さよなら



どうしてもその一言だけが、言えなかった。

私達は少しずつ、ほんの少しずつ小さな嘘を積み重ねていた。
そうする事で互いの何かを護りながら、自分自身を護っていた。
零れ落ちてゆく小さな傷達に目を塞ぎながら、私達は。
一番必要な現実から、そうやって反らし続けていた。

このままでいられる事はないと、分かっている。
このままでずっといられる事はないと分かっている。

前に進めないのは私と貴方と、どちらなのでしょうか?
それとも私達はともにこの生暖かい水の中に。心地よい深海で。
ずっと眠っていられると信じていたのでしょうか?


必ず終わる夢だと、分かっていても。


それでも私達は、きっと。きっと何処かで、願っていた。
ただひとつの事を願っていた。
それが、真実である限り、それが本当のことである限り。

どんなになろうとも、お互いに消えない傷と罪と、そして優しさを作るから。



腕の中に抱きついて、そして。
そして噛み付くように、口付けた。

―――多分、私は貴方を愛している……


「どうしてそんなキスをするの?」
見下ろす瞳の碧色に、私はただ哀しくなった。そこに生まれるのは哀しみと、そして。そして終焉しかないと分かっているのに。
「…激しいキスをしたら忘れられると思ったのです……」
忘れられることは決してないと分かっていても。忘れることなんて出来ないと、心で分かりきっていても。それでも口にしたら少しは…少しは記憶が零れてゆかないかと思って。
「無理だよ、お前にジュリアスは忘れられない…僕がティーエを忘れられないように」
「いいえ、貴方はきっと…きっと別に好きな人が出来る……」
私は微笑う。貴方にそっと、微笑う。多分誰よりも哀しい顔で、貴方に微笑う。


―――ジュリアス様…貴方がいなくなって、私は。
私はただ。ただこの少年の為に生きてきました。
貴方が死を以ってしても護ろうとした少年を。私は。

私はそうする事で、かろうじて生と云う名の細い糸の上を必死で立っていました。

そうすれば貴方の傍にいられるような気がして。
そうすれば貴方との絆が消えないような気がして。

こうしてこの少年を護り続ける事が、ただひとつの。
ただひとつの私と貴方を繋ぐものだと信じることで。
あちら側へと行ってしまった貴方と私を繋ぐものだと。
そうやって私は。私は自らのこころの中にある貴方を。


私の中にある『貴方』を、ずっと護っていたのです。



「セオドラ…お前を好きだと、言ったら?…」
「…私も貴方を愛しています、セネト様…」
「うん、分かっている。それは本当の事で嘘だと言う事も」
「貴方の好きも、嘘であり本当だと…分かります…」
「それでも今はお前が傍にいて欲しい」


何時の間にか少年だった細い腕は、私の身体を包み込むほどに逞しくなっていた。
その腕の中に顔を埋めて、私は。私はただ祈っていた。

―――全てを…忘れたいと……


「…セオドラ……」
ずっと鏡を見ているようだった。貴方の碧色の瞳はまるで私自身を映し出す鏡のよう。もういないあの人への執着が貴方を護ると言う想いに変換され、そして。そしてただひたすらに『死』から逃れる私を。そんな憐れで滑稽な私を映し出す鏡。そして。そして私の瞳も、貴方にとっては鏡だったのだろう。
「…セネト様……」
貴方も同じ。カナンを復興させると言う事に夢中になることで必死に逃れていた。貴方のこころにある想いから必死に目を閉じ耳を塞ぎ、逃れていた。国の再建に取りつかれたように働き続ける貴方は。貴方はただひとつの苦しい想いからそうやって逃れていただけ。

私達はこうして、ずっと。ずっと長い間互いの瞳に、自らの姿を投影していた。


「…分かっている…多分…僕達は…ただ逃れているだけだ……」
貴方の指が私の衣服に掛かり、そのまま慣れない手つきで脱がし始める。私も向かい合うように貴方の服を脱がした。
「…それでも…それももう…終わらせなければいけないことも……」
見上げて、私は微笑んだ。何時しか私よりもずっと高くなった身長。まだ幼さの残っていた顔は何時しか一人の『男』の顔になっていた。これから貴方は眩しいほどの光の中に包まれてゆくのだろう。
「…もう『子供』では…いられない事も……」
髪に指を絡め、貴方に貪るように口付けた。そんな私をきつく抱きしめ。壊れるほどに強く私を抱きしめ、そのままもつれ合うように私達はベッドの上に崩れ落ちた。


多分私は、貴方を愛している。多分、貴方を愛している。

ずっと貴方の時が進まなければ、私達は一緒にいれた。ずっとこうしていられた。
貴方が子供のままならば、柔らかい夢に包まれふたり眠っていればいいだけなのだから。

でも永遠に子供ではいられない。優しい夢は必ず終わりが来る。

貴方はこれからのひと。私は過去のひと。
貴方がこれから先輝きを放つ時、私は。
私は次第に萎れてゆく。年老い枯れてゆく。


そう私に出来ることは、貴方と言う華を綺麗に咲かせる土になることだけ。



あれだけそばにいたのに。口付けを何度も重ねてきたのに、貴方が私に触れるのはこれが初めてだった。微かに震える手が、ぎこちない指先が私の胸に、触れる。
「…はぁっ…あ……」
まるで壊れ物に触れるかのように私の胸を揉む指が愛しかった。その指に自らの手を上から重ね、力を込めてやる。そうする事で強い刺激が私の乳房に与えられた。
「…あぁんっ…はぁんっ!……」
「…セオドラ……」
「…あっ…もっと…もっと…強く…セネト様……」
私は重ねていた手を離して、そのまま自らの口許へと指を持っていった。それでも貴方の手の強さは止まる事がなかった。強く私の乳房を、掴む。その強さに息が乱れ、瞼が震えた。
「…あぁ…んっ…ふぅっ…ん…セネト…様…はふっ……」
長いこと封印していた私の『雌』としての部分が目覚めてくる。ジュリアス様がいなくなった瞬間に、閉じ込めた私の雌としての部分が。
「…んっ…ふっ…ん…んん……」
唇が降りてくる。私は積極的に貴方の舌に自らのそれを絡めた。激しく口内を貪り、中を味わう。舌が絡み合う音が室内に淫らに響いた。
「…んんっ…んんん…はぁっ………」
唇が痺れるほど互いを味わって、息が乱れる頃になってやっと口付けが開放される。私の口許からは飲みきれない唾液の筋が何本も伝った。それを貴方の指が、舌が、そっと掬い上げる。
「…セオドラ…綺麗だ……」
目を細めるように私は貴方を見下ろした。それが何よりも私を喜ばせた。何よりも、嬉しかった。こんな時に私は女だと、思った。嫌になるくらい自分は女だと、思った。
全ての事を捨て、『自分』すらも捨てたはずなのに、こんな風に貴方に綺麗だと言われて純粋に喜んでいる自分が。

――――私はこんなになっても『女』であることを、捨てられないのだという事に……


「…セネト…様……」
綺麗な人。その碧の瞳も、髪も、全部。全部、綺麗。
「…セオドラ…僕は……」
貴方は永遠に穢れを知らないでしょう。きっと永遠に。
「…僕は…お前が……」
綺麗なままで、ずっと。ずっと私が貴方を護るから。
「…駄目です、その先を言ってしまったら…私は一瞬でも夢を見てしまいます」
どんなになっても貴方を護るから。


「…セネト様…貴方は未来に生きる人…そして私は過去に生きる女…私の中にジュリアス様がいる限り…それは変わらない真実なのです……」


多分私は、貴方を愛している。ジュリアス様と違う場所で、貴方を愛している。
だからやっと。やっと言えるから。その想いに気付いたから、だから言える。

だから私はこのぬるま湯のしあわせから、やっと終焉を迎えることが出来る。


脚を広げて、自ら貴方の指を私の秘所へと導いた。ソコは既にしっとりと濡れていて、進入してきた貴方の指先に馴染むように吸いつく。
「…くふっ…はぁっん……」
掻き乱す指先がひどく不器用で、慣れていない事が何よりも嬉しい。巧みに私を追い詰めたあのひとと違う指の動きが今は嬉しい。貴方だと分かるから、嬉しい。
「…はぁっ…あぁんっ…あっ……」
くちゅくちゅと濡れた音が、する。掻き乱す花びらから零れる蜜と、指が醸し出す音。それが私の身体をただ熱くさせた。じんと疼く身体の芯が、女である私を自覚させる。
「…あぁ…セネト…様…もう……」
「…セオドラ……」
「…指は…もう…それよりも……」
私は快楽で震える指を貴方自身に持ってゆくと、そのまま淫らに絡みつかせた。どくんどくんと脈打つそれは、確かに私を求めて息衝いていた。私を求めて、息衝いている。それが。それが何よりも私の欲望を煽った。貴方が私を求めてくれていると言うことが。
私はそのままソレを自らの入り口に導いた。それに答えるように貴方は私の腰を掴むと、そのままゆっくりと中に挿ってきた。私の中に、挿って、きた。


気が付いたから。私は気付いてしまったから。
貴方を愛していると言うことを。ジュリアス様とは別の場所で。
違う場所でまた。また貴方への愛が芽生えていることに。

でもそれを必死で否定していた。それを必死で隠していた。

それがジュリアス様への裏切りのように感じて。そして。
そして何よりも私は。私は貴方の傍に、いたかった、から。


分かっているのです。この時が永遠でないと。
貴方は何れ私の元から飛び去ってゆく。
大人になり貴方は私の元から飛び去ってゆく。
ただ私はその時間を少しでも延ばそうと。
延ばそうと足掻いていただけ。
でも、気付いたから。気付いてしまったから。

―――貴方を、愛しているのだと。

だから、言える。やっと言える。
私から。私から、言える。



『さよなら』、と。



繋がった個所から広がる熱が、擦れ合う媚肉が。粘膜から伝わる想いが、全部。
「…ああああっ…あああんっ!……」
全てが意識を飲み込み、全てが思考を奪う。今はもう何も考えられない。何も、考えられない。
「…セネト…様…セネト様…あああっ!!」
今ここにいる私は、ただの『私』。貴方の部下でも、ジュリアス様の部下でもない。ただの独りの女。貴方を愛してたひとりの女。ただの、女。
「…セオドラ…セオドラ……」
ただひたすらに、貴方を愛して、貴方を求めた、ただの女なの。


「あああああっ!!!」


注がれる液体の熱さだけが全てになって。
それだけが全てになって、私も。私も果てた。




綺麗な碧色の髪の少年が、真っ直ぐに私を見つめ。そして。そして手を差し出した。
『一緒に、カナンを再建するのに協力してくれ…亡きジュリアスの為にも』
まだ頼りなさの残る幼い顔の中に、それでも見つめた碧色の瞳の輝きが私を捕らえた。強いカリスマを持ったその瞳が私を捉えて、そして。
『…僕を護ってくれ…その竜に乗って……』
そして子供のように微笑った、貴方。無邪気な子供のように微笑った貴方。


…あの頃のままでいられたら。あの頃のままでいられたら…よかったですね……



「…セネト様……」
綺麗な、ひと。ずっと、ずっと。
「…これで私達は……」
ずっと綺麗なままで。どんなになっても。
「…私達は……」
私は貴方のその輝きを護り続けるから。




「…さよなら…、ですね……」






私の言葉にただ貴方は微笑った。静かに微笑った。
大人になって初めて貴方が憶えた笑みが、この笑みならば。


――――私はそれだけで、しあわせだった。



 

 


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