ゆびきり

――――約束なんて、いらないけれど。そんなもの、いらないけれど。


気持ちよさそうに眠るその顔を見つめながら、跡部は一つ溜め息を付いた。あまりにも気持ちよさそうに眠っているので起こすのも忍びない気もするが、それとこれとは別問題である。大体人の家に転がり込んで熟睡しているのは許せない。そう、せっかく自分がいるというのに。
「あれだけ電話で逢いたい逢いたいうるせーのに、寝てんじゃねーよっ！」
むかついたので床に転がっている身体を脚蹴りしてやった。それもめいっぱい。お陰でびくんっと千石の身体が反応を寄越す。内心『ざまあみやがれ』と思いつつ千石を見下ろそうとしたら、視界が反転をした。
蹴られた痛みに身体を丸めて堪えていたと思った千石が不意に上半身を起こし、そのまま強引に跡部の手首を掴むと自らの腕に抱き寄せたのだ。
「つーかまえた」
一瞬何が起こったのか分からず呆けている跡部に、千石は一つ無邪気な笑顔を向ける。そしてそのまま掴んだ手首を、引き寄せて。引き寄せて腕の中に閉じ込めてしまう。この時点になってやっと自分に起きた事が分かっても、跡部にとってそれは後の祭でしかなかった。
「は、離しやがれっ！」
「やーだよ。せっかく捕まえたのに」
そう言って嬉しそうに微笑うと、千石はここぞとばかりに跡部の顔中に小さなキスを繰り返す。うっとうしいと告げて離れようとする跡部の髪を抑えこみながら、何度も何度も顔面にキスの雨を降らせてゆく。
「…ってお前は犬かっ！人の顔べろべろ舐めやがってっ！！」
「舐めてるんじゃないよ、キスだよ。それとも…舐めて欲しいの？」
綺麗な指がふわりと跡部の髪を撫でた。細くてしなやかな千石の指先。その指で髪を撫でられるのは、嫌いじゃない。むしろ心地良いとまで思ってしまう。
けれども千石がそれを分かっているから、こうやって。こうやって自分が不機嫌になると髪を撫でるのだから、ムカついてしょうがない。でも、手を止められるのは…嫌だった。
「お、お前は……」
卑怯だ、と言う前に跡部の唇は千石のそれによって塞がれた。触れるだけの甘いキス。けれども甘すぎるキスは、不覚にも跡部の意識を甘やかに溶かしてゆく。
「舐めてあげるよ。今日は、俺は跡部くんの犬だから」
「…何だよ、それ……」
「って何時も犬だけどね。君に構って欲しくって尻尾を振りまくっている」
苦笑交じりに微笑って、千石はぺろりと跡部の頬を舐めた。ざらついた舌の感触が頬を滑ってゆく。それが顎のラインを辿り耳まで辿りつくと、そのまま軽く歯で耳たぶを噛まれた。
「…止めろ…千石っ……」
その感触にぞくりと背筋が震える。このまま繰り返されれば自分がどんな状態になるかなんて目に見えている。それから逃れたくて、跡部は千石から身体を離そうと起き上がった。けれどもそれは叶う事がなかった。力強い腕が、身体を閉じ込めてしまって。
「やだ、久々に逢えたんだもん、させてよ」
「…さっきまで寝てやがった癖に……俺がいんのに………」
最後の方の、跡部の言葉はぼそりと小声で呟いた言葉だった。けれどもしっかりと千石には聴こえていて、無意識に口許を綻ばせる。と言うよりも、明らかに顔が喜んでいる。
「もしかして拗ねてるの？可愛いなあ、跡部くんは」
「って可愛い言うなっ！気色悪りーだろっ！！」
「だって可愛いんだもん、しょうがないでしょ？」
ぎゅっと抱きしめられて、そのまま髪にキスをされた。こんな時千石はひどく無邪気な顔をする。子供みたいな表情を、する。
「だからさせて、ね。大好きだから」
そしてそんな無防備な笑顔を自分が弱いって事を知っている。知っているから惜しげもなく見せて、そして。そして跡部の反撃を丸め込んでしまうのだ。


呆れるくらい、一緒にいたいって。そばに、いたいって。
戸惑う事無く恥ずかしげもなく、真っ直ぐな瞳で告げられる。
そんな瞬間が何時しか。何時しか嬉しいと感じている自分がいて。
俺もだって、思っている自分が在ると気付いた瞬間。


――――悔しいと、思った。滅茶苦茶悔しくて…でも好きなんだって思った……


ワイシャツのボタンを外されて、鎖骨に舌が這わせられる。滑らかなラインを辿りながら、窪みをきつく吸い上げられて、跡部の身体が小刻みに揺れた。
「…ふっ…千石っ……」
千石の舌が首筋から胸元へと滑ってゆく。そのたびに彼の髪が跡部の顔に当たり、ひどくくすぐったかった。それに耐えきれず首を左右に振れば、背中が床に擦れて少し痛かった。
「…はぁっ…あ……」
舌が胸の果実に辿りつき、そのまま舌先で突起を突ついた。さっきの言葉通り、千石は直接指を性感帯には触れない。その代わり、舌を身体中に滑らせてゆく。
ちろちろと胸の果実を舌で嬲り、唾液でねっとりとするまでしゃぶった。軽く歯を立ててやれば、痛いほどにソレは張り詰めてゆく。
「…あぁ…ぁ……」
やっと胸から解放されたと思ったら、千石の舌はゆっくりと下腹部へと滑ってゆく。胸の間を通り、腹筋を舐めて、臍の窪みに舌を忍ばせて。そしてそのままズボンに辿りつくと、口でファスナーを降ろした。ジィーと音と共に。
「…止めろっ…千石…そんな……」
それがひどく厭らしい場面のように跡部の瞳に焼き付いて、思わず声を上げてしまう。けれども構わずに千石は口だけでファスナーを降ろすと、ゆっくりと顔を上げた。にっこりと、微笑いながら。
「今日は跡部くんの犬だからね。いっぱい、舐めてあげるよ」
ベルトを外し跡部自身を取り出すと、そのまま千石はすっぽりと口に含んだ。生暖かい口中の感触に、跡部の睫毛が震える。舌を使い始めれば、組み敷いた身体が痙攣してゆくのが伝わった。
「…あっ…あぁっ……」
先端を舌でしゃぶってもう一度口に含んだ。何度か口を上下させれば、跡部自身は形を変化させてゆく。側面を舐め上げ形を舌で辿れば、何時しかソレはどくどくと脈を打ち始めていた。
「…千…石っ…あぁぁ……」
背筋から這い上がってくる快楽に耐え切れず、跡部は首をイヤイヤと横に振った。下腹部で擦れる千石の髪を掴みながら。その指の強さを感じて千石は唇を離して、跡部を見上げる。不意に訪れた喪失感に潤んだ瞳を開けば、千石の視線と絡み合った。
唾液で濡れた唇をぺろりと千石は自身の舌で舐めて、くすっと跡部に向かって微笑った。その顔がひどく雄の匂いを含ませていて、跡部はぞくりと震えた。普段の無邪気な笑みとは違う、明らかな『雄』の笑み。自分を求め、自分を奪おうとするその表情に。
「―――跡部くん、好きだよ」
「…あっ……」
下着ごとズボンを脱がされ、下半身が剥き出しにされる。外の空気に肌が触れて、一瞬冷たさが跡部を支配する。けれどもそれは直に。直に訪れた熱に奪われていった。
「大好きだよ、跡部くん。ココも―――」
「あぁっ！」
脚を限界まで開かされ、息づく秘所に舌を挿れられた。ぴちゃりと、入り口の窄みを舐められれば、一気に思考は快楽へと奪われてゆく。ざらついた舌が敏感な肉を舐めて、入り口を解してゆく。その間にも千石の指は足の付け根を軽く愛撫して、跡部の刺激を増徴させていった。
「…はぁっ…ぁぁ…やぁっ…ぁ……」
伸ばした舌が中へと挿ってくる。柔らかい肉を押し広げるように舐めながら、奥を唾液で濡らしてゆく。それは直接指で触れられるよりも、もどかしい刺激だった。けれどもじわりと這い上がり、消える事のない刺激だった。
「大好きだよ、全部。だから」
唇がソコから離れる。一本の唾液の糸を名残惜しげに結びながら。それを舌でぺろりと掬い上げると千石は一端跡部から身体を離した。そうして充分に変化させた自身を取り出すと、もう一度跡部の身体に割り込み、入り口にソレを当てる。その感触にびくりっと跡部の身体が跳ねた。
その反応に千石は目を細めると、一気に貫かずに自身で何度か入り口をなぞって跡部を焦らした。触れてくる硬さと熱さが、もどかしい。このまま。このまま貫いて欲しいと思った。このまま掻き乱して欲しいと思った。激しく中を、掻き乱して欲しいと。
「…千石…の…バカやろっ……」
「どうしたの？跡部くん」
「…どーしたじゃねーっ！…じ、…焦らすなっ！……」
途中まで言いかけて理性が一気に戻ったのだろう。跡部の顔が耳まで真っ赤になる。けれども言葉にしてしまったものは、もう消せない。煽られた熱も、もう消せない。
「うん、ごめんね。でも君の口から聴きたかったんだ」
「…お…おめーは……」
「でも俺も限界だから。だから君を、ちょうだいね」
足首を掴まれて、それを千石の肩に乗せられた。そうして腰を掴まれゆっくりと跡部の中に千石が挿ってくる。その熱さと硬さに、跡部はひとつ安堵の溜め息を付いた。
欲しかったモノがやっと。やっと与えられて。けれどもその溜め息も、直に喘ぎへと摩り替わってしまったが。
「…あああっ…あぁっ！」
引き裂かれるように中を抉る楔の刺激に。肉の擦れ合う感触に。繋がった個所から聴こえてくる濡れた音に。その全部に、意識が溺れて溶かされた。与えられる刺激を追う事が全てになって、何も考えられなくなる。頭が真っ白になって、どろどろに溶かされてゆく。
「…あぁぁっ…千石…っ…せん…ごくっ！……」
「熱いよ、跡部くん。君の中…このまま溶けちゃいそうだ」
「…はぁぁっ…あぁぁっ…あっあっ……」
抜き差しを繰り返すたびに硬く大きくなってゆく楔に、激しく中を蹂躙されて。抵抗する内壁を押し広げられて。身体を激しく揺さぶられて、喉を仰け反らせて喘ぐ。今の跡部にはもう。もうそれ以外何も出来なくて。出来なくて。
「―――いい？出すよ、跡部くん」
「ああああっ！！」
その言葉に跡部の内壁がぎゅっと千石を締め付けてくる。その刺激に耐えきれずに千石はその中に欲望の証を吐き出した。どくどくと注がれる精液の熱さを感じながら、跡部もまた…自らの欲望を吐き出した。


「…やっ…バカ…止めろって……」
ずぶりと音ともに千石のソレが引き抜かれ、どろりとした液体が跡部のソコから零れて来る。それを千石は自らの舌で掬い上げた。
「…止め…ろっ…て……」
綺麗にする為に伸ばされた舌だったが、敏感になっている跡部の身体には充分な刺激だった。ぴちゃぴちゃと零れる精液を舐められるたびに、果てたはずの自身が再び震えながら立ち上がろうとしている。その様子に気付いて千石はくすっと一つ微笑った。
「―――感じちゃった？跡部くん」
「…うっ、うっせー…バカっ！」
潤んだ瞳で睨みつけられても、それは挑発にはならなかった。それよりも雄を誘っているようにしか、見えなかった。無意識だろうけれど。無意識なのは分かっているけれど、時々彼はそういった表情を見せてくる。
それを自分だけに見せてくれるなら、何も。何も不安になる事はないのだけれども。
「感じてるよね、ココ。こんなになってる」
「…ああっ……」
立ち上がり始めたそれの先端をぴんっと指で弾いた。そうすれば見る見るうちに跡部のソレは形を変化させてゆく。それがひどく愛しくなってそのまま手のひらで包み込んでやった。それだけでびくびくと自身が震えてくる。
「…あぁっ…あぁ…んっ……」
「いいよ、このまま出しちゃって。受け止めてあげるから」
指の腹で先端の割れ目の部分を擦りながら、千石は言った。その言葉に耐えきれずに。耐えきれずに、跡部は千石の手のひらに精液をぶちまけた。



目尻から零れる涙が、ひどく可愛くて。
「ごめん、いっぱい泣かせちゃったね」
恨めしそうに睨みつける瞳が、ひどく愛しくて。
「…おめーが…悪りー……」
可愛くて、愛しくて。どうしようもないから。
「うん、ごめんね。ごめんね、跡部くん」


だから君を抱きしめずにはいられない。キスをせずにはいられないんだ。



片方の指先で目尻から零れる涙を拭いながら、もう一方の手で千石は跡部の小指に自らの小指を絡めてきた。
「…何だよ……」
「ゆびきり」
「へ？」
思わず間抜けな声を出してしまったのが悔しいのか、跡部はむっとしたまま黙ってしまった。けれどもそんな彼をひどく愛しげな瞳で見つめながら、千石は小指をきつく絡めてくる。そして。
「もうせっかく君がいるのに寝ちゃわないように」
「そ、そんな約束なんていらねーよ」
「でもその事で怒ってたでしょう？」
「いらねーったらいらねーんだよっ！そんな約束よりも俺は…」
俺は…と言いかけてハッとして跡部は口を閉じた。その先は言いたくないらしい。多分彼にとって屈辱的なほど恥ずかしい言葉なのだろう。でもそれならば。それならば、尚更千石は聴きたかった。彼の口から、聴きたかった。
「俺は？跡部くん。続き聴きたいな」
「う、うせー…いいんだっ！そんな事はっ！」
「えー聴きたいなぁ、教えてよ跡部くん。ね、ね」
「やだ、ぜってーに言わねー。言わねーったらっ！」
あまりにもムキになるのでこれ以上千石は詮索するのを止めた。けれども何時か。何時か絶対に聴きだしてやろうと心に誓いながら。



――――そんな約束よりも…俺は…お前が…俺だけを見ていれば…それでいいんだよ……