月に濡れて、手のひらに絡めた砂。
銀色の砂がそっと零れ落ちて、そして。
そして願い、祈る。ただひとつの事。
ただひとつの、想い。
―――貴方への、想い……
しあわせになりたいと、願うことを…諦めた。
私は呪われた娘。殺戮と血で色塗られた娘。それでも。
それでもどうしても諦めきれないものがあった。
しあわせも、未来も、夢も、希望も望まなかったけれども。けれどもただひとつ。
ただひとつ、私は祈り、そして願うもの。ただひとたづけ。
貴方が、しあわせでありますように、と。
何もいりません。何も望みません。私はこれでいいのです。
こうして竜になり、人を殺すこと。平気で人を殺せること。
それが本当の私だから。そう、私は。
私は貴方のためにならば竜にでも、殺人鬼にでもなれるのです。
ほら、今も。今も私は竜になる…あれだけ呪った血を自ら受け入れ…貴方の元へと。
リュナン様。リュナン、様。
貴方の笑顔が好きでした。
何時も張り詰めた顔の中で。
戦いの緊張の中で、それでも。
それでも時々見せてくれる貴方の笑顔。
その笑顔が大好き、でした。
ずっと。ずっと見ていたかった。
声が、好き。瞳が、好き。
手のひらが、好き。優しさが、好き。
全部、全部、大好きです。
どれだけの人が貴方の本当のやさしさに気付くのでしょうか?
どれだけの人が貴方の本当のあたたかさに気付くのでしょうか?
冷酷な決断も、冷たい言葉も全て。
全て貴方の優しさから来るものだと…どれだけの人が気付くでしょうか?
貴方が人を殺すたびに血の涙を零すことを。自らの心を抉りながら、それでも。
それでも前に立ち、皆を導こうとしている事が。
その手を自ら汚し、決して綺麗事ではいかない運命を。
それでも受け入れ、それでも傷つき。
傷つきながらも進んでゆく貴方を、どれだけの人が気付いてくれるのでしょうか?
――――私は…貴方を…護りたかった……
どうしてこんなにも私の手は細くて。
どうしてこんなにも私の脚は華奢で。
どうして私はこんなにもちっぽけなのか。
大きな手が、欲しい。貴方を包みこめる大きな手が。
速く走れる脚が欲しい。貴方に追いつき、追い越すための。
強い身体が欲しい。貴方の盾になれる強い身体が欲しい。
…ああ、でもほら…ほら…竜に…ミューズになれば…貴方を護れるから……
恨まれてもいい。嫌われてもいい。どうなってもいい。
私は貴方を護りたいだけ。貴方を傷つけようとする全てのものから。
その全てから、護りたいだけ。貴方を、貴方だけを。
―――貴方だけを愛しています…リュナン様……
『―――エンテ……』
何時も何処か。何処か淋しげに私の名を呼ぶ貴方が。
『君は…どうして……』
何時も聴こうとしていた言葉。本当は、気付いていたのかもしれない。
『…どうして、僕を……』
それでも聴けなかったのは、やっはり少し怖かったから。
『そうだ……約束を破ったのはエンテ、君の方だ……』
約束だけを信じて。それだけを信じて。
強くなれれば良かった。強くいられれば良かった。
この内なる穢れた血すらも跳ね返すような強さがあれば。
私がそれに打ち勝つことが出来る強さがあれば。
…もしかしたらもっと。もっと違う道があったのかもしれませんね……
でも私は。私はこんな愛し方しか出来ないのです。
こんな風にしか…貴方を愛せないのです。
もしも私が何も持たないただの。ただの普通の女の子だったなら。
そうしたら真っ直ぐ貴方の瞳を見つめて、好きだと。
…好きだと…言えたのに……
何時も、祈っていた。
鉄格子から見える月。
それだけが、私と外を繋ぐ唯一のもの。
ただひとつの、光。
だから月に祈りつづけた。
貴方のしあわせを。貴方の笑顔を。
…貴方だけを…祈っていました…リュナン様……
だから今も、ただひとつ。
ただひとつ祈ること。
ユトナの神に、祈ること。
『……ユトナ神よ……私に力を。我が愛するものを守りたまえ……』
「エンテが!?ばかな……どうしてそんな……」
空に舞う二匹の竜が。互いを傷つけ、そして。そして自分を傷つけ。
「リュナン様、今はエンテ様のおこころに従うのです。敵を撃滅せねば、我らはこの街から脱出できませぬ」
自らのこころを傷つけあいながら…戦い合う。
――――こころを、傷つけながら。
…リュナン様…リュナン様……
私は貴方が生きて、この地上に生きて。
そしてしあわせであれば。
貴方が笑ってくれれば、それで。
…それでしあわせなのです…リュナン様……
ぽたりと、ひとつ。ひとつ、零れた。
血の涙がそっと、零れた。
竜の瞳から零れた涙を、どれだけの人間が…気が付いただろうか?
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