地上の華<夢>


例えこれが夢だとしても…君に逢えるのならば。


翼を自らの手で、もぎ取った。
「…翡翠…どうしてこんな事を?…」
君の顔が泣きそうになって僕を見つめるから。だから僕は微笑ってみた。痛みがそれを少しだけぎこちなくさせたけれども。
「これが僕の罰だよ。君と共にいるために」
「…で、でも……」
ぽたりとひとつ、君の瞳から雫が零れた。天使の涙は宝石になると何処かの星で伝説になっているらしい。でも伝説は今僕の目の前で現実になる。
「いいんだ、紅葉。僕が何であっても。どんな形をしていようと、君を好きな事は変わらない。君を愛している事は変わらない。君だけを想って、君の為だけに僕は存在しているのだから」
「…痛く…ない?…」
君の涙は、止まらなかった。零れ続けるその涙。それを指で拭おうとして…そして手は宙に止まる。
「…紅葉?……」
君の姿が霞んでくる、ぼやけてくる。輪郭は幻になり、形を歪ませてゆく。
「…翡翠……」
君の手が伸ばされる。それを掴もうとして必死に手を伸ばす。けれどもそれは叶わなかった。君の手は、僕の手を擦り抜けて行く。
「…ひ…すい……」
君の声は風になる。君の想いは空気になる。君の声は振動になる。君の全てが…幻になる。…これが、罰なのか?……君と僕が共にいる為の。僕らが犯した罪の。これが、償い。人間を作った僕らの。知恵を与えた僕らの。そして…そしてあの蒼い星を穢した僕らの。これが償い。君と共にいたかった僕と。僕の傍にいたかった君と。二度と言葉を交わせず、二度と腕に抱けず、二度と口付けを出来ない。これが僕らの罰。
「…紅葉……」
それでも…それでも僕らは…一緒にいたい……。


乾いた喉を潤すのは、その血と唾液だけ。そう思ったら口付けを止められなかった。
「…ん…はぁ…」
唇を離そうとはしなかった。背中に必死にしがみ付きながら、その血を求める。一度その喉の乾きに気付いてしまえば、後はもう止める事が出来なかった。ただ必死にそれを求め続ける以外には。それ以外には考える事が出来なかった。
「…あぁ…は……」
口付けながら器用に犬神は京一の衣服を脱がしてゆく。背中に廻した腕のせいで途中で止まってしまったが、構わず犬神は胸元に手を這わした。
「…んんっ…ん……」
時々的を得たように身体が跳ねる個所を執拗に攻めながら、犬神は京一の望むままに唇を貪らせる。その尽きる事の無い飢えを満たさせてやる為に。でもそれでもこの喉の乾きが満たされる事はあるのだろうか?
「…あっ……」
京一自身に手を触れた瞬間、耐えきれずに唇が離れて甘い息を口から零した。口許から零れる唾液と血に、犬神は指を這わすとそのまま掬い取った。その指先を京一の口中に忍びこませる。
「…ん…んん…」
素直にその指を舌は辿った。時々口中の粘膜を指で押しながら、舌を絡めさせた。京一の歯がもっと液体を求めて犬神の指を噛んだが、そのままにさせた。指先から溢れる血すら、その欲求を満たすものになっていた。ごくんと、京一の喉元が動いた。この喉仏に開いたほうの犬神の指が辿る。その瞬間にむせ返りそうになった京一の目尻から涙がひとつ、零れ落ちる。
「…ほら、水だ…」
零れた涙を指に掬って、それを京一の口許に運ぶ。それすらも京一は飲み干した。何日間振りの、液体。どのくらい自分はこの荒野をさ迷っていたのだろうか?さ迷って、さ迷って、そして。そして辿り着いた先の、この腕の中は?この腕の中は自分にとっての天国か?それとも地獄なのか?自分には分からない。分からなかった。けれども。けれどもひとつだけ分かっている事は。
…自分がその手に救いを求めた事。それが天使か悪魔か、自分には判断が出来ない。
自分にとっての幸福か不幸か、それすらも分からない。ただ。ただ、自分が。自分が唯一手に取ったもの。自分が唯一手を握り返したもの。
「…あ…いぬ…がみ……」
「もっと欲しいのか?」
「…欲しい……」
「俺が、欲しいか?」
その言葉の意味の真実を自分が理解したかは、分からなかった。でも頷いた。迷う事無く頷いた。…欲しいと、思った……それが何に対して『欲しい』なのか…それが自分には…分からなかった……。


決して触れる事の出来ない、蒼い羽根。
「この地上に残っている魂をどれだけ…拾い上げる事が出来るでしょうか?……」
それは胸が引き裂かれる程の痛み。泣きたくなる程の苦しい痛み。それは。それは……。その魂を『転生』させてあげられるのは…天使である自分だけ。自分がその魂を拾い上げなければ、再びこの地上に生を受ける事は出来ない。いのちを、与えることが出来ない。
華になってしまった自分に、魂を捜す力は無い。ただ近くで見つける事の出来た魂だけを。その魂だけを、救う事しか。それしか、出来ない。
幻の、翼。幻の、姿。それでも真実の瞳を持っている『人間』には自分の姿は映るのだろう。自分の声は聴こえるのだろう。…でも、貴方には、聴こえない……天使の羽を自らもぎ取って、堕天使となった貴方に、僕の声は届かない。僕の姿は見えない。それでも。
「翡翠、寒くない?」
聞こえない声で、耳元に囁いた。華を見守りながら死ねない身体で眠り続ける貴方に。貴方の身体の上に僕の羽根を掲げる。寒く無いように。少しでも寒さが遮れるように。それしか僕には出来ないから。
「…翡翠……寒く…ない?……」
少しでも貴方が寒くなければいいなと…そう、思った。


目が醒めた瞬間に、瞼に一面の蒼い羽根が広がった。それをただの夢だと幻だと片付けるには、あまりにも切な過ぎた。切なすぎて、苦しくなった。
「…紅葉……」
答える事のない名前を呼んだ。決して答えてくれる事のない。けれども名前を呼ばずにはいられなかった。最期の蒼い天使。最期の本物の天使。『神』はそんな彼を地上へと縛りつけた。もう二度と空へと戻る事が出来ないように。この地上へと。この地上の華となって、この星の最期を見守る為に。最期を見届ける為に。
「君が育てた蒼い星がこの先にどうなろうとも、僕はこの目で見届ける」
君の作った星だ。君の育てた星だ。君の蒼い髪と瞳と同じ色の、同じ色の綺麗な蒼い星。君の腕の中で輝くひとつの、たったひとつの星。
「君とともに…終末を…見よう…」


生まれた時から滅び行く存在だなんて、哀しすぎるから。


もう一度、お前に逢いたい。
逢って言葉を交わしたい。瞳を見つめたい。
それだけが。それだけが唯一の、望み。


…また生まれ変われるなら、今度こそは素直に『好き』だと伝えたい。


「あああっ!」
貫かれた瞬間の衝撃に、京一の口からは悲鳴のような声が上がった。けれども構わずに犬神はその身を沈めていく。
「…あぁっ…あ…」
背中に立てた爪ががりりと音を立てて、皮膚を引き裂いた。そこから流れ出る血を、けれども犬神は無視をしてそのまま身体を犯していった。
「…ほら、血だ…」
背中に廻した手を解けさせるとそのままその手を京一の口許へと持っていった。そしてそのまま指を舐めさせる。口中に広がる鉄の味が、また京一の喉を満たしていった。
「…ん…くふ…ぅ……」
満たされてゆく、喉。潤される器官。それがどんなに冒涜した行為だろうが、構わなかった。本能の部分の欲求は倫理もモラルも失せさせてゆく。消滅させてゆく。
「…美味いか?蓬莱寺……」
耳元に囁くように言われて、京一は頷く事しか出来なかった。快楽と苦痛の狭間で朦朧とする意識の中で、紅い血の味だけが。その味だけが鮮やかに脳裏に焼き付いた。…その紅だけが…瞼の奥の残像に、焼きついた……


『わいは、生まれ変われるんか?』
自分を見つめる蒼い天使に、劉は問い掛けた。驚くほどに綺麗で哀しく見えるその天使に。
「…ええ、生まれ変わります……」
『地球は滅びるんかと、思った』
このまま何もかも消滅して、何もかも無くなって。そして、そして人類は滅びて、滅亡するのだと。
「滅びません…滅びるのは…人間だけ…」
『人は滅びるんかい…じゃあわいは別のものになるんやな』
「…ええ、人以外のものに…生まれ変わります」
『何に生まれ変わってもええわ。ただ隼人の傍にいさせてくれ。それだけがわいの望みや』
その言葉に天使はこくりとひとつ、頷いた。それだけを確認出来れば、自分はどうなっても構わなかった。
『ほんまやな…約束やで』
「…約束…します…僕に出来るのはこのくらいだから…」
哀しげに微笑う表情が少しだけ切なくて、本当に笑った顔が見てみたいと思った。けれどもそれを。それを見ることが出来るのは自分ではムリだろうなと、何となく思った。何となくだけど、そう思ったから。
「貴方達が…共にいられるように……」
その言葉だけが自分の真実になって。そして、意識が消滅していく。その一面の蒼を瞳の奥に焼き付けながら。


人類の滅亡。それが僕に課せられた任務。
全ての人類を滅亡させて、再び地上を蘇らせる事。
この蒼い星に再び、新たな生命を注ぎ込む事。
僕が華となって、種を飛ばし。
そして再びこの地上に緑を、華を、咲かせる事。


僕がこの地上の新たな『生命』になる事。


目が醒めた時、喉の渇きは満たされていた。
「目が、醒めたか?」
また煙草の匂いがする。自らの身体全てに染み込むような、煙草の匂い。
「…犬神…俺は…」
ぼんやりとする意識の中で、それでも一面の紅だけは憶えている。鮮やか過ぎるその紅の色を。自分が堕ちた、その場所を。
「美味しかったか?」
言われて頷きそうになった自分が、怖かった。その瞬間になって初めて気付く。自分がもう二度と戻れない場所へと辿り着いた事に。もう二度と…戻れない所へと堕ちた事に……
「…美味…かった……」
もう自分は『人』ではいられない。他人の血を欲し、それで満たされた自分は。もう二度と戻れない。
「おいで、蓬莱寺」
差し出した手を俺は握り返した。これが俺の運命。俺が望んだ運命。俺が初めてその手に助けを求めた時から、この運命は決まっていた。だから。これが……
「…俺は…もう『人』では…ないのか?」
その質問に犬神は答えなかった。こいつにとってそれはどうでもいい事なのかもしれない。自分の人以外の血を、注ぎ込んだ相手のことなど。でも、でも俺は確かにその血を受け取った。分け与えられた。それだけが俺の、真実。


…血を、与えた…人間にこの血を分け与えた。
それがどんな意味を持つか分かっていながら。
俺はこいつに…血を与えた……


自分と、同じ位置に…立たせる為に……



End

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