たとえば、こんな瞬間。

 
たとえば、こんな瞬間。
お前が不意に笑った瞬間。
ひどく優しい瞳で。
お前が、微笑った瞬間。

―――不覚にも俺はどきどきしてしまったんだ。


「花形のバカっ!」
お前なんかにどきどきしたのが悔しくって、ついその頭をひとつ叩いた。けれども。けれどもお前はまた、微笑った。
―――優しく、微笑った。
「可愛いよ、藤真」
そう言って俺の腰に手を当ててそのままひょいっと持ち上げる。それが。それが無茶苦茶に悔しい。俺がいくら食べても全然太らないのを知っていて。それを気にしているのを知っていて、俺との体格の差をこうやって歴然と見せ付けるのだから。
「離せっ花形っ!!降ろせバカっ!!」
じたばたともがいてもお前はビクともしない。それがまた…悔しい……。
「イヤだ、頭を叩いた罰だよ。降ろさない」
「なんだそれっ花形の癖に生意気だっ!!」
自分でも無茶苦茶な事を言っている気がするが、でも止められない。止められるくらいなら初めからこんな我が侭な性格に生まれてなんていない。
「むかつくーこうしてやるっ!」
ぽかぽかと花形の頭を何度も叩いてやった。けれどもお前は。お前はそんな俺にまたひとつ、笑って。
「ああ、ダメだ。お前可愛過ぎる」
そう言って、不意打ちのようにひとつキスを、した。


たとえば、こんな一瞬。
何気ない、一瞬。
埋もれてしまう日常の、ワンシーン。
でもそれが。
それが何よりもかけがえのないものになる瞬間。

―――何よりも大切なモノになる、瞬間。


不貞腐れながら俺を見下ろすお前が、可愛い。どうしようもない程に、可愛い。恋する男は何処までもバカになれると言うけど、お前を見ているとあながちその言葉も嘘じゃないなと、思う。
だって可愛い。お前がどうしようもない程に、可愛い。
「何、ニヤニヤしてんだよっ!」
腕の中の、お姫様の機嫌は益々悪くなる。だけど、俺には分かっている。さっき俺の頭を叩いたのだって、本気じゃないのだから。
「怒っているお前も可愛いなって」
紅い唇をつんっと尖らせて、風船みたいに頬を膨らまして。それでも俺から落ちないようにと、肩に手を掛けるお前が。
「…じゃあもう怒らない…」
「なんだそれは?」
「お前が可愛いって言う顔なんてしてやんない」
相変わらず言う事は無茶苦茶だ。けれどもそこがまた。またどうしようもない程にお前の好きな所なんだけれども。好き、だよ。お前が、大好きだよ。
「そんなこと言ってもまだ怒ってる顔をしているぞ」
「お、怒ってないっ!」
「その顔が怒っているんだって」
「じゃ、じゃあ…」

「これでどうだっ!」

胸を仰け反らんばかりにしたお前の顔に、俺は笑いを堪える事が出来なかった。だって。だってお前は作り笑顔をするから。そんなお前に俺は、笑った。

「な、なんで笑うんだよ、バカっ!」
「藤真可愛過ぎ…」
「だから笑うなってっ!は、恥かしいだろうがっ!」
「もう駄目…なんでお前そんな可愛いの……」

「…可愛過ぎるよ、藤真……」

そう言ってお前はまたひとつ、俺にキスをした。
甘い、甘い、キスを。


「この角度からキスするのも、いいな。お前の綺麗な顔がよく見える」
「…何言ってんだよ…このバカが…」
「恋する男はバカなんだよ、藤真」
「……ふんっ…バカ…」
「藤真の為ならいくらでもバカになるよ。だから機嫌を直してくれ、お姫様」
「―――じゃあ…」
「ん?」

「…もう一度…キスしてくれたら…機嫌直してやるよ……」

キス。甘い、キス。
お前の、キス。
このキスは、好き。
お前のキスは、大好き。
甘くて蕩けそうで。
そして。そして何よりも、気持ちイイから…。

あ、俺が好きなのはお前のキスで…お前…じゃ…ないぞ……多分………


「幾らでも、お姫様。お前の望むままに」
「…じゃあ…もう1回…」
「くす、もっと?」
「…んっ…もっと……」
「いいよ、幾らでも」

「幾らでも。お前の望むままに」

溶ける、甘く溶けるキス。
意識が溶かされて。気持ちが溶かされて。
何時しか俺は。

―――俺は何に怒っていたのか、忘れてしまった。


だって。だって、さっきよりも。
さっきよりも、もっと。
もっと俺はどきどきしている、から。


たとえば、こんな時間。
理由もなく、ただ。
ただふたりでいられる時間。
子供みたいなケンカをして。
大人みたいにキスをして。
そして。
そしてやっばり好きだなと、確認する事。

こんな時間も、ふたりならばかけがえのないものになる。


「…花形のキス…好き…」
「キス、だけ?」
「……ううん…違う…本当は……」

「…キスしてくれる…お前が…好き………」


――――たとえばこんな、甘い瞬間。

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