水の中の太陽


ACT/3


その広い両腕と、優しい眼差しが、何よりも好きだった。
低く少し掠れた声で、名前を呼んでくれる時。
大きな手のひらがそっと、髪を撫でてくれる時。
―――死んでもいいと、本気で思った。

「…目、醒まさないね……」
モロハはベッドの上で、人形のように動かなくなった紅葉を見つめながらそう呟いた。
「…ああ…もうあれから三日も経っているのにな……」
ひどく、幸福な表情で。まるで胎内にいる子供のような安堵しきった顔で、紅葉は。
「…漆黒の髪……」
老婆は何とも言えない表情でそう呟いた。紅葉の手の中に握られた漆黒の髪を見つめながら……。
「生きている間に見れるとは思わんかったよ」
永遠に失った筈の太陽の光。それが例えほんの一かけらでも、拝む事が出来るなどとは。
「…やはり…あれは『太陽』なの?……」
暖かく優しく彼の全身を包み込んだ、光。それが彼の求めていた、太陽。
「ああ、間違えない。『太陽』は人じゃ」
もうこの地上の何処にも存在しない金色の光。失われた太陽。そしてそれを捜し求めている彼。――――太陽を捜す、空。
「もしかしたら、世界が変わるかもしれんな」
もしも二人が出逢う事が出来たなら。この濁った空も、穢れた地上も、全てが変わるかもしれない。そう、全てが。
「……漆黒の髪、か………」
紅葉の手から離れる事の無いそれを見つめながら、モロハは誰にも聞こえないように呟いた。それが唯一の手掛かりだった。


「やっぱり、勿体ないな」
「今日で何度目だい?そのセリフを吐くのは」
「だってーやっぱり勿体ないんだもんっ」
ばさりと切り落としてしまったヒスイの髪に、未だにタツマは未練を持っていた。
「また延びるんだから、構わないだろう?」
「……でも………」
それでも未だタツマは不満そうだった。それでも尚も言い募ろうとして止めたのは、その髪を切った目的を朧気ながらにも理解したから。
「…子供みたいな人…なんだよね……」
タツマはたった一つだけ自分が知っている事を口にした。ヒスイは寡黙な人だから滅多に自分の事も恋人の事も語らない。そんなヒスイがたった一つだけタツマに言った、彼の恋人への言葉。
「―――覚えていたのか?」
「忘れる訳無いよ。だってその時のヒスイの瞳、凄く綺麗だったんだもん」
忘れる訳が無い。あんなにも幸福そうに笑った、ヒスイの顔を。
「それにヒスイって殆ど自分の事話さないだろう?だから、さ」
「僕は未だ、理解出来ないんだ」
「…え?……」
「僕は未だ『本当の自分』を、知らない」
只の人間では無く、四神としての自分を。『あの方』に仕えて、太陽を護り続けていた自分を。夢のかけらを集めても、パズルは未だ完成しない。
「知りたいと、思う?」
「それが自分にとって必要ならばね」
もしも自分が四神へと戻る事で、彼を救えるのならば。もうこんな想いをさせる事が無いのならば。それはヒスイにとって必要で重大な事だった。
「ヒスイにとって『必要な事』って、何?」
「―――そうだね……」
必要な事は、彼を護る事。失ってしまった蒼い空を人々へと返す事。そして。
「約束を、護る事だね」
「約束?」
タツマの問いにヒスイは柔らかい微笑で答えた。それは全てを物語っていた。


「―――翡翠よ、お前は紅葉を愛しているのか?」
『あの方』は全てを見透かすような視線を翡翠に向けた。それに臆する事無く、視線を受け止める。そして。
「はい」
真っ直ぐな瞳で、そう答えた。何の迷いもなく、何の偽る事なく。
「それならば、お前は紅葉の為になら何でも出来るか?」
「―――紅葉を泣かす以外の事ならば」
翡翠の答えに『あの方』は、喉の奥で笑った。しかしそれは決して厭味な物では無かった。
「私はお前を気に入っている。その精神の気高さも、魂の清らかさも」
「恐れ入ります」
「それにお前は何よりも強い心を持っている」
『あの方』の瞳がふと和らぐ。それはまるで父親が子供に見せるような瞳、だった。
「―――しかし紅葉は、脆い」
「…………」
「あれは余りにも心が透明な故に、心が弱くなってしまった。しかしそれは彼のせいでは無い」
「…僕のせいだと、言いたいのですか?……」
「否定は出来ない。しかし肯定もしない。ただあれは純粋過ぎるのだ。純粋過ぎる故に、お前しか見えなくなる」
何者にも染まっていない心だからこそ。何かに染まってしまえば、その色一色に染まってしまう。そう翡翠しか、見えなくなる程に。
「愛し合う事は罪では無い。ただ、紅葉の愛し方はあまりにも破滅的だ。だから、翡翠」
弱さ故に、脆さ故に。自らを滅ぼすような愛し方をしてしまうから。
「お前が紅葉を護ってやれ。彼が自ら破滅しないように」
「―――元より承知です」
「ならば、良い。お前は紅葉をどんな事があっても護ってみせるな?」
「はい」
「…約束だぞ、翡翠……」
『あの方』の言葉に翡翠は、きっぱりと頷いた。多分この時点で地球の未来を理解していたのだろう……。


「―――行くのかい?モロハ」
何処へとは、決して老婆は聞かなかった。聞かなくても答えは明確に出ているのだから。
「……見てみたく、なりました………」
白くて細い指先に絡まった漆黒の髪。太陽の光だけを閉じ込めた眩しいまでの光の線。
「お前は欲張りじゃな。喪服の聖者の上に太陽を見ようなどと」
「僕は欲張りです。だから今でも手に入れたいと思っています」
初めて見た時から、欲しいとそうずっと思っていた。例え他人の物であろうとも、今でもその気持ちは変わらない。けれども。
「こんなやり方はフェアじゃない。それに知りたくなりました。ここまで彼を惹き付けている人物を」
「お前は、喪服の聖者に焦がれているのでは無い」
「―――お婆?」
「お前は『空』に焦がれているのじゃ」
全ての生命を見護り包み込む、優しい優しい蒼い空に。


「あの先に、俺の部落は在るんだ」
長い砂の丘を越えて、やっと二人は目的地の入口へと辿り着いた。入口と言ってもこれから未だかなりの距離を歩かねばならないのだが。それでもこの長い旅もやっと終わりに近づいて来た事になるのだ。
「一刻でも早く母親に逢えると良いね」
「うんっ」
ヒスイの言葉にタツマは素直に頷いた。こんな時代でも彼は本当に真っ直ぐに生きている。まるで汚いものを見た事が無いような、生まれたての無垢なままで。それはひどく誰かを、思い起こさせる。
「…タツマには、恋人はいるのかい?……」
「…えっ……」
いきなりのヒスイの言葉に、タツマは耳まで真っ赤になる。こんなひどく照れ屋な所も良く似ている。けれども、二人は全く別な部分がある。それは何者にもタツマが染まっていないのに対して、紅葉は自分と言う色で全てを染めてしまった事だ。
それだけの事なのに、こんなにも印象が違う。リョウには『脆さ』と言う部分が全く無い。人は愛を知る事によってこんなにも変わってしまう。でもそれは決して間違えでも過ちでも無い。他人を愛する事は決して罪では無いのだから。だから誰も間違ってはいない。
「…ま、未だいないよ…俺、女の子好きになった事無いもの……」
「―――そうかい……」
ヒスイはタツマの言葉に柔らかく笑う。そんな時の彼の瞳は本当に優しいのだ。
「ヒスイはいるんだよね、恋人。ねぇ、人を好きになるってどんな感じ?」
「…苦しい、ね……」
「苦しい?」
「ああ、苦しいよ。そしていつも思い知らされる。自分の無力さを」
現に今もそれを嫌と言う程、味わっている。彼が哀しんでいても、この腕で抱きしめてやる事も、涙を拭ってやる事も出来ないのだから。それすらも出来ないのだから。
「どんなものからも、護ってやりたいと思うのに。僕は哀しませてばかりだ」
「…嘘、だ……」
ヒスイの言葉にタツマはひどく驚いたような表情をして、その言葉を否定する。
「嘘だよ、絶対にヒスイの恋人は哀しんではいない」
「―――何故、分かるんだい?」
「分かるよ、俺には。だってヒスイ優しいもん」
「…タツマ……」
「こんなに優しいのに、哀しむ事なんて無いよ。絶対に」
確信を持ったような笑顔で、タツマは言った。その表情は何故かひどく自信ありげで。
「君は不思議だね」
ヒスイの大きな手がタツマの頭をくしゃっと撫でる。それはタツマが大好きな彼の動作だった。お父さんのように大きくて暖かい手。
「でも、タツマ。苦しい以上に僕は、幸せだよ」
「ヒスイ?」
「僕は出逢えた事が、何よりも幸せだと思っている」
ヒスイはそう言って、笑った。それは何よりも強く、そして優しく見えた。そしてタツマに教えてくれた。他人を愛する事に誇りを持てる事の素晴らしさを。他人を愛する事で生まれる強さと優しさを。
「あーあ、俺も誰かを好きになってみたいな」
「焦る事は無いよ。他人を愛する事は極自然に、そして突然に訪れるものだから」
「ヒスイも突然、だった?」
「…そうだね…僕は自然だったね……」
それは本当に当たり前のように、訪れたものだから。彼を愛する事に何の疑問も無く、それが当然のように。まるで生まれた時から決まっていたかのように。
「自然に、愛したよ」
ただそれだけの為に生まれて来たとすら、信じられる程に。


「―――喪服の聖者よ………」
細い指には愛する人の髪を大事に絡めて。永遠のように眠り続ける彼。何の夢を見ているかなんて、聞かなくても分かる程に。
「やはりお前さんは我々とは、違う世界の者なのじゃな」
望んでも決して手に入れる事の出来ない存在。手に入れようと思う事すら、おこがましいくらいに。彼は孤高の存在。
「…でもな…お前さんが初めてなんじゃよ。あのモロハが『欲しい』と言ったのは………」
何よりも冷酷で何よりも無関心な彼が、何の駆け引きもせずに『欲しい』と思った存在。
それが例え蒼い空への憧憬だとしても。それでも。
「あの子が、初めて自分から動きだしたんじゃ。それだけは分かってくれ」


「―――翡翠……」
一面の蒼い世界の中に彼はいた。綺麗な空の色だけを閉じ込めた蒼い瞳を、真っ直ぐに自分へと向けながら。
「どうして、来てくれないの?」
蒼い瞳が、揺れる。硝子細工のそれは、今にも崩れてしまいそうで。翡翠はたまらずに腕を差し出した。しかし、その腕が彼に届く事は無かった。
「…僕、ずっと待っているのに……。ずっと貴方だけ、待っているのに……」
―――紅葉……、そう言おうとした翡翠の声は、何故か音声として成り立たなかった。
「…どうして来ていれないのですか?…僕よりあのタツマって人が、大切なのですか?……」
―――違う、僕は…。しかしそれは声にならない。紅葉に、届かない。
「…もう、僕なんて…いらないの?……」
硝子細工の瞳が崩れてゆく。深い蒼い瞳からは、無数の涙の雫がこぼれ落ちる。それはぱらぱらと音を発てて、この蒼い世界を埋めてゆく。それはまるで降り積もる雪のように。
「…いらないの?…翡翠……」
最期の警告のように発せられた紅葉の言葉に、翡翠は力の限り叫んでいた。


「―――」
それが夢だと気付くには、しばらくの時間を要した。ヒスイは汗でべと付く髪を掻き上げながら、ふうと大きな溜め息を一つ付いた。
「…ヒスイ?……」
そんなヒスイに隣で眠っていたタツマが気付いて、声を掛けてくる。その表情がひどく心配気だったので、ヒスイは安心させるように柔らかい笑みを浮かべた。
「済まない、起こしてしまったようだね」
「ううん、俺興奮してて…眠れなかったから……別にヒスイの気にする事じゃないよ…」
「―――そうか……」
タツマの言葉にヒスイはふと、今日遇った出来事を思い出す。今まで順調に進んでた旅の中で突然現れた蛮族の事を。例え多勢に無勢でもヒスイは腕に自信があったのでそんな人数など気にする事はなかったが、タツマは違ったようである。あれだけの人数をたった二人で倒した事を未だ、興奮しているらしい。
「でもヒスイって本当に凄いよね。あんなに沢山のやつらを、いとも簡単にやっつけちゃうんだもん。強いね」
純粋に関心するタツマにヒスイは口元に苦笑を浮かべる。素直で無邪気な彼。疑う事を知らない彼。自分が何者かすら疑わない彼。確かに自分が『四神』だと言っても、彼には理解不可能であろうけれども。
「あれくらいは、当たり前だよ。そうしなければこの世界で生きていくのは、難しいからね」
「―――うん…でも、やっぱり凄いや」
「関心ばかりしていないで、君も剣の動きを磨かないと。いつでも僕が助けると言う訳にはいかないからね」
いつまでもタツマと一緒にいる訳にはいかない。自分には護るべき人がいて、その人の元へと還らねばならないのだから。そう、一刻も早く……。
「……うん、そうだね………」
タツマの心を不意に、淋しさが過る。そうだ、いつまでもこうしてヒスイといられる訳が無い。いつでも彼が自分を護ってくれる訳では無い。彼には護るべき人が、一緒にいるべき人があるのだから。でも。
―――ヒスイの傍に、いたい。ほんの少しでいいから、彼の瞳を自分へと向けたい。彼にとっての『護るべき人』になりたい。
それは今までタツマが知らなかった、初めての『欲』だった。けれども。
それは決して叶う事無いと、タツマは知っていた。ふと見せるひどく優しい瞳も。切なそうな瞳も、全て。彼はたった一人の為に向けているから。たった一人の為に存在しているから。
「…ヒスイ……」
「何だい?タツマ」
「お前って、太陽みたいだ」
「―――え?……」
タツマの言葉にヒスイの瞳が微かに見開かれる。しかしそれに彼は気付く事無かったが。そしてタツマは。
「決して望んでも、手に入れる事が出来ない…太陽、みたいだ……」
そう、彼は太陽に似ている。その金の瞳も、気高い精神も。そしてその存在事態も。決して自分達には届かない、太陽に。


夜の風は身を切るような冷たさだった。
ヒスイはタツマが再び眠ったのを見届けて、宿屋の外へと出た。小さな宿屋の外には、又小さな繁華街が広がっていて疲れ果てた人々が、憩いを求めて漂っていた。
「―――」
自分はひどく、追いつめられていた。そしてそれに気付かなかった。いや、気付かぬ振りをしていた。気付いてしまえば、弱い自分の心を自覚してしまうから。それはヒスイには最も許されない事だった。けれども今、こんなにも自分は紅葉を求めている。
「…心が通じていれば、離れていられるなんて…嘘だね……」
本当は一瞬でも離れている事など、出来ないのだ。出来る筈が無いのだ。それ程愛しているから。そしてそれ程愛されている事を知っているから。
けれども、離れなくてはならなかった。そうしなければ、ならなかった。愛しているから。愛しているから、離れなければならなかった。
「―――紅葉……」
相反する矛盾した事だった。けれども、何方とも事実で何方とも真実だった。結局自分はたった一つの答えしか、導き出せないのだから。そう、たった一つだけ。彼を愛していると言う事。それだけしか、自分は答えられないのだから。
「…結局僕は、君を愛するだけのただの男なんだよ……」


どの位歩いたのかは、もう分からなかった。ただ、モロハは本能の赴くままに歩き続けた。それは自分でも理解出来ない程、不可解な行為だった。
「…馬鹿だね、僕も……」
計算と利権の為にしか行動しなかった自分が、何の見返りも無い行為を自ら犯している。
それがどんなに報われない事だと、知っていても。
―――自分はこうして、行動をしている。
キーワードはたった一つ『太陽の光』それだけ。そんなものだけを頼りに捜し出す事の愚かさを、賢い自分は良く知っている。それでも。それでも止められなかった。この瞳でこの身体でこの心で『太陽』を見たいと言う欲望に。そう、彼が捜し続けているその人に。
「……でも、一生に一度くらいは…馬鹿になってもいいよね……」
モロハは口元に何とも言えぬ苦い笑みを浮かべる。―――そんな時、だった。
「離してくださいっ!」
夜のゆるやかな静寂を破るような悲鳴が、モロハの耳を貫いた。その声のする方向へと視線を向けると、数人の男が一人の女を取り囲んでいたのだ。
「―――随分、命知らずな女だね……」
そんな様子をモロハは穏やかとも言える微笑を浮かべながら呟いた。この時代にこの時間、女一人身で出歩いている方がおかしいのだ。言わば自業自得である。しかしそんなモロハの意識を引き止めたのは、一人の男が叫んだ一言であった。
「離す訳には、いかねーんだよっ!俺らはその金と銀の瞳の兄ちゃんに痛い目に遇ったんだからなっ!!」
「…ヒスイ様は…ヒスイ様は人を傷つける方では在りません…」
「ふざけるなっ!この女っっ!!」
「―――きゃあっっ!」
男の拳が女の頬へと辿り着く寸前、だった。強かな音がしたかと思うと、男の身体が地面に打ちつけられていた。
「何だっ?!てめーはっっ!!」
他の男共が、突然の侵入者にがなりつける。しかしそんな男達にモロハは華麗とも言える微笑を浮かべて。
「こんなか弱い女の人一人に大勢で掛かるのは、卑怯だと思いますよ」
「う、うるせーそいつの男のせいで俺らは酷い目に遇ったんだからなっっ!」
「それならば尚更の事。その男に直接復讐したらいいじゃないですか?」
モロハの笑みは毒を含んでいるように、綺麗で辛辣だった。それは男達にはひどく神経を逆撫でたらしい。男達は一気に、モロハに飛び掛かって来た……。


「―――紅葉……」
翡翠の広い腕が紅葉の肢体をそっと、抱きしめる。その優しい腕の中に包まれながら、紅葉はゆっくりと瞳を閉じた。
「何だか少し、痩せたね」
「…そうですか?……」
「うん。僕はいつも君を抱きしめているから、分かるよ」
さらさらの紅葉の髪を撫でながら言う翡翠に、彼は上目遣いで見上げてくすりと、笑って。
「でも、細い方が…都合がいいでしょう?」
「確かに。君が僕の腕に収まりきれなかったら、困るね」
「―――大丈夫、です」
紅葉の手が翡翠の広い背中に廻って。そして。
「そうしたら、僕が貴方を抱きしめるから」


「……ごめんなさい……」
ぽろぽろと涙を流しながら、彼女はモロハに言った。何度も何度も。
「いや、平気だよ。これくらい慣れているから。それよりも君、名前は?」
幾ら言い聞かせても止まらない涙に苦笑しながら、モロハは彼女に尋ねる。その言葉にやっと収まり掛けた涙を拭いながら、彼女は真っ直ぐに見つめて。そして。
「…ヒナノ…です…」
それだけをやっとの事で言うと再びぽろりと、涙を零してしまう。モロハの傷を手当てする手が少し震えていて、それがひどく彼女を可憐に見せた。
「いい名前だね、僕はモロハって言うんだ。この先の部落から来た。君は?」
モロハの言葉にヒナノは意を決したような真剣な瞳で、言った。
「―――南から…来ました……」

彼女、ヒナノは南から幼なじみを捜しにやって来たと言った。
この世界にはもう有り得ない筈の金色と銀色の瞳のせいで、部落の人々から良く思われていなかった事と。彼が私生児で身寄りの無い事から、自分の両親が育てていた事と。
けれどもそんな環境の中でも彼は誰よりも優しく、誰よりも強かったと。そう言ったヒナノの瞳はひどく誇りに満ちていて、その人物像をモロハに嫌と言う程に思わずにはいられなかった。
そんな彼がある日自分達の前から姿を消して、何処かへ行ってしまったのだ。しかしそれは彼の意思だったのでヒナノは追いかけようなどとは思っていなかったが、不幸にも彼女の父親が蛮族に襲われて亡くなったのだ。それにいてもいられなくなった彼女は、彼を捜しにここまで来たと言う。彼の最期の言葉だけを、頼りに……。
「ヒスイ様は、いつも何かを捜していていらっしゃいました」
ヒスイ―――それが『太陽』の名前、だった。彼女の話を聞いて、モロハはそれをはっきりと確信した。
「捜していた?」
「…いつも…それが何だか私には分からなかったのですけれど…でも、捜していられたのです」
「…そう……」
彼が捜し続けた『太陽』。そして、ヒスイも。彼を捜し続けていた。それが何よりも目の前の彼が太陽だと言う、確かなる証拠。
「―――知っているよ」
「…え?……」
モロハの言葉にヒナノの瞳が大きく見開かれる。しかしモロハはそんな彼女に気にする事無く。
「僕は彼が捜しているものを、知っている」


――――幾つもの砂漠と、幾つもの夜を越えてきた。
「…ここを越えれば、俺の部落だ……」
「―――そうか」
複雑な、気持ちだった。確かにタツマは嬉しかった。母親に逢う事が出来て、本当に嬉しかった。けれども、その反面。これでヒスイと別れなければならない事実が重く、彼の上に伸しかかった。
「良かったね、タツマ」
綺麗なヒスイの笑顔。包み込むように優しくて、深い笑顔。もうこれも、見られなくなる。もう、見られない………。
「―――ヒスイ」
「何?タツマ」
「……行く、の?………」
何処へとは、聞かない。聞かなくても分かっているから。ヒスイの行く場所はたった一つだけ。たった一つ、恋人の場所だけ。
「ああ。僕を待っている限り」
―――もしも。もしも今自分が彼を引き止めたら、彼は自分の元に残ってくれるだろうか?
ふと、タツマの脳裏にそんな事が浮かんでくる。しかしそれを即座に自分は否定した。そんな事はあり得ない。あり得る筈が無い。だって、彼はあんなにも恋人を愛している。あんなにも。
「…ヒスイ…好き?……」
「―――え?………」
「……俺の事、好き?………」
タツマの質問にヒスイは、とても綺麗に笑った。その真っ直ぐな瞳には嘘も偽りも無く、自分を見つめて。そして。
「好きだよ」
それだけで、充分だった。それがリョウの求めている答えと多少違っていても。確かにヒスイは言ってくれたのだ。自分を『好き』だと。好きだと言ってくれたのだ。それだけで。それだけで、タツマは幸せだった。
「俺もヒスイが大好きだよ」
初めて知った恋はひどく、切なく幸福なものだった。

――――誰よりも何よりも、優しく強いひと、でした。

二度と逢う事は、無い。
漠然とタツマはそう、思った。そしてその反面。
いつでも逢う事は出来ると、思った。
そういつでも彼は、自分を見護ってくれると。いつでも見ていてくれると。
タツマは何故かそう思った。もしもし二度と逢う事が出来なくても。
彼はいつも自分を見ていてくれると。自分は知っていた。
それは予感でも思い込みでも無く、真実だと何故か、知っていた。
――――タツマは、知っていた。


End

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