言葉にしたら、声にしたら。そうしたら何かが、変わるのだろうか?
滑らかな頬を包み込みながら、レンズ越しのその瞳を見つめた。その瞳の奥を、探った。君の真実が見たくて、もっと深い場所に辿り着きたくて。
「行かないで、なんて女みたいな事は…言わないよ」
ひんやりと冷たい頬をこうして包み込めば、ぬくもりが灯り始める。指先に伝わるぬくもり。それが今ここにある唯一の確かめられるものだった。
「引き止める理由も意味もない。あるとすればそれは僕の独占欲だけだから」
僕はいつも通りちゃんと。ちゃんと微笑っているだろうか?きちんと微笑っていられるだろうか?足許が崩れ落ちるようなこの感覚の中で、ちゃんと。ちゃんと何時もの笑みが出来ているのだろうか?
「…不二…俺は……」
「君への独占欲のためだけに―――君の未来を、潰せないから」
本音を言えば、この腕の中に閉じ込めてしまいたい。一秒でも一瞬でも、離れていたくない。何処までも君を追い詰めて、そして。そして僕だけのものにしたい。けれども。
「でも、帰ってきてね。僕の所へ、必ず帰って来てね」
けれどもそれは、出来ない。出来る訳がないんだ。君を閉じ込めたいと思う反面、僕は。僕は君にどうにも出来ないほどの憧憬と憧れを持っている。テニスプレーヤーとしての君を、何処までも尊敬している。だから、出来ない。
――――憧憬と執着と、独占欲と愛情と。その全てが交じり合い、君という唯一の存在が僕の中に在る。
「何時もお前には、俺は助けられているな」
彼がどれだけ不器用な人間だと気付いたのは何時からだったか?
「…俺は、感情を見せるのが下手だから……」
こんな時にすらどんな顔をしていいのか分からない君。不器用な君。
「…でもお前は何時も…俺の気持ちを分かってくれる」
だから先回りして、そして君の欲しい言葉を捜して。君の望むものを捜して。
「…感謝している…不二……」
そうやって君にとって必要な存在になれるようにと。君にとっての一番の理解者であれるようにと。
「当たり前だよ、だって僕が誰よりも手塚…君を見てきたんだから」
言葉にしたら、変わるだろうか?声にしたら、違う結果になっただろうか?けれども僕には。僕には出来ない。君を、引き止められないから。
だから微笑おう。君の為に微笑おう。君にとって帰る場所があるんだと。君にとってこの場所があるんだと。どんな時でも、どんな瞬間でも、僕は君を想っているんだと。
「怪我をちゃんと治して来てね。そうしてまた僕等の部長として戻ってきて」
髪に指を絡めて、そのまま引き寄せた。きつく抱きしめたかったけれど、今は止める事にする。そうしてしまったら僕は本当に君をこの腕の中から離せなくなってしまうから。
「――――ああ、約束する」
だから今はそっと。そっと君をこの腕で包み込もう。君がいない間も忘れないように。君のぬくもりを、君の匂いを、君の柔らかさを。
「約束する、不二」
少しだけ戸惑ったような顔をして、そして君は微笑う。そうだね、君は。君は何時もそうだった。どうやって微笑うのか分からないから、何時も。何時も一瞬戸惑った顔になる。でもそんな所が。そんな君が、僕は誰よりも好きだよ。
だって君が笑顔まで完璧に出来るような人間ならば、もう僕の手では届かない相手になってしまうから。
君の笑顔を瞼の裏に閉じ込めて、そしてひとつキスをした。
ずっと触れていたかったけれど、けれどもこれ以上は苦しいから。
だから今はこれだけ。これだけを君と共有して。そして。
そして見えないもので君と僕を繋ごう。目には見えないけれど、確かに。
確かに今、ここに存在しているもので。ここに在る、もので。
何時も君を、見ていた。ずっと、見ていた。君だけを、見ていた。
「…お前がいてくれて…本当に良かったと思っている……」
どんな瞬間でも僕の瞳は君を追っている。君だけを追い続けている。
「お前がいなければ…俺は多分……」
ずっと、ずっと。僕の瞳は初めて出逢った瞬間から君に盗まれている。
「…きっと…孤独、だった……」
強くある事が。誰よりも上にいる事が。それが俺にとって『当然』の事。
弱さなど決して見せてはいけない。弱い部分など曝け出せはしない。
そんな自分はあってはいけないし、そんな自分は許されはしない。けれども。
けれどもそんな俺の心を読み取って、何時も。何時もお前は。
お前は俺よりもひとつ、先回りして。そして俺の欲しい言葉をくれるから。
――――俺は決して強くはない。俺は決して強くはないから。
君をそっと抱きしめて、何度も髪を撫でた。何度も何度も、その髪を撫でた。そうしてもう一度。もう一度、キスをする。触れるだけの、キスをして。
「続きは帰ってきてからね」
「…お、お前は……」
僕の言葉に耳がかああっと紅くなる。顔の表情は変わらないのに。耳と頬が紅くなって、そして耐えきれずに僕から目線を反らしてしまう。そんな所が、どうしようもない程に好きで。好き、だから。
「そのくらいのご褒美、いいでしょ?」
ふざけ半分に言った言葉に君は小さく頷いた。僕しか分からない本当に小さな頷きを、くれた。
言葉にしても、声にしても、変わらないかもしれない。けれども変わるものもあるかもしれない。でも。でも今は。今はこれで、いい。これで、いいんだ。
君が帰って来たその時に、言えなかった事を、伝えられなかった事を全部告げるから。