歌
私の声が、貴方へと届くようにと。
開くことのない瞼から、それでも感じる光がありました。暖かい光が、ありました。
闇の中で、漆黒の世界の中で、それだけが。それだけが、私を導くものでした。
歌っていられれば、しあわせ。
どんな辛いことがあっても。どんな苦しいことがあっても。
この声が続く限り。この声が、紡げる限り。
私は歌う。私は歌い続ける。ただひとつの光を、探すために。
―――私の歌が、何時か貴方へと届くようにと。
何時も手首が擦り切れて痛かった。私の手に掛けられた鎖が何時も肌に擦れて、うっすらと血が滲み出してきてとても痛かった。けれども。
「ほら、行きな。客が待っているぜ」
けれども今私にはこの場所しかないから。ここにいることしか出来ないから。目が見えないちっぽけな少女である私が、この世界で生きるためには。
「はい」
見世物になって色々な土地を旅して、そして。そして何時しか貴方に逢える日だけを夢見て。ただひとつ私を照らす貴方に出逢う日だけを、思って。
そう思えばこんな事も、こんな日々も、何でもなかったから。貴方に逢う為ならば私はどんな事でも出来るから。ただひとりの、貴方に。
「ほら、忘れるなこれを付けろ。お前は『人魚』なんだからな」
服を全て脱がされて、脚に何かを嵌められる。それが魚の形をしたものだと聴かされて、初めて自分がどんな格好をしているのか気付いた。
――――人魚…それが今私に与えられた格好、そして身分。
目が見えないから平気だった。どんな格好をさせられても気にならなかった。こんな所だけ視界がないと言う事をありがたいと思った。多分目が見えて自分がどんな姿になっているか知ってしまったら、きっとひどく惨めな気持ちになるだろうから。
「あ、胸は見えねーように髪で隠せよ。それは別料金だからな、へへ」
人魚という設定のお陰で身体を売られることはなかったけれど、それでもやっぱり男の人達の欲望の対象にはされた。そう、人間ではない女の身体に興味のある…男たちの。
それでも、私は。私は歌えるから。歌うことが、出来るから。貴方のために、歌えるから。
怖いと思ったことは一度もなかった。
何も見えず、誰も頼れず。そして放り出された私。
それでも怖いとか、哀しいとかいう思いは。
そんな思いは何処にも、なかった。
見えるから。光が、見えるから。目には見えなくても、私には見えるから。
私を導くただひとつの光。
それは、今はまだ細く頼りないけれど。
でも何時しか、その光は。
その光はこの地上を包み込むでしょう。
優しい暖かい、貴方の光が。
私はそれをそばにいて感じたい。私はそんな貴方のそばにいたい。
何時も感じていました。貴方を感じていました。
何処にいても、どんな場所にいても貴方だけを。
貴方だけを、ずっと。ずっと、感じていました。
優しい光。暖かい光。全てを包み込む、光。
それは目に見えなくても、瞳に映らなくても。
――――私には見える。私には、感じられる。
「ほら、行け。そろそろ時間だ」
何時か貴方に逢える日だけを夢見て。
「客がお前を待っているぜ」
貴方の光に触れられる日を。そっと触れられる日を。
「今日もたっぷりと稼げよ」
この指先が貴方に、触れられる日を。
その日まで私は歌い続ける。貴方にこの声が届くようにと、歌い続ける。
「ここだよ、たんたん。例の見世物小屋って」
風祭は楽しそうに龍斗の袖を引っ張ると、人だかりが出来ているひとつの小屋を案内した。いかにも胡散臭そうな小屋の前には『人魚』と書かれた看板が掲げられている。
「ってここから覗けるぜ」
風祭はしばらくその廻りをうろうろとしていたが、人気のない死角を発見すると素早くそこに廻りこみ、中を覗こうとよじ登った。
「やめろ、風祭。誰かに見つかったら」
龍斗の制止の言葉にも好奇心旺盛な風祭には通用しなかった。ひょいっと首を伸ばし、中を覗きこむ。そんな風祭に半ば呆れ、しょうがないと龍斗は彼の様子を伺うことにした。
「大丈夫だって、ほら」
そう言うと嬉しそうに風祭は中を覗き込む。その途端、驚きと興奮の入り混じったような歓声が、風祭の口から零れた。
「わ、わ、わっ本物だっ!本物の人魚がいるーーっ!!」
その言葉には嘘はなかった。けれども流石に龍斗には風祭ほど、純粋な心は持ち合わせていなかったので全てを鵜呑みにする事は出来なかったが。それでも何かしら惹かれるものはあった。
人魚という事ではなく、もっと。もっと何か別のものが、自分の心に引っかかって。そして。そして、それが自然と龍斗の心をそこへと引き寄せる。けれども。
―――それは何なのかは、今の自分には分からなかった……
この声が、届きますか?この歌が、届きますか?
何時か貴方の元へと。何時しか貴方の元へと。
ただひとつの想いを運び、そして。そしてただひとつの。
ただひとつのこころを、貴方に伝えたいから。
――――この声が、歌が、届くでしょうか?
何かに導かれるようにその姿を龍斗が覗こうとした前に風祭が手を滑らせて。
そして。そして覗き見している事に気付かれた二人は咄嗟にその場から逃げる。
その歌が、声が、聴こえてくる前に。
――――その想いを乗せた歌が、風に運ばれる前に………
End