anbalance

 
――――微妙なバランスが、少しだけ崩れてくる。

「藤真、どうだった?試合は」
「んーまあまあだったよ」
少し舌ったらずな声で、藤真は見上げるように一志に言った。綺麗な黒い瞳が上目遣いに一志を見つめる。その表情が余りにも可愛くて、つい一志は見惚れてしまった。
「どうした?一志」
そんな一志をどう思ったのか、不思議そうに藤真が尋ねてくる。首を少しだけ傾げる仕種は、昔からの藤真の癖だった。その癖が藤真をより一層魅力的に見せているのを、本人が気付いているのかいないのかは、また別だけれども。
「な、何でも無いよ。それよりも早く体育館へ行かないと。皆待っているぞ」
「そうだな」
一志の言葉ににっこりと微笑う藤真は、本当に可愛くて。それゆえに不安になる。この自分の何よりも大切な幼なじみは、ひどく子供だから。だから気付かない。自分がどれだけ危険な表情をするのかを。多分それは無意識だろうけれど。時々藤真はどきりとする程、魅惑的な表情をする。そうまるで男を誘うような。だから一志は不安になる。

藤真は、コートでは全くの別人になる。
全てから開放された彼は、自分の思うままに動き廻り、そして自分の思うままにプレーをする。でもそれは彼の本来の姿だ。
自分勝手で我が儘な藤真は、その反面何よりも正直だから。

「花形、ちょっといいか?」
休み時間見慣れた顔が教室のドア先から覗いていて、花形は素早く駆け寄る。そして目の前に立つと、自然と見下げてしまう視線で顔を覗き込むようにしながら尋ねる。
「どうしたんだ?」
「ん、大した用じゃないけどちょっといい?」
ここじゃ話ずらいのか、ちょっとだけ困ったような表情をしながら藤真は言ってくる。そんな藤真に無論花形は承知する。藤真に頼まれて断れる男なんて、よっぽどの近眼か美的センスが掛け離れた男でしかない。
「じゃあ、屋上にでも行こう」
花形の言葉ににっこりと微笑むと、藤真は彼に並ぶように歩き始めた。

誰もが藤真の我が儘を、聞き入れてしまう。
彼の為ならば、何だってしてしまいたくなる。そして何でもしてしまう。
だから何時でも藤真は、傷つかない。
幾らでも他人を傷つけるのに、自分は絶対に傷つく事は無いのだ。

「――――襲われちゃった、俺」
「………え……………」
余りにもあっけらかんと言う藤真に、花形は思わず間抜けな顔をしてしまう。無理もない。そんな表情で言うセリフでは無い。思わず自分の耳を信じられずに、聞き返してしまう花形だった。
「だから、男に強姦されそーになった」
「………ほ、本当か?……………」
未だ信じられないと言うような表情で聞いてくる花形に、藤真はこくりと頷く。
「未遂だったんだけど、そんな事されたの初めてだから…どーしていいのか判らなくて、取り合えずお前に相談しようと思って……」
初めてと言う言葉に花形はほっと胸を撫で下ろす。このうちのチームの選手兼監督の彼は、困った事にとてつもなく美人なのだ。いつどこで不埒なやつらにチェックを入れられているか判ったものではない。いや、実際かなり入れられているのだ。バスケ界でも裏のアイドルともっぱらの噂なのだから。そして更に悪い事に、当の本人がその事に全く気付いていない。だから、何時も気が気でないのだ。
「で、お前は大丈夫だったんだな」
「うん。何とか、逃げた」
「怪我とかは、しなかったか?」
「大丈夫だよ、お前って意外と心配症だな」
藤真相手ならば嫌でも心配症にならざるおえないと心の中で思いながらも、彼が無事だった事に安堵して深い溜め息を一つ付いた。
「でもお前が無事で良かった」
そう言って花形は柔らかく微笑う。彼は普段あんまり微笑ったりはしない。けれども藤真の前だけでは、よく微笑うのだ。それがひどく藤真には、嬉しかった。
「…花形………」
藤真の細い指先がふわりと花形の髪に触れる。そしてまるで悪戯をするように、指に髪を絡める。
「俺から目、離すなよ」
「……藤真………」
「そうしないと、俺また襲われるかもしれないだろう?そうしたらお前また、心配しなきゃいけないんだからな」
そんな事言われなくても…と花形は思ったが、藤真に言われると素直に花形は頷いてしまう。誰も彼に逆う事なんて、出来はしないのだ。
「判ってるよ、藤真。俺は何時もお前を見ている」
「なら、宜しい」
そう言うと藤真はすっと花形の髪から指を外すと、フェンスに凭れ掛かりながら地上を見下ろした。そんな藤真の背中を見つめながら花形は、思う。
―――皆、お前を見つめていると。
この誰よりも我が儘で自分勝手な彼を。そして何よりも綺麗で魅惑的な彼を。
目が離せる筈がない。魅かれるのはいつでもこちらなのだから。
「…あ、花形………」
思い出したように藤真は振り返ると、花形を見上げる。青空をバックにした彼は、ひどく綺麗だった。藤真には蒼い空が何よりも似合う。
「この事誰にも言うなよ。お前だから、言ったんだからな」
そんな藤真の言葉に、花形は嬉しそうに微笑う。今はそれだけで充分だった。この鈍感な姫君は他人の気持ちには、中々気付いて貰えないのだけれども。それでも、今はそれだけで充分だった。


「…やっぱ、お姫様はあれかねー………」
高野はわざと大袈裟に溜め息を付きながら、隣に居る伊藤に呟いた。伊藤はきょとんとしながら、高野を見返す。
「お姫様?藤真さんがどうかしたんですか?」
「んーいやー、やっぱ長谷川のモンなのかねー。と、思ってさー」
「そりゃー二人は幼なじみですから」
「だからってずるいと思わん?俺らのアイドルを独りいじめしちゃってさ」
「………はぁ…でも藤真さん、綺麗だから………」
「そんなの誰だって判ってるさ。何を今更」
「でも長谷川さんの御陰で悪い虫も付かないし」
「・・・・だったら、いいんだけどね………」
そうぼやいた高野の視線の先には、高さを誇る翔陽の中でも一際背の高い花形の後ろ姿が映っていた。
「うかうかしてると、あいつにもってかれるかもしれねーぞ」
「――――え?」
ぼそりと呟いた高野の言葉は、生憎伊藤には届く事が無かった。

「お疲れ」
「あ、一志ありがとう」
こつんっと藤真の頬に冷たい物体が当たる。それが缶ジュースだと気付くのには、それほど時間を要しなかった。
「大変だな、監督業も」
部活が終わってからもこうして遅くまで残ってやっていく藤真に内心で関心しながら、一志はそんな藤真を何時も律儀にこうして待っていた。
「そうでもないよ。けっこー楽しいし。チームが勝つ為ならば、俺は何だってする」
何よりも誰よりもバスケが好きな藤真。彼は常に勝つ為に勝利の為に、自分を犠牲にする。もしもこんな事迄しないで、プレーヤーとしてだけやっていられたらどんなに楽だろうか?けれども、それでも藤真はチームの為に自分を犠牲にする。勝つ、為に。
「―――藤真………」
護ってやりたいと、思う。いや、ずっと思っていた。この何よりも大事な幼なじみを。ずっと、ずっと男として。
「何?一志」
「…いや……何でもない………」
「変な奴ー」
けれども、言える筈が無い。彼はそのプライドの高さ故にそんな事を拒むだろう。そして。そして一志は、知っている。
――――藤真の視線の先を………。
彼が無意識に寄せている視線の先を。一志は、知っていた。

「やっぱ、まずいよなー」
「何が?」
ぼそりと呟く藤真の言葉を、一志は決して聞き逃さない。何時でも、どんな時でも。
「一時的感情に流されるのは、さ」
「―――」
何も言わない一志をどう思ったのか、藤真はにっこりと微笑って。
「…でも、どうしてだろうね……時々どうなってもいいって思うんだ………」
――――そう、言った。
多分、その先を一志は知ってる。だから、聞かない。

――――君が何時も、誰を見ているかを。

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