―――何時から、この想いが変わっていったのか?
何時も背中を追い駆けていた。
ずっと、ずっと、追い駆けていた。
貴方の大きくて広い背中を、ずっと。
ずっと私は追い掛けていた。
その広い背中を見ているだけで、安心できた。
その背中の後ろにいるだけで、護られていると思った。
だからこれからもずっと。ずっとこうして私は貴方の背中を追い続けてゆくんだって、信じていた。
扉が締まる音。遠ざかる、足音。いつかこんな日が来るとはずっと何処かで。何処かで思っていたけれども。けれども。
「…お兄ちゃん……」
その名を呼んでも、今は。今は答える声はない。どんな時でも『お兄ちゃん』と呼べば、貴方は振り返ってくれた。その広い背中が振り返って、そして。そして何時も。
『ん?どうした、プラム』と。
必ず振り返り、私を見下ろして。見下ろして優しい目で、私を見つめてれたのに。どんな時でも、どんな瞬間でも。でも今ここに、貴方はいない。
「…お兄ちゃん……」
分かっていた。何時かこんな日が来る事を。分かっていた筈なのに。何時までも私達は子供ではいられない。この小さな世界が、この優しい世界が全ての子供ではいられない。
けれども。けれどももう少し…もう少し、眠っていたかった。優しい子供の時間に、包まれていたかった。
―――それがただの子供染みた我侭だと…分かっていても……
何時も必ず振り返ってくれたから。
大きさの違う脚では、私は貴方に追いつけなくて。
追い着こうと必死になって、そして。
そしてその場で転んだ私を、必ず。必ずその手が。
その手が私に、向けられて。私に、向けられて。
心配そうに見つめてくれる瞳が…大好きだった。
子供でいたかった。ずっと子供でいたかった。
ふたり丸まって水底にずっと。ずっと眠っていたかった。
誰にも邪魔されることなく、静かに。静かにそっと。
そっと指を絡めて眠っていたかった。
でも、子供の時間は確実に終わりを告げる。子供の時間は確実に、零れて落ちてゆく。
だってほら、手の形が違う。指の形が違う。
去年より今年、昨日よりも今日、私達は少しずつ変わってゆく。
小さな積み重ねが毎日繰り返され、そして。
そして気付いた頃には戻れなくなっていたから。
背中を追い続け一生懸命に走っていた、子供の頃には。
「…お兄ちゃん……」
もう一度、呼んだ。けれどももうここいない。扉を開けて、広い世界へと。ここではないもっと大きな世界へと旅立ってしまった。私を置いて、遠い所へと。
…私を置いて子供の時間を…終わらせて……
ずっとね、一緒にいられると思ってたの。
それは夢でしかないと分かっていても。それでも。
それでも差し伸べられる手は永遠だと思っていたの。
馬鹿でしょ?馬鹿でしょ?私。
でもね、お兄ちゃんはずっと。ずっと私だけを護ってくれるって…信じていたの。
どんな時でも、差し伸べられた手。
追い駆ければ必ず振り返って。
振り返って私を待ってくれた。何時も。
何時も私を待ってくれていた。
―――だからこれから先もそうだって…ずっと思っていた……
「…お兄ちゃん…私は……」
このまま。このまま私は。私はずっとこの小さな世界で。
この小さな世界だけが全ての、貴方の帰りを待つだけの、そんな。
そんな子供のままで、ずっと。ずっとここに。ここにいるだけしか出来ないの?
貴方は前を…光を…そして大きなものを、見つめているのに。
「…私は…お兄ちゃん……」
大人に、なりたい。貴方に追い付きたい。
追い駆けるだけじゃなく、貴方の隣に。
隣に、立ちたい。同じ場所に立ちたい。
護られるだけじゃなく。追い駆けるだけじゃなく。
貴方を私は。私は、護りたい。護り…たい……。
「…好き…お兄ちゃんが……」
呟いた言葉のあまりの自然な響きに、自分自身が驚くほどだった。こんなにも自然に零れ落ちた想いに。そしてこんなにも自然に心に芽生えていた想いに。
そう、私は。私は貴方が、好き。
好きだから、そばにいたい。好きだから。
好きだから、貴方に追い着きたい。
血が繋がっていないと聴かされた瞬間、何故か心の何処かで喜んでいた自分。
ああ、好き。大好き。
貴方が好き。貴方だけが好き。
だからずっと。ずっと。
…私はずっと…貴方だけを……
追い駆けていた想いが、ゆっくりと変化して、そして。そして私を満たしてゆく。
その瞬間失ったものが、その瞬間になくしたものが。そっと、失ったもの。
――――それは、私達の子供の時間にさよならをした、瞬間……
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