指先



伸ばした指の先が、世界の全てになる。

ただひとつ差し出された手が。たったひとつ俺に差し出された指先が。
それが光へと通じるただひとつの道だった。



―――声が、聴こえたから……



「お前の手、暖かいな」
子供みたいな顔で…実際子供だったけれど、その生き物はひどく無邪気な顔でそう言った。本当に何もなく、ただ純粋に俺に向かって微笑って。
「―――冷たいな、お前の手は」
その笑顔が、真っ直ぐに向けられる視線が。そして俺を見つめる大きな瞳が、ひどく俺を後悔させた。こんな風に見つめる瞳を、こんな風に真っ直ぐに向けられる視線を、俺は知らなかったから。
「…冷たい、かな?俺…他の人間…知らないから」
「ずっと独りでいたのか?」
「うん、独りだった」
揺るぎ無い視線が、剥き出しの視線が俺を見上げる。そこには駆け引きも計算も何もなくて。何もないからこそ、俺は苦手だった。そんな目をする奴を俺は今まで知らなかったから。今まで誰も俺にこんな視線を向けはしなかったから。
「でも今は独りじゃない。お前が、いるから」
そう言ってまた微笑う、その顔は。まるで眩しい太陽みたいで。太陽の光のないこの場所で、どうしてそんな笑顔が出来るのだろうと思った。太陽なんて、知らないはずなのにと。


声が、聴こえた。うるさいぼとの声が。
それはただひとつの。ただひとつの祈り、だった。

―――生きたい、と……

声にならない声で、叫んでいた。
言葉にならない想いで、叫んでいた。


「お前の手、暖かい」
「人の体温なんて知らないんだろう?」
「でも、暖かい。こうやって」

「指、繋がっているだけで」


強い光だと想った。眩しいほどの光だと。
強くてそして。そして曇りのない光。ただひとつの光。
どうしてこんな光を持っているのだろうか?


この何もない場所で。光もろくに届かない、緑の優しさも届かない、淡い海の色も、優しい暖かさも届かないこの場所で、どうしてこんなにも。こんなにも強い光を、強い瞳を見せるのだろうか?


「―――行くか?……」
何処へとも言わずに、ただ手を繋いだまま。指先が触れ合ったまま。
「うん、行く」
そのままこちら側へと引き寄せて。現実のこちら側へと。
「お前と、行く」
何処へ行くのか。何処へたどり着くのか、自分で云いながらも。
「連れてってくれ」
本当は自分でも分かっていなかったのかもしれない。


この指先が触れ合って、そして。
そして繋がった手が連れて行く場所を。
ふたりが辿り着くであろう場所を。


―――何処へ辿り着こうと…しているのだろうか?……


それでも俺はこの手を取って、そして『こちら側』へと引き寄せた。ただ時間だけが流れてゆくだけの、その場所から。まるで止まった時計だけが存在するようなその場所から。俺はお前を、引き寄せた。




ただひとつの手だけが。ただひとつの指先だけが。
この世界から救い出してくれた。何もないこの世界から。
ただ虚無だけが。ただ時間だけが流れるこの場所から。
ただひとつの、手が俺を連れていってくれた。


だから、付いてゆく。その先に何があっても。
だから、ずっと。ずっと、付いてゆく。
その手だけが俺を救い、そしてその手だけが俺を導くから。


―――この暖かい、指先だけが……



「…なあ、名前、何て言う?」
「聴く前に普通は名乗るものだぞ」
「そ、そうなのか?俺人と話した記憶があんまないから」
「の割に言葉を知っているな」
「だってずっと。ずっとあこそにいたから。数えられないくらい、ずっと」
「―――そうか……」
「あ、そうだ名前。名前、俺ちゃんとお前の名前呼びたいから…その俺は悟空だ…」
「…悟空…そうか俺は……」


「…俺は三蔵だ……」


あ、微笑った。初めて、微笑った。
その顔は凄く綺麗で、俺はびっくりした。
こんな綺麗なモノを他に知らなかったから。
だから凄く、びっくりして。そして。

―――そして凄く、嬉しかった。


「何笑っている?」
「だって三蔵、笑ってくれたから」
「……」
「俺、嬉しい」


「凄く、凄く、嬉しい」




そう言ってお前はまたひどく無邪気に笑った。
子供の笑顔は真っ直ぐで、そして無垢だから。だから俺は。
俺は苦手だったけれど。でも今は何故か。
何故かこんな笑顔も、悪くないなと思った。


「行くぞ、悟空」
「うんっ!あ、待ってよっ!」
「早く来い」


「追いつかないと…置いてゆくからな……」



伸ばした指先が、触れ合った指先が。
そこにあるものがただひとつの。
ただひとつの答え、だから。だから。



―――導かれる指先に、着いてゆく事が世界の全てになる……。


    END

 

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