貴方の声が、聴こえる。
言葉にすると、空気に溶けてしまうような。
そんな想いを。そんな想いを貴方に伝えるには。
どうしたら、いいのでしょうか?
こころのない私には、それは不可能なのでしょうか?
声に、出して呼べるもの。確信して呼べるもの。それは貴方の名前。
「―――村雨」
こうやって言葉を声にする事は簡単。口に出す事はとても簡単な事。けれども。
「どうした?芙蓉」
…けれども…想いを込めるのは…難しい……。
「何でもない。ただ呼んでみただけです」
名前を、呼ぶ事。想いを込めて呼ぶ事。それが私には出来るのか?こころのない私でも、それが出来るのだろうか?
「ふ、おめーに呼ばれるのは…悪くねーな…もっと呼んでくれよ」
「村雨」
もう一度その名を呼んだ。先ほどと同じように声に出して。言葉を口に乗せて。でも。でもやはりその言葉に想いはこもるのだろうか?
「…村雨……」
どうしたら。どうしたら、この胸の中に芽生えた想いを伝える事が出来るのだろうか?こころのない筈の私に芽生えたこの想いを。
―――どうしたら、伝える事が出来るのですか?……
「芙蓉」
貴方の手がそっと。そっと私の髪に絡まる。そしてゆっくりと撫でてくれた。見掛けよりもずっと繊細なその指先が。
「…芙蓉……」
もう一度私の名を呼んで。そして。そして、そっと抱きしめられた。
言葉はただの手段でしかない。
想いを伝える手段でしか。
けれども。けれどもその言葉に想いを乗せれば。
どんなちっぽけな言葉でも。
ただこうして名前を呼ぶだけでも。
それでも、伝わるから。
それだけでも、伝わるから。
こうして俺がお前への想いを込めて呼んだ名前と。
お前が俺に対して呼んでくれた名前と。
そのどちらもが同じ想いを乗せているのならば。
それ以上何も言わなくても。
―――何も言わなくても、伝わるから。
「―――むら、さめ……」
もう一度貴方の名前を呼ぶ。ゆっくりと貴方の背中に手を廻しながら。その広い背中に手を廻しながら。
大きな背中。広くて優しい背中。伝わる、言葉にしなくても。聴こえる、貴方の声が。
その広い背中が無言で伝えてくれる―――お前を護る、と。
「…芙蓉……」
髪の先にそっと口付けられて、瞼が震えるのを止められなかった。私はこんなにも貴方を感じている。貴方の想いを感じている。空っぽのこころで。ない筈のこころで。
私のこころがないならば、それでも構わない。それでも、構わない。ないものを貴方が。貴方が埋めてくれるから。私の全てを埋めてくれるから。
「もっと名前呼べよ。お前の気持ち伝わるから」
「…伝わる?……」
「伝わっているぜ、お前の想いが。十分過ぎるくらい…伝わっているぜ……」
言葉。たくさんの言葉。無限にある言葉。でもどんなに立派な言葉を選ぼうとも。どんなに綺麗な言葉を選ぼうとも所詮言葉は記号でしかない。
そこに想いが込められなければ。そこに気持ちが込められなければ。
私の言葉には…貴方の名前を呼ぶ私の言葉には…この想いは込められているのですか?
―――私の言葉と想いは貴方に伝わっているのですか?
「村雨」
「もっと呼んでくれ」
「…村雨……」
「もっと、もっと、呼んでくれ」
「……むらさめ………」
「愛してるぜ、芙蓉」
そう言って、貴方は微笑って。笑って、そして私の唇をそっと塞いだ。
どんな言葉で着飾ろうとも。
百の言葉を並べても。
たったひとつの真実には叶わない。
ただひとつの真実には。
言葉なんて所詮追い付けないんだ。
―――お前の声が、聴こえる。
優しい、女。ただひとりの、女。誰が何と言おうと、お前は俺のただ一人の女だ。
「…村雨……」
命がなかろうが、人間でなかろうが。そんなものは俺にとって些細な事でしかない。俺にとってはどうでもいい事なんだ。
だってお前は『ここ』にいる。俺の目の前にいる。手を伸ばせば触れられる。瞳を合わせれば俺の名を呼んでくれる。それだけで充分じゃないか?
「愛してるって、言ってくれねーか?」
他に何を望むって言うんだ?何もいらないだろう?お前がこうして俺の前に存在して、俺と同じ時間を共有している。それが。それが何よりも幸せだと言う事を、俺自身が一番分かっているのだから。
「…あ、…その……」
ほんのり目尻を紅く染めながら俯いたお前。それで充分だ。俺にとっては充分過ぎる程充分なんだ。人形だって、式神だって構わない。それでもお前は俺の名前を想いを込めて呼んでくれる。そして俺の言葉に目尻を紅くしてくれる。それ以上、望むものは何もないだろう?
「嘘だよ、言わなくていーよ。伝わっているから…充分お前の気持ちは…それに…」
「―――村雨?」
「…それに言葉にしたら…勿体ねー…」
「お前の気持ちが空気に溶けまう」
大切な、気持ちだから。
何よりも、何よりも大切な。
大切なお前の気持ちだから。
だからこの腕に閉じ込めて。
閉じ込めて誰にも聴かせない。
誰にも見せない。
俺だけの。俺だけの、ものだから。
―――俺だけが知っている、お前の気持ちだから。
「…貴方の声が…聴こえる……」
「芙蓉?」
「聴こえる。誰にも聴こえなくても、私にだけは」
「俺も、だ。俺も聴こえる」
「―――お前のこころの声、が」
言葉にしなくても、伝わる気持ち。
声にしなくても、伝わる想い。
それは。それはふたりだけが。
ふたりだけが知っている。
他の誰も知らない、ふたりだけの想い。
―――ふたりだけの、ものだから。
End