むせかえるほどの、血の香り。
そして薔薇の、葬列。
――――冷たくなった身体を抱きしめ、そして泣いた。
『ジュリアス様の亡骸をお渡しいただけませんか』
私に出来たのは、それだけだった。貴方の亡骸を愛するカナンの地に、埋めてあげる事だけ。それしか、出来なかった。
貴方の愛した土地。貴方の愛した人々。貴方の護りたかったもの。その全てを、貴方に。貴方に還したかった、から。
「…ジュリアス様……」
名前を呼べばまた、瞳から涙が零れて来るのを止められなかった。止める事は、出来なかった。何時もなら貴方の厳しく優しい声が、返ってくるのに。今、私の名を呼ぶ筈のその唇は、ただ。ただ冷たくて。
「…ジュリアス…様……」
亡骸をそっと抱きしめた。こうすれば少しでも暖かくなるのかと思って。貴方の身体にぬくもりが灯るのかと思って、私はぎゅっと抱きしめた。
―――セオドラ、何時か……
貴方はそっと微笑いました。何時も戦場で厳しい顔をされている貴方が、ふと見せる笑顔。優しく、本当に優しいその笑顔が、私は大好きでした。
―――何時かカナンをこの手に取り戻したならば……
大好き、です。大好きです、ジュリアス様。貴方がいてくれさえいれば。貴方が生きてさえいてくれれば。私は、何も欲しくはなかった。
―――その時も…お前は私のそばにいてくれるか?
ずっと、貴方の傍に。貴方だけの傍に、それが私の望みです。どんなになろうとも、どんなになっても私は。私はずっと貴方だけを、見つめていたかった。
―――こんな時、もっと気の利いた言葉が云えれば…よかったな……
そんなものいりません。そんなもの必要ないです。私は、ただ。ただ貴方が生きていてくれれば。貴方がこの地上に生きて、そして息をしていればそれで。それだけで。
―――セオドラ…愛している……
それだけで、よかったのです。
「ジュリアス様…カナンへ…還りましょう……」
貴方の大地。貴方の地上。貴方の国。貴方の眠る場所。
誰よりもカナンを愛していた人だった。誰よりも人を愛していた人だった。
誰よりも貴方が一番。一番、カナンの未来を願っていた人だった。
「…還りま…しょう…ね……」
ぽたり、ぽたりと。貴方の綺麗な死に顔に涙が零れて来る。まるで眠るように安らかな死に顔。まるで、眠っているように。
でも貴方の頬は冷たい。
でも貴方の唇は冷たい。
その唇から言葉が零れる事も、その瞳が私を映し出す事はもう二度とない。
冷たい、身体。
血の匂いがする身体。
むせかえるほどの血の匂い。
それが貴方の香りを。
貴方の優しい香りを、隠してしまう。
「……ジュリアス…さ…ま……」
ああ、どうして?
どうして貴方は私の名前を呼んではくれないの?
何時ものように呼んではくれないの?
ああ、どうして?どうして?
どうして貴方は私を瞳に映してはくれないの?
―――セオドラ…愛している……
静かにそっと降り積もる声。
胸に宿る哀しみと、そして。
そして壊れてゆく確かなもの。
ずっと永遠だと信じていたものが。
ひとつひとつ、崩れてゆく。
ひとつひとつ、壊れてゆく。
その先に見えたものは、ただひとつ。
ただひとつ、空っぽな入れ物だけだった。
貴方の形をした、入れ物だけだった。
「いやああああああっ!!!!」
生きて欲しかった。生きてさえいれば。生きてさえいてくれたならば、私は何も望まなかった。貴方がこの地上に存在し、そして息をしていてくれれば。貴方が微笑ってくれたならば。貴方が優しく微笑っていてくれたならば。
私の命なんて、いらない。
私なんて、いらない。
だから神様もう一度。
もう一度このひとに逢わせてください。
「…ジュリアス様…ジュリアス様……」
むせかえる血の匂い。むせかえる紅い香り。
「…ジュリアス…様…ジュリア…ス…さ…ま……」
まるで薔薇の華のように無数に散らばる紅。
「…ジュ…リアス…さ…ま……」
薔薇の花びらが、貴方に散らばっている。
私は、唇で。私は、舌で。
貴方に散らばる花びらを掬った。
額に、頬に、腕に、脚に。
ありとあらゆる所に散らばった紅い花びらを。
私は全て、掬った。
――――貴方に紅は…似合わない…から………
「…ジュリアス様…綺麗です……」
―――セオドラ…綺麗だよ……
「…綺麗に…なりましたよ………」
―――綺麗だ、お前は……
「…好きです…ジュリアス様……」
―――綺麗だ…私の…ただ独りの……
「…誰よりも…愛しています……」
―――ただ独りの、愛しい人………
運命が、それを選ぶならば私はそれを受け入れる。
ただ、ただひとつだけ。ひとつだけどうしても。
どうしても伝えたい事があった。伝えられない事があった。
『―――セオドラ…お前は生きてくれ……』
それだけが、後悔。
死にゆく私のただひとつの後悔。
お前はずっと、強く綺麗なままで。
誰よりも美しく、この地上で。
この大地に、生きてくれ。
―――この、カナンの大地に咲き続ける華となれ……
「……ジュリアス…様……」
言葉は風に運ばれる。それはもう貴方に届く事はない。それでも。それでも私は言葉を綴る。ただひとつの想いを。ただひとつの、愛を。
「…貴方だけを…愛しています……」
想いは風に運ばれる。ただ遠くへと、運ばれる。
何時か。何時か、貴方の元へと届く時が来るのだろうか?
風が、さらってゆく。
むせかえるほどのこの匂いを。
そして。そして残ったのは。
残ったのはただ。
ただ死人の香りと、冷たい身体だけだった。
「―――貴方だけを…ジュリアス様……」
最期だから、と。貴方の冷たくなった唇にひとつ口付けた。そこから溶けてゆく想いに全てを込めて。そして。そして私は封印した。貴方への愛を一番心の奥深くに閉じ込めた。
私は生きなければならない。
私は未来を見届けなければならない。
貴方の変わりに、このカナンを。
貴方が何よりも愛したこの地上を。
「…ジュリアス様…さようなら……」
そして貴方は眠る。この大地に眠る。
大地となった貴方を、これから私は。
私はずっと、護り続けるから。
――――だから、ジュリアス様…もう少しだけ…貴方の傍にゆくのを…待っていてください……
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