――――真っ直ぐに伸びた脚と、そらされる事のない瞳。
誰よりも俺は強いんだと、無言で告げているようだった。言葉に出さなくても、声にしなくても。自分は誰よりも、強いのだと。
不敵な顔で、微笑う。他人を見下ろすように。他人を蔑むように。でもそれが、ひどく。ひどく、綺麗だったから。綺麗、だったから。
『―――跡部くん』
名前を呼んで、声にして。そしてその双眸に自分の姿を刻んだ瞬間の、何とも言えない感覚を。背筋がぞくりとするような、あの感覚を。ずっと俺は忘れないから。
俺の姿を瞳に捕えて、つまらなそうな顔で見下ろして。興味なさげな顔で俺を一瞥して、そして。そして鮮やかに微笑う。まるで華のように、微笑って。
「何だ、お前―――俺に何か、用か?」
人を見下す事が当たり前なのだろう。自分よりも強い奴なんて何処にもいないとでも言うような自信。誰よりも高い場所にいるんだという自負。そしてそれを裏付けする実力。
「用ってほどじゃないけれど。せっかく同じJr選抜の仲間だから挨拶でもってね」
「ふーん、俺はお前なんかにゃ興味ねーよ。まあ名前くらい覚えてやってもいいけどな」
絶対の自信。絶対の強さ。けれどもきっと。きっと何処かに隙間はあるはずだ。きっと何処かに違うものを持っているはずだ。だからそれを、見たい。だからそれを、暴きたい。
「うん、覚えてね跡部くん。俺は千石清純」
ううん、暴いてみせる。君の一番奥深い場所を。誰よりも高い場所にいる君の、微かな隙間を。そして絶対に。
「――――忘れないでね、跡部くん」
絶対に君を、俺のものにしてみせるから。俺だけのものに、してみせるから。
しなやかな獣のような。それでいて鋭い牙を持っている。
綺麗で強くて、そして強いカリスマ。視線が自然と惹き付けられる存在。
生まれて初めて、欲しいと思った存在。生まれて初めて、欲しいと願った存在。
その絶対的な瞳も、まっすぐな綺麗な脚も。全部、全部。
――――君の全部が、欲しいと…そう思った……
嫌になるくらい、微笑っていた。何時もへらへらと微笑っている。誰にでも。どんな奴にでも。初めはバカみてーと思っていた。集まってきたこいつら全員ライバルの癖に、何でこいつ楽しそうに笑っていられるんだと。
『―――跡部くん』
俺に対しても、他の奴にも同じように笑ってやがる。同じ笑顔。それが何だか気に入らなかった。気にいらない。
こんな風に俺に向かってへらへらと笑う奴なんていなかった。そんな失礼な奴、いやしなかった。そう、こんな失礼な奴。
『―――忘れないでね、跡部くん』
そうこんな風に。こんな風に、俺に向かって…屈託なく笑う奴なんて、俺の前にはいなかった。
俺は常に一番じゃねーといけねーから。どんな奴等よりも上にいなければいけねーから。ずっとそうやって生きてきたから。
だからどんな奴でも俺を。俺に対して対等に微笑う奴なんて…いなかった。
声を上げて、楽しそうに微笑っている奴。何時も、楽しそうに。
自然と奴の間には人の輪が出来ている。誰でも自然に話してやがる。
初対面の相手でもすぐに溶け込んで。溶け込んで、話している。
屈託のない笑顔。無邪気な笑顔。それは全部。全部、俺が持っていないもの。
――――生まれて初めて…羨ましいと…思った……
君が欲しいと思った。君を暴きたいと思った。君の本当を、知りたいと願った。
「跡部くん、俺を君のものにして」
傲慢とも言える瞳の奥にあるものを、知りたいと。絶対的な強さの裏にあるものを、知りたいと。君の真実を知りたいと。
「はぁ、お前何言ってんの?」
バカにしたように見下す瞳。でも見つけた。今、見つけた。その瞳の奥にあるものを、見つけた。だって揺らいでいる。微かに君の瞳が、不安定になっている。
「言葉通りです。君のものになりたい」
手を、伸ばす。君の頬に、触れる。ほら、間違っていない。俺の見つけたものは、間違っていない。
一瞬身体が硬直した身体。叩かれる前に触れた頬の微かな熱。それが君の『本当』なのだから。
「訳分かんねー奴だな、お前は」
「分からないなら行動で示すまでって事で」
「―――え?」
一瞬油断したように見開かれた瞳を瞼の奥に焼き付けて。そしてそのまま。そのまま君の唇を、塞いだ。
触れられた唇のぬくもりが。そっと触れられたぬくもりが。
ひどく優しく、ひどく暖かく。それが、無性に。ただひたすら。
ひたすら、胸が苦しくなった。ただ、苦しくなった。
こめかみが、痺れている。ただ触れられただけなのに。唇を、触れられただけなのに。こめかみが痺れて、じんじんしてやがる。
「…お前…何…しやが…る……」
「―――君にキス、したかったから。跡部くん」
ひどく無邪気に、子供のような笑顔で。子供のような笑顔?違う…子供みたいに笑う奴が、いきなりこんな事しねー。いきなり、こんな…。
「君に近付きたい。君にキスしたい。君に触れたい。今の俺の、全てです」
もう一度お前の手が、俺の頬に触れる。そっと、触れる。その手を叩こうとして手を上げて。上げて、俺は。俺は―――
「君は俺のものになってくれないだろうから…だから俺を君のものにして」
触れる指先は、暖かい。頬に触れる、指先は。ぬくもりはじわりと広がって。広がって、俺の中に。俺の中にそっと。そっと忍び込んで来る。俺の中に落ちてくる。
「ね、跡部くん。俺を君だけのものにして」
頬に触れていた手がいつしか俺の背中に廻り、お前はきつく俺の身体を抱きしめていた。きつく、抱きしめた。俺の手は宙に浮いて、そして。そして、ぱさりと…落ちた。
「君が好きだから。だから……」
眩暈がする。頭がくらくらとしてくる。繰り返される言葉が、呪文のように。呪文のように俺の中に降ってくる。俺の中に積もってくる。それを、俺は。俺は振り解けない。振り、解けない。
「だから、跡部くん」
そしてもう一度降りてくる唇を…俺は…拒めない……。
誰も俺に対して真っ直ぐな視線を向ける奴なんていなかった。
視線を反らす事無く、真正面から。俺と同じ位置で、視線を。
俺と同じ場所で、同じものを見てくれる人間を。俺は、知らない。
だって俺は何時も上にいなければいけなかったから。一番にならなければいけなかったから。
屈託のない笑顔。俺を特別視しない奴。
俺を同じ場所へと引き摺り下ろし、そして。
そして対等に俺に向き合ってくれた奴。
そんな奴、俺の前にはいなかった。誰も。
誰も俺に対してそんな風にしてくれる奴はいなかった。
「―――好き、跡部くん」
真っ直ぐな瞳。無邪気な笑顔。
「最初から俺は君だけ見ていた」
包み隠す事のない言葉。本当の言葉。
「好きだよ、跡部くん」
降って来やがる。全部、俺の中に。
降り積もってくる。お前の言葉が、俺の中に落ちてくる。
やっと見つけた君の真実。君の本当。やっと分かったよ。君は、本当は淋しかったんだって。ずっと、独りだったんだって。
君は誰よりも強くならねばならないから。君は一番にならなければならないから。だから誰にも本当の自分を曝け出す事は出来ない。本当の自分を見せる事は出来ない。
君は常に特別でなければいけなくて、君は常に選ばれている存在でなければならなかった。
だから君の子供の心を、君の弱さを、見せるわけにはいかないんだ。そうやって君は他人よりも上に昇ることで、君と同じ場所にいる人間を失ってしまったんだ。
「俺なら、君に相応しい男になれると思うよ」
逃さないよ。もう、逃さないよ。君の隙間に入り込んで、そして。そして君の中を埋めてみせるから。君の微かな隙間を、全部。全部、俺で埋めてみせるから。
「…何言ってやがる、自惚れんじゃねーよ」
だから、振り向いてね。だから、好きになってね。俺は絶対に君から離れないから。君のそばにいるから。君と同じ場所に立つから。
「だから好きになって、ね。君だけのものになるから」
君が考える隙を与えないほどに、俺が君を全部。全部、埋めてあげるから。俺の全てを、君にあげるから。だから。
「――――だから、好きになってね」
落ちた手を伸ばして、お前の髪に触れた。柔らかい髪に、触れた。それは悔しいくらいに俺の指に馴染んで。馴染んで、心地良くて。心地良かった、から。
「…俺のもんに…なるのか?……」
離したくなかった。指先を離したくないと思った。この手を、離したくないと。そして腕に廻された手も。こうして、抱きしめられた腕も。
「うん、なるから。全部俺をあげるから」
与えられたぬくもりも。触れて離れた唇の感触も。そして何よりも。何よりも、俺に与えられた笑顔が。今、俺に与えられたその笑顔が。
他の誰にも見せたものじゃないから。他の誰も知らない笑顔だから。
「…じゃあ…お前は今日から俺のもんだ…俺だけの…もんだ……」
俺の言葉にお前は微笑う。ひどく優しく微笑いやがって。そしてまた。また俺の唇を塞ぐ。それはひどく苦しくて、ひどく切なくて。そして何よりも甘いキス、だった。
苦しいほどに切ない、そしてもどかしいキスだった。