るまで。
気になって自分が眠れないとか。
君が怖い夢を見て夜中に目を醒まさないかと。
そんな事ばかり考えてやっぱり眠れなくて。
君が僕の胸に摺り寄せてきて初めて。
初めて安心して眠れたなんて…バカみたいだろうか?
きっとこんな僕を見たら、僕に恋焦がれている女どもは一気に目が醒めるだろうね。
「目醒めの、キス」
「…あ……」
「これで目が醒めた?」
「…そんなのとっくに……」
「如月さんの顔見たら…とっくに目が醒めました……」
布団から起き上がる貴方を見つめながら、僕も布団から離れた。睡眠。眠る事。
ああ、これがぐっすりと眠る事なんだ。ひどく頭がスッキリとしている。こんな朝を迎える日が来るとは思いもよらなかった。
眠ると言う行為がこういうものなのかと、分かる日が来る事を。貴方と出逢って知りえたものが、教えられたものが多すぎて。どれもこれもが新鮮に感じる。
布団を片付けて、一緒に台所へと向った。昨日はありあわせの物で作ったが、やはり食材が足りない。
「やはり買い物に行くしかないな」
冷蔵庫の中身を見ながら呟く貴方に僕はこくりと頷いた。ちょっとだけ僕に見せた顔が残念そうなのは、どうしてだろう?
「行きましょう。今日は天気もいいですから…きっと外も気持ちいいですよ」
「うーん、でも残念だ」
「何がですか?」
「君を独りいじめ出来ないのかと思ってね」
貴方の言葉に、僕は凄くびっくりした顔をしていたと思う。そして。そして次の瞬間に、理解した。さっきの残念そうな表情の理由が。
「如月さんって」
「うん?」
「時々子供っぽいこと言いますね」
「―――自分でも自覚はある。情け無い事に」
「でもそんな如月さんも…好きです…」
好きと言う言葉がすんなりと。すんなりと僕の口から零れた。それは。それはとても自然に。自然に僕の口から、零れた。
「貴方のそんな人間らしい所も、大好きです」
貴方は言ってくれた。自分の言葉で伝えればいいと。思った事をそのまま口に出せばいいと。だから僕はもう。もう言葉を選ぶ為に戸惑ったりはしない。
「君がそう言ってくれるのならば…もっと子供っぽい事を言ってしまうよ」
「言ってしまうってどんな事ですか?」
「君を他人に見せたくない。君を腕の中に閉じ込めたい。君と一日中抱きあっていたい」
「――― 子供はそんな発言をしませんよ」
「くす、そうだね。子供はこんな事しないね」
そう言ってまた貴方は僕に口付けをくれる。ゆっくりと唇を触れ合わせ、そして。そして口の中に舌が忍び込んで来る。
「…ん……」
忍び込んできた舌は僕のそれを絡め取り、そして根元から吸い上げられた。目醒めのキスとは明らかに違う、大人のキス。
「…ふぅ……」
何時しか飲み切れなくなった唾液が僕の口許を伝う。けれども口付けは止まらなかった。
――止めたく、なかった……
僕は自分から貴方の舌に自らのそれを巻き付けた。互いに絡め合い、そして溶けてゆく。口付けに、溶けてゆく。
「…ふぅ…んっ…んん……」
口付けだけなのに。それだけなのにこんなにも。こんなにも貴方を感じている。僕は貴方を感じている。
「…あ……」
唇が痺れる頃にやっと。やっと口を解放された。けれども離れるのが惜しいとでも言うように、ふたりの唇から一筋の唾液の糸が結ばれる。
「…あ…ん……」
貴方の舌が口許に伝わる唾液をそっと舐め取った。その瞬間に僕は身体がぴくんっと揺れるのを止められなかった。
「――紅葉…」
全てを綺麗に舐め取られた頃に、僕は独りでは立っていられない程になっていた。貴方の背中に手を廻して、そのまま凭れ掛かる。
「くす、キスだけで感じちゃったのかい?」
耳元に囁かれる言葉に、僕は全身がかあっと赤くなるのを感じた。首を左右に振って必死で否定しても、僕の目が夜に濡れていたからそれが嘘だと言うことは簡単に見破られてしまうのだけれども。
「…あっ……」
貴方の手が浴衣の裾を割って、僕自身へと辿り着く。そこは言葉通り、微妙に形を変化させていた。
「…ダメ…如月さん…そこは…」
「中途半端も辛いだろう?」
「…あ…あん……」
手のひらが僕自身を包み込んでやんわりと揉まれる。それだけで敏感なソレは、どくんどくんと脈を打ち始めた。
「…あぁ…は……」
指先がラインを辿り、先端の割れ目に辿り着く。そこに軽く爪を立てられて、堪えきれずに僕のソレは蜜を零し始めた。
「…ああ…ダメ…出ちゃうっ……」
「いいよ、このまま出して」
「ああ――っ」
貴方が囁くと同時に、先端を深く抉られて僕はその手のひらの中に欲望を吐き出した。
荒い息を付きながら、僕の腕の中に崩れ落ちる君。可愛いね、どうしようもない程に君が可愛いんだ。
「紅葉、大丈夫か?」
君を腕に抱きながら、汚れた方の手は自らの口に含もうと口に運ぶ。けれども。けれどもその手は途中で君の手によって遮られる。
「…平気…です……」
まだ快楽に潤んだ瞳を向けながら、僕の手を君は舌で舐め取った。初めて君を抱いた時もこうして自分の精液を自らの舌で舐め取った。それは。それは仕込まれた事なのか?あの男にそうするようにと。
「いい、紅葉。もういい」
「如月さん?」
不思議そうに見上げる君の顔を目に焼き付けながら、僕は指を君から離した。そして自分の口でそれを全て舐め取った。
「君の味を味わってみたかったんだ」
余計な事は、聞かない。もしも本当にあの男から仕込まれた事だとしても。それを君の口から聞き出す事はしない。君が自分から話でもしない限り。
――――君の口からその言葉を強要はしたくないから。
「しばらくはこうしていようか?外に行くにも辛いだろう?」
「…誰のせいだと…思っているんですか?…」
「僕のせいだね」
「君を少しでも独りいじめしたかった…僕のせいだね……」
君の口から。
君の言葉から。
君自身の声から。
聴くまでは。
聴くまでは、僕は。
何も聴かないよ。
だから。
だから何時か全てを話してほしい。
僕が君の全てを知るまで。
僕が君に対して知らない事がなくなるまで。
どんな些細な事でいいから。君の。
君の口から、聴きたいんだ。
他の誰でもなく、僕が強要する訳でもなく。
―――君の言葉で、聴きたいから……
「そう言えば服もないんだっけ」
「…あ…そうですね……」
「僕のでよければ貸すよ。君には少し大きいかもしれないけれど」
「いいえ、ありがとうございます」
「後で服も買いに行こうね」
「え、いいです…家に戻ればありますし…」
「家に、戻りたいのかい?」
「…いいえ…僕はもう……」
「…もうあそこには…戻りたくないです……」
男達の欲望だけが充満した部屋。
あの部屋にあるのは消えない精液の匂いだけ。
眠る為だけに、ある部屋。空っぽの部屋。
そこに『生活』の匂いはひとつもない。
ただあるのは空間だけ。歪んだ欲望が支配した。
ただの空間だけ。
―――もうあんな淋しい場所には戻りたくない……
「戻らなくていい。君の場所はここだ」
「…如月さん……」
「君の場所は、ここだからね。紅葉」
「…はい……」
僕の帰る場所。
僕が最期に辿り着く場所。
それが貴方の腕の中でありますように。
―――貴方の腕の中だけが、僕にとって還る場所……
ACT/27
帰る場所があると言う事。
自分を待ってくれる存在があると言う事。
暖かい、場所。
暖かく優しい場所。
―――何よりも、あたたかい場所。
「行って来ますね、くー」
にゃあと小さく鳴いたくーを僕はひとつ抱きしめる。そんなくーに横にいた貴方はそっと頭を撫でた。
「いい子にしているんだよ」
くーの額にキスをひとつして、貴方は僕の腕からその小さな身体を取り上げる。そしてもう一度キスをして、床に降ろした。
「じゃあ行こうか紅葉」
「はい、如月さん」
扉を開いて外に出ると、眩しい程の蒼い空。なんだかこんな風に空を見るのは久々な気がする。ううん、こんな風に見上げる時間など僕にはなかった。
何時も何時も僕の時間は『夜』だった。闇の中に生きていたから。だからこんな蒼い光の下に自分が立っている事事態が。それ事態がひどく、不思議な感覚。
――カチャリ…と音がする。貴方が扉に鍵を掛けた音。貴方の家。貴方の帰る場所。そして。そして僕も帰る場所。
「どうしたの?紅葉」
「…あ、いいえ…何でもないんです…ただ…」
「ただ?」
「帰る場所があるっていいなって」
「そうだね、ここが」
「…はい……」
「最期に僕らが帰る場所だから」
「はい、如月さん」
帰る場所。貴方のもとへと、帰る事。これから先何が待ち受けたとしても、最後にあなたの元へと戻ってこられるならば。
「君と僕の『家』だよ」
―――君にとって足りないもの。
それは当たり前に与えられるもの。
人が生まれながらにして持っている筈のもの。
母親の愛情。父親の優しさ。
家で眠る事。家族でご飯を食べる事。愛する人とのセックス。
そのどれもが奪われていた。
君はその全てを生まれながらにして奪われていた。
―――家。帰るべき場所。
君にはそれすら与えられなかったから。
どれもこれもが、君にとって。
安らげる場所。全てを脱ぎ捨てられる場所。
子供に戻れる空間。
それを。それを与えたい。
君に与えたい。当たり前のものを。
君にとって不当に奪われてきたものを。
生きる為の当たり前のこと。
だから僕が君の寝場所を作ろう。
君と一緒に食事をしよう。
そして君と一緒に抱き合おう。
生まれたばかりの君に。
やっと人として生まれた君に。
君の、生まれたての命に。
―――君の、小さな命に。
「…あ、…如月さん……」
君の細い指先を取って、僕のそれに絡める。暖かい手。初めて君の手に触れた時はひんやりと冷たかったのに。今はこんなにも君の指先に体温を感じる。
君の指先の暖かさが、僕がもたらしたものならばこんなに嬉しい事はないね。
「誰も見てないよ」
「…でも…」
「恥かしい?」
「…恥かしい…です…でも……」
「うん?」
「…手…離したくない…です……」
君の言葉に、その消え入りそうな君の声に。僕は自然に口許が柔らかくなるのを抑え切れなかった。君は無意識に僕を一番喜ばせる言葉を選んでいる。
「ならこのままでいよう」
「…はい…」
「誰に見られてもいいじゃないか?僕が君を好きだと言う事実は揺るぎようがないのだから」
「――如月さん…」
「見せつけてやろう」
君が僕だけのものだって。君は僕だけのものだって。誰にも誰にも渡さないと。世界中に見せつけてやりたい。
「貴方のその強さが僕にとっては勇気になります」
「紅葉?」
「どうしても一歩を踏み出すのが怖くて、ただ誰かが助けてくれると願うだけの僕には…自分自身の力で歩む貴方の強さは永遠の憧れです」
「それは買かぶり過ぎだよ」
「いいえ…そんな事ありません。貴方は何時も前を見ている。僕がその場で立ち止まって俯くしか出来ないのに…貴方は真っ直ぐに前だけを見ているから」
「…紅葉……」
「僕も貴方の背中を見つめて…そして何時しか前を見れらるようになりたいです」
真っ直ぐ前を見始めたのは、君のせいだよ紅葉。それまで僕は何処も見てはいなかった。何も見てはいなかった。ただ流れゆく景色を、人間どもを醒めた目で見過ごしていただけなんだ。
だから紅葉、僕が前を見ているとしたらそれは君のせいなんだよ。
「君に情け無い姿を見せたくないんだ」
「如月さん?」
「僕は今までお世辞にも人に顔向け出来るような生き方をしていなかった。取り囲む人間達をただの道具だとしか思わないような…そんな人間だった。でも」
―――でも君と、出逢って気づいた事がある。
「でもそんな人間にもそれぞれ生活があって、そして生きているって事を…そんな当たり前の事に初めて気がついた」
―――君と出逢って、初めて知った事がある。
「だからと言って全ての人間に優しくしようとは思わない…僕は君だけに優しくしたい。君だけを愛したいから。でも」
―――君を愛して、分かった事がある。
「でも少しだけ…他人に気を使えるようになりたいと思う」
それは、全て。全て、君だけが僕に教えてくれた事。
「貴方の笑顔が、好き。優しい笑顔が」
貴方の、笑顔。貴方自身ですら気付いていないのかもしれない。その、優しい笑顔を。
「………」
僕だけが知っている。僕だけが気付いたその笑顔。
「―――貴方の優しさが、好きです……」
「誰もが気付かない物に気付く、そんな貴方の優しさが好きです」
僕の声に気がついたのは貴方だけ。
他の誰でもない貴方だけ。
貴方だけが、僕に気がついてくれたのだから。
「前にも君からそんな言葉を聞いたような気がする」
「言ったかもしれません」
「でも君の口からならば幾らでも聴きたいね」
「僕もいっぱい伝えたいです」
「いっぱい?」
「いっぱい伝えたい。僕は今まで自分の言葉で話していなかったから。だからこれからはいっぱい、貴方に伝えたい」
「貴方が好きだって。誰よりも貴方だけが好きだって」
言葉では足りないって事は分かっている。
言葉でなんか気持ちが追いつけない事は。
それでも。それでも、伝えたい。
―――気持ちを、伝えたい……
「幾らでも言ってくれ、紅葉」
「如月さん」
「君の口から聴きたい」
「…如月さん……」
「他の女からなんて聴きたいない。君の口からだけ。君の言葉でだけその言葉は聴きたい」
「如月さん、好き」
「僕もだよ」
「…誰よりも好き……」
「僕も君だけだ」
「…貴方を…誰よりも……」
「…愛して…います……」
それだけが今、僕が持っているもの。
僕が持っているものの全て。
空っぽの僕を埋めたのは。
貴方の愛とそして貴方への愛。
僕がこうして生まれたのは。
こうして足を地上に着けたのは。
全部、貴方への愛だから。
手を、繋ぎながら。
僕らは街中を歩いた。
ひどくはしゃぎながら店を廻って。
まるで初めてのような新鮮な顔で。
街中を歩いた。
時々振り返る輩がいたが、僕らには全然気にならなかった。
女どもが振り返るのは何時もの事だし。
男どもも振り返るのは…気に入らないが…。
それでも君は僕のものだし。僕は君だけのものだ。
だから、構いはしない。
―――他人なんて、どうでもいい……
不意に君が本屋の前で立ち止まった。そして僕の手を引きながら店内へと入って行く。
「どうしたんだ?紅葉」
「あ、いえ…欲しかった本があったので…」
「本?」
君が立ち止まった場所は絵本のコーナーだった。それはひどく意外でそして君に合っているような気がした。
「どの本?」
僕が聴くと君はひとつの絵本を差し出した。―――百万回生きた猫…タイトルだけは聴いた事があったが僕はその内容を実際には知らなかった。
「面白いの?」
「…面白いと言うか…とても切ないお話です。けれども優しい気持ちになれます」
「どんな話なんだい?」
「百万回生きて、百万回死んだ猫の話です。色々な飼い猫になってもその飼い主を好きになれずに、そして何時も愛を知らなかった猫が、最期に」
君の瞼が不意に落とされる。その睫毛の先に光が零れてひどく綺麗だった。
「最期に死ねるんです。本当の愛を見つけて」
君がそう言って僕に差し出した絵本を、僕は言葉に表せない思いで見つめ返した。
―――百万回生きた猫
百万回生きて、そして百万回死んだ猫。最期に真実の愛を手に入れて、死んだ猫。
「君はこの猫が、羨ましいのかい?」
真実の愛を見つけて死ぬ。それはなんて甘美な誘惑だろう。だけど。だけど、死んでしまったらそれで。それで終わりだから。
「…いいえ…僕は…」
終わりは、僕はもう欲しくはない。
「僕は貴方と、生きたいから」
その言葉に僕は、微笑う。うん、そうだ。そうだね、紅葉。死ぬことは簡単だ。生きる事の方が難しいんだから。生きる事の、方が。
「そうだね、紅葉。一緒に生きて行こうね」
そう言って僕は君の手から本を取り上げた。そしてレジへと運ぶ。
「如月さんっ?!」
「僕から君へのプレゼントだよ。貰ってくれるかい?」
その言葉に君は。君は一瞬戸惑って…そして微笑んだ。
「…ありがとうございます…如月さん……」
見返りのないプレゼントを。
無償に与えられるモノを。
僕は今初めて受け取った。
貴方の手から、受け取った。
―――貴方が僕に、与えてくれたもの……
…ありがとう…如月さん………
ACT/28
君の瞼にそっと、星が降ってくる。
睫毛の先に零れる粒子を。
柔らかく口に含んで。
そして。そして蕩ける程の甘さに酔いしれて。
酔いしれながら、キスをする。
唇が痺れるまで…キスをする……。
降り注ぐ星のかけらは、僕らを何処まで運ぶのだろうか?
夜空に浮かぶ三日月を手のひらで掬えたならば。
「綺麗ですね」
縁側に腰掛け、君は月を見上げていた。膝にくーを抱かえながら、星が降る夜空を見つめる。
「そうだね、綺麗だね」
そんな君の隣に座って、僕も星を見上げた。こんな風に夜空を見上げるなど、何年振りだろうか?僕にとってその歳月はあまりにも遠過ぎて、忘れてしまうほどだった。
遥か昔の子供の頃。あの月が何時か手を伸ばせば届くと信じていられたほどの、純粋な子供の頃。月も太陽も自分の世界に存在していた子供の頃。
「こんな風に何も考えずにただ無心に空を見つめられる時間が来るとは…考えた事ありませんでした」
月明かりに照らされる君の横顔が切ない程に綺麗で、哀しい程に綺麗で。それが僕にとって胸の痛みを広げる結果となった。
君が切ないのは、哀しいのは、僕にとって何よりも辛いものだから。
「何時も僕はなにかに追われていました。色々な事に流されていました…でも追われている間は、流されている間は何も考えなくていいから…そうやって僕は全ての事から逃げていたんですね」
そっと閉じられる睫毛。その先に月の光が零れ落ちる。光の粒子が零れ落ちる。
「考えてそして立ち止まる事が怖かったから…自分の心の痛みと傷に気付くのが怖かったから…だから全てから逃げてそして気付かない振りをしていました…」
君は淡々と語る。けれども僕は決して見逃さない。君の細い肩が、微かに震えているのを。
「…紅葉……」
その細い肩をそっと抱き寄せた。その途端一瞬ぴくりと肩が震えたが、ゆっくりと僕に体重を預けてきた。
―――どうしたら、と思った。どうしたら君が一瞬強張るのを止める事が出来るのかと…。
「でも今は全部…傷を曝け出して、見せたいと思います。自分自身でその傷を見つめ直そうと思いました…」
「紅葉、君は強いね」
その言葉に君の瞼が開かれる。そこから覗くのは夜空よりも深い漆黒の瞳。その瞳に星が、映っている。
「そんな事…ありません…僕は…弱いです…でも…」
―――君の瞳に星が映っている…綺麗だね。
「…でも…貴方がいるから…強くなれると思います……」
―――君の瞳に、きらきらと輝く星が。
「貴方が僕に、勇気をくれたから」
―――君が、綺麗だね。
「…紅葉…それは僕も同じだよ」
「…如月さん……」
「君と出逢って僕は様々な事を知った。そして自分の弱さを知った」
弱さ、それは僕にとって不必要なものだった。僕には失うものも失いたくないものも何もなかったから。だから内面の弱さは僕には無縁だった。そんなものを必要としなかったから。そんなものを僕は必要と。けれども。
「自分の無力さを初めて知った」
けれども君と出逢って僕は知った。失いたくないものを、護りたいものを。自分自身よりも大切なものを。これが弱さだ。君を失うことに怯える、それが僕の弱さ。
―――自分自身の命よりも、大切な存在。
「けれども同時に強さも知った」
誰かを護りたいと言う気持ちが、誰かを愛すると言う気持ちが、こんなにも自分を強くする事も。死にたくないと思ったのは君の存在があったから。生きたいとこころから思ったのも君がいたから。全ての僕の源に、君が存在している。
「自分でも怖いくらいなんだ。今までの自分が思いだない。何を考えて生きていたのか。何を思って生きていたのか、もう何も思い出せない」
「…如月さん……」
「過去に僕は本当に生きていたのか?本当に生きようとしていたのか?ただその場所で空気を吸っていただけじゃないのか?目的も生きる意味も見出せずただ。ただ流れゆく時間を外側から見ているだけで、僕は時間にすら関わろうとはせずに。一体今まで何をしていたのか?」
同じだよ。君と同じだよ。違うものを見ていた僕らは同じ場所を求めていたのだから。
「今までの僕なんて、いらないよ」
君が僕に命を吹きこまれたと言うならば、僕は君に生を吹きこまれた。同じだよ、紅葉。僕らは同じなんだ。
違う人生を違う道を辿ってきたけれど、本当はその道はひとつなんだ。
「君と出逢う前の僕なんていらない。僕は」
「僕はきっと今までの人生全てを抹殺しても…君だけは絶対に愛するだろう」
たとえ、もしも。
もしも僕の記憶が全て失われたとしても。
僕は。僕は必ず。
君だけは見つけ出す。
そして、君だけを。
君だけを愛するから。
ただひとりの、君だけを。
「…如月さん……」
君の瞳に映る星。綺麗な星。きらきらと、輝く星。
「…紅葉……」
その星ごと、君を奪いたい。
「――キス、していいかい?」
君を、奪いたい。
「…変ですよ…改めて尋ねるなんて……」
君の全てを。
「そうだね、僕らしくないね」
君の全てがほしい。
―――ただひとりの、僕だけのひと。
「…もっと触れても…いいかい?……」
耳元にそっと囁かれた言葉に、僕は小さく頷いた。
「…如月さん…僕を…」
「…抱いてください……」
「――身体は、大丈夫なのか?」
心配そうに尋ねる貴方に僕は精一杯笑った。そして。
「…平気です…もう…だから…」
腕を廻す。その広い背中に廻して。
―――貴方の唇を、指先を求めた……。
壬生の膝にいたくーは何時しか月夜に誘われるように、そこから立ち去っていた。一瞬如月は気を利かせたのかと思う程に、タイミングよくその小さな肢体は膝から擦り抜けた。
「おいで、紅葉」
「え?」
壬生がその疑問を解消する前に、彼の身体は如月の膝の上に乗っけられていた。向かい合う形になって、そのまじかにある綺麗な顔に不覚にもどきりとしてしまう。
「こんな硬い場所に君を押し倒したら、背中が痛くなるだろう?」
「…あ、でも……」
「それにこんな月明かりの下じゃあ、君がよく見えない。そんなのはイヤだからね」
それ以上壬生の反論を閉じ込めるように如月はその唇をそっと塞いだ。そのまま舌で唇を辿ってやれば、壬生は答えるように薄く唇を開いてきた。
「…ん……」
そのまま口内に舌を忍び込ませ、戸惑う壬生の舌を絡め取る。きつく絡めれば、その口許から堪えきれずに雫が零れ始める。
「…はふ…ん……」
舌先で裏の筋を辿り、舌先同士を合わせてやる。その如月の巧みなテクニックに何時しか壬生は我を忘れて自分から口付けを求めていた。
―――もっと、もっと深く口内に侵入してほしい……。
「…ふ…んんん……」
ぴちゃぴちゃと舌を絡め合う音だけが、静寂の中に響き渡る。そしてそんな貪るような口付けを見ているのは頭上の月だけ。黄色い光を放つ月だけ。
「…はぁっ……」
やっとの事で唇が離れる。それは一本の糸を引いていた。まだ互いを離したくないとでも言うように。
「…紅葉……」
口許を伝う唾液を如月は器用に舌で舐め取った。その間にも手際よく、壬生の衣服を脱がしてゆく。こうしている時間がもどかしいとでも言うように。
「…あんっ……」
上半身を全て脱がされ、裸体を月明かりの下に曝け出される。身体中に散らばっている傷や痣はまだ消えていなかったが、そんな事はもう如月にはどうでもよかった。
赤く色づく胸の果実を人差し指と中指で摘み上げ、軽く擦ってやる。そして尖ったと同時に舌で嬲った。
「…あぁ…は……」
指と舌で敏感な箇所を弄られて、何時しか壬生自身は布越しでも分かる程に形を変化させていた。服の上からも、その昂ぶりを如月は感じた。そして。そして壬生も同じく如月の熱さを感じる。
「…如月…さ…ん……」
快楽に濡れた瞳で壬生は如月を見上げると、そのまま彼のズボンのジッパーに手を掛けた。乱れる息のせいで動きはぎこちなかったが、それでも壬生の手は目的を果す事が出来た。
「紅葉?」
如月の疑問符に答える前に、下界に飛び出した逞しい如月のソレを指で包み込む。その指使いはこう言った行為に慣れ切った如月ですら驚く程に上手かった。それが。それが如月には、哀しい。
この指使いも全てあの男に仕込まれた事なのかと思うと。そしてこの行為に慣れきっている君が、哀しい。
充分にソレが硬度を保ったのを確認すると、壬生は自ら下着事ズボンを脱いだ。そして自らの指を口に含むと、そのまま秘所へと偲び込ませる。
「…くぅっ……」
慣れた行為とはいえ、まだ完全に傷の癒えていない壬生にとっては最初の衝撃は苦痛を伴うものだった。
「紅葉、大丈夫か?」
それでも如月の問いに壬生はこくりと頷いた。そんな彼の様子にいたたまれなくなって、如月は形を変化し始めている壬生自身に手を添えた。
「…くふ…んっ…あ……」
声が艶めいてくるのに安心したように如月は、添えた指を巧みに動かす。見る見るうちに手の中の壬生自身が形を変化させた。
「…あっ…はん……」
何時しか壬生は中に入れている指先の本数を増やしていた。そうして中を馴染ませ、受け入れる準備をする。少しでも苦痛な表情を見せたなら、きっと。
きっとこの優しい人は途中でも行為を止めてしまうだろうから。それが。それが壬生にとってなによりもの心配事だから。
「…如月…さん…もぉ……」
体内の中の指を引き抜いて、壬生は如月自身に手を充てた。そして腰を浮かして自らの入り口にそれをあてがう。
「―――紅葉…本当に大丈夫か?」
「…平気です…だって僕はこんなに貴方を求めている…」
荒い息のままそれでも壬生はひとつ笑って、自らの腰をその場に落とした。
「―――っ!!」
初めの衝撃に壬生は声を上げるのを堪えた。このまま悲鳴を上げてしまったら、絶対にこのひとはこの行為を止めるから。
「…紅葉……」
「…は…はぁ……」
先端だけを侵入させ内部が馴染むまで待つ。そうしてからゆっくりと壬生は腰を落とした。そんな壬生に如月はその大きな手で腰を支えてやる。
「…ふぅ…ああ……」
全てを収めた所で一端その動きを止める。幸運にも内部は出血していなかった。それが何よりも壬生を、如月を安心させる。
「――紅葉…自分で、動くかい?」
如月の問いに壬生はこくりと頷いた。そしてそのまま腰を動かし始める。最初はゆっくりと。次第に激しく。激しく、何も見えなくなるくらいに。
「…あああっ…あ……」
そんな壬生の前に如月は手を掛けようとして、けれども拒否された。壬生は喘ぎで途切れ途切れの声で如月に言う。
―――貴方の……だけで…イキたいから……
その声に頷いて如月は、腰に添えていた手を動かし始める。そのせいで動きがより一層激しくなる。抜き差しを繰り返し、繰り返すたびに熱くそして硬くなってゆくソレに酔いしれて。
「…ああ…あぁ……」
接合部分が火傷するように熱い。ぐちゃぐちゃと交じり合う音が耳から離れない。重なり合う鼓動が、激し過ぎて聞き取れないほどで。
「…あぁ…きさらぎ…さんっ…あああっ」
「…紅葉…紅葉…」
もう何もかもが分からなかった。ただ互いを呼ぶ声と、繋がった熱さだけが全てで。そして。
そして視界が真っ白になって、ふたりは同時に欲望を吐き出した。
足りない。
足りない、足りない。
もっと。もっともっと。
貴方が、ほしい。
貴方だけが、ほしい。
もう後は覚えていない。
欲望のままに想いのままに互いを貪りあった。
切りがない程に互いを求め合った。
求めて、求めて。
全てを貪り尽くすまで。
ふたりの全てを奪うまで。
―――互いの全てを、奪うまで……
ふたりを見ているのは、月だけ。
頭上に浮かぶ月だけだった。
End