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 ――――すれすれの駆け引きと、ぎりぎりの感情。

ホテルの最上階から見下ろす景色は、まるでミニチュア模型のようだった。
藤真はぼんやりとその夜景を見つめながら、親指の爪を噛んだ。それは無意識の藤真の癖だった。
「ルーム・サービスでも取る?藤真さん」
夜のカーテンのせいで鏡になった窓ガラスに、声の主の姿が映し出される。藤真は窓ガラスに視線を向けたままで、軽く首を横に振った。
それを確認した彼は片手にグラスを持ったまま、ゆっくりと藤真に近づいた。そして背後に立つと、空いた方の手で藤真の肢体を抱き寄せる。
「……じゃあ………」
耳元に唇を寄せて息を吹き掛けるように囁くと、微かに藤真の睫毛が震えた。その低く少し掠れた声は、ひどく欲情を誘う。
「―――大人の遊びを、しようか?」
耳の裏の柔らかい部分を軽く噛みながら囁いた台詞に、藤真は口元に柔らかい笑みを浮かべて。
「相変わらず、口説くのが上手いな。仙道」
くすくすと楽しそうに微笑いながら、そう言った。

傷つく事も、傷つけられる事も無い。ただのそれだけの関係。

カタンと小さな音を発てながら、グラスがサイド・テーブルに置かれた。その音を確認する前に、仙道の唇が藤真のそれを塞いできた。
「・・んっ・・・」
不自然な姿勢でのキスに、藤真の形良い眉が歪む。けれどもそれは、すぐに溶かされていったけれど。
「・・ふ・・んっ・・・」
薄く開いた藤真の唇に仙道の舌と同時に、甘酸っぱい液体が流れ込んでる。それがさっきまで仙道が飲んでいたワインだと気付くのには、それ程時間は掛からなかったが。
こくりと喉が鳴って、藤真がそれを飲み干した事を伝える。
けれども、唇は未だ開放されなかった。
「・・ふぅ・・ん・・・」
絡み合う舌が痺れる頃になって、やっと藤真は唇を開放された。けれどももうその時は、既に一人で立っている事が出来なくなっていたけれども。
凭れ掛かるように崩れる藤真の肢体を、仙道は力強い腕で抱き止めるとゆっくりと自分の方へと肢体を向けさせた。
「……キス………」
口づけの余韻を残す潤んだ瞳で、藤真は仙道を見上げてきた。
そんな藤真の頬を仙道は軽く愛撫してやる。
「―――ん?」
藤真の両手が支えを求めるように、仙道の背中に廻る。それに答える代わりに仙道は、廻した腕に、少し力を込めた。
「…上手く、なった……」
「それは藤真さんの教え方が上手いからですよ」
そう言って仙道はにっこりと微笑うと、軽々と藤真を抱き上げた。バスケットの選手にしては小柄な藤真は、見掛けよりもずっと華奢だった。
「何言ってんだよ。バスケ界一の遊び人が」
「それを言うなら、貴方だって。バスケ界一の男ったらしと専らの噂ですよ」
「男たらしは、酷いな」
「でも、事実でしょう?」
仙道の言葉に藤真は、答えなかった。ただ思わせ振りな瞳をしただけで。

―――きっかけなんて、もう忘れた。
ただ自分はひどく、疲れていたから。
全ての事を受け止めたくなくて、現実逃避をしただけなのかもしれない。
傷つくのも、傷つけるのも、嫌だったから。
でも、どうしてだろう?
どうして自分は、今でもこんなに胸が痛むのだろうか?

「・・あっ・・・」
胸の果実を口に含まれて、藤真は堪えきれないような甘い息を洩らす。仙道はそれを更に煽るように、舌先でそれを転がした。
「・・あっ・・ん・・・」
軽く歯を立ててやると、たちまち紅く色づく。まるで熟れた果実のように。仙道はその反応を煽るように、尚も胸を執拗に攻めたてた。
「・・あ・・ぁ・・・」
空いた方の胸も仙道の指によって、支配されてしまう。弱い部分を攻めたてられて、藤真の意識が次第に呑まれてゆく。
「・・はぁ・・・・」
やっと胸の愛撫が開放された頃には、藤真の胸の突起は痛い程に張り詰めていた。仙道はそんな乱れた藤真の姿を改めて、見下ろした。
―――天性の、子悪魔。まさしくそれは藤真にピッタリの言葉だった。多分彼は、自分の魅力を知り尽くしている。どんな表情をすれば、男が自分の虜になるとか。どんな仕種をすれば、男を誑かせるとか。多分全てを知り尽くして、そして心で計算している。
「・・あっ・・や・・・」
不意にぽたりと藤真の頬に冷たい感触が走って、一気に意識が戻される。けれどもそれが洗いたての仙道の髪から落ちた雫だと気付くには、しばらく時間が掛かったが。
「ごめん、掛かっちゃったね」
くすりと一つ仙道は微笑うと、頬に掛かった雫を指先で拭ってやる。そして柔らかく、瞼に口付けた。それはひどく、優しくて。
「・・本当に、たらし・・だな、お前・・・」
仙道は、優しい。特に、こんな時に。多分女が仙道に魅かれるとしたら、これだろう。ルックスがいいとか、プレーが凄いとかよりも。このいざと言う時に見せる優しさに。
「藤真さん、だからね」
そう言うと仙道は藤真の唇をゆっくりと塞いだ。それは触れるだけの優しいキスだったけれど。それだけで普通の女ならば、骨抜きにされるだろう。
「・・・バカ・・俺口説くのは・・十年早いぜ・・・」
でも相手は普通の女よりも、強かで。
―――そして、脆くて。
「流石、藤真さん。手強いな」
知っている。彼を口説く事は、不可能だ。何故ならば、彼の心を手に入れようとすれば、必ず彼はその腕から逃げてしまうから。

―――どうして、と。どうしてと、何時も思っていた。
どうしてそれが自分でなくては、いけないのだろうかと。
どうしてそれが彼でなくては、いけないのだろうかと。
―――ずっと、ずっと、考えていた。
どうして今のままではいけないのだろう?どうして彼は真実を暴きたがるのだろう?
どうして、彼は。自分を傷つけるのだろう?

「・・あっ・・あぁ・・・」
自身を口に含まれて、藤真は堪えきれずに声を上げた。快楽に忠実な藤真は、決して自分を抑えようとはしない。
「・・はぁぁ・・あ・・」
側面をなぞられ、先端に歯を立てられる。その度にびくびくと藤真の脇腹が波打った。
「・・あぁ・・もう・・・」
限界を感じて藤真が訴える。けれども仙道は先端を指で抑えてしまうと、わざとその上から舌先でそこをつついた。
「・・もぉ・・せん・・どう・・・」
「……イキたいですか?藤真さん………」
「・・当たり前・・だろっ・・・」
焦らす仙道に耐えきれずに藤真は、自らの足を絡めてきた。そんな仕種に仙道はくすりと微笑って。
「本当に貴方は、快楽には忠実なんですね」
微かな皮肉を込めてそう言ったけれども、藤真の霞み掛かった思考には届かなかった。そんな藤真に仙道は苦笑を隠しきれない。
――――自分に抱かれている時ぐらい、自分の事だけを考えて欲しいと思う。
でも、それは自分勝手な我が儘でしか無いけれど。
「イカせてあげますよ、藤真さん。俺は貴方には誰よりも優しいですから」
何故なら、自分だって。彼を抱きながら、違う人を想っている……。

――――多分、一番の理由は互いの利害が一致したから。

「綺麗だね、藤真さん。多分貴方は男に抱かれている時が、一番綺麗だ」
「・・何、言ってんだよ・・早く、こいよ・・・」
自分だけを開放してそれ以上の行為をしてこない仙道に焦れて、藤真は自ら腰を上げて彼を誘った。けれども仙道はゆったりと微笑って。
「見せて上げればいいのに。あの人にも……」
「・・お前・・何言って・・あっ・・・」
藤真の言葉の抵抗は、最後まで言葉として形勢されなかった。仙道の指が藤真の体内に埋め込まれたせいで。
「・・あっ・・くぅ・・ん・・・」
巧みに体内を蠢く指先に、藤真は翻弄される。求められた刺激を与えられて、藤真のそこは貪欲に仙道の指に絡みついた。
「そうしたらきっと、あの人は貴方のものになるのに」
「・・ちが・・う・・・」
舌がもつれて上手く、言葉にならなかった。けれども藤真は荒い息のまま、それを否定する。
「何故?だって俺は、あの人の代わりなんでしょう?」
「・・違う・・代わりなんかじゃ・・ない・・・」
藤真の両手が仙道の背中に廻ると、そのまましがみつくように自分に引き寄せた。そして自ら舌を出して仙道のそれを絡め取る。
「・・んっ・・んん・・・」
藤真の口元から唾液が伝って、いつの間にかそれが白いシーツに染みてゆく。けれども構わずに藤真は、仙道の唇を激しく貪った。そしてそんな藤真の全てに、仙道は答えた。
「・・代わりじゃない・・忘れたかっただけだ・・・」
唇が離れて零れた藤真の言葉に。仙道は、全てを理解した。
――――そう、藤真は脅えているのだ。自分が傷つく事に。
今まで誰からも傷付けられずに、生きてきた彼だから。幾らでも平気で他人を傷つける彼だけど、それは自分が傷つけられる痛みを知らなかったから。それは誰も藤真を傷つける事が出来なかったから。けれども。
「前言を撤回しますよ、藤真さん。貴方は男たらしでも、何でもない。貴方は、本当はただの子供だったんですね」
唯一、藤真を傷つけられる事の出来る人間。それは彼が初めて『本気』になったひと。

―――剥き出しの想いが、恐かった。
その想いには、駆け引きも偽りも通じなかったから。
どう対処していいのか、分からなくて。
だから自分はこの想いから、逃げた。
それで全てが終わった筈だったのに。
なのにどうしても、消えない。瞼の奥の残像が。
幾ら目を閉じても、幾ら耳を塞いでも。
――――何一つ、消えてはくれなくて。

「―――ああっ」
一気に仙道に貫かれて、藤真は苦痛の表情を浮かべる。けれどもそれは一瞬の事で、次の瞬間には快楽の表情へと擦り代わっていったが。
「・・あぁ・・あ・・・」
がくがくと揺さぶられて、藤真の意識は快楽の波へと流されてゆく。もう何も、考えられなかった。ただ、刺激を追うのみで。それだけが、藤真の思考を支配した。
「・・ああ・・あ・・・」
激しすぎるエクスタシー。仙道に抱かれる時、何時も感じる。他の男達ではこのエクスタシーは、決して味わえない。それは、多分仙道が自分を愛していないから。身体だけの関係だと割り切れるから。
「……藤真さん………」
「・・あっ・・ああ・・もお・・・」
醜い下心だけで近づく男とも、自分を欲してくる男とも違う。
互いの利害の為の関係。支配するとも、されるとも違う。奪うとも、奪われるとも違う。本当に純粋に、互いの欲求を満たす為だけの関係だから。
「・・もぉ・・だめ・・・」
「分かったよ、藤真さん。一緒にいこう」
幾らでも淫らになれる。幾らでも求められる。心が要らないから。心なんて、必要ないから。だから。
「・・・・あああっ」
彼だけが、全てを忘れさせてくれるから。

―――全てを失ったら、一体自分に何が残るのだろう?

「……藤真さん…俺もね、貴方は代わりじゃないんですよ………」
激しい行為のせいで意識を失ってしまった藤真の髪を撫でながら、仙道は誰に言うでも無くそう呟いた。
「でも、貴方みたく『逃げている』訳でも無い……俺はね……」
仙道の唇が藤真のそれに重なる。けれども意識の無い唇は、答える事は無かったが。
「―――あいつを、こんな想いで汚したくないだけなんですよ」

―――それは、紅い月だけが知っている。

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