目標と現実と


見上げたその先にある大きな背中を、何時しか越えられる日が来るのだろうか?


ふわりと風に揺れる髪がひどく柔らかそうで、リョーマは手を伸ばさずにはいられなかった。そっと気付かれないようにその手で髪に触れてみる。ひどく柔らかい髪だった。見掛けとは全然違う、指を擦り抜けそうなほどに細い髪。
「―――寝てる時は…無防備っすね、先輩……」
髪を指先で弄りながら呟いてみても、一向に手塚の目が覚める気配はなかった。机の上に眼鏡を置いたまま、読みかけの本は開きっぱなしで。椅子に凭れかかりながら、普段は鋭い視線を巡らせているその目が静かに閉じられている。そうしているとひどく。ひどく手塚の表情が幼く見えた。普段誰よりも大人びている彼だからこそ、こうしたギャップは大きなもので。
「可愛いなんて言ったら、どんな顔しますか?」
ふと思いついた事を言ってみてリョーマは苦笑した。想像が出来るようで、想像が出来ない。
ムスっとした何時もの顔になるか、それとも少しだけ照れたような顔になるか。どっちも正解のような気がするし、どっちも間違っているような気がする。そう考えると無性に今、手塚にそれを告げてみたくなった。
けれどもそうしてしまうと今、手塚の寝顔を堪能する事が出来ない。そう考えてリョーマは浮かんできた甘い誘惑を胸の中に閉じ込めた。



ただ、綺麗だった。どうしようもない程に、綺麗だった。
真っ直ぐにコートを見つめるその瞳も。絶対的な強さも。
ボールとラケットを自在に操るそのフォームも。全てが。
全てが非の打ち所のないほど完璧に見えて。そして何処か。
何処か一瞬だけ。一瞬だけ、脆く見えた。本当に一瞬だけ。
それが何処から来るのか、それがどうしてそう見えたのか。

――――まだ彼に勝てない自分では、その理由が分からない。


髪に触れている指先は、ひどく心地良く。そしてひどく、もどかしい。
「…先輩…俺……」
こうして何時もこの髪に触れたいのに、伸ばした手は届かない。
「…ずっと…初めて逢った時から……」
普段見上げる事しか出来ない自分には、どうしても届く事の出来ない距離。
「…ずっと…あんたのこと……」
必死になって追いかけても、どうしても届く事のないこの距離。


大人になりたい。あんたに追いつきたい。そしてその身体を、抱きしめたい。


強い風が一つ吹いて机の上にあった本のページがぱらぱらと捲れる。それが参考書だという事はリョーマにはすぐに分かった。
手塚にとっての学校で占められているもの、それはテニス。それは勉強。その中に自分という存在はどれだけ入っているのだろうか?
自分にとって手塚は目標であり、そして何よりも欲しいと願う相手だった。全てを越えたいと思う相手だった。憧れと独占欲と、そして。そしてどうにも出来ない激しい衝動。それがごちゃまぜになってリョーマの心を支配して、どうにもならずにこの場所に自分を閉じ込めている。

越えたいのに。テニスの腕も、身長も、男として持っているもの全てを。

誰よりも強い人だという事は分かっている。そして誰よりも危うい人だという事も。けれどもそれに自分が気付いても、まだどうする事も出来ない。子供である自分には、彼のその『危うさ』に気付いても、手を差し伸べ支えるところまでは出来ない。それが何よりも、悔しい。
「―――好きだって言っても相手にしてくんないスよね」
見つめていたから気が付いた。追い続けていたから気が付いた。彼の強さは諸刃の剣だという事を。自分を何処までも高みへと進めて、そして気付けば常に『強く』なければならなくなっていた。不安なことがあってもそれを人前に曝け出す事は許されない。弱い所を見せるわけにはいかない。
一番上にいるからこその孤独。頂点にいるからこその不安定さ。それを手塚は持っていた。持っている事にリョーマは気付いてしまった。だからこそ。だから、こそ。
「せめてあんたよりも…背、高かったらな……」
年令で越える事は絶対に出来ないのなら、せめて身長くらい越えられるようになりたい。見掛けだって絶対に大事だと思う。そんな事を考える事事態が子供なのかもしれないが。
それでも今のリョーマにはそのくらいしか思いつけなかった。そのくらいしか考えられなかった。



透明だと思った。透明なんだと思う。
きっと誰よりもテニスに対する思いは純粋だ。
だからこそ、純粋過ぎるからこそ。
きっと何処かで。何処かで傷ついている。


それでも強くなければいけないから。それでも誰よりも厳しくなくてはいけないから。



「…好きだよ…手塚先輩……」



風が、吹く。二人の間を擦り抜けてゆく。
けれどもその瞼は開く事無く、口許から小さな寝息を立てているだけ。
それを感じながらリョーマは、そっと。
そっとひとつ意識のない唇に自らのそれを重ねた。


それはひどく。ひどく、切ないもの、だった。



越えられないのは年だけじゃない。越えられないのは身長だけじゃない。それでも。それでも、追いつきたい。それでも追い越したい。何時かこの人から零れているもの全てをこの手で掬えるようになりたい。少しずつ、零れてゆくものを。
「…好きだよ…本当にね……」
聴いているはずのない告白を、それでもリョーマは真剣な瞳で告げた。もしもその瞳がリョーマを見つめている時にこの言葉をいったなら、どんな。どんな顔をするのだろう?どんな表情をするのだろう?
―――それを見てみたい気もするし、見るのが怖い気もする。


けれどもまだ。まだそれを自分が告げる事は出来ない。子供である自分には、まだ。まだ伝える事は出来なかった。

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