不眠症の紅の月 想いこがれても 君は居ない
いつもそうさ必要なトキ それが無いもどかしい気持ちを
…夢を、見た。
瞼の奥に残された残像を掻き集めて。
輪郭がおぼろげにならないように、必死に。
必死に、その姿を夢に映し出す。
目覚めた瞬間に、涙が零れた。今ここにお前はいない。
「久し振りだね、龍麻」
不意に呼び止められて振りかえった先には、少し大人びた壬生の姿があった。
「あ、久し振り。壬生」
あの戦いから一年が過ぎた。あの頃の仲間達はそれぞれの道を見つけ、真っ直ぐに歩んでいる…自分も、そのはずだった。
「壬生は今…大学だっけ…どう毎日楽しい?」
「楽しい?ああ、楽しいかも…知れないね」
そう言う壬生の顔には以前とは違う自然な笑みが口許に浮かんでいた。その笑顔をひきだした相手を自分はよく知っている。何時も彼の傍にいて、彼を包み込んでくれる人。
傍にいて、抱きしめてくれる、ひと。
「壬生はこれから何処かに出かけるの?」
「あ、ああ…如月さんと…待ち合わせしてるんだ…」
少しだけ目尻を赤らめながら言う壬生が、龍麻にはひどく羨ましい。何時も傍に、いてくれる。不安すら与える間もない程傍に。
「じゃあ」
そう言い残して去ってゆく壬生の背中を見つめながら、龍麻はひどく、泣きたくなった。
僕はまるで思春期の少年 汚れた手で純粋何より
こんな想い声に出来ず 月に吠える
どうして彼は自分の傍にいてくれないの?
どうして零れた涙を拭ってはくれないの?
…どうして?…
何度心で叫んだんだろう。何度声にして呟いただろう。
夢の中で何度も…「いくな」と、言っただろう。
でもそれはあくまでも夢の中の自分だ。夢の中の本当の自分。
…現実の自分は、笑っていた。
「いってらっしゃい」と、そう言った。
ずっとお前を待っているからと、そう言って。
少しだけ淋しそうに微笑ったお前に、自分は大丈夫だからと笑って。
…笑って、お前を見送った…。
君は眠りの中 君を抱いて 君に迷い 君を探す
声にすれば壊れてしまいそう…
君に逢いたいから 逢えないから 眠るように目を閉じてる
長すぎる夜 心は乱れる
ふたりを繋ぐものが‘約束’しかなかったから。
たくさんの約束をした。
でも本当は。本当はたったひとつで、良かった。
たったひとつの約束で、よかった。
君にすれば笑い話 笑ってよ?止まないこの痛みを
「…あ、雨だ…」
不意に降り出した雨に、傘を持っていなかった龍麻はその場を駆け出すと、近くの喫茶店に入った。
そこはこじんまりとした小さな店、だった。
「ホットココアひとつ、お願いします」
注文を告げる龍麻の口からひとつ、苦笑が零れる。彼…京一と喫茶店に入った時同じ注文をして、笑われた事を思い出す。
『ココアなんて、ひーちゃん子供みたいだな』
声は鮮明に耳に響く。笑顔ははっきりと瞼に浮かぶ。こんなにも、こんなにも、記憶に残っているのに。彼に触れる事が、出来ない。
その腕が自分を抱きしめてくれない。その瞳がじぶんを見つめてはくれない。その声が自分の名前を呼んではくれない。
…自分の傍に、いてくれない…。
自分はこんなにも弱い人間だったのだろうか?京一の言葉を信じる事が出来ず、彼の帰りを待つ事すら出来ず、不安に怯えるただの子供。膝を抱えてうずくまってる…臆病な、子供。
飛べない羽 空にかざして 涙つたう少年のほほに
人はいつか忘れられぬ風の中で
「龍麻先輩っ!!」
その声に弾かれるように顔を上げると、そこには霧島の笑顔があった。出逢った頃は押さなさの残る容貌だったが、この一年の歳月がすっかり彼を大人の男に代えていた。
何時しか身長は自分を追い越し、剣の腕も京一を師匠にしているだけあって、何処か彼に似てきた。そう、どこか京一に…似ている…。
「僕も途中雨にやられちゃって…あ、ご一緒してもいいですか?」
「いいよ、霧島は何を頼む?」
「霧島なんて…諸刃って呼んでくださいよっ」
他人の名前を苗字で呼ぶのは、自分のささやかな抵抗だ。京一以外の人間を…名前では呼べない…。
「それよりも龍麻先輩はココアですか?以外と子供っぽい所があるんですね」
「子供っぽい、かな?」
「あ、いいえ…そんな意味じゃなくて…ええと…あ、可愛いなあって…」
普通同姓にそんな事を言われたら腹が立つのだが、あまりにも霧島が真剣に言うのでつい、笑ってしまった。それに彼と、同じ事を言う。同じ台詞を、言う。
「それに先輩…綺麗になった…」
「俺を口説いても、何にも出ないよ」
「違いますっ!そんなんじゃなくて…前から綺麗だなぁって思ってたんですけど…なんかその…」
真剣な眼差しが自分を見つめてくる。その瞳があまりにも真っ直ぐで、吸い込まれそうになる。
……吸い込まれたら…淋しくなくなる?
僕は眠りの中 君を抱いて 君に迷い 君をさがす
声にすれば壊れてしまいそう
君に逢いたいから 逢えないから 眠るように目を閉じてる
長すぎる夜 心は乱れる
「雨も上がったみたいですね」
霧島の言葉に窓の外を覗くと、空は暗かったが確かに雨は止んでいた。龍麻は伝票を取ると席を立ち上がろうとした。しかしその手を霧島がさえぎる。
「今日は僕が奢りますよ」
そう言うと龍麻が反論する間もなく霧島はレジで清算を済ませると、龍麻の腕を取り外へ出た。
「霧島俺のが先輩だから、今日は出すよ」
「いいんです。僕が先輩に奢りたいって思ったんだから…それに先輩と一緒にお茶が出来て、嬉しいのは僕の方ですから」
屈託なく笑う笑顔が、有無を言わせない口調が、ひどくアンバランスで。そして似合っていた。
無邪気な笑顔とそれに負けない強い意思。それを霧島は持っている。それが少し、羨ましい。
「…じゃあ、今日は甘えようかな…」
「そうしてくださいっ先輩。それよりも先輩これから時間、ありますか?」
「今日は特に用事は無いけど」
帰って独りになるには、今の自分はひどく淋しがりやになっている。出来れば独りで…いたくない。
「よかったら僕のうちに遊びに来ませんか?一度先輩を両親に紹介したいと思ってたんですっ」
「…紹介とは…大げさな…」
「いいえ、先輩は僕にとってとても大切な人ですから」
やっぱり霧島は真剣な瞳でそう言った。端から聞いたらとんでもない台詞だが、本人が至って真面目だから怒るわけにもいかない。
「そうだな、霧島の家を見に行くのも…悪くないかもな」
「やった、先輩。僕嬉しいです」
本当に無邪気に笑う霧島を見ていたら…少しだけ淋しくなくなった。
ああ その指で 幾千のあやまちをぬぐって…
ああ キレイだね 記憶さえ ストロボの中でほら…
『必ず、帰ってくるよ。だから俺を待っていてくれ』
頷いて、微笑んだ。お前のその決心が鈍らないようにと。
前だけを見つめてくれるようにと。
でも。でも、本当は。
行くなと泣き叫んで、背中に縋りつきたかった。
俺はとても、弱い生き物だ。
…たったひとつの約束だけで…よかったのに…。
「あ、また雨だ」
歩き出して十分ほど過ぎた頃、再び雨が降り始めた。それはまるでバケツをひっくり返したような土砂降りの雨だった。
「先輩、こっち」
何時の間にこんなに逞しい腕になったんだろう…そう龍麻はぼんやりと思いながらも、霧島に引かれ大きな木の下に連れて行かれた。人影の無い小さな公園の中に生えている、一本の大きな木だった。
「取りあえず、小降りになるのを待ちましょう」
「…そうだな……」
こんな雨の中に居ると、思い出したくない事まで思い出してしまう。最期の決戦の前の夜。京一とふたりで帰った事。その時一緒に中国へ行かないかと、言われた事。
…どうしてあの時、自分は『はい』と言えなかったのか…。
全てを捨ててその手を取らなかったのだろうか?何もかも捨ててもいい程に彼を、愛しているのに。どうして待つと、言ってしまったのか…。
…どうして……。
「…龍麻…先輩?……」
霧島の驚いたような声で、自分は初めて気が付いた。この瞳から、涙が零れ落ちている事に。
「あ、ごめん…何でも…ないんだ……」
そう口で答えてみたものの、涙は止まらなかった。後から後から零れてくる。
「龍麻先輩っ!!」
不意に霧島の腕が龍麻の身体を抱きしめた。その腕は、力強い腕、だった。
「…きり…しま…?…」
息が出来なくない程、強く。その逞しい腕が龍麻の全てを包み込む。
「泣かないでください、龍麻先輩っ!僕が龍麻先輩の傍にいます…だから…」
「何で…そんな事…」
「僕はずっと龍麻先輩を見てきました。ずっと先輩が好きでした。京一先輩に憧れたのだって…先輩が京一先輩を好きだったから…貴方の好きな人に少しでも近づきたくて…僕は…」
そして熱い唇が龍麻のそれに重なると、強引に口付けられた。龍麻は逃げようと身体を捩るが、その腕が離してはくれなかった。
「…好き、です…先輩が…好きです……」
「…やっ…やめ…んっ……」
何度も何度も口付けられ龍麻の意識が拡散する。次第に意識が呑み込まれ、無意識にその腕が霧島の背中に縋っていた。
「僕だったら先輩を絶対に離しませんっ!独りにさせませんっ!」
霧島の厚い胸板と、逞しい腕が、龍麻の感覚に何かを訴えかける。そうだ…これは京一の…腕だ…。
どんどん彼に似てくる、霧島。京一のように腕を磨き、身体を鍛え、そして京一のように…。
「僕はずっと先輩の…傍にいます…」
再び唇が降りてきた。それを龍麻は…拒む事が出来なかった……。
End