deceit ACT / 2



―――全てを失わない為の、切り札が欲しい。


「いい御身分だね、壬生」
崩れ掛けた窓から覗く光が、人影によって遮られる。壬生は億劫そうに上半身を起こすと、その影の主に視線を向けた。
「御門さんこそいいのですか?こんな所で時間潰して」
「いいんだよ、私のクラスは今自習中だから。でも君は違うだろう?」
「今更ですよ」
「確かに、ね。君の扱いには先生達も大層拱いているよ。注意したくても、君は私の『従兄弟』だからね」
御門は柔らかく微笑うと、身近にある窓枠に軽く腰掛ける。そんな彼の一連の動作を壬生は興味なさそうに、見つめながら。
「それに、貴方が何とかしてくれるんでしょう?」
「随分と信じてくれるんだね。でもその親切心に下心があるとは、君は思わないの?」
「―――下心?」
御門はゆっくりと立ち上がって壬生の傍へと近づくと、その場にかがみ込んで彼の顎に自らの手を掛けた。
「…例えば、こんな風に………」
御門の唇が近づいて、そして触れ合う寸前。壬生の手が、それを拒否した。
「―――嘘、ばっかり。貴方が欲しいのは、僕の身体じゃないくせに」
「私は欲張りなんだ。だから、君の身体も欲しい」
「生憎だけど、僕は貴方よりももっと欲張りなんですよ。だから何も誰にも上げません」
「そうだね、君はいつもそうだ。他人からは幾らでも奪うくせに、自分は何一つ失わない。悔しいくらいにね」
「……………」
「君はきっと他人によって傷つく事なんて、ないんだろうね」
「……お互い様でしょう?………」
壬生の闇色の瞳が、御門を射貫く。夜空よりも暗い、海よりも深い漆黒の瞳が。
「…そうかも、しれないね………」
御門は何処か諦めに似た笑みを口元に浮かべると、思い出したように手元にあった数枚の紙を壬生へと渡す。
「何ですか?これ」
「資料だよ、例の転入生の。必要だと、思ってね」
「何で、僕がこれを必要だと思うのですか?」
壬生は受け取った資料を興味無さそうに一瞥すると、その場にぱさりと投げてしまう。しかし御門はそんな壬生の態度に気にする事無く、くすりと一つ微笑うと彼のばらまいた資料を広い上げる。
「流石だね、壬生。私が伝えるまでもなかったね。それにあれだけの『力』の持ち主を、気付かない方がおかしいものね」
「―――貴方は、彼に逢いましたか?」
「いいや、未だだよ。でも私はすぐに分かった……大気が、ざわめいたから………」
不意に壬生の視線が御門からその肩越しの窓へと移る。そこには、灰色の空間がただ広がっているだけだった。
「―――でも、目覚めていません」
「……壬生?………」
「あの人は、何も知らない」
一瞬、ほんの一瞬だけ壬生の瞳が遠くを見つめた。けれども御門には、分からなかった。彼がその時、何を見つめていたのか。
「何も、分からない」
―――何を、思っていたのか。


多分幾らその存在を隠そうとしても、隠しきれない人は存在するのだろう。幾ら人込みにもまれても、一目で判ってしまうように。この強い存在感と、他人を引きつけずにはいられない容姿故に。そして何よりも、明らかに凡人とは違う、纏っている空気故に。
「これから皆の仲間になる、如月翡翠君だ」
一瞬、教室のざわめきがぴたりと、止んだ。それ程、彼は印象的で衝撃的だった。
「…すげー、いい男……」
思わず我を忘れて京一は呟いた。それ程、この目の前の男は印象的だったのだ。季節外れの転入生は、生徒たちの思惑や想像を見事に裏切った人物だったのだから。いや、誰も予想など出来なかっただろう。これ程、完璧な容姿は。
「…おい…京一……お前いくらなんでもそれは……」
そんな彼の言葉に咄嗟に隣に居た龍麻が肘で小突く。しかし京一は全く悪びれた風も無く。
「だって本当の事だからしかたねーだろ?いやーどんなすげー奴が来るかと思ってたけどまさかこんな意味で、最もすげー奴が来るなんて思わなかったからよ」
純粋に京一は関心していた。でもそんな意味で関心していたのは京一だけでは、無かった。
他の生徒たちも、龍麻でさえそう思ったのだから。綺麗としか形容出来ないその顔、容姿。けれども決して、その綺麗と言う言葉は女に使う意味とは違う。例えるならば、研ぎ澄まされた刃物のような美しさ。触れたら、傷を付けずにはいられないような。精練された者だけが持つ、美しさだった。
「…じゃあ、席は……壬生の隣が空いているな」
そう言って教師に示された席に、如月は進む。そのごく何気ない動作だけなのに、どうしても他人の目を魅き付けてしまう。
「宜しくなっ。俺、蓬莱寺京一ってんだ」
そんな如月を引き止めるように、京一は彼に声を掛ける。その隣では龍麻がはらはらして見ているのも、気にせずに。
「―――宜しく、蓬莱寺」
しかし龍麻の危惧している事は外れ、彼は何よりも綺麗な笑みでそう京一に言ったのだった。
 

桜が何よりも綺麗に咲くのは。その下に死体が埋まっているからだと、教えてくれた人は。―――今はもう、何処にもいない。


「へえー、そんな所から来たんだー。じゃあ、東京は初めて?」
「いや、父の仕事の関係上幼い頃に何回か来ているよ」
「ふーん、でもガキん時だろ?覚えてんのか?」
他の生徒たちが遠撒きに見ている中で龍麻と京一は、この独特の近寄りがたい雰囲気を持つ転校生に気軽に話し掛ける。第一印象では近づけないと思っていた二人も、さっき京一に見せた笑顔ですっかり打ち解けていた。それ程、彼の笑顔はひどく他人を魅き付ける。
「流石に全部とは、いかないけれどね」
そして二人は何よりも不思議な親近感を彼に感じていた。近寄れないと、近づきにくいと思ったのに。それなのに何故か、感じていた。そしてこうして話してみると、益々その気持ちに拍車が掛かってくる。それは漠然とした思いだったが、確かに二人は思ったのだ。互いの心の中で。無論、それは口には出さなかったけれど。
「…でも…そう言えば壬生、戻ってこないね……」
不意に思い出したように、龍麻がその名を口に乗せる。その瞬間、如月の瞳が一瞬鋭い光を帯びた。それはすぐに、元へと戻ったけれども。
「久々に学校来たかと思ったら…結局何しに来たんだ、あいつは?」
「さあ、でも壬生大丈夫かな?」
「何がだよ?」
「出席日数だよ。だって新学期になってから壬生殆ど学校来てないだろ?このままじゃ確実に留年だよ」
「大丈夫だろ?いざとなったら御門がなんとかしてくれるぜ」
「―――御門とは一体誰だい?」
今まで二人の会話を黙って聞いていた如月が、初めて聞く名に疑問符を示す。
「御門晴明って言って…この学校の理事の一人息子で生徒会長をやっている、この学校の一番の権力者だよ」
「そうかい。じゃあその『御門』と『壬生』にはどういう関係があるんだい?」
「関係って…そりゃー二人は従兄弟同士だし……ん?如月お前壬生を知っているのか?」
「今朝、逢ったよ」
「壬生と?」
「―――ああ」
それ以上の事を如月が言わなかったので、彼と壬生がどういう経緯で出逢ったのかは聞く事は出来なかった。それに別段、深く追求する事でも無いのは確かだった。でも何故かその時、龍麻の胸に何かつかえるものが有った。ただそれが何かは、分からなかったけれども…。
「壬生はちょっと変わってるけど、本当はいい奴だぜ。な、ひーちゃん」
「…う、うん………」
その時のつかえを龍麻は、『似ている』と言う言葉で閉じ込めてしまった。そう、この如月の近寄りがたい雰囲気と壬生のそれは似ている、と。でもそれは明らかに質が違ったが。
「―――そうか………」
そんな龍麻の気持ちを余所に、如月はただ呟くようにその言葉を言った。


「―――如月翡翠。身長……体重……」
壬生は冷たいコンクリートに寝転がりながら、御門の置いていった資料を声に出して読んだ。
「……21××年10月25日生まれ………」
ぱさりと音を発てて再びその資料は床にばらまかれる。けれども今は、それを拾う者の姿はもう無かった。
「そんな事、とっくに知っていますよ」
ひび割れた天井と、剥き出しのコンクリート。それを見つめながら、壬生は吐き捨てるように呟いた。―――そんな事は、全部知っている。
壊れ掛けた窓から風が一つ吹いて、壬生の髪を揺らす。細すぎる程細い髪は、面白いように風に靡いた。
「……………」
壬生はゆっくりと瞼を閉じる。その途端、今まで優しく靡いていた風が不意に、強さを増した。そうそれは、まるでかまいたちのように。そして。彼が目を開いた、瞬間。風はまるでナイフのように、散らばっていた紙を引き裂いたのだった……。
「―――僕が知りたいのは、こんな事じゃない」


――――自分の知らない事があるなんて、そんなの許せない。


都内にある高級マンションの一室が、東京での如月に与えられた空間だった。如月家の長男として、何一つ不自由の無い生活をしてきた彼の突然の転校の申し出は、家族をひどく困惑させた。けれども……。如月は自らの部屋がある最上階で、エレベーターを降りる。―――その時だった。
「―――お帰りなさい」
「――――」
綺麗な夜空の色彩だけを切り取った漆黒の瞳。その瞳が、真っ直ぐに自分を見つめて。
「ずっと、貴方を待っていました」
―――壬生はひどく無邪気な顔でそう、言った。


「珍しいわね、君から連絡が来るなんて」
コーヒーカップを玩ぶ指先の紅い爪が、ひどく瞳の印象に残った。まるで残像のように。
「ええ、ここの所色々と忙しくてね…でも今日は……」
そう言うと御門し手元の封筒を彼女に差し出す。彼女は紅く彩られた唇の端を微かに上げて。
「―――何?これは」
「…貴女が多分、今一番欲しがっている情報ですよ。私たちの『力』に関するね……」
御門の穏やかな笑みから微かに刃物が見え隠れする。そう、切り札はこちらが持っているのだから。
「フフ、君は交渉が上手ね。で、何が欲しいの?」
けれども彼女は大人の笑みでその刃物を交わすと、独特の甘い声で尋ねる。
「―――貴女が持っている私等の情報全てと……そして、私等の未来を………」
「君は利口だわ。その『力』が何の為に有るのか薄々気付いているのでしょう?」
彼女の問いに御門は、見せ掛けで無い心底の笑みを浮かべて。
「……この地球の未来と、私等の未来の為に………」


「『如月さん』って、呼んでもいいですか?」
室内に通された壬生は近くにあったソファーに腰掛けると、キッチンに居る如月に尋ねた。
「―――別に、構わないよ」
コーヒーをトレーに乗せて如月は戻ってくると、それをテーブルに置いて向かい側のソファーへと座る。2LDKの部屋は一人暮らしには贅沢過ぎる程の広さだった。
「良かったです」
にっこりと微笑う壬生はまるで、子供のようだった。それとも本当に彼は子供なのかもしれない。
「で、僕に何の用だい?」
直線的な如月の物言いに壬生はくすりと一つ、笑う。無駄な事を全て切り捨てて、必要な事だけを述べる。それが彼のものの言い方でそして、生き方だった。―――でもそれはきっと誰よりも貴方に一番相応しい。
「逢いたかっただけです、貴方に」
「何故、僕に?」
不意に壬生の両手が延びてきて、如月の髪に絡まる。それは何よりも極上の感触を壬生の指先に与えた。
「―――紅葉?」
その行為の意味が掴めなくて、如月は尋ねる。しかし返ってきた壬生の反応は、彼の予想外のものだった。
「………僕の名前、呼んでくれるんですね………」
そう言って、壬生は微笑う。それは楽しいと言う笑いでも、からかいの意味を含めた笑いでも無かった……この笑みは………。
「貴方は、生まれてから今まで何かを失った事がありますか?」
漆黒の瞳が上目遣いに自分を見上げてくる。まるで夜空のようなその瞳が。自分はこの空の色彩を、何処かで知っていた。
「きっと無いですよね。貴方は何時でもそう…綺麗なものだけを手に入れて、けれども決してそれを失う事が無い。だから分からないですよね。失った者の気持ちなんて」
「―――君は失った事があるとでも、言うのかい?」
如月の問いに、壬生は答えなかった。答えない代わりに、壬生は己の唇を彼のそれに重ねた。如月は、口づけを拒まなかった。ただ壬生のしたいように、好きにさせた。
「拒まないんですね、良かった。僕は貴方に嫌われてはいなかったんだ」
「嫌うも何も、君とは出逢ったばかりだろう?」
如月の言葉に、壬生はまた微笑った。でもそれは、先程見せた笑みとは全く正反対のものだった。さっき見せた彼の笑みは……心底嬉しそうな笑み、だった………。
「でも僕は、貴方を知っています。ずっと前から知っています」
「今朝も同じ事を言っていたね。君は僕の『何』を知っていると言うんだい?」
「…何って、全部ですよ。僕が貴方の事で知らないのは、貴方の本音だけです」
壬生の手が如月の髪から頬へと滑る。そうして、再び壬生は彼に口付けた。
「―――君は何の為に、僕の前に現れた?」
「………欲しいものを、手に入れる為です………」
「欲しいもの?」
「そう、そしてそれは貴方しか持っていないものです」
壬生はそう言うと、如月から手を離す。そして自らの手を胸元へと充てて。
「僕は『それ』を絶対に手に入れます。どんな事をしてでも。僕は目的の為ならば手段は選ばないです」
それを言い終わった瞬間、壬生の身体を突然風が取り囲む。そして。その風が止まったと思った瞬間、彼の身体はその場から消えていた………。


「―――僕から、手に入れる?随分と面白い事を言うね、君は………」
自らの部屋に一人残された如月は、口元に微かな笑みを浮かべながらそう言った。その表情は怖い程、綺麗だった。
「一体この僕から何を手に入れると言うんだい?…しかし、生憎だね…紅葉……。僕は何も持ってはいないよ……」
君が言っていた綺麗な経歴も綺麗な未来も綺麗な容姿も。それは全て僕にとっては、必要の無いものだった。別に望んだものではなかった。失おうが別に構わないものだった。
「失う事もだよ。初めから何も持っていない者が、一体何を失うと言うんだい?」
他の人が渇望する全てのものが、如月には無意味でしかなかった。何も彼もが有っても無くても構わないものだった。
「―――そして、この『力』もね…………」

 

――――全てを失わない為の切り札が欲しい。全てを無くさない為の最終手段が欲しい。そうしなくては、貴方を失ってしまうから。


――――貴方を失わない、強さが欲しい。

End

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