天使
・・私が、貴方の為に、出来ること。
私が護りたかったものは、そのたったひとつの小さな命。
・・それだけを、護りたかったの・・。
「うぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
崩れ落ちてゆく、廃屋。それは紅い炎に包まれて。もう、輪郭すら見えない。
「落ちつけっ!龍麻っ!」
「ひーちゃんっ!!」
仲間達が自分を呼ぶ声が遠くに聞こえる。とても遠くに、聞こえる。・・ここは、何処だ?・・・
「・・比良坂・・・比良坂・・・・」
彼女の名前を、呼ぶ。何度も、何度も。でも君は答えてはくれない。淋しげな瞳で儚げに笑う君はもう、どこにもいない。
・・・何処にも、いない?・・・
「・・・約束したよな・・俺達・・また一緒に・・・」
どうして、いない?さっきまで俺の目の前で笑っていたのに。俺の目の前で喋って、そして泣いていたのに。・・泣いていた・・そうだ・・俺は君の涙すら拭う事が、出来なかった・・。
「・・・俺は・・比良坂・・・」
君を、抱きしめたかった。淋しそうに笑う瞳に本当の笑顔を作ってやりたかった。君の孤独が俺には見えたから。その孤独をこの腕で、包み込んでやりたかった。なのに・・。
「・・君が・・・」
何も出来ない。何もしてやれない。君のために俺は、何も出来なかった。
・・・君一人を、遠くへ逝かせてしまった・・・。
「・・好き・・なんだ・・・」
神様もしも貴方が、本当に存在するとしたら。
・・・今ここで俺の心臓を、貫いてくれないか?
貴方のその運命は、私なんかの腕では抱えきれない程大きい。
貴方のその未来は、私なんかの瞳には眩しすぎる程に綺麗。
・・・それでも。
それでも傍にいて、見ていたかった。
貴方が光の中で真っ直ぐに生きてゆく人だとしても。貴方が前だけを見て、未来を突き進んでゆく人だとしても。それでも。
貴方をずっと、見つめていたかった。
私の運命は穢れている。私の両手は血に塗れている。でも。
でも貴方の傍にいられたその瞬間だけは。
私はなんにも持っていない、ただの一人の恋する少女だったの。
・・ただの恋する、ひとりの女、だったの・・・。
笑う、彼女。栗色の柔らかい髪をかきあげて。
無邪気な子供みたいな笑顔で。
一瞬だけ。本当に一瞬だけ。
彼女は微笑った。ただの一人の無邪気な女の子の顔で。
その瞬間だけ。
彼女の瞳から、哀しみが消えた。
その瞬間が永遠に続けばと・・俺は心の中で祈っていた。
微笑む、貴方。少しだけ照れくさそうにして。
優しい包み込むような笑顔で。
ずっと。ずっと、見つめててくれた。
生まれて初めて知った。そんなに優しい瞳があることを。
その瞬間だけ。
私の中の全てが消えた。
これが夢ならば醒めないでほしいと・・私は心の中で祈っていた。
意識が遠のいてゆく。このまま全てが消え去って、自分の存在すらなくしてしまえたらと。そう、思った。
そうして何もかもなくなってしまって、何もかも消えてしまったら。魂だけの存在になって、君に逢いたい。
何も残っていない本当の剥き出しのこころを、君に見せたい。
俺の本物のこころを、君だけに見せたい。
・・・俺は、君に・・逢いたい・・・。
・・・君の背中に、白い翼が見える。
「・・龍麻さん・・・」
思いきって、名前で呼んでみた。生きている時は呼べなかったのに・・こんなになって初めて貴方を名前で呼べるなんて・・。
『・・比良坂?・・』
驚いた顔で私を見上げてくる、貴方。その顔が泣きたくなる程、好き。大好き。
「・・龍麻さん・・逢いたかった・・」
目が醒めたらきっと貴方は夢だと思うでしょう。それでいいの。貴方の綺麗な未来には、私なんて必要ないから。でも。
『俺も、君に逢いたかった』
でも。でもほんの少しでいいら。私のことを憶えていて。心の片隅でいいから、私の事を閉じ込めておいて。
『君には沢山、伝えたい事がある』
伸ばしてきた手に、触れる事は出来ない。もう私の身体はここにはないの。あの炎の中に消えてしまったから。でも。
『・・でも今は、ひとつだけ・・・』
でも伝わってくる、貴方のぬくもり。貴方の優しさ。身体なんかなくったって、心は伝わる。こころは、伝わる。
『君が、好きだよ』
・・想いは、伝わる・・・。
彼女の背中には白い翼が見えた。
そうか、君は天使になったんだね。
神様は気付いたんだ。君の本当の心がどんなに綺麗か。
君の本当の気持ちがどんなに優しいか。
・・神様は、君に気が付いたんだね。
『・・龍麻さん・・私も貴方が好きです・・・』
その瞳にはもう、淋しさのかけらもない。本当に生まれたての子供みたいな、透明な笑顔をしている。俺が見たかった、彼女の笑顔。
『・・ずっと、ずっと好きです・・』
「俺もだ。ずっと君だけを想っている」
その言葉に、彼女は本当に嬉しそうに微笑って。そして、首を横に振った。
『・・いいんです、龍麻さん。私の事は忘れてください・・いいえ・・心の奥底に閉じ込めて・・ください・・』
彼女の瞳から、透明な雫がひとつ、零れ落ちる。それを拭おうと手を差し伸べたが・・その手は、彼女の肌をすり抜ける。
『貴方は前だけを見つめていてください。貴方の未来は光輝くものだから・・。だから過去に縛られないで・・』
綺麗な彼女の、笑顔。泣きながら、微笑う、彼女。
「・・それでも俺が君を、好きだと・・言ったら・・」
『・・・その想いは何時か・・時が想い出へと・・変えてくれます・・』
「変わらない、想いもある。少なくとも・・俺は・・・」
『・・龍麻さん・・前だけを、見つめて・・・』
ぽろぽろと頬を伝う、涙。やっぱり俺はそれを拭う事が出来ない。
どうやっても、涙を拭ってやれない。
『・・変わらない想いは、私が貴方の分までここで持っていきます。だから、お願い・・・』
・・それが俺と君との、違い・・なのか?
『・・私は貴方の傍にいます・・例え姿が見えなくても、声が聞こえなくても・・ずっと、ずっと、貴方だけを見つめています・・だから・・もう・・・』
触れることのない、口付け。
ぬくもりを分け合えない、繋がった指先。
『・・私に・・縛られないで・・・』
・・それでも、魂の奥底は、触れ合っている・・。
『・・ずっと傍にいるから・・・』
・・それが・・私が、貴方の為に、たったひとつだけ出来ること。
・・龍麻さん。
貴方がもし私の事を忘れてしまっても。
貴方に他に愛するひとが出来たとしても。
私は貴方だけを見つめています。
貴方が、死ぬその瞬間まで。
・・私は貴方と、ともにいる・・・。
その時が来たら・・今度こそ・・・私達、触れ合えるかな?
目が醒めたと同時に自分の視界に入ってきたのは、仲間たちのほっとした表情だった。
「良かったぁ〜ひーちゃん目が醒めた・・」
小蒔の泣きそうな顔をぼんやりと見つめながら、ふと、気が付く。
「あれ、ひーちゃん泣いてる・・怖い夢でも見たの?」
小蒔の言葉通り・・俺の頬からは一筋の涙が零れていた。
「いい年して、怖い夢なんて・・ひーちゃんも子供だなっ」
「京一っ君とひーちゃんを一緒にするなっ!」
「まあまあ、京一も桜井も・・とにかく龍麻は目を醒ましたばかりだ・・あまりうるさくするな」
「・・違う・・怖い夢じゃない・・・」
「ひーちゃん?」
「・・龍麻?・・・」
「・・俺は・・天使の夢を・・見ていたんだ・・・」
・・・哀しい程綺麗な、天使の夢を・・・・。
End