贖罪

―――胸の奥に閉じ込めた欲望を、爪の先が暴いてゆく。


罪が俺を殺すならば、またその罪が俺を生かしてゆく。
深く暗い海の底に眠るこの欲望だけが、俺を生かし、そして。
そして俺のこころを、静かに殺してゆく。

ゆっくりと、死んでゆくのは、ただひとつの綺麗な夢。



「…紅……」
声が掠れているのが自分でも分かった。情けないほどの掠れた声が、俺の口から零れてゆく。零れて、ゆく。
「くすくす、君は本当はこうしたかったんだろう?」
俺の声に覆い被さるその声はひどく穏やかで、穏やか過ぎてこの場に似つかわしくなくて。不協和音だけが、この部屋を埋めてゆく。
「こうやって、愛しの王子様を抱きしめて…そして全てを貪りたかったんだろう?」
「―――ニイ……」
「ほら、今ならそれは出来るよ。王子様の身体を抱きしめて、その服を引き裂いて、そして思うまま身体を貪ればいい…君の、望みだろう?」
くすくすと、くすくすと。繰り返される笑い声はただ頭上から降り続け、この真っ白な部屋を埋めてゆく。何もない部屋。音も色も何もない部屋。そこに、俺と。俺とお前だけが『在る』、部屋。
「…ほら君の欲しかったものが、その手にあるんだよ…」

――――ふたりだけが、ただ。ただ存在する空間。


胸に宿るどす黒い欲望は、何時も俺の心を苛んでいた。
ゆっくりと染み込み、そしてじわりと広がる甘美なまでの罪。
それが俺に宿り続ける限り、俺は何処へもゆく事が出来ない。

前に進むことも、後へと戻ることも。

何処へも行けない。何処へも辿り着けない。
この胸に消せない欲望がある限り、俺は何処へも。
何処へも辿り着けない。


『独角、お前は』
ずっと、ほしかった。
『ずっと俺のそばにいてくれるよな』
ずっとずっと、お前だけを。
『これから先俺がどんな道を選んでも』
お前だけが欲しくて、お前だけを手に入れたくて。
『一緒に来て、くれるよな』


その褐色の肌に口付けて。そのしなやかな身体を引き裂いて。
思いの全て全てを、欲望の全てを、その中に注ぎ込みたくて。


「…独角……」
腕の中のお前がそっと目を開け、俺の頬に手を重ねる。その声は甘く、何処か卑猥に聴こえた。
「…紅……」
正気ではない目。分かっている、お前の意思は今ココにはない。ニイに操られ、そして。そしてお前以外の意思が俺を誘惑している。それでも。それでも…。
「…俺を抱いてもいいよ、ずっとそうしたかったんだろう?」
それでも俺の目の前にいるのはお前で。そして俺の名を呼ぶのもお前の声で。ここにいるのは、確かにお前自身で。
「いいよ、こいよ。俺の中をお前でいっぱいにしてくれ」
頬をすべる見かけよりもずっと細い指先。冷たい指先、ぬくもりの感じられない指先。それでも。それでも今ココにいるのは、お前で。ここに在るのは、お前だから。
「―――紅っ!」
お前の細い身体を抱きしめ、そのまま床に組み敷いた。その瞬間俺は。俺はもう戻れないんだと、心で叫んでいた。


護りたかった、お前を。
ただ独り全てを掛けて、俺が。
俺が護りたかった、ただひとつのもの。
たったひとつそこだけが。
そこだけが穢れなかったもの。
俺の中でその想いだけが、唯一の。
唯一の綺麗なものだった。
でも今それがゆっくりと。ゆっくりと壊れてゆく。

―――俺がこの手で、穢してゆく。



「くすくす、正直なのはイイ事だよ。念願の王子様を抱けるんだ、たっぷりと楽しむんだね」



何もかもが、吹っ飛んだ。ニイの声が遠くで聴こえる。
この部屋を何処からお前は見下ろしているのだろうか?
何処から俺達をあざ笑っているのだろうか?
でももう。もうそんな事はどうでもよくて。
どうでも、いい。もう全てがどうでもいい。
この腕にお前を。お前を抱けるのならば、俺はもう……。


――――堕ちてゆく、暴かれてゆく、そして。そして崩れてゆく。


「…あっ……」
乱暴に衣服を引き裂いて、その褐色の肌に口付けた。薄い鎖骨にきつく口付け、胸の果実を指で弄る。触れただけで腕の中の身体はぴくんっと跳ねた。
「…紅…紅……」
「…あぁっん……」
鼻に掛かる甘い声が、部屋中を埋める。音のない部屋がそれだけに支配される。甘い声と、濡れた音だけで。
「…あぁ…独角…もっとぉ……」
胸を突き出して、お前は愛撫をねだる。明らかに快楽に鳴らされた身体。男を銜える事を仕込まれた身体。それは明らかにあいつのせい。あいつがお前を、穢した。お前を。
「…もっとぉ…ああん……」
突き出した胸を乱暴に指で摘んでやれば、喉を仰け反らせて喘いだ。ぎゅっと抓るようにして、爪を立てる。紅く熟れた果実がそのたびにぷくりと立ち上がった。
「…あぁ…イイ…イイ…よぉ……」
腕が、俺の髪に触れる。そしてそのままくしゃりと掴んだ。お前の指、お前の手、お前の匂い。俺が何よりも知っていて、そして俺が何よりも知らないもの。俺が何よりも求めていて、そして俺が何よりも拒絶していたもの。それが今。今俺の前に全てを曝け出されている。
「・…紅…俺は…ずっと……」
欲しかった、欲しくなかった。一度手に入れてしまえば、もう。もう俺は全てを抑え切れなくなる。胸に巣食らう闇が、俺の全身を支配して。支配して、そして。そしてもう二度と俺は。

―――俺はお前を『護れ』なくなるから……

それが本来の目的なんだろう。ニイの目的はそれなんだろう。俺を内側から破壊して、そして。そしてお前から離させるための。それが目的なんだろう。分かっている。分かって、いる。それでも俺はこの手の動きを止められない。お前を求めることを、止められない。

……俺は。俺は、俺は…俺は……

胸を弄りながら開いている方の手で、お前の身体を弄った。滑らかな肌に指を、舌を這わせる。俺が知らない個所などないように。俺が触れていない個所などないように。お前の全てに俺が、触れる。
「…あぁん…はぁんっ……」
「…紅…俺はずっとお前を……」
脚を開かせ中心部分に触れれば、それは既に微妙に形を変化させていた。それに指を這わせながら、手で包み込む。
「…あ…あぁん…独角…もっと…俺に…ああん……」
腰を揺らし、俺にソレを押し付け、もっともっとと、ねだる。それは卑猥以外のなにものでもなかった。髪から零れる汗も、夜に濡れる瞳も、全て。全てで俺を、誘っている。
「…お前をこうしたかった…この腕に閉じ込めて、お前の中に俺を……」
「…独角…来て…俺の…中に…ね、…きて……」
脚を自ら広げ、蕾を指で暴き。入り口をその指でこねくり回した。お前の細い指が、何度も何度も入り口を攻めたてる。その美肉がひくひくと蠢き、俺を誘っている。全身で、俺を。
「…ココに…お前を……」
悪魔の囁き、堕落への誘い。背中の羽が真っ黒に染まり、そして血が染み込み、爛れてゆく。もう後はただ。ただ堕ちてゆくだけ。何処までも深い漆黒の闇へと、堕ちてゆくだけ。
「…ちょおだい…独…角……」
―――ただ、深い底へと、堕ちてゆくだけ。


護りたかった、お前を。
お前を傷つけるものから。
お前を穢すものから、全てを。
全てを、護りたかった。



「――――ああああああっ!!!!」



全てから護りたかったのに、俺は。俺自身でお前を、穢した。


ずぶずぶと濡れた音とともに俺自身がお前の中へと入ってゆく。熱くて、そして淫らな肉の中に。
「…あああっ…ああああ……」
ぎゅっと俺を締め付けながら、内壁が絡みついてくる。その抵抗感を押しのけながら、俺は奥へ奥へと挿っていった。深いお前の中へと。
「…ああ…あああ…あああんっ!!」
最奥まで抉って、そのまま抜き差しを繰り返した。細い腰を掴んで、激しく揺さぶった。そのたびに中の肉の絡み付きが強くなる。少しでも刺激を、異物を逃がさないようにと。
「…ああぁ…あぁ…独角…あああ……」
「…紅…紅……」
もう何がなんだか分からない。ただ俺は。俺はお前がもたらす快楽を追いかけ、そして。そしてその身体を支配することしか。俺の全てで、お前の中を埋める事しか。
「…もお…俺…壊れ…ああ……」
「―――壊れろ…紅…もう…壊れてしまえ……」
「ああああああ―――――っ!!!」
粘膜をぶち破るほど奥まで自身を捩じ込み、そのまま中に白い欲望を吐き出した。



―――壊れて、ゆく。剥がれて、ゆく。堕ちて、ゆく。




「ついに王子様を手に入れたね…けれども君はその代償に全てを失ったんだ」




ずっと、お前のそばにいる。ずっとな。
―――独角……
お前を俺が護るから。俺の全てで、お前を。
―――…嬉しいよ…本当に…俺…上手く言えないけど…凄く…
俺がどんな事からもお前を護るから。



俺の手が、お前を穢した。
俺の身体が、お前を穢した。
俺の欲望が、お前を穢した。



「ハハハハハハハハハハハハハハっ!!!!!」



ああ、ああ。俺が、俺が、俺が。俺がお前を穢した。
分かっていただろう。分かっていたんだろう、こうなる事を。
いずれこの胸の闇は俺を巣食らって、そして。そして飲み込むことを。
それがただ少し早まっただけじゃないか。ニイの手によって、少しだけ。
少しだけ早まっただけじゃないか。


――――そう、最初から…俺はお前を裏切っていた………



「…紅…紅…紅…俺は……」
「…独角…もっと…もっと…俺を……」
「…俺は…ずっと…ずっとずっと……」
「…俺の身体を…犯せよ…もっと、奥まで…俺を…」
「…ずっと…お前を…ずっと…ずっと……」
「…ほら、もっと…もっと…いっぱい俺の中、掻き乱せよ……」


「…もっと…俺を…満たしてくれよ……」


堕ちてゆく。何処までも堕ちてゆく。
このまま真っ暗な闇の中に吸い込まれ。
そして。そして俺は何処にもゆけずに。
ゆけずに、この罪に。この、贖罪に。



「…そう…もっと…俺を…壊せ…よ……」



貫いた。何度も何度もその身体を、貫いた。
感覚が麻痺するほど、何度も。
何度もその身体に欲望を捩じ込んで、精液を吐き出した
蕾が引き裂かれ血が滲んでも、俺はお前の身体を犯し続けた。
お前の言葉通り、壊れる、まで。


―――ああ、もう…もう…何処にも…戻れはしない………



意識がひどくぼんやりとしてくる。何がなんだか分からなくなって。そして。そしてゆっくりと綺麗なものが、光が消えていって。残ったものはただひとつの。




――――ただひとつの、贖罪、だった。



    END

 

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