惚れてんだなぁと実感する一瞬。その一瞬一瞬の、積み重ね。
ひどく無邪気な顔で笑ったりとか。突然不機嫌になった時とか。
思いも付かない我が侭を言った時とか。不意に甘えてきた時とか。
そんな一つ一つの瞬間に、改めて実感する。改めて、思う。
――――悔しいくらいに、惚れているんだって。
「ヴ〜もう飽きたっ!」
ばさばと本が落ちる音と共に菊丸の叫び声が聴こえてきた。それも今日三回目の。仕方ないと思いつつ読んでいたマンガをその場に置くと、桃城は菊丸の落とした本を拾い始める。
「はにゃ、ごめんねぇ桃」
「―――って全く英二先輩は…こんなんで進学大丈夫なんですか?」
少し呆れたように言えば見る見るうちに菊丸の機嫌が悪くなる。それを分かっていて言う自分は確信犯だ。けれども、不機嫌な顔ですらどうしようもない程に可愛いと思っているから末期なのだが。
「うるさいにゃあっ桃には言われたくない」
ぷぅっと子供のように頬を膨らまして拗ねてしまう。更に本を拾っている桃城に本気でグーで殴ってきた。イタタと言いながら頭を抑えて、桃城は菊丸へと視線を向ける。本当に誰が見ても分かるくらいに怒っていた。
「すみません、つい」
怒った顔も滅茶苦茶に可愛いのだが、殴られるのは堪らない。なので今回は素直に謝ることにした。そして菊丸の機嫌が直るであろう言葉も同時に添えて。
「つい、先輩の怒った顔が見たかったから」
こんな時は素直に自分の気持ちを告げたほうがいいんだと、菊丸との付き合いの中で桃城はしっかりと学習をした。
驚くほどに色々な表情を見せてくる。それを決して隠そうとしない。
思った事をそのままに。そのままに自分に見せてくる。それが。
それが本当に。本当にどうにかなりそうなくらいに嬉しい。嬉しいから。
だから色んな顔が見たくて、つい。ついからかったりいじめたりしちまうんだ。
ぱたぱたと本が捲れる音がする。窓から吹いてきた風のせいだ。けれども、もう積み重ねられた参考書は菊丸にとってどうでもいいものになっていた。
「そんな顔見てどうするつもりにゃ?」
そう言う菊丸の顔はもう微笑っていた。子供みたいに無邪気な笑顔。本当にくるくると表情が変わる。面白いほどに、色々な顔を見せてくる。
「どうもしませんって。先輩の怒った顔も可愛いから見てーなぁってね」
桃城の言葉に菊丸はにこっと笑って両腕をその背中に廻した。広い背中だった。大きな背中だった。自分よりもずっと体格のいい後輩。最初はこの分厚い筋肉が気に入らなかったけれど、今は違う。今はそれが大好きなものに変わっている。
「見たいにゃ?」
「でも今さっき見ましたから。だから今は笑っている先輩がいいです」
そう言って菊丸を腕の中に抱きしめる。その感触に、菊丸は目を閉じた。自分よりも一回りも大きな後輩。本当に最初はムカついていたけれど、今はその差が心地いい。こうやって大きな腕で抱きしめられるのも、広い胸に頬を当てるのも。全部、全部、菊丸にとっては気持ちのイイものになっていたから。
「へへ、お前ってホント暖かいな」
「―――先輩?」
「夏は少し暑苦しいかもしんないけど、冬は湯たんぽ変わりになっていいな」
「…それって俺の体温が高いって事っすか?…ガキみたいじゃないですか」
「いいんだよ、これで。俺が気持ちイイからいいにゃ」
がばっと顔を上げて上目遣いに菊丸は桃城を見上げてきた。それは何処か悪戯をする子供のような瞳だった。けれども誘惑をしている子悪魔のようにも見えた。
でも桃城にとってはどちらでも良かった。どちらでも自分にとって愛しいものには変わりないのだから。
「そうですね、英二先輩がイイんならそれでいいっす」
「へへへ、ならもっとくっつくもん」
「どうぞ、幾らでも。俺は全部先輩のモンですから」
「ホントか?」
「ええ、ホントですよ。全部、英二先輩のものですよ」
「わーいやったー。俺のモンだー」
本当に嬉しそうに菊丸は言うと、力の限り桃城に抱き付いてきた。こんな所が子供だ。でもこんな所が、大好きだ。驚くほどに子供っぽいところが、桃城には目に入れても痛くない程に可愛くて仕方ないのだから。
「英二先輩」
「およ?」
呼ばれて顔を上げた菊丸に、桃城はひとつ髪にキスをした。陽だまりの匂いのする柔らかいその髪に。それだけでうっとりとしてくる菊丸に追い討ちをかけるように、唇を額に落としてゆく。額に落としたら、鼻筋に滑らせ、頬にひとつチュッとした。
「…桃……」
「先輩ホントにキス、好きっすね」
くすくすと桃城は笑うと、とろんとした目で見上げてくる菊丸に答えるために唇にキスをした。多分今一番彼がして欲しい場所に。
重ねるだけのキスでも菊丸には絶大の効果があった。身体を摺り寄せ、今にも喉を鳴らしそうになっている。本当にこんな所は猫みたいだ。
「…気持ちいいにゃ……」
「もっとしてあげますよ、先輩が望むだけ」
その言葉に菊丸は答えずに目を閉じ唇を桃城に突き出してきた。ソコにして欲しいとはっきりとした主張。そんな所が桃城は好きだった。どんな時でもどんな瞬間でも、自分に正直な彼が。何時でも欲しいものは欲しいと主張する彼が。
だからどんな我が侭も、どんな願いも、叶えてあげたい。
キスしてあげる。いっぱい、してあげる。
「…んっ…はぁ……」
顔中に、身体中に、何処にでも。
「…好き…桃……」
あんたが望むなら幾らだって。幾らでも。
「…大好き…だよ……」
唇が痺れてかさかさになるまで、キスをしてあげる。
「――――俺も、好きです。英二先輩だけが好きです」
だからキスをしよう。呆れるくらいいっぱいしよう。
それでも足りないから。絶対に足りないから。
だからいっぱい。いっぱい、キスをしよう。