言葉の雨


何時も伝えようとする言葉よりも先に、この唇を塞がれてしまう。何時も何かを告げようとする前に、その腕に抱きしめられてしまう。
それが嫌だとかそういう訳じゃない。ただ悔しいだけだ。ひどく、悔しいだけだ。
「目の下の、ホクロ。色っぽいって言われない?」
見掛けよりもずっとしなやかな指が、跡部の目の下のホクロに触れる。それだけでひどく胸が、震えた。こんな事ぐらいで…情けないと思いながら。
「んな事、言われねーよ」
それを見破られたくなくてわざと不機嫌に言ってのければ、千石はそっと目を細めた。それは自分を咎めている表情でもなければ、呆れている表情でもない。ただ。ただひたすらに優しいものだった。優しい笑顔、だった。
「じゃあ俺が初めて?ラッキー」
「…そんな事でラッキーになるなんてめでてー奴だな、お前は」
優しい笑顔が無邪気な子供のような顔になる。本当に子供みたいな笑顔だ。けれどもその顔を見ても呆れる事はない。くしゃくしゃにして微笑う千石の表情を跡部は嫌いではなかった。むしろ、好きだった。羨ましいくらいに素直に笑う所が。
「跡部くんのコトなら何でも嬉しいの、俺。何でも『初めて』の男になりたいからね」
「―――っておめーは……」
はあとわざとらしく溜め息を付いて、跡部はまだホクロに触れている千石の手を払い除けようとした。けれどもそれは寸での所で遮られてしまう。千石のその指先によって。
「どんな事でも、最初になりたいんだ。そして、最期にも」
指先が、絡まる。千石の指は普段ラケットを握っている者の手とは思えない程に綺麗な手だった。しなやかで細い指先。それが跡部の手に絡まり、そのまま包み込んでゆく。
こうして千石の手に自分の手を包まれる瞬間、跡部は何時も。何時も言葉に出来ない胸の疼きを感じる。それを探ろうとして…探ろうとする前に唇が塞がれ、思考を止められてしまう。自分が、答えを見つけ出す前に。現に今も跡部の唇は千石のソレによって奪われた。
「…このまま、してもいい?……」
指を絡めたまま、何度も唇を重ねて。何度も角度を変えながらキスをして、千石は跡部に尋ねてきた。その言葉を否定するには、今の状態は分が悪すぎる。腕の中に抱きしめられ、甘いキスを繰り返された今の時点では。
「…お前は…この節操無しがっ……」
「だって好きだから、しょうがないでしょ?だって何時も」
背中に廻した腕が、何時の間にかひょいっと跡部を抱き上げていた。こんなに軽がると抱き上げられて跡部としては屈辱なのだが、けれどもそれ以上に自分を見下ろす瞳があまりにも嬉しそうだったから。嬉しそうだったから…嫌だとは言えなくなって。
「何時も俺達一緒には…いられないでしょ?」
そして何よりも笑いながら、けれども少しだけ翳りのある瞳で告げられた言葉に…跡部は何も言えなくなってしまった。


――――何時も一緒に、いられないでしょ?


当たり前のことだった。自分等は学校も違えば、コートの上に立てばライバル同士でしかない。こんな風な関係になってしまうなんて、本来の自分ならば絶対に許しはしない事だった。まかり間違ってもこんな関係になるような落ち度をするような自分ではなかったはずなのに。
なのに気付けば、この腕を求めていた。気付けばこの腕に心地良さを憶えていた。気が付けば、彼が自分の元へ来るのを、心の何処かで待ちわびていた。
「当たりめーだろうがっ!…俺達は敵校同士なんだろうがっ!」
待っていた。何時も何処かで待っていた。練習に打ちこんでいる時でも、学校で勉強をしている時でも。ふとした瞬間に。ふとした、一瞬に。思い出すのは何時も。何時もこの腕と、この笑顔。悔しいくらいに瞼の裏に鮮やかに焼き付いている、その笑顔。
「分かっているよ。分かっているけど、俺我が侭だから」
自分の名前を呼ぶ声も。自分の髪を撫でる指先の感触も。嫌になるくらい鮮やかに、刻まれている。自分の中に、刻まれている。
「我が侭だから、独占したいんだ。いっぱい、いっぱいね」
くすくすと微笑って、千石は跡部の首筋に顔を埋めた。ふわりと甘い匂いが千石の鼻孔をくすぐる。それがシャンプーの香りだと知ったのは、何時だっただろうか?
ふとそんな事を千石は考えて。考えて、思考を止めた。今はそんな事よりも目の前の相手の方が大切だったから。何よりも、大事だったから。
「君が大好きだから」
臆面もなく告げられる言葉。真っ直ぐに告げられる言葉。惜しげもなくその言葉は跡部に注がれる。まるで自分という器から溢れてしまうほどに。
もしも。もしもと、思う。溢れて零れてしまったら、自分はどうなってしまうのかと。何もかもが見えなくなってしまうのだろうか?何もかもが溶けていってしまうのだろうか?何もかもが…流れていってしまうのだろうか?
「…好きだよ、跡部くん……」
笑顔。目が細められて、そして微笑う顔。それを見ているとひどく胸が痛い。ちくりと、痛い。嬉しいはずなのに。本当はこうして微笑う顔を見ているのは嬉しいはずなのに。なのにどうして何時も、胸の痛みを伴うのだろうか?
「…んっ…ふぅっ……」
重なる唇が意識を奪ってゆく。痺れるほどのキスは唇に全ての感覚を集中させ、他の全てを掻き消してしまう。重なった唇の暖かさと、柔らかさ以外。
「…ふぅっ…んっ…んんっ……」
舌で唇を舐められ耐えきれず口を開けば、生き物のような舌が忍び込んで来る。そのまま根元から舌を絡み取られ、跡部の意識は拡散をした。
「…可愛い…跡部くん……」
「…何言って…やがるっ…ふっ……」
溶かされる意識を引き戻すように、甘い囁きが耳元をくすぐった。その言葉に跡部の頬がさぁっと朱に染まる。それを目を細めながら千石は見つめ、口許から零れる唾液を舌で辿る。口元から顎のラインに零れたそれを辿れば、びくりと跡部の肩が揺れた。
「可愛い、本当だよ。誰よりも、可愛い」
「…可愛いと言われて喜べるかっ…俺は男だぜっ!」
「でも可愛いから、ごめんね。大好き」
「………」
何時も笑ってばかりなのにこんな時に不意に真剣な瞳を見せるのは卑怯だと跡部は思う。こんなに間近でその瞳を見せられたら、口から出てくる反撃は封じられてしまう。その先の悪態を、付くことが出来なくなってしまう。
「…っ!…あっ!……」
千石の視線から逃れられたと思った瞬間、生暖かい口中に胸の果実を含まれた。ちろちろと舌先で嬲られて、思わず跡部はシーツをぎゅっと握り締めた。
「…やめっ…あっ…はぁっ……」
男とセックスなんて千石としかした事ないから比べる対象は何処にもないのだけれども。けれども上手いと、思う。と言うか上手すぎると思わずにはいられない。だって何時も。何時も気付けば自分はこの腕の中に溺れさせられている。口では嫌だと言っても、身体が反応している。刺激を、待ちわびている。
口に含まれ舌で嬲られただけで乳首は痛いほどに張り詰めて、もっと強い刺激を求めている。
「…あぁっ…あっ…んっ……」
はっとした時には自分は千石に胸を突き出していた。突き出して、より深い刺激を求めていた。それに気付いて咄嗟に身体を引っ込めようとしても、千石に抱き寄せられ動きを封じられてしまう。その間もぴちゃぴちゃとわざと音を立てながら、胸の果実を舌が弄んでいる。
「…やぁっ…やめろっ…てっ…はっ……」
それが口だけだと分かっているから千石は止めなかった。唾液で濡れぼそるまで乳首を舌で嬲りながら、指先を跡部の身体に滑らせてゆく。胸の筋肉をなぞり、わき腹のラインを辿る。
無駄のない引き締まった身体だった。まだ成熟されていない少年っぽさを残す身体だった。その身体に愛しげに指を這わしながら、そのままスボンのベルトに手を掛ける。カチャリと音と共にベルトを外すと、ぎゅっと目を閉じていた跡部の瞳が開かれた。
「こんな時に目、開けちゃう君が可愛い」
「…うっ…うっせー……」
目を開けてみたものの恥ずかしくてぷいっと跡部は視線を千石から外した。そしてそのままシーツに顔を埋めてしまう。そんな彼にひとつ千石は微笑うと、そのまま下着と一緒にズボンを下ろした。
「脚、立てて。脱がせられないよ」
悔しいけど中途半端に止まったままでは都合が悪いのは、否定できない。シーツに埋めた顔を起こす事無く、跡部は膝を立てて千石のやりやすいようにした。
するりと音と一緒にズボンと下着が脱がされる。それをそのままベッドの下に放り投げると、剥き出しになった跡部自身に千石は指を這わした。それは既に微妙に形を変化させ、千石の手の中でどくどくと脈を打っている。
「…はっ…あぁっ…あ……」
巧みな指が跡部を追いつめてゆく。柔らかく包み込まれ、形を辿るように指が滑ってゆく。括れの部分をつま先で擦られ、先端の割れ目に指の腹が触れる。割れ目から括れの部分を指が行き来をすれば、耐えきれず跡部のソレは熱く滾った。
「…あぁっ…千…石…っ!」
とろとろとした先走りの雫が零れた瞬間、千石の手の動きが止まった。ソレから指が離れ、そのまま跡部の唇を指がなぞる。繰り返されるキスのせいで艶やかに濡れたその唇をなぞりながら、ゆっくりと口内へ指が埋められた。
「…ん…ふ…んん……」
その指をどうすればいいのかは、もう身体が知っていた。考えるよりも先に舌が動いていた。千石の指に舌を絡ませ、唾液で濡らしてゆく。その間も口内の指は粘膜の柔らかさを確かめるように、口の中の肉をなぞっている。
「もういいよ、跡部くん」
最期に歯の裏をなぞって跡部の口中から指が引き抜かれた。たっぷりと唾液で濡らした指を、千石は跡部の秘所に忍び込ませる。ぎゅっと閉じられた蕾の入り口をなぞりながら指を埋めてゆく。
「…くっ…んっ……」
狭い入り口を探るように指が動く。内壁を押し広げるように奥へと侵入してゆく。抵抗する媚肉を掻き分けながら。根元まで入れて中で指を曲げてやれば、耐えきれずに跡部の身体が痙攣をした。
「…くふっ…はぁっ…ぁぁっ……」
「最初は指、入れるだけでひと苦労だったけど…今は」
「…はぁっ!…あぁっ……」
「今はもう三本も指、入ってるよ」
くちゅくちゅと濡れた音がする。何時の間にか本数の増やされた指が、跡部の中で好き勝手に蠢いている。ぐいっと秘所を指で広げられて、ソコを別な指で掻き乱される。それだけでもう。もう跡部には耐えきれなかった。爪が白くなるほどシーツを掴み、襲ってくる刺激に必死で耐える事しか出来ない。押し寄せる快楽の波に、耐える事しか出来ない。
「…はぁっ…もう…もうっ……」
ぽたりと目尻から涙が零れる。それが跡部の頬を伝いシーツを濡らした。同時に口から飲みきれなくなった唾液も。ぽたりとシーツに染みを作ってゆく。
「うん、もう。もう俺も限界」
くすっと微笑って、千石は跡部の額にキスをひとつした。それだけでじわりと額から広がる甘さが、跡部の瞼を震わせる。それだけで、睫毛が震える。
「―――好きだよ…跡部くん」
引き抜かれた指の感触にすら、身体が震えた。けれども腰を抱きかかえられ、入り口に当たった熱さと硬さのほうが…もっと。もっと、震えた。



背中に爪を、立てた。お前が立てていいって、言ったから。だから、立てた。
「…あああっ!…ああああっ!!」
こんな時。こんな瞬間。お前は俺のモンだって、自覚する。こんな時に。
「…跡部くん…跡部くん……」
こうしてお前の背中に爪を立てている時が一番。一番、感じられる。お前が。
「…千石っ…せんご…くっ…あぁぁっ!!」
お前が俺のものだって。俺だけのもの、だって。俺だけの……。


――――何時も一緒に、いられないでしょ?


いられねーよ、一緒になんていられねーよ。でも、さ。でも。
こうやって爪を立てた背中が俺だけのもんなら。俺だけのもんならさ。
こうして出来た傷は、俺だけが作れるもんなんだろ?
だったら、この傷が。この傷が一緒にいる変わりにはなんねーか?


――――それは俺だけの自己満足か?俺だけが勝手に…満足している事か?


そばにいてーよ。本当は俺だって。俺だってお前、見てーんだよ。
俺の知らないお前の顔があるのは…本当は嫌なんだ。嫌、なんだ。
クラスメートと喋ってるお前や、教室で勉強しているお前。
普段の仲間達と練習している光景や、校内ではしゃいでいるお前を。


どんなお前でも。どんな場面でも、どんな瞬間でも。本当はお前、見てーから。


好きだってお前は簡単に言うけれど。俺にとってはどんだけ言うのに苦労する言葉か分かってんのか?そんな俺がお前を好きだと言ってんだぜ。わざわざ敵であるお前に…惚れてんだぜ。



…悔しいけど、惚れてんだ。悔しいけど…どうしようもねーほど…お前好きだから……



体内に注がれた熱い液体を受けとめながら、跡部はきつく千石に抱き付いた。つま先が滲むほどに爪を立てながら。その痛みこそが、跡部の気持ちだと。その強さこそが決して口に出さない跡部の想いだと、千石には分かっていたから。分かっていた、から。
「…好きだよ…君が…君だけが……」
何時も一緒にいられなくても。何時もそばにいられなくても。こうして。こうして気持ちは繋がっているように。気持ちが結ばれているように。
「…好きだよ…跡部くん……」
言葉を紡ぐ。言葉を降らせる。そばにいなくても自分が消えないように。消えないように、彼自身の全てを埋めるように、言葉の雨を降らせた。



君が俺を見ていない間も、俺の言葉で君を埋められるように。埋められるように、と。

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