漠然


――――漠然とする不安と、見えない現実。


ぼんやりとしたものが目の前にあって、何時も。何時もそれを気にしながらも、掴めないでいる。手を、伸ばせないでいる。それに手を触れて確かめたいのに。確かめたい、のに。
けれども確かめてしまったらば、気付いてしまったならば、もう。もう何処にも戻れないのだろうという事だけが分かっていて。それを分かっているからこそ…確認できないでいる。


憧れと、独占欲と、そして執着と。どれも正しくて、どれも間違っているような気がする。



真っ直ぐに向けられた瞳が、挑むように自分を見上げてくる。強すぎる視線は時に他人を怯えさせる程だろう。けれどもそんな視線を乾は何時もの人の食えない笑みで受け止めた。
「どうした?海堂」
何時から気付いたのだろうか?この視線が敵意を持って向けられていないと理解したのは。他人に接することが苦手な彼が、こうして自分を睨むように見つめる理由がもっと別にあるのだと。
けれども。けれども、まだ。まだその『理由』の意味を、分からないでいる。
「―――強くなりたいんです、先輩」
それでもこうして向けられる視線を嫌だと思った事はない。むしろ今はこうして自分だけに向けられる事に優越感ですら感じるようになっている。ささやかな優越感。それは何時しか乾の心を満たして、そして別の感情を生み出すようになっていた。
「今のままじゃ俺は……」
その先の言葉を海堂はぎゅっと唇を噛み締めて飲み込んだ。言いたい事は乾には嫌というほどに分かっている。自分もそうだ。自分もそう思っている。けれども口に出す事は、海堂のプライドが許しはしないし、乾自身も甘んじてそれを受け入れる理由はなかった。
でも互いの心の中に浮かんだ顔はただひとつだった。ただ、ひとつ。あの小さなルーキーが、確実に自分たちの足許を掬い始めている。
自分たちが築き上げてきたものを打ち壊すだけの鮮やかな強さを、見せつけたあのルーキー。
「俺は強くなりたい」
同学年の者達ですら混じろうとはせずに、独りで高みを目指していた彼。誰の力も借りずに独りで強くなろうとしてきた彼。それがあの少年の存在によって、今までの自分を捨ててまでもこうやって。こうやって誰かの手を借りてでも強くなりたいと思う程に。
「ならこの練習メニューを、やってみるか?」
ただそれが。それが自分の『手』であった事が。他の誰でもない自分にそれを求めた事が乾にとっては重要だった。何よりも、重要だった。
「―――はい」
それがゆっくりと、けれども確実に乾の全身を満たしていった。



漠然とした想いはいつもそこにあった。目の前にあった。
それを掴もうとする前に、目の前の彼は全身を逆立てて拒否をする。
それ以上立ち入るなと、ムキになって逆らってくる。けれども。
けれどもそれが逆に自分にとって何よりも、気になるものになっていった。
何よりも気になって、そして。そして何時しか。


――――何時しかそれを手懐けたいのだと。それを手にいれたいのだと思うようになっていた。



差し出されたメニューを受け取りながら、海堂は乾を見上げた。自分よりも頭ひとつ分大きな背丈。それが二人の距離のように感じられた。この差の分だけ、自分は追いつけていないのだと。
「…これの二倍でいいッス……」
何時か追いつける日が来るだろうか?そう思った所で海堂にはイエスと言える自信が何処にもなかった。その日が来ることが、想像出来なかった。
自分が今乾の位置に立てたとしたら、その瞬間に彼はその先に進んでいるような気がして。一才という年齢差が永遠に変わらないように、自分達の距離も永遠に変わらないのではと思えるほどに。
「海堂らしいね、でもがむしゃらに鍛えるだけが強くなる方法じゃないんだよ。効果的にトレーニングするのが一番だからね」
厚い眼鏡の奥の瞳はどんな表情をしているのか海堂には分からない。だから彼の気持ちを読み取るには口許の笑みと声の穏やかさ以外にはない。けれどもそれだけじゃ、海堂に乾の本心までは見えない。
見たいと、思った。知りたいと、思った。考えていることを、思っていることを。



漠然とした思いが少しずつ形になってゆく。ゆっくりと、でも確実に。
手探りだったものが、こうして手のひらに広がってゆく。それは、怖かった。
怖いと思った。自分の知らないものが目の前に剥き出しになってゆく。
少しずつ剥がされて、全てが逃れられない程にはっきりと見えてしまったら。
自分がどうなってしまうのか、分からない。分からないのは、怖い。


――――嫌になるほどに言葉は浮かんでくる。でもその全てが正しいようで間違っている気がする。



どの言葉が一番今の思いに近いのか。どれが、正しいのか。
「…でもそれ以外俺には思いつかないっす……」
頭に浮かんでくる言葉の中のどれが一番この思いに正しいのか。
「ただ練習する事以外」
どれも正しい気がする。どれも間違っている気がする。



「だからその方法を、俺に聴きに来たんだろう?海堂」



見上げてくる瞳が見開かれたのが、ひどく。ひどく乾の瞼の奥に焼きついた。こうして驚愕に見開かれた瞳を見て初めて。初めて、気がついた。海堂の瞳がひどく子供のようだったのだと。
子供みたい、だと。普段の眼光のきつさに覆われて隠されていたものは、こうやって。こうやって無防備になって初めて、見ることが出来るんだと。
それはどうしようもない程に乾の心を満たし。満たしてそしてどうにも出来ない思いが全身を支配した。
「大丈夫、海堂は強くなるよ。その分俺も、強くなるけどね」
「―――ずるいっス、先輩」
「はは、そうだね。俺はズルイ男だ」
からかうように言いながら、心で別のものが込み上げて止まらない。止められない。その感情の意味に乾は気付いて、そして。そして、諦めた。抗おうとして、諦めた。


抗えるほど簡単な想いじゃないと。そんな事が出来るほど容易い想いじゃないと気付かされたから。



漠然とした想いは、明確な形となって何時しか。何時しかふたりを戻れない場所に連れてゆくのだろう。でも今はまだ。まだもう少し、この心地良い場所に留まっていたかった。

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