Tell me <後編>

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――――どうして、俺は。俺は、こんなにも。こんなにも、お前の事が、好きなの?


答えなんて、出ないことは分かっている。そんな風に簡単に導き出せる答えならば、こんなにも苦しくはなかった。こんなにも、切なくなかった。それでも必死になって答えを探しだそうとしているのは、どうしても離せない手があるから。

『サザ、今日から…私が貴方の家族よ』

ミカヤ…ミカヤ…俺が本当に護りたいと願うのは、ミカヤだけなんだ。俺の全てで護りたいと、そう思うのは。その手をずっと。ずっと、結んでいたいと願う相手はミカヤだけだ。でも。でも、俺は。
「…ソーン…逢いたい……」
護られる事を、知ってしまった。無条件で護られる腕の存在を。何も考えずに眠れるその腕を。そして。そして初めて知った、自分の中に在るこの醜いまでの欲望を。
こんなにも剥き出しの感情を自分が持っている事を。こんなにも激しく深い欲望を自分が持っている事を。
「…逢いたいんだ…お前に…逢いたい―――っ」
綺麗な想いだけで結んでいる手を穢したくはない。それなのに、自分はどうしようもないほど穢たなくなってゆく。お前を想うと、どうしようもない本能が剥き出しになってゆく。それを止める術すら、分からなくて。分からないから必死に堪えようとしたけど、どうやっても溢れてきてしまうから。どうやっても染み出して来てしまうから。醜く穢たない想いが。

―――でも、それすらも。それすらも、自分の『感情』だ。本当の想いだ。

俺がこうやってどうしようもなく醜い姿をさらけ出すのも、どうにもならない弱さを見せるのも、全部お前だから。お前の前でだけは、俺は一番穢たない本当の自分になってゆくのを止められない。止められ、ないんだ。




――――最期に見せた笑顔が、綺麗過ぎて哀しかったから……。


乾いた砂が足許に絡みつく。それすらも日常に組み込まれ、気にする事すらなかった。この砂とともに生きてきた。そしてこれからも、この場所で生きてゆく。僅かな同胞と共に。宿命を持つ者達と共に。この地が、私の生きる場所だ。この砂漠こそが。そして、何時か。何時かこの場所へ、お前を―――。


――――現実の前では、思考も、想いも、全てが無意味だった。


どんなに、頭の中で考えを巡らせても。どんなに、その残像を想い浮かべても。
目の前の現実が全てだ。それ以外は、所詮頭の中で描いたものでしかない。
今ここに在るものが、それが全てだ。―――それだけが、本当の事だ。


「…サザ……」


今ここにいるお前が。お前だけが、私にとってのただひとつの真実なんだ。


翠色の瞳が、見上げてくる。真っすぐに私を見上げてくる。あの頃のままの不安定な瞳が。けれどもそれ以上に。それ以上に、感情が剥き出しになった瞳が。剥き出しの感情が、私に向けられる。
「…ソーン…バルケ……」
ゆっくりと立ち上がり私の目の前に立つ。あの頃よりも視線が近かった。それだけ背が伸びたのだろう。体つきも子供のから大人へと変化している。それでも、まだ。まだ、あの時の瞳の不安定さは消えてはいなかった。消えては、いなかった。
「―――また、逢ったな……」
お前の瞳から迷いも歪みも消え、ただひたすらに真っすぐに。真っすぐに前だけを見つめていたならば。私の存在すらも越えて『ミカヤ』だけを真っすぐに見ていたならば。
「…逢いたかったか?それとも逢いたくなかったか?…まあどちらでもいいが……」
そうすれば、私も。私も迷えたのに。迷うことが出来たのに。でも、もう無理だ。お前があの頃と変わらない瞳で、私を見つめたから。私を…見つけ出したから……。
「もうどちらでも構わない。私たちはまた出逢ってしまったんだからな」
その瞳の先に答えを見つけてしまったから、もう。もう私はお前を離さない。




―――もしもまた出逢ってしまったら…俺はどうするのか?そんな問いかけすら…現実の前では無意味だった。


名前を呼ぶだけで、苦しい。声を聴くだけで、苦しい。
「…ソーンバルケ……」
苦しくて、苦しくて、息が出来ないほどに。けれども、それ以上に。
「…俺は……」
それ以上に俺は。俺は、お前を見ていたい。お前に、触れたい。
「…お前に…逢い……」
どうなってもいい。全てがどうなってもいい。俺はお前が欲しい。


言葉にする代わりにその唇を塞いだ。がむしゃらにその唇を吸って、溢れた想いを伝えた。溢れすぎて、どうにもならない想いを。
「…ソーン…んんっ……」
髪に絡めてその感触を確かめた。背中に腕を廻してその広さを確認した。そうやって。そうやって、俺はお前の全てを俺の中に埋めてゆく。その全てを。
「…はぁ…ぁ…んっ…んん……」
思い出した事はない。だって忘れたことはないから。記憶を辿ることもない。思い出を振り返ることはない。だって、お前は俺の中に在ったから。でも、それすらも。そんなお前の破片すらも、目の前の現実の前ではただのがらくたでしかない。本当のお前の前では。
「…そんなに…私を…求めていたのか?……」
唇が離れた瞬間に問いかけられた言葉に、迷うことなく頷いた。求めていた、求めすぎて自分自身で気付かなくなるほど。気付きたくなかった、ほど。
「…お前だけが…欲しかった…ずっと…俺はお前だけが…でもお前は……」
どうして、俺は。俺はこんなにもお前が好きなんだろう?どうして、ミカヤの事だけを考えて生きてはいけないのだろう?どうして大事なものだけを思って、生きてはいけないのだろう?
「…お前は…さよならって言ったから…お前がそう言ったから……」
大切なものだけを必死に護って、今まで作り上げてきた大事なものを懸命に護って。そうやって、生きてゆくことだけが全てになるように。そうなるようにと、努力しても。
「…お前がそう…言ったから…っ……」
違う、努力すること自体がもう…もう初めからおかしかったんだ。本当にそう願うなら努力なんかしなくても、当然のように出来る事なのだから。
「―――サザ…お前は……」
それが出来なくなったのは、当たり前の事が出来なくなったのは。お前が現れたから。俺の前に現れて、そして。そして今までの俺を壊したから。
「…私が思っていたよりも…ずっと…ずっと…私の事を……」
お前が壊した今までの俺は、何一つ迷いなんてなかった。ただ子供故の無邪気な強さで、ただひとつの願いを必死に叶えようと生きていただけだった。そんな俺をお前は壊して。壊して、ただひとつのものだけを俺に与えた。ただひとつのもの、だけを。


「…私の事を…想っていたんだな……」


好きだと告げた瞬間に、全てが終わる。
「…サザ…好きだよ……」
愛していると告げた瞬間に、俺は壊れる。
「…愛しているよ…サザ……」
俺がどうしても捨てられないものがある限り。


――――だから奪って欲しい。俺の全てを…奪ってほしい………


お前が与えたただひとつのものが、俺を内側から壊してゆく。ゆっくりと、壊してゆく。それを俺は止める事が出来ない。どうやっても、止める事が出来ない。
「…もっと…言って…くれ……」
そっと降ってくる言葉に、睫毛を震わせて。優しく重なる唇に、こころを震わせて。このまま世界の全てから切り取られてしまいたいと願った。ふたりきりで、このまま。
「…好きだよ…ずっとお前の事を思っていた……」
このまま誰にも見られずに、誰にも知られずに、ふたりだけで。ふたりだけで、世界の隙間に閉じ込められたらきっと幸せ。
「…お前だけを…愛しているよ……」
―――きっと、だれよりも、なによりも、しあわせ。


もう二度と出逢わなければ、もしかしたら何時か。何時か全てが優しい想い出になったかもしれない。けれども。けれどもこうして再び出逢ってしまった。もう一度、巡り合ってしまった。そうすれば、もう。もう、離れられないと分かっていたのに。


だってお前だけがくれた。お前だけが俺にくれた。このどうにもならない想いを。このどうにも出来ない想いを。こんなにも執着し、こんなにも願い、こんなにも求め。それは醜い欲望。それは穢たない本能。でもそれも。それも、俺の感情だ。俺の、気持ちだ。
「…ソーン……もっと……お前の言葉が…欲しい……」
俺の持っている全ての感情を、教えてくれたのはミカヤだった。俺の初めては全てミカヤだった。けれども、ただひとつだけ。ただひとつ、この気持ちだけは。
「…お前の声も…全部…欲しいよ……」
この醜いまでの剥き出しの想いは、お前だけが与えてくれた。俺すら知らなかった、このどうにもならない感情を。
「―――ああ、幾らでも…幾らでも…お前が望むなら……」
初めて知った恋は、とても苦しくて。苦しくて、そして哀しくて。けれども。けれども、何よりも人としての『本能』を剥き出しにするもの、だった。そこには偽りの優しさも、綺麗な愛も、何もなくて。ただ剥き出しの想いが存在するだけだった。



「…お前だけを…愛しているよ……」



もう、戻れない。何処にも、戻れない。後はただ堕ちてゆくだけだ。何処までも堕ちてゆくだけ。その先に何もなくても。そこに未来はなくても。それでも。それでも堕ちてゆく。何処までも堕ちてゆく。しあわせな未来よりも、お前が欲しい。今ここが闇でしかなくても、俺はお前が欲しい。綺麗な未来よりも、穢れた今が欲しい。


――――どんな未来も、しあわせも、いらない。お前だけが、ほしい。お前だけが、欲しいんだ。



ふたりが見つめた先に在るものが、同じだったから。その瞳の先に映るものが同じだったから。だから、もう。もう、何処にも戻れなかった。けれどもしあわせだった。きっと、しあわせだった。