硝子の月



空に浮かぶ月は、蒼くて。
まるで硝子のよう、だった。

その月を見ていたら、ひどく泣きたくなった。



「…お兄様……」


そっと名前を呼べばゆっくりと振り返り、そして。そしてそっと微笑う。
優しい、笑み。優しすぎる笑み。
何時しかこの微笑を自分だけのものにしたいと、そう思っていた。


「どうした?ネイファ」


そう言って私の前に立ち、そっと髪を撫でてくれる指先。
細くて綺麗な指。けれども暖かい、指先。
この指先がずっと。ずっと私だけのものならばこんなにも。
こんなにも胸が、苦しくはなかったのに。


「…何でもないのです…お兄様が…消えてしまいそう…だったから……」


ずっと、そばにいたくて。ずっと、見つめていたくて。
綺麗な翠の髪も、真っ直ぐな瞳も。ずっと。ずっと私は見つめていたくて。
貴方だけを、ずっと。ずっと、見ていたかった。


「どうして?僕がネイファのそばからいなくなる訳がないだろう?」


カナンに帰ってきて、お兄様は私だけのお兄様ではなくなった。
私だけのひとではなくて、皆のもの。カナンの民の、希望の光。
その頭上には金色の冠が掲げられる、王子様。
もう私が、ひとりいじめなんて出来ない…許されない人…。


「ずっとそばにいて、僕がお前を護るから」


その言葉が永遠ならば、よかった。ずっと永遠だったならば。
そうしたら私はこんなにも苦しまなくて、よかったのに。

でも貴方はカナンの王になる。そしてその隣には私ではない別の人が立つのだから。

どんなに想っても、どんなに願っても。
どんなに恋をしても。どんなに愛しても。

この身体の血は消える事はない。
この身体の血の絆は、永遠だから。


「ずっと、お前のそばにいる…ネイファ……」


一番近くて、一番遠い人。
こんなにもそばにいるのに。
こんなにも近くにいるのに。
でも。でも一番、遠い人。


「…お兄様……」


好きなだけで、嬉しくて。好きなだけで、苦しくて。
ずっとそばにいたいと願いながら、もう二度と逢いたくないとも願う。
ずっと貴方を見ていたいけど。ずっと貴方を見ていたくない。

…貴方の隣に別の人が立つのを…私は…やっぱり…見たくなくて……

妹と言う立場なんていらなかった。
そうしたらこんなにも苦しくなかった。
ただの他人なら、想う事は許される。
手が届かなくても、想う事は許される。
けれども。妹ならば。
―――想う事すら…許されない……


「お兄様…少しでもいいから…ネイファの事を…心に置いていてくださいね…」


綺麗な月。硝子の月。
空にぽっかりと浮かぶ月。
その月が全てをさらって行ってくれたならば。
私の想いを、そっと。
そっと浚っていってくれた、ならば。


―――それでもお兄様…ネイファは…お兄様だけを……



「当たり前だろう?お前は大事な妹だ」
それでも、やっぱり私は。
「大事な、妹だ」
私はずっと。ずっと貴方を見ていたい。


どんなに辛くても。どんなに苦しくても。
どんなに切なくても。どんなに泣きたくても。


綺麗な翠色の瞳が、その髪が。
全部、全部、大好きだから。



「…お兄様…大好き…です……」



零れ落ちる言葉の真実。
それはゆっくりと、頭上の月が。
硝子の月が、そっと。
そっと、さらってゆく。
ただひとつの私の真実を。
ゆっくりと、さらってゆく。


―――永遠に結ばれない想い。でも永遠に心に刻む想い……



それでも私は。私は貴方のそばにいたい。
ずっと貴方のそばに、いたいから。



「…大好きです……」



…硝子の月が雲にそっと隠れてゆく。私の想いと一緒に…隠れてゆく……



 

 


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