・・・ひとを傷つけてまでも、手に入れたいものが、ある。
本当は、分かっていた事だった。
不安定な心に付け込んだのは、自分だ。淋しげな瞳を奪ったのは、自分だ。あのひとが誰を見つめ誰を望み、何を欲しがっていたのか、知っていたのに。
いや、僕は。僕は知っていたからこそ・・あの人を抱いた・・。
『・・俺を・・許して・・くれるのか?・・・』
許す?貴方にそう言われるとは夢にも思わなかった。責められると、拒絶されると思っていた。なのに、許してと言う。
僕は全部分かっていたんだよ。貴方が京一先輩がいなくて、どんなに苦しんでいたか。どんなに淋しがっていたか。どんなに独りが、辛いか・・。そこに付け込んだのは僕なのに。僕は貴方の弱さに付け込んだんだ。どんな手を使っても、誰を傷つけても、貴方が欲しくて。どうしても手に入れたくて・・僕は。
でも駄目だね。貴方の涙を見たらもう、僕は。・・僕は・・自分がどんなに最低な事をしたか、思い知らされた。貴方の心は先輩だけのものだ。その事実を曲げる事は出来ないのに、ただ貴方の心に傷を付けるだけしか出来なかった。貴方の傷を抉る事しか、出来なかった。
ただの最低な、男だよ。でも愛しているんだ。
・・貴方を、愛している。それだけは嘘じゃないよ。
・・雨の音が、遠くから聴こえる。
こんなにも自分の上に降り注いでいるのに、どうして音は遠くから聞こえるのだろうか?髪の先から全身に、この雨は自分を濡らすのに。雨音だけが・・遠くに、響いている・・・。
『そうしないと、貴方が壊れてしまう。僕は貴方を壊したくはない』
壊してしまっても、良かったのに。壊れてしまえば、こんなに苦しくはない。・・壊れて・・しまえば・・・。
それは今の龍麻にとっては危ういほどの甘美な幻想だった。壊れてしまえれば・・。そう、思った時。
・・・龍麻の意識が、真っ白になった・・・。
『ひーちゃん、俺と一緒に中国へ行かないか?』
差し出されたその手を取るだけで。自分はそれだけで良かった。良かったのに。なのに、取らなかった。
待っていると、それだけを告げて。京一を送り出した。
本当は、力づくでも奪っていって欲しかった。自分が考える暇すらないくらい、強引に。強引に奪われたかった。
俺は、どうしようもない人間だ。自分で自分の運命を選べない。差し出された運命を享受するだけで、自分から選択が出来ない。
欲しいものを欲しいと、なぜ言えない?自分が我慢すれば他人が幸せになるからなんて、そんなのただの詭弁だ。
本当は拒否されるのが怖いだけの、ただの臆病者だ。
目を覚ました瞬間飛びこんできたのは、見知らぬ白い天井だった。
「目が、醒めたかい?」
そう言って自分を見返した如月の顔は、いつも通りの綺麗で無表情な顔だった。
「・・あ、ああ・・・」
声が少し、掠れていた。おまけに喉がひどく痛む。そこまで考えて自分は全てを思い出した。そうだ俺は・・。
「何があったなんて、僕は野暮な事は聞かないよ。ただし、紅葉に余計な心配だけはさせないでくれ」
そう言うと如月は自分にホットミルクを差し出した。その暖かさが何故か、胸に染み入る。
「・・・如月・・俺・・・」
「ただし君自身が話したいのなら、僕には聞く用意があるよ」
全てを見透かしたような如月の瞳は、何処までも深くてそして冷たく優しい。この優しさに、壬生は気付いたのだろうか?
「・・俺は・・最低なことを・・した・・・」
「・・・・」
「・・俺は・・独りがいやで・・ひとりが淋しくて・・だから・・だから・・俺は・・・」
独りは、いやだ。お前が隣にいないのはいやだ。お前が俺の傍にいてくれないのが・・いやだ・・・。
「・・霧島に・・縋った・・俺を好きだと・・そう言ってくれた霧島を・・京一の変わりに・・俺は・・・」
「霧島に、抱かれたのかい?」
如月の問いに自分は素直に頷いた。服は着替えされていた。ならば自分が今どんな状態か、如月には分かっているだろう。
「・・俺は卑怯な人間だ・・自分の弱さには目をつぶって・・霧島に縋り・・そして傷つけた・・・」
「そうだね、君は最低だ。連れて行けと言えなかったのは、君の弱さのせいだ。それを霧島の腕で癒されようとした。そんな事で癒されるはずはないのに」
「・・その、通りだ・・如月・・・」
「でも君は他の誰でもない、霧島に縋った」
「・・え?・・」
「君は他の誰でもない、霧島に縋ったんだよ。分からないかい?縋るなら誰だって良かった筈だ。僕だろうが、他の仲間だろうが・・でも君は霧島に縋った。それは意味ある事だと僕は思うが」
「・・如月・・俺は・・・」
「もしかしたら・・君は・・・心の何処かで・・彼に惹かれていたのかも・・しれないね・・・」
「・・俺は・・・」
「淋しいだけじゃない何かが、あったのかもしれないね」
・・如月の言葉は・・刃物のように自分の胸を引き裂いた。
京一を愛している。彼だけを愛している。それは嘘じゃない。でも。でも確かに、心の何処かで。
・・霧島に、助けてほしいと・・そう、思った・・・。
「愛の形はひとつじゃない。恋愛もあれば家族愛もある。色々あるんだ。君が霧島に向けた気持ちもその愛のどれかひとつなんだよ」
「・・如月・・俺は・・霧島が好き、だった・・・あいつが俺に向けてくれる好意があまりにも真っ直ぐで、気持ち良かったから・・それは確かに恋愛とは違う・・でも・・俺は霧島の気持ちが・・嬉しかったんだ・・・」
「だったら、霧島にそう言えばいい。言葉でしか伝わらない気持ちも、あるのだから」
「言葉でしか、伝わらない気持ち?」
「君と蓬莱寺のように。本当は蓬莱寺は君を奪いたかった。だけど君の気持ちを優先してそれを堪えた。そして。そして君は本当は蓬莱寺に連れ去られたかった。でも君は強引に奪わない蓬莱寺の気持ちに何処か、怯えていたんだ」
・・その通りだ・・その通りだ。俺は・・怯えていた・・。無理やり奪ってくれないのは・・俺が行くと迷惑になるのかと・・・。
俺は、確かめるのが、怖かった。
「君は今誰に、何を告げたい?何を伝えたい?」
「・・俺は・・・」
「俺は霧島にお前が好きだといいたい。恋じゃなくても、お前が好きだと。・・そして・・そして京一に言いたい。一緒に居たいと。お前がどう思おうが、俺はお前と共に行くと」
「ちゃんと、言えるじゃないか」
そう言うと如月は、綺麗な笑みを浮かべた。無機質で透明な印象のある顔だが、微笑った如月の顔は、ひどく優しい。
「君は紅葉に似ている所がある。あれも素直に言えない。でも生憎僕は蓬莱寺とは違って、紅葉の気持ちはお見通しだからね。君たちみたく、はた迷惑な事はしないつもりだが」
「・・・ごめん・・・」
「ふっ、謝る事はない。これは‘のろけ’だからな」
如月の言葉に。自分は、笑った。嘘じゃなく、心から。
「・・如月さん、優しいですね」
くすくすと微笑いながら言ってきた壬生に、如月は彼だけに見せる綺麗過ぎるその笑みを口許に浮かべた。
「立ち聞きとは、ひとが悪いな。それに龍麻が帰ってから現れるのも、もっと質が悪い」
「貴方がどんな風に龍麻を慰めるのか・・興味があったんだ。貴方らしかったですよ」
「君に誉められて嬉しいよ。誉められたついでに僕に、褒美をくれないか?」
「・・上げますよ・・いくら、でも・・・」
微かに頬を染めながら、壬生は如月に口付けた・・・。
・・もう、迷いは無かった。
ここまで辿りつくにはあまりにも自分がした罪は重かった。でも。でも・・もう、迷わない。分かったから。自分は、分かったから。
自分の心を抑えて傷つくよりも、自分に正直になって傷つく方が・・。そうしなければ、後悔すると。
傷ついても、泣き叫んでも、心が壊れても。それが自分の本当の気持ちならば・・必ず、ひとは再生出来ると。
ひとの気持ちは、何度でも生まれ変わる事が出来るんだと。
何度でも、うまれることが、出来るんだと。
「・・京一・・待ってろよ・・・すぐにお前を探しにゆくからな・・」
霧島に自分の正直な気持ちを、告げたら。そうしたら。
・・・お前に逢いにゆく。何処までも、追いかける。
「イヤだといっても・・付いてくぞ・・・」
・・・今度は、俺がお前を奪うから。
ひとを愛することに、間違えなんて無いと、気付いた、から。
End