その一瞬の輝きの為に、どれだけの努力と犠牲が存在するのか?
頭上に打ち上げられた花火は、大きな音を立てながら華やかに夜空を飾る。それがほんの僅かな時間でしかなくても、その花火は確かに今この夜空の主役だった。皆の目を惹き、そして心を奪う綺麗な色彩。華やかに空を飾り、そして夢のように消えてゆく。それはひどく。ひどく切ないもの、だった。
「こんな時は綺麗だね、って言葉しか浮かばないね」
夜空を見上げるその横顔を、不二は目を細めながら見つめた。自分よりも頭一つ分背の高い、その男の横顔を。花火の光に照らされ浮かび上がり、そして消えると同時に闇に包まれしその横顔を。
「―――ああ」
隣の彼が何を思いながらその花火を見上げているのかは、不二には分からなかった。眼鏡の下にある双眸は感情を見せる事はなく、ただ。ただ花火の光を鏡のように映し出すだけで。その奥にあるものを暴きたいと思っても、今はこの闇のせいでそれすらも許されなかった。それでも。
「でも僕には、君の方が綺麗に見えるけれど」
それでも彼の瞳の奥が見たくて、強引に顔を自分へと向かせる。頬に手を当てそのまま自分へと視線を合わせれば、少しだけ瞳の加減が揺らいで見えた。
―――――それはとても。とても綺麗で、そして儚く見えた。
その頬に触れ、眼鏡の奥にある瞳を見つめる。
「…男に使う言葉じゃないだろう?……」
漆黒の双眸を。強くて何処か脆いその瞳を。
「でも君は、綺麗だよ。誰よりも」
その瞳に今自分だけが映されている事が、何よりもの。
「綺麗だよ、手塚」
何よりもの優越感で、そして何よりもの疼きだった。
この瞬間は僕だけのもの。でもそれはこの瞬間、だけ。この僅かな瞬間だけ。
君は誰のものにもならない。誰も、奪えない。
コートの上に立ち続ける限り、誰も君を得られはしない。
誰よりも強く、そして誰よりも綺麗な君。そんな君を。
君を僕だけのものにしたくても、どんなに求めても。
―――――君はコートの上に立ち続ける限り、誰も手に触れる事は出来ないんだ。
だから今、触れる。こうしてこの場所に、僕と同じ位置に立っている君に。そんな君に、今僕は触れる。
「…真顔で言うな…俺が困る…」
その白い頬を撫で、そのまま。そのまま髪に指を絡ませて。見掛けよりもずっと、細いその髪に。
「困って、手塚。君の困った顔が見たい」
絡ませたまま、空いた方の手でその身体を引き寄せる。その途端、背中から花火が打ち上げられる音がした。けれども今は。今はそんなものよりも。
「…離せっ…不二……」
「嫌。今は君は僕だけのものだから」
そんなものよりも、目の前にいる君が。一瞬の打ち上げ花火よりも、この瞬間だけ僕のものになる君が。そんな君が。
「お前はどうして…人が来たら……」
「いいよ、誰かに見られても。そうしたら君が僕のものだって、見せつけるだけだから」
腕から逃れようとして、でも逃れる事は君には出来ない。それが分かっているから、こうして。こうして僕は君を抱きしめる。どんなに口で拒否しても、君は僕を決して突き放せはしないから。
「…好きだよ、手塚……」
そんな君の心に着け込んで、僕は君を手に入れる。こうして、手に入れる。
花火の打ち上げられる音を遠くに聴きながら、与えられる口付けを手塚は受け入れた。強引とも言える口付けを、受け入れた。
「……っ……」
何時も穏やかに笑いながら、普段は絶対に感情など見せはしないのに。それなのに自分の前でだけは、彼はひどく感情を剥き出しにする。こんな風に、心を直接鷲掴みにするように。直接心を掴み取るように。
「…不二………」
口付けは強引でも、触れてしまえば優しいものだった。優しいキス、だった。その心地よさが何時しか自分も求めているものだと気付いたのは、何時だっただろうか?何時からこの口付けを自分は望むようになっていたのか?
そんな事を考えても、もう手塚には思い出せなかった。思い出せない程に目の前の男は、自分の心の中に勝手に踏みこみ、そして居場所を作っている。
「…手塚…好きだよ…今だけは、僕だけのものでいてね」
耳元で囁かれる優しい囁きが、どうしてか手塚にはひどく。ひどく切なげに聴こえた。ひどく痛みを伴うものに聴こえた。けれどもそれを。それをどうにかする事は…自分には出来なかった……。
花火の音が、聴こえてくる。頭上から光が降って来る。
それはこの瞬間の為に、存在している。この瞬間の為だけに。
ただ一瞬の輝きの為だけに存在する光。この一瞬の為だけに。
それはまるで君のようだ。君のよう、だった。
コートの上に立つ君は、その為だけに輝いているかのように。
その為だけに存在しているかのように。まるでその場所に立つ為だけに。
君自身がそれ以外のものを必要としないかのように。
コートの上に立つ君は、誰にも触れられない。誰も踏み込む事は出来ないから。
何よりも綺麗なもの。何よりも強いもの。そして何よりも、焦がれるもの。
それは僕には永遠に手に入らないもので、永遠に追い駆け続けるものだった。
それはどうにも出来ない事で、どうしようもない事で。それでも。それでも、こうして。
こうして地上に降りた君を抱きしめられるから。こうして、触れる事は出来るから。
「――――好きだよ…手塚……」
花火の光の残像が地上に落ちてくる。
それを瞼の裏に焼きつけて、もう一度僕は君にキスをした。
君の残像と光の残像が、消えないようにと祈りながら。