桜の、森・10


<現世編 5 桜の章>



この桜の木の下に、誓う。
全ての想いと、全ての愛を込めて。
君に、誓う。
君だけを愛してゆくと。そして君だけを護ってゆくと。

それがふたりがした、最初の約束だから。

桜。桜が舞い散る森の、中。夢幻の桜だけが舞い散る深い森の中。
その森の中に独りで、膝を抱えている少年。
僕と同じくらいの年恰好の、けれども僕よりもずっと小さく見える少年。小さく、見える少年。
『…どうしたんだい?…』
声を掛けると漆黒の瞳が僕を見つめ返した。哀しいくらい綺麗な深いその瞳が。
『…お母さん…死んじゃった…』
それだけを言ってまたぽろぽろと涙を零す。僕はそんな彼にいたたまれなくなってそっと、その頭を撫でてやった。柔らかい髪、だった。指先にひどく馴染む柔らかい髪だった。
『…泣かないで…ください……』
不意に彼が、言った。泣いているのは君の方なのに。それなのに君はまっすぐに、僕を見つめて。痛い程に、真っ直ぐに。苦しい程に、切ない程に。
『…泣かない…で……』
そう言ってまたぽろぽろと彼は涙を零し続ける。それが堪らなくて僕はそっと彼を抱きしめた。腕の中にすっぽりと収まる小さな細い身体だった。壊れそうな程に華奢な身体だった。
『泣いているのは君の方だろう?』
そう言って抱きしめた僕の瞳から一粒の涙が、零れた。ぽたりと、零れた。
どうして?どうして僕は、泣いているのか?
君の泣き顔が苦しかったのか、それとも君の細い肩が切なかったのか。分からない、ただ。ただ一粒だけ、涙が零れ落ちた。零れ、落ちた。
人前で泣いた事は一度も無かった。いや自分の記憶が始まってから今まで、一度も泣いた事などなかった。それなのに。それなのに、今。今僕は涙を零している。
君の前で。名前すらも知らない、君の前で。君の前でだけで。
『…泣かないで…ください……』
君の細い指先が、僕の頬に重なる。そして涙をそっと拭った。細い指だった。小さな指だった。とても小さな、小さな命。
『…泣かない…で……』
桜が舞う。一面に。桜の花びらが。ひらひら、ひらひらと。
そして僕らの涙を風が、さらっていく。全てを、さらっていく。
君と出逢った記憶すらも、君の温もりすらも。全てを。

…君と、ともに。桜が全てをさらってゆく。

一面の紅に染まったその景色と、むせかえる血の匂いだけが僕を支配した。血の、匂い。君の甘い香りを消し去る、それは哀しいまでの現実の匂い。
「…綾乃…僕は…」
これが僕の罪なのか?これが僕の罰なのか?
全ての真実に目を閉じて、優しい嘘だけを積み重ねた僕の。僕の罪なのか?
血のさだめに生き、君を護る為に存在して。その宿命を信じたかった故に心の求めるものを否定した僕の。僕の罰なのか?
「…嘘つき…綾乃を、綾乃を護ってくれるって……」
…君を護ると、誓った。君だけを護ると。この飛水流の血に懸けて、僕自身に懸けて。君を護ると、君だけを護ると。それは嘘じゃない。この気持ち偽りは無い。けれども。
けれども僕は、今。この宿命を、この飛水の血を。その全てを捨てようとしている。
僕を縛り付けていた、そして僕自身が自ら縛り付けていた、この宿命から。
この宿命を僕は今自ら引き千切ろうとしている。宿命の、鎖を。
僕の全てを捨てても。今の僕を形成しているものその全てを捨てても。
…紅葉…僕は君が……。
僕は君を、愛している。君を、愛している。
君だけを君だけを、愛している。どうにも出来ない程に。どうする事も出来ない程に。
自分の意思も自分の自制心も自分の道徳心も。自分の想いも自分の感情も自分の戒律も。
そのどれもが届かない所で、そのどれもが及ばない場所で。僕は。
僕は君を、君だけを想っている。
それは誰にも触れる事が出来なくて。誰にも掴む事が出来なくて。
僕自身ですらも、どうする事の出来ない想い。全てに逆らっても、運命に逆らっても。
君を、君だけを愛しているから。
「…ごめん、綾乃…」
僕は泣きながら見つめる綾乃を、見捨てた。大事な何よりも大事な綾乃を。
君の為だけに存在していた自分を捨てた。君を護る為だけに生きていた自分を捨てた。
その全てを捨てても。捨てても、僕は。
腕の中のこの命を護りたくて。この小さな大切な命を。
僕はそれだけを護りたくて。それだけを、護りたかったから。
何よりも大切に思っていた綾乃すらも捨てて。今まで築き上げたもの全てを壊して。
壊して、そして僕選んだ。君を、選んだ。
「…ごめん……」
どうにも出来ない想い。どうする事も出来ない想い。誰にも、自分自身すらも。
…初めからどうにか出来る想いならば、君を選んだりは…しない…
そして、僕は今。
…僕は今、自分の宿命を飛水の血を…捨てた……。

『如月さん』
君は何時も少しだけ戸惑いながら僕の名前を呼んだ。何時も何処か怯えた、そして哀しげな瞳で。ただ哀しくて綺麗なその瞳で、僕だけを見つめながら。
『…紅葉……』
名前を呼ぶと、君は微笑う。まるで花びらが綻ぶように。
そして。そして、本当に嬉しそうに。嬉しそうに微笑う、から。だから僕は。
何度もその名を呼んだ。君の笑顔が見たくて。君のその笑顔が見たくて。
だから、僕は。僕は君の名を、呼ぶ。
『如月、さん』
…愛して、いる……
こんなにもこんなにも君を愛している。どうしていいのか分からない程に。どうにも出来ない程に。君だけを、愛している。君だけを、愛している。
『ずっと如月さんを見ていました』
どうして僕は君の事を忘れていられた?誰よりも近くにいたのに。君は何時でも僕の傍にいたのに。ずっと僕だけを見ていてくれたのに。僕だけを見つめていてくれたのに。

「…紅葉……」

声にして、その名を呼んだ。君の笑顔が、見たくて。君の瞳が、見たくて。
けれども君は今微笑ってはくれない。その漆黒の瞳を僕には向けてくれない。
その瞳に、僕を映してはくれない。

「…くれ…は……」

宿命が飛水の血が、何だというのだろう?
そんなもの君に比べたらちっぽけなものだ。ああ、そうだ。
君に比べれば何もかもがちっぽけなものに思える。何もかもがちっぽけなものに。
…君さえいてくれれば…君さえいてくれれば何も…いらない……
これが人を愛すると言う事なのか?これが愛というものなのか?
たった独りの人間に心の全てが支配されて、そして他のものが何も考えられなくなる。
何もかもが考えられなくなる。何もかもが。これが、愛というもの。これが。
…これが…ひとを…愛すると言うこと……

「…愛して…いる…紅葉……」

自分が自分でなくなってゆく、感覚。けれども確かに選んだのは自分だ。僕が彼を選んだ。僕が彼を、選んだ。他の誰でもない僕自身が。僕自身が選んだ。
…宿命も飛水の血も…そして…綾乃…君すらも捨てて……
全てを捨てて。全てを投げ出して、僕は。僕は君を。
血まみれの彼を抱きしめた。僕の頬に手に身体に、君の血の匂いが染み込んでゆく。君の血が僕に交わってゆく。それすらも幸せだと、僕は思った。それすらも幸福に思えた。
君と分け合えるものならば、どんなものでも。君と分かち合えるものならば、どんなものでも。
…どんなものでも僕は、幸せだと…思った…。

…如月さん…泣かないで……
泣かないで、如月さん。泣かないで、ください。
僕は貴方のそんな顔は、見たくない。
貴方の辛そうな顔は、哀しそうな顔は見たくない。
貴方の苦しむ姿は、見たくはない。
僕は、如月さん。僕は…
貴方が哀しいと、僕も哀しい。貴方が苦しいと、僕も苦しい。
貴方が嬉しいと、僕も嬉しい。貴方が幸せだと、僕も幸せ。
だから、微笑ってください。
…微笑って…如月…さん……

「いやあああっ翡翠っ!!」

背中越しに綾乃の悲鳴が聞こえる。綾乃?そう龍麻じゃない。あれは綾乃だ。
僕が昔紅い夕日の下で指を絡めて約束した、小さな小さな綾乃。
何時も僕の背中を必死で追いかけてきた綾乃。僕を必死で追いかけてきた。
その小さな手を捨ててまでも。僕に縋るその手を捨ててまでも。
…僕は、紅葉…紅葉、君を選んだ……。
何時も傍にいてくれた君。気付けば何時も君はいた。
僕が哀しい時に、僕が弱くなった時に。
言葉じゃない何かで僕に何時も伝えてくれた。
『…傍にいます……』
と。独りじゃないと、伝えてくれた。その小さな身体で。その哀しい程綺麗な瞳で。
君だけがずっと、ずっと僕の真実を見ていた。
誰にも見せられなかった僕の『弱さ』を。僕のこころの『痛み』を。君だけが、君だけが見ていてくれたんだ、紅葉。
他の誰でもない君だけが。君だけが僕の全てを見つめていてくれた。そして。
そんな僕を、愛してくれたんだ。

「…死なないでくれっ紅葉……」

叫べるものなら叫びたいと思った。
君に僕の声が届くように。君に僕の心が届くように。
大声で、叫びたいと。君に、届くように。

血まみれの壬生を如月が運んで来た時、俺は全てに気が付いた。
その昔芙蓉が言った言葉。その意味を今悟った。
『せめてこの世で一緒になれないのなら、魂は傍に』
そうだ。あの時こいつの魂は、ずっと如月の傍を漂っていたんだと。ずっとともにいたのだと。ずっとずっと傍に。傍にいたのだと。そして。
そしてそれに、それに如月は気付いた。自分にとって一番何が必要なのか。自分にっての真実は何なのか。今やっとあいつは気付いた。
「どうしたんだい?この坊やは」
「…紅葉の手当てをしてくれ……」
岩山の問いには答えずに如月はそれだけを言った。この顔色の無い表情が全てを物語っていた。全てを物語っていた。お前の気持ちを、全て。
「わかったよ、高見沢っ急患の用意を」
「はぁ〜い」
相変わらずの間延びした声が返ってきたかと思うと、咄嗟に壬生は集中治療室へと運ばれた。重たい音がして、扉が閉じられる。
その途端如月の身体がその場にがくりと、崩れ落ちた。真っ青な表情を隠そうともせず。どんな時も、どんな時でもその冷たい表情を崩した事のないこいつが。
俺はその事に驚いた。驚かずにはいられなかった。
この強い男が、何時でも独りで絶対的な強さを持っていた男が、こんなにも脆く崩れ落ちるのを。こんなにも簡単に『弱さ』を剥き出しにした事に。俺はある意味衝撃すら覚えた。
「如月翡翠…おめーとこうやってまともに向かい合うのは初めてだな」
そんなお前に俺は近づいた。近づいて、うずくまるお前の前に立つ。
「…村雨…今は…僕は誰とも話したくは無い…」
見上げて来た顔の色のなさが、ただでさえ白く冷たい肌なのに。そのせいでまるで死人のように見えた。死人のように。
「そー言うなよ、俺がお前とあの子猫の死体を一緒に埋めてやったんだぜ」
「…お前も『前世』の記憶を持つ者か……」
「そーだよ、如月。俺が綾乃の旦那だよ」
「っ!」
その俺の言葉にこいつの顔が珍しく変化する。弱くなっているからだろうか?今こいつの顔には素直に感情が表面に現われている。何時も憎たらしい程に無表情なのに。
「お前の驚く顔なんて珍しいな。へっ、とんだ星の巡り合わせだぜ。まあ綾乃はお前を思い続けて狂ってしまったけどな」
そんなお前に事実を告げる俺は、自分でも優しくないと思った。でもこの男は下手な慰めや同情を欲する男ではないだろう。
「…何が…言いたい?…」
何時もなら容赦なく睨み付けるであろう瞳が少しだけ弱い。そんなにも。そんなにも壬生が大事なのか?綾乃よりも、龍麻よりもあの猫が。
「いや、別に。ただお前はあの猫を選んだんだなーって」
「君は紅葉の事を…もみじの事を知っているのか?」
俺にはこいつの過去は何も知らない。ただ綾乃の『愛する人』だと言うそれだけで。それ以外の事は何一つ知らない。けれども、こいつにはまたこいつの人生があって、そして。そして誰にも分からないであろう場所でふたりは繋がっていたのだろう。例え人間と猫であっても。人と、人以外のものでも。
「言っただろう、俺が埋めたんだぜ。おめーとその『もみじ』を、な」
魂だけはせめて一緒に。お前達は一緒にいられたのか?いられたのならどうしてこいつは全てを忘れていたのか?そして何故今それを思い出している?
…俺が気にして仕方のない事なのかもしれないが。
「…飼い猫に恋するのは、おかしいか?…」
でも辿り着いた先の真実が。お前にとっての真実がどう経緯で、壬生に辿り着いたか俺には分からないけれども。でもそれがお前の出した答えならば、それでいいと思う。それに。
それに俺だって。
「…いや……」

「俺だって…人以外のものに恋焦がれている……」

俺だってやっと今、こうして真実を手にいれたのだから。
何度も何度も運命の螺旋を巡って、巡り続けて捕まえたただひとつのもの。
姿や形や運命や宿命や、そんなものじゃない。
そんなもの他人を愛する事にはなんの役にも立たない。
気持ちだけだから。ただ好きになる気持ちだけだから。
それだけが事実で、それだけが真実だ。
たとえ運命が、宿命が決めた恋人同士であろうとも。
それが全ての人が納得のいく、幸せな結末だとしても。
それでも。いやそれすらも。
それすらも逆らってでも、手にいれたいと思うもの。
手に入れたいと想う、ひと。
それが『愛』だ。それがただひとつの真実だ。
たとえそれが罪だとしても。それがたとえ許されなくても。
誰に何を言われようとも。
自分の気持ちが求めているもの。それだけが。
…それだけが…本物、だ……

「…紅葉…」
呟いた先の言葉の痛みが、こいつの想いを現していた。
「愛しているのか?」
今更聞くまでも無い事かもしれない。それでも俺は聞いてみたかった。他でもないお前の口から、その言葉を聞きたかった。如月翡翠の口から。
「愛している。誰よりも愛している」
綾乃を狂わせ京一の人生を歪めた男の、ただひとつの真実。全ての贖罪を受け入れながらも、その罪深さを知っていながらも、それでもお前が選んだもの。それは。
「それならそれでいいじゃねーか」
それは痛いくらいに、自分に重なった。自分の選んだものと、重なった。
「ああ、そうだな。僕には今これしかない」

「今僕はこれ以外のものを何も、持ってはいない」

こいつも俺と、同じだなと…思った……
俺と同じ、だと。運命さえも宿命さえも逆らって手に入れたもの。
廻りの人間への裏切りと、そして自らの罪を受け入れながら。それでも手放せなかったもの。それでも手にいれたかったもの。
俺と、同じだ。俺達は同じものを追って、そして手にした。
「村雨、手当ては終わりましたか?」
芙蓉が俺の元へと駆け寄る。俺は笑ってその言葉に答えた。御門に受けた傷は思ったよりも軽かった。もしかしたら、あいつは手加減したのだろうか?そう思うと少しだけ、可笑しかった。ありえないと思いつつも、もしかしたらと思うと。
「あら、貴方様は…」
芙蓉が何かに気付いたように如月を見つめた。ずっと記憶を持ち続けている女。死ぬ事も生まれ変わる事もなく、ずっとずっと俺を待っていてくれた女。
俺だけを待っていてくれた、女。愛するただひとりの女。
「あの猫の飼い主ですね。この時代では、結ばれましたか?」
「…君も僕らを知っている?」
「ええ、知っています。私は少しだけ貴方達を気にかけていたみたいです」
その言葉に俺は少しだけ笑った。そんな些細な事ですら、お前の『人間らしさ』が見えて嬉しかった。何よりもお前が愛しいと思える、その瞬間。
「この世界では、愛し合えましたか?」
その言葉に如月は、答えなかった。答えずにただ見つめ返した。
その答えはまだ出なかった。壬生、お前がその瞳をもう一度俺達の前に見せるまでは。

夕日、紅い夕日。怖くて、目を開けていられない夕日。
貴方の手だけが、貴方の暖かい手だけが、私の瞼を開かせるの。
「…翡翠……」
愛していた、愛していた、愛していた。ずっとずっと貴方の背中だけを追い駆けていた。貴方だけを、ずっと。指を絡めて約束した日から、ずっとずっとずっと…。
「…どうして…どうして…」
綾乃はずっと…ずっと…翡翠お兄ちゃんだけを……。
「…翡翠…お兄ちゃん……」
夕日の紅の色が怖いの。血の色みたいで、綾乃は怖いの。
だから助けて、助けてお兄ちゃん。
…助けて…助けて……
「…綾乃を…独りにしないでぇ……」
……独りに…しないで……

「…翡翠…お兄ちゃん……」

泣きながら。泣きながら貴方の背中を、必死で追い駆けた。
あの日の紅い夕日から逃れるように。必死に逃げるように。
貴方の背中を、必死で捜した。貴方を、捜した。

『綾乃、ほら桜の花びら』
『…わぁ、綺麗…』
『綺麗な桃色だろー?これなら平気だろ?』
『…?』
『これがあれば紅い色も怖くねーだろ?』
『……』
『夕日に照らせばほら、こんなに綺麗だ。だから綾乃、もう大丈夫だろう?』
『うん、平気。もう怖くない。ありがとう…』

『…ありがとう…京一…』

桜の花びらは今、何処にも無い。どこにも見つからない。
どこを探せば、どこへ行けば見つかるのか?
何処へ行けば見つかるの?
紅い色を怖くないと言ってくれた、貴方は。
貴方は今何処にいるの?何処に行けば貴方に逢えるの?
…何処へ行けば…真実は…見つかるの?

桜なんか咲いていなくったって。
その花びらが目に見えなくたって。
俺が、いるから。俺が傍にいるから。
お前が怖くなくなるまでずっと。
ずっと俺がこの腕で抱きしめるから。
だから、泣かないでくれ。
泣かないで、綾乃。
…俺が…傍に、いるから……

それは全ての真実に目を閉じて、優しい嘘だけを積み重ねた俺達の罪。
「ひーちゃんっ?!」
俺は自分の目を疑った。そこには。そこには血まみれのひーちゃんが、俺の目の前に立っていた。一面の、血。紅い色。
「どうしたんだっ?!ひーちゃんっ!!何か…何かあったのか?!!」
駆け寄って咄嗟にその細い腕を掴んだ。けれどもその瞳には何も、映してはいなかった。空っぽの瞳。俺がその名を呼んでも何の反応を示さない瞳。俺は。俺はその瞳を知っている。遠い昔、遥か彼方に綾乃が俺に見せたあの瞳。狂った綾乃が見せた、瞳。
俺を見つめながら俺を見ていない瞳。この瞳は…これは『綾乃』の瞳だ…。綾乃の、瞳。
「ひーちゃん…これ…」
そして。そしてひーちゃんの全身に散らばるその血は…返り血だった…。
「…翡翠…お兄ちゃん…」
俺を見ない瞳。狂った瞳。現実を遮断し夢だけを見つめる瞳。夢だけを、見ている瞳。
「…綾乃?…」
「お兄ちゃん…綾乃を独りにしないで…独りはイヤ…」
全ての俗世や全ての現実を捨てた、捨てた子供の瞳。何もかもを忘却させて、何もかもを封印して、ただ子供のままの瞳。あの時のお前の、瞳。
「いやなのっいやなのっお兄ちゃんっ!」
子供のようにひーちゃんは何度も何度も俺の胸を叩いた。そして疲れ果てたように泣き出す。本当に本当に、生まれたての赤ん坊のように。大声で、泣くから。
…俺は…そんなひーちゃんそっと…そっと抱き寄せた……。

お前の死に顔を眺めながら、何度も何度も髪を撫でていた事を思い出した。
白髪になっても、シワだらけの顔でも。
何時までも少女のように。永遠の少女のように。
お前は、綺麗だった。

触れられなかった、人。触れることが許されなかった人。愛する事が、好きだと言う事が許されなかった人。けれども今俺は、ひーちゃんに…そして綾乃に…触れている。
「…綾乃…」
そっと髪を撫でた。何度も何度も。俺にはそれしか出来ないから。俺に出来る事は。俺に出来る事はひーちゃんの傍にいてそして。そして、優しい嘘を積み上げる事。
それしか、俺には出来なかった。
このまま何もひーちゃんが思い出さずに、何も思い出さずに。ただ如月の事を好きでいてくれればよかった。辛い過去など何も思い出さずに、如月を好きでいてくれれば。
そして、そして。如月がその想いに答えてくれたなら。それだけでよかった。
俺はそれだけが望みだった。俺に出来る事はそれしかないから。
俺にはひーちゃんに優しい嘘しか上げられないから。俺にはそれ以外ひーちゃんの笑顔を護る術を知らないから。だから。如月との真実の愛を見つけて、そして今度こそその想いを叶えてくれればと。その気持ちが絡み合ってくれればと。
それは矛盾した、結論。優しい嘘と真実の愛。そのどちらも重なり合う事のないもの。矛盾したもの。分かっていた。本当は、分かっていた。
俺は何処かで、気付いていた。如月が本当に求めているのは…ひーちゃんではないと。如月の瞳が何時も捕らえているのはひーちゃんじゃないと、何処かで気付いていた。
だから俺は。俺はその如月の視線を気付かせたくなかった。それがどんなことになっても。
ひーちゃんをずっと笑わせてあげたかった。この手で、お前を。
それがどんなに愚かな行為だと分かっていても、それがどんなに虚無でしかないと分かっていても。俺はひーちゃんが笑ってくれたのなら。
けれども。けれども何処かで不安そうな顔を…お前はするから……
「…綾乃…ごめんな…俺は何も出来なくて」
その不安な顔をどうしたら消せてやれるか、俺はずっと考えていた。けれどもそれは如月にしか出来ない事だから。如月以外に出来ない事だから。だから俺は何時も…
何時もお前の前ではバカな真似ばっかしていた。
「ごめんな…綾乃…何時も俺が傍にいたのに…何にも出来なくて…ごめんな…」
お前に笑って欲しいから、バカな事ばっかりやっていた。お前の笑顔が見たいから、変な冗談ばかり言っていた。俺には。
「…ごめんな…俺がお前…護れなくて……」
俺にはそれしか、出来ないから。

「…ごめんな…ひーちゃん……」

どうして俺はこんなにも無力なんだろう。どうして俺はこんなにもちっぽけなんだろう。
ひーちゃんの為に綾乃の為に何かしてやりたいと何時も思っているのに。思うだけで俺は何時も、何も出来ない。ただ立ち止まっているだけ。ただそこにいるだけ。
俺は何一つ、出来はしない。何も、出来はしない。
あの時も、そして今も。
ただひーちゃんの身体を抱きしめてやる事しか。こうして抱きしめる事しか。
それしか出来ない。それ以外何も出来ない。
俺はただひーちゃんに笑っていてほしいだけなのに。ひーちゃんの笑顔が見たいだけなのに。それだけなのに、どうして。

どうして俺は何も、お前にしてやれない?

好きなだけじゃ、愛しているだけじゃ。
それだけじゃ、ダメなのか?それだけじゃ、足りないのか?
気持ちだけでは何も、出来ないのか?
ならば俺は。俺はお前に何をしてやれる?
お前の為に俺が出来る事は?

…俺は…お前に、何が出来る?……

「…ごめんな…でも俺はひーちゃんが…」
それ以上俺は何も言えなくなって、その唇にそっと口付けた。お前の瞳に光が戻るように。お前の魂がここへと返ってくるように。お前が、微笑えるように…
俺は思いの丈を込めて、その唇に口付けた。心の中で、祈りながら。

「…ごめんな…ひーちゃん…」

抱きしめてくれる腕の優しさ。髪を撫でてくれる不器用な手。
何度も何度も髪を撫でてくれて、そして名前を呼んでくれる。
それを俺は知っている。何処かでそれを、知っている。
…知って、いる?……

…お前が笑ってくれれば。笑ってくれれば、俺は。俺はそれだけでいいから。

何時も、傍にいてくれた。何時も、隣にいてくれた。
俺の傍に、空気のように自然に。そこにいるのが当たり前のように。
本当にそれが日常になっていたから。俺にとっての「当然」の事に。
だから気付かなかった、気付けなかった。

それがどんなに大切なことなのかを。

お前がいたから、俺は笑えた。
お前がいたから俺は、乗り越えられた。
お前がいたからこの重たい運命を受け入れられた。
どうしてそんな当たり前の事が。
当たり前の事が気付かずにいた?

「…きょう…い…ち?……」

『…子供がこんな夜更けに歩いて…危ないわよ』
小さな、子供だった。ただの、子供。けれどもその瞳の光が。強い意思を持つ瞳の光が綺麗だった。眩しくて、目を開けていられない程に。
『危なくねーよ。俺には怖いモノなんて何にもねーもん』
真っ直ぐな、瞳。この世の全てをその強さで弾いてしまいそうなその瞳に、私は強く惹かれた。闇に犯された私ですらも弾いてくれそうなその光に。
『…怖いものがないの?私には怖いものがあるわ』
怖いものが、あるの。私には怖いものが。それは翡翠を失う事。それが、怖かったの。
子供のままの私を失うのが、怖かったの。子供のままの綺麗な心の私を。

『京一、これは、なに?』
わざと区切りながら、子供の表情を作りながら私は言った。貴方に悟られないように。私が正気に戻っている事を悟られないように。貴方を、失わないように。
『これは、桜だ』
貴方は気付かずに、微笑う。眩しい程の笑顔で。眩しすぎる程の笑顔で。私は、私はこの笑顔が好き。貴方の何者にも汚されない強い笑顔が、好き。貴方が、大好き。
『さくら?』
『ああ、桜だよ。綺麗だろう、綾乃』
貴方の心の方が、綺麗。何時でも真っ直ぐで。不器用なその優しさが。そんな貴方が、好き。何よりも、大好きだから。
『うん、綺麗だね。綺麗だね、京一』
私はこのまま年老いてゆくだけ。貴方はこれからのひと。これから益々輝いて、私の手の届かない人になってしまう。私が追い駆ける事すら出来なくなってしまう。
…そんなのは…そんなのは…イヤ……。
私は私は貴方が傍に、そばにいて欲しい。貴方にずっと傍に。
…貴方が、好き、だから…

「…京一……」

私は貴方が好きだから。
貴方だけが、私を呼び戻してくれた。
貴方だけが私を光のある場所へ。
置き去りに去れた深い森の中で。
貴方のその眩しい光だけが私を、救ってくれた。
貴方が、好き。
翡翠よりも今は、貴方が。
私にとって護りたいと思ったのは、貴方だけだった。

この空っぽの瞳を取り戻してくれたのは、お前。
お前の声だけが、俺を『今』へと引き戻した。
お前が俺を、呼ぶ声だけが。

「…ひーちゃん……」

俺の背中を護るのも、俺が背中を護るのも。
お前だけだ。お前だけだから。
俺が安心して、こうやって身を任せられるのは。

「…ひーちゃん…正気に戻ったんだ…よかったー…」

そう言って京一は俺を抱きしめた。
力の限り、きつく。壊れそうになる程強く。
息も出来ない程に。息さえ奪う程に。
その強さが…その強さが俺は…

…俺は…嬉しかった……

貴方と初めて出逢ったのは、あの桜の、森の中。
まだ貴方が小さかった頃。僕の母が死んで、森の中で泣いていた時。
僕が初めて『人間』の姿になった時。
僕らは妖かしの者。動物でも人間でもない中途半端な生き物。人としても生きられず獣としても生きられず、ただ滅び行くだけの一族。ただ死にゆくだけの一族。
一生猫の姿のまま生を全うすれば僕らは人の何十倍も生きる事が出来る。そして人として生きれば僕らは成人を迎える前に死を迎える。人の姿になる事によって僕らの命は削られてゆく。
母は人として生きて、そして幼い僕を残して死んでいった。僕は人として死んでいった母の気持ちが知りたくて、そして『人間』の姿になった。けれども。けれども僕には、分からなかった。人として死んでいった母の気持ちが。でも。
でも貴方に出逢った時、僕は初めて母の気持ちが分かった。僕は、貴方と共にいたかった。
貴方と同じ位置に立ちたかった。貴方の隣にいたかった。貴方と目線を交し合いたかった。
人間の姿になって、貴方に逢いにゆきたかった。けれども貴方には『綾乃さん』がいたから。だから。だから僕は。
貴方に再会した時『人間』にはならなかった。人として貴方の傍にいられないのなら。僕は。僕は猫として貴方の傍にいるとそう決めたから。せめて猫として貴方の傍に。
…決して人にはならないと、そう決めたのに……
でもやっぱり、無理でした。僕が貴方を求めている以上、貴方を好きでいる以上…僕は…。
如月さん、僕はどうすればよかったのでしょう?
貴方の笑顔が見たかっただけなのに、僕は貴方を苦しめてばかりで。貴方の幸せだけを思っているのに、何時しか僕は貴方と共にいられる未来を望んでしまった。
貴方と綾乃さんは…如月さんと龍麻は、運命の恋人同士なのに。過去からそして今に繋がるふたりの紅い糸を誰よりも僕が知っている筈なのに。それなのに僕は…
貴方が僕を求めてくれた事にどうしようもない幸福感を感じた。貴方の腕に抱かれる事に泣きたくなる程の幸せを感じた。どうしようもない程の幸せを。
…龍麻…いや綾乃さん…ごめんなさい…最期まで如月さんは貴方の名前を呼び続けていたのに…最期まで貴方の事だけを思っていたのに…僕は……
…ごめんなさい…それでも僕は…僕は、如月さんが好きなんです……
もう自分ではどうにも出来ない程に、あのひとを。あのひとだけを。
あのひとだけが、好き。あのひとだけを、愛している。
…僕は…如月さん…貴方の為に何が出来ますか?……
貴方の為に出来る事は、ありますか?貴方に僕がしてあげられる事は、何ですか?
どんな事でも、いい。どんな些細な事でも、いい。
…僕が貴方の為に出来る事は、何ですか?

生きて、ほしい。君が笑って。君が…微笑んで…
僕の隣で君が微笑ってくれたなら。僕の傍で君が幸せでいてくれるなら。
君の瞳が微笑んでくれるなら。君の涙を拭えるのなら。
僕はもう何も、望まない。何も、いらない。
君が生きて、笑って。泣いて、怒って。そして幸せなら。
僕はそれだけで、いい。僕はそれだけで。
だから、紅葉。
…紅葉…もう一度。
もう一度、僕の前に現われてくれ。僕にその声を聴かせてくれ。
僕にその瞳を向けてくれ。そして。
そして、今まで僕が犯してきた罪を償わせてくれ。
僕が君を愛していると言う事実だけが。
その事実だけしか僕にはないから。だから。
だから、紅葉。もう一度。

…もう一度…僕の名前を…呼んでくれないか?

閉じ込めた、記憶。閉じ込めた、想い。
貴方に未来を上げたくて。貴方の綺麗な未来を踏みにじりたくなくて。けれども。
…けれども…閉じ込めては…おけなかった…
「…京一…俺、は……」
光。一筋の、光。眩しい太陽。眩しすぎる、太陽。お前の差し出した手だけが、俺を永遠の森から引き上げてくれた。お前だけが。
お前のその腕だけが、この深い森から。永遠にさまよっていたこの森から。
迷い込んだら二度と抜けられないこの森の、おまえは唯一の道しるべ。
「ひーちゃん…よかった…」
お前の、笑顔。眩しい笑顔。眩しすぎる笑顔。それに、それにどんなに俺は惹かれていたのか。どんなに『俺』は、救われていたのか。
…俺はどんなに、どんなにお前が傍にいる事に安心していたのか。
「…よかった……」
如月への想いとは明らかに違う想いで、けれどもそれは何処かで同じ想いだった。激しさも切なさもなく、ただひたすらにひたすらに優しい想い。けれどもその優しさは同じだけ切ない。そう、哀しいくらいに切ない想い。切ない、想い。
…俺は…俺は…京一……
そっとその背中に腕を廻した。その途端胸が締めつけられた。その息苦しさが、その苦しさが。その全てが、俺にとって。
…俺にとっての、かけがえのない真実になる。
俺は何を怯えていたのか?俺は何を失ったのか?俺は何を求めていたのか?
手を伸ばせばそこに、そこに真実はあったのに。
何故そこから目を逸らし、気付かぬ振りをした?
如月を、好きだった。それは嘘ではない。確かに俺は、綾乃は『如月』を求めていた。求めて、いた。けれども。けれども俺は緋勇龍麻は。
…お前のその笑顔を…その優しさを欲しがっていた……。
俺は、何をしていたのだろう?
京一。京一俺は。俺はお前が、大切だ。その笑顔が、その強さが。その輝きが。俺は、俺は何よりも大切だ。お前の全てが、大切だ。
当たり前のようにずっと。ずっと俺のそばに居てくれたお前。俺を導いてくれたお前。俺を救ってくれたお前。俺の背中を護ってくれた、お前。
…今、やっと分かった……
俺は京一、お前が好きなんだ。
子供まま時を止めた、綾乃。時を止めた、俺。全ての未来を閉じ込めて、最期の真実を閉じ込めて俺は。俺は如月を求めた。子供のままの心で如月に恋をした。自分の穢れた部分を見たくなくて、思い出したくなくて。ただ純粋に如月に恋していた自分で。けれども。
けれどもそれは優しい、嘘。都合のいい優しさだけの嘘。俺は自分の犯した罪を忘れて閉じ込めて、自分が一番好きだった子供のままの心で如月に恋をした。その先の残酷で罪深い真実を閉じ込めて。それを閉じ込めて。
それから決して目を逸らしては、いけなかったのに。
綾乃が犯した罪は。俺が犯した前世の罪は、今ここで償わねばならないのに。俺が京一を愛していたと言う事実を、誰よりも俺自身が受け止めねばならなかったのに。
…綾乃が…犯した、罪を……。
「…京一…『綾乃』は…お前が、好きだった…」
「ひーちゃん?」
罪を償わなければ。真実を告げなければ。俺は先には進めない。『綾乃』ではなく『緋勇龍麻』としてこの先を生きてゆく為に。俺が俺自身として生きてゆく為に。
「…本当は…ずっとお前が好きだった…でも『綾乃』は…お前が去ってゆくのではないかと不安になって…不安、だったから…嘘をついた」
罪を認めて、罪を暴いて。そして、自分の醜さと狡さを受けてれて。
「…嘘?…」
お前にただひとつの真実を告げる。俺が犯してきた罪と、罰を。今お前に。
「…ずっと…狂った振りを…していた…お前が傍にいてほしかったから…ずっと…お前の一生を台無しにしてまでも…綾乃は、俺は…お前が傍にいてほしかったんだ……」

「…俺は…お前が傍にいて…ほしかったんだ…」

『京一、京一』
無邪気に微笑う、お前。子供のような無邪気な笑顔。
あの、笑顔は真実だった。俺に向けてくれた、本物の笑顔だった。
『桜を見に行こう、ね』
俺の着物の裾を引っ張って、あの桜の森へと誘うお前。その全てが。
…俺へと向けてくれた…真実、だったんだ……

『…私以外…誰も…護らないで……』
あの一言は。あの時のお前は。
あれは俺に向けた、俺だけに向けてくれた気持ち。
お前の瞳はあの瞬間に、確かに俺を映していたんだ。
「台無しなんて、俺は思っていない」
嘘で固められただけだと、砂上の楽園だと思っていた時間は。本当は嘘でも偽りでもなかった。それこそが、真実だった。それこそが、本物だった。
「俺は…京一は『綾乃』を愛していた。ずっとずっと、永遠に愛していた」
俺がひーちゃんに上げていた優しいだけのその時間は。ふたりで積み上げた『日常』は、決してただの偽りだけの日々ではなかった。優しい嘘は、本当は。
…俺は…俺達は…『真実』を積み上げていた…真実をふたりで……
「そして今も…ひーちゃん…俺は…ひーちゃんが好きだ……」

「俺は緋勇龍麻を、愛している」

長い永い、道のりだった。
ここまで辿りつくのに。この深い森を抜けるのに。
この桜の、森を抜けるのに。
真実はただひとつだけ。ひとつだけしかないのに。
なのに俺達はずっと遠回りしていた。
こんなにも近くにある本物を。こんなにも傍にある真実を。
絡み合い縺れた糸の先に見える真実を、どうして怯えていたのか?
それは綺麗なものでも優しいものでも決してないけれど。
それでも俺達にとっての真実なのに。

バカだね、俺達は。
こんなにも簡単に答えはあったのに。
こんなにも簡単に見つかるのに。

「それが今『蓬莱寺 京一』が持っている真実だ」

ふたりで、抜けよう。桜の、森を。
ふたりでこの永遠の森を抜けてゆこう。
そして。そして、これからは。これからは、もう。
何かもかも目を逸らさずに生きてゆこう。
それがどんなものであろうとも。どんな事が待ち構えていようとも。
『子供』だった俺達から卒業して。
そしてこれからふたり。
…真実を、現実を見つめて生きてゆこう……

ふたりでなら、越えられる。ふたりでなら生きてゆける。
どんな運命が待ち受けていても。
ふたり一緒ならば。

「…京一…俺は……」
俺は償わなければならない。お前に、如月に…そして壬生に……。俺は自分の犯した罪を、全て。今この時代に、生きて真実を見つけたこの時代に。
「…俺は…壬生を傷つけた…この血は…壬生の血だ……」
血まみれになって倒れた、壬生。正気を失っていたからと言い訳など出来はしない。この手がこの力が、壬生を傷つけた。でも、本当は。
「…でも本当は…俺…。俺はあの時…」

「……この手は如月を殺めようと…していたんだ……」

俺の牙は、如月目掛けて飛んでいった。なのに壬生は咄嗟に如月をかばった。自分のことなど自分の命など顧みずに。その身体全てで盾になって。自分の全てで、如月を護った。
「…俺は…『綾乃』は如月を殺して自分も死ぬつもりだった……」
約束を護らなかった如月を許せなかった。自分の傍にいると、自分だけを護ると約束した如月を。自分以外を見つめた、如月を。
「…ひーちゃん……」
でもそんな如月を壬生は庇った。もしも。もしも自分が壬生の立場だったなら、俺は全てを盾にしても如月を護ったのだろうか?この血を、この身体を捨ててまでも如月を。
「…なのに庇ったんだ…壬生は…」
護られるのが当たり前だと、思っていた。自分を護ってくれるのが。如月は何時も自分を護ってくれるって信じていたから、その逆など考えた事もなかった。
「もういいよ、ひーちゃん…もういいよ…」
護られたいと同時に護りたいと思う事。それが対等な関係。俺は、如月との関係をそこまで築き上げる事が出来なかった。与えられるのが、護られるのが当然だと思っていて。
「でも俺は…っ壬生は俺のせいで死んでしまうかもしれないっ!」
壬生は築いていた。如月とそれを。俺が出来なかった事を、如月と。けれども。
「…もう…いいから…ひーちゃん…ひーちゃんは充分苦しんだんだから……」
けれども俺は今、京一と向かい合っている。こうしてお前が俺を護りたいと思ってくれているように、俺がお前を護りたいと思っている。これが。これがひとを愛すると言う事。
「それでもっそれでも、もしも壬生が死んだら?俺のせいで死んでしまったら?」
これが愛というもの。互いを認め合い、そして向かい合う事。一方的じゃなく、互いの想いがひとつになる事。それが愛と言うものだ。これがひとを好きになるという事。
…俺はやっと…その事に…気がついた……
「…それでも……」
これがひとを愛する事だと、気がついた。
「それでも壬生は、如月を庇ったんだ」
俺はやっと、気がついた。

「…え?……」
如月は、自分の前世に気付いてはいなかった。それでもひーちゃんを受け入れた。受け入れながらもその瞳は、壬生を追っていた。無意識にその瞳は。
だからそれが本当のこと、なんだ。それが如月にとっての真実なんだ。
如月は壬生を求めていた。ひーちゃんを受け入れながら。受け入れながらも、違う人を求めていた。それがひーちゃんを苦しめているのにも気付かずに。本当は如月は気付いていた筈だ。自分の行いが自分の気持ちが、間違っていると。
そしてひーちゃんも心の何処かで、それを感づいていた筈だ。それが無意識のうちでも。気付いていたから、こそ。その現実を目の当たりにしたひーちゃんは、壊れた。でも。
「もしもひーちゃんがその事で罪を負うのなら、俺も共に背負うから」
…でもそれは、俺のせいでもあるんだ……
俺が如月の視線に気付いていながらも。如月の想いに気付いていながらも。それを指摘しなかった。見て見ぬ振りをした。ただひーちゃんの笑顔が見たいから。見たいが為だけに。真実を俺は閉じ込めた。如月の想いを、見過ごしていた。見逃していた。
だからこれは、俺のせいなんだ。
真実に目をつぶって、偽りの優しさを作った俺達の。俺達の、罪だ。
「だからひーちゃんは…その事を責めないで…くれ……」
如月と、俺がふたりで。ふたりで偽り続けた。嘘だけを積み上げた。
「…でも…壬生が…壬生が……」
「…それでも…ひーちゃんのせいじゃない…悪いのは、如月と…そして俺だ……」
真実から逃げていた、俺達の罪だ。

…神様、どうか…どうか…壬生の命を救ってください……
その為なら俺は、何でもするから。どんな事でもするから。だから。
だからお願いします、壬生を助けてください。

壬生を、助けてください。

時計の音だけがやけに耳に響く。その音だけがまるで世界の全てだと言うように。
それだけが僕を、支配する。僕を、支配する。
…紅葉…と…その名を呼びかけてそして、止めた。何故か口にしたら壊れてしまうのではないかと、そんな想いに駆られて。言葉にする事が躊躇われた。
僕は一体、何をしていたのだろうか?
龍麻を傷つけて。そして紅葉君を、こんなめに合わせて。全てにおいて目をつぶっていた僕は、一体何をしていたのだろうか?
龍麻の想いを否定すればよかったのか?けれども僕は確かに龍麻を護りたいとそう思った。その気持ちは嘘じゃない。嘘じゃ、なかった。
綾乃を護りたいと言う気持ちも、その想いは確かに僕の中の真実だった。
けれども。けれども、僕は。
…僕は…紅葉…君と共に生きて行きたい……
君の笑顔がみたい。君の声が聴きたい。君の瞳がみたい。…君の…君のその全てが……
僕は君と共に歩みたい。同じ位置に立って、君と。同じ目の高さで、君と。
それは龍麻を『護りたい』と思う気持ちとは、違う。けれどもそれは何よりも僕にはかけがえのないもので。何よりも大切なもので。
僕にとって…何よりも…誰よりも…大切な…想い……
僕は弱い。僕はこんなにも弱い。大切な人を傷つけて、愛する者を護れなくて。ただ何も出来ずに、ここで。ここで君を待つしか。君を待ちつづける事しか。
それしか僕には、出来なくて。それ以外に何も、出来なくて。
「…そう言えば僕は…君にきちんと…気持ちを伝えては…いなかったね…」
もしも君が目を開けたら、真っ先にその言葉を告げたい、君に。

『君だけを、愛している』と。

君に、告げたい。全ての想いのたけを込めて。
自分の想いの全てを込めて。だから。
だから、紅葉。もう一度、僕を見てくれ。
…もう一度その瞳に僕を…映してくれ……

貴方を、護る事が出来たから。
この手で、この身体で、この命で。
だから僕は、幸せ。
このまま死んでもいいなと、思った。

龍麻が狙っていたのは僕ではなくて如月さんだから。
だから僕は何も考えずに貴方の盾になった。
…貴方の盾に…なれた……。
あの時は貴方を護る事が出来なかったけれど。
あの時は貴方の命を護る事が出来なかったけれど。
けれども今僕は、貴方を護る身体がある。
手も足も腕もその全身で貴方を護る事が出来たから。
だから、幸せ。だから、嬉しい。
僕はバカなのでしょうか?バカでもいいです。
貴方が、好きだから。貴方を、愛しているから。
貴方の役に少しでも立ちたい。
貴方の為に出来る事をしてあげたい。
本当に、それだけだから。
だから死んでもいいと、思った。
貴方を護れて死ねるのなら。
それも幸せだと。
…それも幸せだと…想った……

如月さん、僕は少しでも貴方の為になれましたか?
貴方にとって必要な存在になれましたか?
僕は、貴方に少しでも役に立てれば。貴方にとって必要とされれば。
それだけで。それだけで、いいから。

…如月…さん……大好き……

まるで無限のような時間の中。底のない闇が。終わりのない時間が突然終わりを告げた。
「…如月とか言ったな……」
カチャリと扉が開いて、突然時計の音だけの世界が動き始めた。まるで時計が逆回転しているかの、ように。突然、時間が始まった。
「…くれは、は?……」
出来るだけ平常心を保とうとして、そしてそれは出来なかった。出てきた声が微かに掠れていて、そして。そして、声にした言葉はひどくゆっくりとしたものだった。
まるで自分ではない者のような、その声。まるで他人のような、その声。
「…生きているよ…私を誰だと思っている…」
言葉を今交わしているのは、本当に自分なのか?
今声に出しているのは、本当に自分なのか?
「…本当、に?……」
足もとの無限の闇にぽつりとひとつ大地が宿る。それは小さく狭く、今にも崩れ落ちそうなもの。それでも、それでも僕はその上に必死で立った。
「ああ、生きてはいる。ただし…」
そこだけが今、唯一の希望。唯一の光。そこだけが自分にとって。自分にとっての唯一の。
「ただし?」
「…いや、実際に逢ってみるがいい…」
それだけを言い残して岩山先生は僕の前を去っていった。
僕は立ちあがって、紅葉のいる病室へと向かった。駆け出そうと意識は思っているのに、それなのに上手く歩けなかった。上手く、歩けない。
バカみたいに身体が震えて…震えて…。
…僕は…弱い人間だ。弱くてそしてちっぽけな人間だ……。
こんな事でどうしようもなく脆くなってしまう程の。ただの弱い独りの男、だ。

桜が見たいと、思った。
淡い色を咲かせるその花を。
その花を僕は見たいと、思った。
桜の花を、見たい…と。

これが『恋』というものなのですか?

扉が開いてその人物が入室して来た時、僕の心は確かに震えた。
自分が自分でなくなってしまうような、そんな想いに。
そんな激しい想いが僕を支配、した。それが何処から来て何処へ行くものなのか、僕には分からなかったけれども。ただ確かにその想いだけが僕を支配した。
さらさらの柔らかい髪と、長い睫毛。綺麗な漆黒の瞳。その全てに僕は、瞳を奪われた。
…貴方に瞳を…盗まれた……。

「…くれ…は……」

名前を、呼ぶ。その声が聴きたくて。聴きたくて、君の名前を呼んだ。
真っ直ぐに僕を見返すその瞳に。その全てを僕は。僕は、愛しくて。
愛しくて、愛している。君だけを、愛している。

「…紅葉…良かった…生きて…」

君の瞳がゆっくりと僕を捕らえる。君の瞳に僕が映し出される。
それが、それがずっと。ずっと僕が待ちわびていた瞬間。
君の瞳に僕が捕らえられる事が。ふたりの視線が絡み合う事が。
ふたりの視線が同じ位置に立つ事が。それが僕にとっての。

「……」

綺麗なひと。光の中にいるひと。
眩しい、ひと。扉を開けて貴方が入ってきた瞬間。
僕の瞳は全てを貴方に奪われた。
何もかも、貴方に奪われた。

「…紅葉……」

そして。そして手を伸ばす。
君に触れたくて。君の柔らかい髪に。
君の冷たい身体を暖めたくて。
君の孤独な魂を包み込みたくて。
君に触れたくて。
僕はそっと手を伸ばした、その瞬間。

「…貴方は…誰?…」

「え?」
「…紅葉って誰ですか?…僕の…名前?……」
「…くれ…は……」
「…貴方は…誰?……」

『ああ、生きてはいる。ただし…』

「…紅葉…君は…」
不思議そうに僕を見返す瞳。何も知らない戸惑いの色を見せて。
「…ごめんなさい…僕何も思い出せないんです……」
僕を哀しそうに、見つめる瞳。

桜の、森。
深い森の奥。永遠に抜けられない深い森。
桜が咲き乱れる、その森。

貴方の笑顔を見たいと思った。
貴方に笑ってほしいとそう思った。
なのに。なのに僕は。
僕は貴方の名前すら、分からない。
貴方の名前を呼びたいのに。声に出して呼びたいのに。
それなのに、僕は。
僕は貴方の名前を、声にする事が出来ない。

「…ごめんな…さい……」

そしてやっぱり君は、泣いていた。
その哀しげな漆黒の瞳を僕に向けながら。
哀しい程に綺麗なその瞳を、向けながら。
君の瞳からひとつ、涙が零れ落ちた。君は。

…君はあの時のように…泣いた……。

桜を、見に行こう。あの桜の、森へ。
指を絡めて、約束しよう。
そして、誓おう。
あの森へ、ふたりでゆこう。

ふたりだけであの桜の、森へ。

「…記憶…喪失?……」
岩山からそれを聞かされた時、ひーちゃんの身体が誰の目にも分かる程に震えた。
…壬生は、生きていた。ひーちゃんが与えた傷は運良く急所を外して、壬生は一命を取り止めた。けれども、壬生は…。
「ああ、何一つ覚えていない。お前らの顔を見ても分からないだろうな」
「…そ…そんな……」
その場に崩れ落ちそうになったひーちゃんの身体を俺は咄嗟に支えた。その細い肩は今も小刻みに震えている。それが切なくて俺は肩に置いた手の力を込めた。
「思い出したくない事があるのかも、しれないね」
「え?」
呟くように言った岩山の言葉に、ひーちゃんの顔色が見る見るうちに変化する。
「あの子…壬生には思い出したくない事があるのかもしれない。だから…記憶を失ったのかもしれないね」
「…思い出したくない事?…」
思わず俺は岩山に聞き返した。思い出したくない事とは、何だろう?ひーちゃんに傷つけられた事なのか?それとも自分が今まで持っていた哀しい記憶なのか?それとも。
…それとも…ひーちゃんから…如月を…奪った事なのか?……
「まあ、逢ってみるがいい。そしてその現実を見つめるんだ。お前達の目で」
その言葉に俺は頷くとそっとひーちゃんの肩を抱いたまま、ゆっくりとその場を後にした。現実。そうだ俺達は現実を見つめなければならない。それが、俺達が前に進む為の第一歩なのだから。
「…ひーちゃん…」
俺達が、自分自身として生きて行く為の。自分の気持ちに正直に生きて行く為の。
「…俺のせいで…俺のせいで…壬生が…」
目をそらす事なく、耳を塞ぐ事なく。共に見つめてゆく事が。真実を見つめてゆく事が。
「大丈夫だ、ひーちゃん。大丈夫だから」
それが俺達が初めなければならない事。初めの、一歩。
「…でも……」
不安げな瞳で俺を見上げるひーちゃんの額にひとつ、口付けた。それでどうにもなる訳ではないかもしれないけれど。少しでも気休めになればと。そう思ったから。
「ひーちゃんだって、記憶を思い出しただろう?」
口付けて、そして抱きしめた。伝わる体温が、分け合う鼓動が、不安を独りのものにしやしないと。独りのものにさせないと伝える為に。
「…きょう…いち?……」
ふたりで分け合おう。哀しみも喜びも全部。全部、分け合おう。だから。
「俺だって思い出した…だから、大丈夫だ」
「…でも…壬生の無くしたのは『今』の記憶だから…俺達の前世の記憶とは違うっ……」
「それでも…それでも、大丈夫だ。だって壬生には如月が、いるだろう?俺にひーちゃんがいてくれたように…あいつには如月がいる。だから大丈夫だ」
「…京一……」
「大丈夫だよ、ひーちゃん」
何度も何度もその髪を、背中を撫でた。お前が落ちつくまで、何度も何度も。その震えが止まるまで。ずっと、ずっと。
「…壬生は…ね、『もみじ』だったんだ…」
「え?」
ぽつりと呟いた言葉に俺は聞き返した。初めて聞いた名前だった。前世からの記憶を辿っても俺はその名前に辿り着かなかった。
「今思い出した、壬生はもみじだ。如月が…翡翠が前世で飼っていた猫だよ」
「壬生の前世が猫?」
そのひーちゃんの言葉は実に意外だった。俺は壬生が俺の前世の記憶に絡んでいない事が不思議だった。でもそれは俺の知らない所で、絡んではいるのだろうと思っていたが。流石に猫だとは予想も付かなかった。如月の飼い猫、とは。
「うん、何時も『翡翠』が優しそうな顔で話していた。猫を飼っているってね…そうだあの猫が…壬生、だったんだ…ずっと…傍にいたあの猫が…」
飼い猫。人間以外のモノ。壬生の願いは人間になる事だったのだろうか?そして如月の傍にいること?それは本人に聞かなければ分からない事だけれども。それでも。
「…そうか…ずっと壬生は如月の傍にいたんだな…」
ずっと如月の傍にいて。壬生はどう思っていたのだろうか?一番傍にいながらも、決して想いの報われない相手。どんなに望んでも手に入れられない相手。
それでもずっと壬生は、如月の傍にいた。ずっと。ずっと傍にいた。ならば、今度は。
「だったら今度は、如月が壬生の傍にいる番だろう?な、ひーちゃん」

今度はお前が傍にいる番だ、如月。
お前だけが、壬生を救える。
お前だけが壬生の傍にいる事が出来る。
ずっとそばにいてお前を想い続けていてくれた相手だぜ。
今度はお前が想い続ける番だ。
そのくらい、出来るだろう?如月。
運命の相手を、宿命の相手を振り切ってまでも愛した相手ならば。
お前になら、出来るだろう?

巡りめく運命の輪。その運命を立ち切る為にどれだけのものを代償にした?
どれだけのものを犠牲にして、僕らはそれを手に入れた?
「…紅葉…泣かないでくれ……」
僕はこの言葉を何度、何度君に告げただろう。最初は…最初はあの桜の森の、中で。
幼い君と幼い僕が初めて出逢ったあの森。君は母親が死んだと泣いていた。
泣いていた、あれは君だ。僕が最初で最後、人前で泣いたのは。泣いたのは君の前でだったんだ。君だけが、僕の弱さを知っていた。君だけが僕の涙を知っていた。君だけが僕の本当の気持ちを知っていた。君、だけが。
そして次は、次は僕が死にかけたあの時。君が猫として再び僕の前に現われたあの時。
薄れゆく意識の中で、君は僕を助けてくれた。死に行こうとする僕の魂を呼び戻し、生きる力を与えてくれた。
そして…そして君を抱いた夜。最初で最期の夜。幻の中で、君を抱いた夜。
君の身体に僕の全てを刻んだ夜。君を愛していると、そう思った夜。
そして。そして…死にゆくあの瞬間。君は人間の姿になって僕の腕に飛び込んできた。小さな身体で懸命に僕を護ろうとしてくれた。
封印されていた記憶が溢れ出す。全てのピースが綺麗に埋まってゆく。僕は君にこんなにも巡り合っていたのに。それなのに僕は全ての記憶を閉じ込めていた。
こんなにも。こんなにも君は僕に関わっていたのに。こんなにも君は僕の傍にいてくれたのに。こんなにも僕の記憶に君はいたのに。
「…紅葉……」
そして君に想いを告げたら、また泣いた。好きだと伝えたら、君は。もう一度その言葉を口にしたら、また僕は君を泣かせてしまうのだろうか?
「…ごめんなさい…何も思い出せなくて…」
その泣き顔が堪らなくなって、僕はそっと自らの手を君の頬に重ねた。そして涙を指先で拭ってやる。その瞬間ぴくりと身体が震えたが、そのまま僕の指先を君は受け入れてくれた。熱い涙だった。綺麗な涙だった。
「いいよ、思い出したくないのなら思い出さなくても。思い出せないのならそれで構わない。だから、だから泣かないでくれ紅葉」
君を思い出さなかったのは、僕。君を思い出せなかったのは、僕。こんなにも傍にいてくれた君を。こんなにも近くにいてくれた君を。思い出す事が出来なかったのは、僕だから。
「…でも…辛いです……」
君が僕を思い出せないのならば、それで構わない。それが僕に与えられた罰なのならば。僕は幾らでも受けよう。これが、君がずっと持ち続けた痛みなのならば。
「紅葉?」

「…貴方の事を思い出せないのは…辛い……」

…貴方の名前を、呼びたいのに。
僕の口からは貴方の名前が出てこない。
貴方の瞳をまっすぐに見つめたいのに。
僕は貴方の瞳を見返す事が出来ない。
貴方を、見つめていたいのに。

「…翡翠だ…紅葉…僕の名は如月 翡翠……」
君の瞳が曇らないように、僕は笑った。もう君の瞳を泣かせたりはしない。もう二度と。
「…きさらぎ…さ…ん?……」
頬に触れて。そっと触れて、君の視線に僕の視線を合わせる。真っ直ぐに、視線が絡み合う。ふたりの視線が、絡み合う。
「ああ、紅葉」
そのまま君の髪に指を絡めて、そっと胸に抱き寄せた。その瞬間に広がる髪の微かな甘い匂いに、どうしようもない切なさを感じながら。
「…如月…さん…」
「…紅葉……」
君が全てを封じ込めてしまったのならば、それでいい。それで構わない。君にとって辛い記憶ならば無くしてしまっても構わない。何もかも全てを忘れてしまっても。
けれども、紅葉。紅葉、僕は。
僕はどんなになっても君が好きだ。君だけが好きだ。
今までずっと、ずっと僕は君を置き去りにしていた。君はずっと僕の傍にいて、僕だけを見つめていてくれたのに。僕だけを想っていてくれたのに。それなのに僕は全ての真実に目を閉じて耳を塞いで、何もかもを否定していた。だから。だから今度は。
今度は僕が、君を想う番だ。
君の記憶が戻らなくても、君がもう一度僕を見つめてくれなくても。それでも。
それでも僕は君の傍にいて、君を見つめ続ける。そして君を、愛し続ける。
君だけを、愛している。永遠に。
それが何年掛かろうとも何十年掛かろうとも…。僕は君をずっと待たせ続けていた。
だから今度は。今度は僕が君を待つ番だ。
僕が永遠に、君を待ちつづける。

永遠の、恋だ。
僕にとって君は、永遠のひとだ。
君だけが僕の全てを見ていてくれたように。
今度は、僕が。
僕が君の全てを見てゆくから。
僕にとって君は、永遠の。
永遠の、愛するひと。

包み込んでくれる優しい腕。優し過ぎる腕。僕はそっとその腕の中に身体を預けた。
「…貴方の手は…暖かいですね……」
とくんとくんと聴こえる心臓の鼓動に、耳を傾けながら僕は呟いた。暖かい腕、優しい手。その腕に抱きとめられるだけでこんなにも安心出来るのはどうして?
「君に、触れているから」
このひとの広い腕の中にいるだけで、こんなにも切なくなるのはどうして?
「本物の君に、触れているから」
こんなにも苦しくなるのは、どうして?どうして、こんなにも?
「…僕に…触れている、から?……」
見上げてみた、思い切って。貴方の顔を正面から。貴方の視線を真っ直ぐに。真っ直ぐに見つめてみた。絡み合う視線の先に、貴方の優しい瞳。優し過ぎる、瞳。
「幻ではない本物の君に、触れているから」
貴方の瞳に映る自分の姿が、綺麗に見えたのは僕の自惚れだろうか?

「…桜が…見たいな…」
ぽつりと腕の中で君が、呟いた。
「桜?」
聞き返すと君は、僕を見上げて少しだけはにかむように微笑った。
その儚い笑みはとても、とても綺麗で。
「…桜が…見たいです…桜の、森へ行きたい……」
それは無意識のうちの、君の記憶が言わせたのかもしれない。それとももしかしたら本当に別の所から零れた言葉かもしれない。けれども。
「春になったら、行こう」
けれども僕に君の望みを拒否することは出来なかった。君の望みならどんな些細な事でも叶えたい、から。叶えてあげたい、から。
「ふたりで、行こう。桜の、森へ」
ふたりで行こう。あの森へ。僕らが初めて出逢ったあの森へ。時を、越えて。
時空を超えて。全てのはじまりと、そして終わりがあるあの場所へ。

「…桜の、森へ……」

指を、絡めた。
それは僕らがした初めての『約束』
今まで約束すら出来なかった僕らの。
最初の、約束。
これからふたりで。ふたりでいっぱい。
数え切れない程の約束を、しよう。

螺旋を巡り、そして導かれた答え。その先に。その先に全ての真実がある。
「…如月……」
壬生の病室を後にした僕を迎えたのは、顔の色をなくした龍麻だった。真っ青のまま身体小刻みに震わせて、僕を見る。そしてその後ろには、龍麻を支えるように立っている蓬莱寺がいた。僕に目をそらす事なく真っ直ぐに蓬莱寺は僕を見据える。
ああ、そうか。そうかと、思った。
…それが『綾乃』、君の真実だったのかと……
不意に僕は悟った。僕が死んでからの人生、君は独りではなかったんだ。独りぼっちで泣いてはいなかったんだ。独りでは、なかったんだ。
「ごめん…ごめん…俺のせいで壬生は……」
堪え切れず泣き出す龍麻を優しく慰める腕が、全てを物語っていた。
僕らは随分と遠回りをしたみたいだ。互いに、真実は別の場所にあったのに。
「君のせいじゃない、龍麻。自分の気持ちに気付けなかった僕が悪いんだ」
僕らの縛っていた鎖は。僕らが縛られていた鎖は。桜の森に捨ててくるべきだったのかもしれない。あの約束に拘って、それだけが自分達の全てだと思い込んで。自分達の全てだと信じていて。前に進もうとしなかった、僕ら。真実に目を反らした僕ら。
「…でも…壬生の記憶は……」
だから今度は、違うものになろう。過去は縛られる為にあるんじゃない。未来は過去を振り返る為にあるんじゃない。今は過去と未来を繋ぐ為にあるんじゃない。
「記憶なんて無くても構わない」
過去は、過去だ。ただの優しい想い出だ。未来はこれから造ってゆくものだ。そして今は。今は、自分のものだ。自分だけの、ものだ。
「…如月?…」
自分の気持ちだけが、自分の意思だけが『今』を作ってゆくんだ。だから。
「記憶なんてなくても、僕は紅葉を愛している。その事実は変わらないんだ。そして」

「そして紅葉は今、生きている。僕と紅葉はこの時代に生きている。それだけでいいんだ」

生きてさえいれば。生きてさえいれば、たとえどんなことになっても。
「生きているんだ、僕らは。僕らはこの時代に。今分かったよ、龍麻。僕は『如月 翡翠』でそれ以外の何者でもないんだ。そして君は『緋勇 龍麻』だ『綾乃』ではない。僕らはそれ以外のものになれはしないんだ」
過去の宿命や運命や記憶に縛られて、そして。そして前に進めずに、それに拘って。拘っていたからこそ、僕らは真実を見極める事が出来なかった。本当のことを、気付かずにいた。本当の事を気づけずにいた。
「僕は今この時代に生きて、そして『壬生 紅葉』に恋をした。それだけなんだ」
それだけだ。それだけなんだ。どんなに辛い過去があろうとも、どんなに過去の約束があろうとも、僕らは。僕らは今を生きている。今この時代に。それ以上でもそれ以下でもない。ただ、僕らは今の時代に生を受けたんだ。
「それだけなんだ、龍麻」
…紅葉…一緒に桜の、森へゆこう。そして今までの全てを埋めよう。僕らの過去を全て。全てを埋めよう。優しい想い出として。そして、そして今度こそ。
今度こそ真実を積み上げて行こう。ふたりだけの、真実を。
だから何もいらない。記憶も過去も何もかも。
今君がいて、僕がいれば。それだけで、いい。それだけでいいのだから。
他に何一ついらない。ふたりがふたりである事が、それが何よりも大切なのだから。

「さよなら『綾乃』」
さようなら、綾乃。小さな僕の綾乃。大切な、大切な綾乃。
「…如月……」
紅い夕日の下の指を絡めてした約束。そして懸命に僕を追い駆けてくれた小さな君。
「さよなら、綾乃。君にとっての真実は今、君の傍にあるだろう?」
時を止めた僕ら。互いが一番好きだった時間。地位も狡さも醜さも何もなく、ただ。ただ綺麗な心だけで生きていた時。自分が一番自分を好きだと言えた時間。
「…翡翠…お兄ちゃん……」
その優しい時間に甘えていたくて、真実をごまかした僕ら。大人になりたくなくて、綺麗なものだけに囲まれていたくて、全てに目を反らした僕ら。
「僕にとっての真実があるように…君も…」
指の形が変わったのにも気づかずに。背が伸びたのも気づかずに。子供のこころだけで、夢だけで生きられた時間。世界が夢だけだった、時間。
「…うん…お兄ちゃん…さよなら…」

「…さよなら…翡翠お兄ちゃん……」

さよなら、子供だった私。
さよなら、夢の中で生きていた私。
大好きだった、子供の頃の私。
さようなら、綺麗な時間。
…さようなら……

「京一」
その名を呼べばお前は真っ直ぐに俺を見つめてくれる。真っ直ぐな何者にも穢れていない、強い瞳で。太陽の、瞳で。
「これから先、俺と共に生きてくれますか?」
「勿論だ、ひーちゃん」
俺の指しだした手を、お前は握り返してくれた。それが、約束。俺達が今この時代で誓った約束。過去でも未来でもない、今。今ふたりがした誓い。
「俺はずっとひーちゃんの傍にいる。お前が迷惑がってもずーっと一緒にいるからな」
「どんな事になっても?」
「ああ、どんな事になっても。俺はひーちゃんを護るって決めてるんだからな」
これが俺の、俺達の真実。何度も回り道をしてそして、やっと手に入れた真実。
俺達だけの、真実。俺達だけが、積み重ねてゆくもの。
「ずっと、一緒にいよう。京一」
「ああずっと。ずっと一緒だ」
もう何も、何も怖くは無い。ふたりで、生きていけるのなら。
ふたりで、いきてゆけるのなら。

何も、こわくはない。

「お前が全てを背負うと?」
「はい、紅葉の人生は僕が引き取ります」
「まるでプロポーズのようだね。それとも本気でその気なのかい?」
「プロポーズですよ、永遠の」
「…永遠…言うねぇ、色男が。まあ好きにするがいいさ。所詮人は独りでは生きられない。まして記憶を失った者にとってはね…」
「ふたりでならば、生きてゆけます」
「…子供の癖に生意気な事を言う…けれども子供だからこそ…強いのかもしれないね…」

君の笑顔が、みたいから。
君が笑ってくれるなら。君が幸せでいてくれるなら。
僕はその為ならばどんな事でもするから。
君の瞳が微笑ってくれるならば。

「如月さん」
名前を呼ばれて振り返るとそこに。そこに君の、笑顔。何者にも穢されていない無垢な笑顔。何も知らない無邪気な笑顔。透明な、笑顔。
「紅葉、一緒に行こう」
手を差し出した。その手に君は指を絡める。何も迷うことなく君は。君は僕の指に触れた。
「はい、如月さん」
触れてそして、手を繋いだ。繋いだまま、その身体をそっと引き寄せた。
「僕とずっと、ずっと一緒に」
「…はい……」
君は何も聴かない。ただ僕の身体に身を預けて。そして柔らかく、微笑った。

記憶が戻らない事に不安になる事は無くなった。
貴方が傍に、いてくれたから。
何も覚えていない僕に、優しく微笑って。そして抱きしめてくれるから。
だから僕は何時しかその不安を忘れた。
ただ貴方の事を思い出せないのが辛いだけで。それだけが、心残りで。でも。
でもそれ以上に…僕は幸せだった。
如月さんは何時も、傍にいてくれるから。何時も僕を見つめてくれるから。
不安になりかけた時、淋しくなった時、貴方は僕を見つめて抱きしめてくれるから。
だから、怖くない。

…如月さんが傍にいてくれるから…僕は何も…怖くない……

何も、怖くはない。貴方の瞳が僕を捕らえてくれるから。
「…君にもっと…触れても、いいか?……」
そっと如月さんの手が僕の頬を包み込む。その瞳の真剣さに、僕の瞼が微かに震えた。
「…触れて、ください……」
その瞳の光の強さに耐えきれずに僕は、僕は目を閉じた。その瞬間、僕の瞼の上に唇が降りてくる。その感触に僕は、僕はどうしようもない程の胸の高鳴りを感じた。
「…如月…さ…ん……」
唇が瞼から額、頬そして。そして唇にそっと降ってきた。触れるだけの、キス。けれども。それども泣きたくなるくらいに切なくて苦しくなった。
「…紅葉…好きだ…」
そしてゆっくりと降り積もる言葉に。その言葉に僕は、泣きたくなる程の幸せを感じた。
「…如月さん……」
僕が名を呼ぶともう一度。もう一度唇が降りて来た。優しい、キス。優し過ぎる、キス。
「君が、好きだよ」
僕はこくりと、頷いた。その一言が僕の胸に染み込んで、そしてゆっくりと広がった。そこから広がる甘い痛みが、僕の全てになる。僕の全てに、なる。
「好きだよ、紅葉…」

「…君だけを、愛している……」

やっと君に伝える事が、出来た。
君に伝える事が。
何度も何度も言おうとして、言えなかった言葉を今。
…君に…伝える…事が……

「…僕も…貴方が……」

永遠の、恋。永遠の、恋だから。
記憶も過去も未来もいらない。
ただそこに『ふたり』がいれば。
ふたりがそこにいれば。
それだけで、いいのだから。

…桜の、森へ。
ふたりで行こう。ふたりで、行こう。
僕らのこれからの『真実』を創める為に。
過去を埋めて、そして。そして最初から。
最初から全てをやり直す為に。
これからのふたりの、為に。

あの森へ、ゆこう。

ひらひらと舞い散る、その花びらが。その花びらがふたりを埋めて行く。ふたりだけを、埋めてゆく。その花びらの下で、壬生はそっと目を閉じた。
「…紅葉……」
その姿に少しだけ不安になって如月は名前を呼んだ。その儚げな姿がまるで、まるで桜が壬生をさらっていってしまうように思えて。あの時のように一夜の幻に思えて。
「目を閉じると柔らかい香りが降ってくるんです」
降り積もる、花びら。無数の花びら。それがふたりの全てをさらってゆく。過去も未来も全て。全て浚っていって、そして。そして『ふたり』だけになる。
「その香りに埋もれたいと思いました」
ゆっくりと壬生は目を開いてそして。そして、如月を見つめた。漆黒の深い瞳。何処までも深いその瞳。でも今は。今はその瞳に『哀しみ』の色は見えない、から。もうその瞳に哀しみは見えないから。瞳は、微笑んでいるから。
「ならば一緒に、埋もれよう」
後ろから如月は壬生を抱き寄せると、そっとそのまま腕の中へと閉じ込めた。その腕の中で再び壬生は目を閉じた。桜の香りとそして。そして如月の温もりを感じる為に。
「…如月さん…ありがとう」
それが自分の世界の全てになる。自分の世界の、全てに。
「ん?」
「ありがとう、如月さん。僕は貴方がいてくれたから、不安になる事すらなかった」
降り続ける桜の花びら。落ちてゆく、その花びら。桜の、花びら。
「記憶をなくしても、独りでいる不安を、淋しさを感じる事がなかった」
壬生はゆっくりと瞼を開いて。そして如月を見つめる。見つめた先の如月の瞳は、何処までも優しい。この人の瞳は何時でも、優しい。
「貴方が傍に、いてくれたから」
優しい、瞳。その瞳に見つめられて、何よりも幸せだと、壬生は思った。

桜、無数の桜。
花びらはひらひらと降り積もる。
永遠の、花びら。
真実を見つめ続けたその桜の、森。

「…紅葉…謝るのは僕の方だ……」
「え?」
「何も覚えていない君に言っても分からないかもしれない。でも、謝らせてくれ。僕はずっと君の想いを踏みにじってきた。君はずっと僕だけを見ていてくれたのに、僕だけを想っていてくれたのに。それなのに僕は…僕は閉じ込めていた。本当は君を愛していたのに、僕は君への想いを封じ込めていた。それがどんなに君を傷つけていたか気付かずに…」
「………」
「僕の心はずっと、ずっと君だけを求めていたのに」
「…如月さん…それでも貴方は今…僕の傍にいてくれます…それだけで僕は、幸せです」
「…紅葉…君は幸せか?」
「はい、貴方とともにいられて…幸せです」

「…幸せ、です…如月さん……」

君が微笑う。本物の、笑顔で。本当の笑顔で。
それは僕が何よりも見たかったもの。
何よりも、どんなものよりも。
…僕が、見たかった…君の笑顔……

君の、幸福な、笑顔。

「全てをこの森に埋めてしまおう」
「え?」
「僕が持っている過去の記憶と、僕が持っているこの宿命と飛水流の血を。そして」

「そしてもう一度、初めから」

初めから『如月 翡翠』として『壬生 紅葉』を。
愛してゆくと。ずっとずっと、愛し続けると。
この桜の森の下で、この桜の森に誓おう。
…ずっと君とともに生きて行くと……

君だけを見つめて。
君だけを想って。
…君だけを、愛して。

この桜の、森に誓う。

「ふたりで、初めよう」

僕は貴方の言葉にひとつ、頷いた。それ以上言葉はもう必要無いのだから。
言葉にしなくても、伝わるから。声にしなくも、伝わるから。
貴方は僕のこころを決して見逃しはしないのだから。

ひとを好きになる事は、とても単純なこと。
その人の傍にいたくて、その人の役に立ちたいとそう思う事。
ただ貴方を見つめていたいと、思う事。
そんな簡単なことをどうして僕らは遠回りしてしまうのだろう。
そんな単純なことをどうして僕らは難しく考えてしまうのだろう。
こんなにもそれは簡単に、傍にあるのに。
こんなにも近くに、それは存在するのに。

…手を触れればそこに…貴方がいるのに……。

指を絡めて、そしてひとつだけ約束をした。
僕らにはもうそれ以上のものを必要としないから。
必要と、しないから。

『…ずっと…一緒にいよう……』

降り続ける花びらだけが。桜の、森だけが。
その約束を、知っている。
僕らの誓いを、知っている。

僕らの過去を、今を。そして未来を見続ける。
この夢幻の森だけが。この、むせかえる程の桜の。

…桜の、森だけが……。





End

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