Moon


―――月が綺麗、だったから。


そっとベッドから抜け出して、マンションのベランダに出る。そこから見える月はうっすらと雲に掛かり、淡い光を放っていた。
「綺麗だなー」
つい呟いてしまった言葉に少しだけ照れくさくて、越野は自らの髪をぽりぽりと掻いた。ひどく子供のような仕草に見えるかな、と思いながら。
けれども今隣にはそれを認識する相手はいないのだが。いなくてもこんな風に気にしたりしてしまう自分が…ちょっとだけ恥ずかしかった。
「〜〜っ俺って…やっぱバカ?」
自分が何時も意識している相手。どんな些細な仕草にも見逃さずに大事にしてくれている相手。そんな彼は今。今ベッドの上の住人だ。さっきまで眠っていた隣にいた、相手。ただ一人ぬくもりを分け合える、相手。
そんな事を考えたらちょっとだけ淋しくなった。月が綺麗だからって自分からペッドから抜け出したのに、さっきまで抱きしめてくれていた腕が。眠りながらもずっと抱きしめてくれていたその腕のぬくもりが。ひどく、欲しくなったから。
「…やっぱ戻ろう……」
月は綺麗だったけれど外は寒かったし、何よりもその腕がなかったから。越野は再び部屋に戻ろうと脚を向ける。その時、だった。
「―――わっ!」
いきなり手を掴まれて、そして。そして、抱きしめられる。一番欲しかった…その腕に。



時々子供みたいに我侭になる。
そんな所が、可愛くて仕方ないのだけど。
可愛くて、堪らなくて。
目に入れても痛くないくらい、大事な。
大事な、可愛い俺の恋人。



「冷たいぞ、越野」
抱きしめる腕は、暖かい。広くて、そして。そして自分の全てを包み込むように、そっと。そっと抱きしめるその腕。
「…仙道…い、何時の間に……」
確かにこの腕が欲しかったけれど。確かにこのぬくもりが欲しかったけれど。あまりにも不意打ちだったから、不覚にも越野はどぎまぎしてしまう。暗闇のお陰で助かっているが、実は今耳まで真っ赤になっていたりする。
「だってせっかく抱いていた湯たんぽがなくなっているからさ」
「〜〜っ!ゆ、湯たんぽってなんだよっ!!」
「お前に決まっているだろ?」
手が頬に触れる。触れて欲しくなかったのに…だって今、自分は物凄く顔が熱くなっているから。
「ほら、湯たんぽ。俺の手あったけーぞ」
「…………」
恥ずかしくてついぎゅっと目を瞑ってしまう。そうしたら額に何かが触れた。それを何かと確認する前に…触れていたものが越野の唇にそっと触れた。
「…仙…道……」
触れるだけのキスだったけれど、それだけで充分身体が暖かくなる。いや熱いほどに。仙道にこうされるだけで何時も。何時も越野はかああっとなってしまう、から。
「越野顔、真っ赤。可愛いぜ」
こつんっとおでこが重なって。至近距離にその綺麗な顔があって。そして。そして睫毛がそっと重なって。
「…お、男に可愛いって言うなよ……」
「でも可愛いんだもん。しょーがねーだろ?」
頬に触れていた手が、そっと髪に移動する。さらさらで細い越野の髪を、大きな手が撫でる。優しく、撫でる。
「可愛い、俺の越野」
そうしてもう一度。もう一度キスを、された。甘すぎる、キスを。



背中越しに見える月だけが。
月だけがふたりをそっと、見ている。
淡い光を放つ、その月だけが。



「――何見てるの?越野」
「…月だよ…綺麗だなーって…ほら」
「あー綺麗だな。でも俺には」
「仙道?」
「お前のが綺麗、だけどな」


微笑った顔が、月に照らされる。
綺麗だなと、思った。月より綺麗だから。
俺はつい。つい、見惚れてしまう。
きっと物凄くバカな顔をしているんだろうと想いながら。
それでも俺は目が離せなくて。
ずっと。ずっと、お前の顔を見つめていた。


「見つめるほど、イイ男?」
あまりにもじっと見ていたせいか…お前はにやにや笑いながらそう言ってきた。その顔すらカッコイイなんて言ったら、絶対お前つけ上がるから言わないけれど。
「…う、自惚れるな…仙道……」
だけどどんな言葉を言ったとしても、お前にはきっと。きっと見破られているんだろうな。全部、何時だってそう。何時だってお見通しなんだから、さ。
「違うのか?」
ほらやっぱり、楽しそうに聴いてくる瞳が。その声が、見破られているのがバレバレで。
「…ち、違う…よ……」
「俺は見惚れているよ。お前に」
「……仙道……」
抱きしめ、られる。大きな腕にぎゅって抱きしめられる。こうすると俺の心臓の音がじかにお前に伝わるから、やっぱりイヤでも分かってしまうんだけど。けれども。
「見惚れてなんか…ない…」
けれどもやっぱり些細な抵抗を試みてみたりするのは。そうするとお前が益々俺を。

―――俺を抱きしめてくれる、から……



「――月よりも、俺を見ていろよ…越野……」



うん、とは言わないけど。
言わなくてもこの心臓の音で。
その音と、この瞳で。
お前を見ている瞳で、伝わるから。
だから、うんなんて言わないけど。



何時しか背中越しの月がそっと、雲に隠れてゆく。それでも俺はずっと。ずっと、お前を見ていた。

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