―――きらきらと光る、太陽の破片。そのかけらがどうしても、欲しくて。
真夏の太陽は眩しくて、その直線的な光は肌を突き刺すようだった。
「暑いーっ喉乾いたっ」
裏庭の芝生に寝転がりながら、藤真は思いっきり不機嫌な声を上げる。相変わらずな物言いに、花形は苦笑を隠し切れなかった。藤真は、我が儘だ。それもかなり無茶苦茶に。けれども。
「で、何が欲しいんだ?ウーロン茶か?」
自分はその我が儘を全て聞き入れてしまう事も、また自覚していた。情け無いと思ってしまう程。
「オレンジ、ジュース」
そしてそれを分かっていて、藤真が自分に我が儘を言ってくる事も。藤真は、賢い。どうすれば他人が自分の思い通りになるかを、知り尽くしているのだ。
「分かった」
立ち上がった花形を、藤真はにっこりと微笑って見送る。この笑顔が曲者なのだ。どうすればそれが一番効果的かを知っていて、彼はこの武器を最大限に使ってくる。
「行ってらっしゃい」
くすくすと楽しそうに微笑う藤真を横目に、花形は校舎前の自動販売機へと向かった。
自分勝手で、我が儘で。そして気まぐれで。自分の思い通りに、好き勝手に生きている。
「……情けねーの…俺………」
気が付けば何時も、藤真に振り回されている。いや、始めから。主導権は明らかに彼が握っていた。
花形は自動販売機の前に立つと、藤真に頼まれたオレンジジュースのボタンを押す。最近気が付いたが、藤真はとんでもない甘党だ。コーヒーを飲むにしてもミルクを三杯も入れるし、好物がアイスクリームやら、チョコレートと来ている。コーヒーをブラックで飲む花形にとって、それはただの胸焼けの対象でしか無かった。けれども藤真は本当に美味しそうに物を食べるから。つい、付き合ってしまうのかもしれない。
自分用のアイスティーも買うと、花形は藤真の待つ裏庭へと向かう。余り待たせると、彼が不機嫌になるのが目に見えているからだ。
不意に視線を空へ上げると、太陽は一番高い所に有った。空は鮮やかな程蒼くて、鮮明な色彩を一面に広げていた。
「……すげー、蒼…………」
飛行機雲が一筋、綺麗な線を空に描いていた。それが残像として、花形の瞼に残って消えなかった。
「ありがとう、花形」
渡されたジュースを笑顔で受け取ると、早速藤真はストローに口を付けた。その藤真の仕種を花形は、何気に目で追った。
今更だが、本当に藤真は綺麗だと思う。男にしてはひどく白い肌と、長い睫毛。大きな漆黒の瞳と、すっと筋の通った鼻。そして、妙に艶やかで紅い唇。多分、こんなにも綺麗と言う形容詞が似合う男なんて、きっと他には居ないだろう。
「何?花形」
余りにも藤真に視線を固定していたせいで、不審に思われたらしい。覗き込むように、藤真は花形に尋ねて来た。
「…いや、別に……」
流石に花形も『見惚れていた』なんて、言えなかった。幾ら藤真がそこら辺の女よりもずっと、綺麗でも。
「ふーん、変な奴」
それだけを言うと藤真は一気にジュースを飲み干す。こくりと動く白い喉が妙に、色っぽくて花形はどきりとした。
―――藤真に魅かれている事は、自覚していた。
それは初めて逢った時から。説明の出来ない焦りと、執着は全て彼に起因していたのだから。そして、バスケ部に誘われた時も。あの時自分は確かに『藤真をもっと知りたい』と思ったのだから。けれども。
けれどもその想いは、こんな感情とは無縁の筈だったのだ。こんな、具体的な感情とは。でも、自分は。
「花形、もうすぐインターハイだな」
柔らかく微笑う、笑顔も。太陽の光に透けると輝く、色素の薄い髪も。どれもこれもが、綺麗だと思う。余りにも綺麗で、欲しくなってしまう。
「―――ああ、藤真はレギュラー当確だろう?」
「絶対に、取ってやるよ。一年生だからって、舐めるなよ」
こうやって見せる勝気な瞳も。真っ直ぐに前だけを見ている視線も。全部、欲しいと思ってしまう。これは、明らかな『欲』だ。
「誰もそんな事、思わねーよ。お前の実力は折り紙付きだ」
「そんな事言うと、俺自惚れるぞ」
「―――自惚れても、いいよ」
藤真の瞳が、欲しい。その綺麗な瞳を、自分だけに向けて欲しい。それは花形が今まで知らなかった想い、だった。
―――綺麗な想いなんて、欲しくない。欲しいのは、真実だけだから。
花形の言葉通り、藤真は一年でただ一人レギュラーに選ばれた。県内でもトップクラスを誇る翔陽のバスケ部は、レギュラーに選ばれるのだけでも相当難しいのに、藤真は更にスタメンまで勝ち取ってしまった。それは翔陽の長い歴史の中でも初めての事らしく、それだけで藤真のそのプレーヤーとしての実力が伺えた。それ程、彼は周りから期待されていたのだ。―――けれども。
「やっぱ、拙いんじゃねーか?」
レギュラーの先輩たちに混じって別メニューをこなす藤真を見ながら、ぼそりと高野が呟いた。
「藤真の事か?」
隣に居た一志が相変わらずのポーカーフェースを浮かべながら、答えた。時に彼は花形よりも無表情になる。
「当たり前じゃん。やばいんじゃない?中学ん時の二の舞は」
「―――二の舞?」
高野の言葉に今まで傍観者を決め込んでいた花形が尋ねた。今思えば藤真の中学の頃なんて、何一つ知らない。彼は自分の前でそう言った話を一切しなかったし、自分も別段聞こうとした事も無かったからだ。けれども改めて言われると、気になるのも事実だった。
「いや、大した事じゃないんだけど…中学ん時も今みたいに先輩差し置いて、あいつがレギュラー取っちゃってね―――」
「高野っ!」
彼にしては珍しく声を荒げて、一志は会話を停止させる。それは周りにいた人間が驚く程。
「そーゆ訳で悪いな、花形。藤真の保護者はあいつなんで」
冗談半分に高野は花形に言うと、無駄話がバレないように要領よく練習に戻って行った。
そんな高野の後ろ姿を見つめながら、花形はひどく釈然のいかない思いがした。
―――『保護者』その言葉に一体どれだけの意味が、含まれているのだろうか?
確かに藤真にとって彼が『特別』だと言う事は、薄々気付いていた。いや、気付かされずにはいられなかった。何故なら藤真は、無条件に彼の前だけでは無防備になるから。何時もどこか他人よりも一歩高い所で見下ろしている藤真は、彼の前でだけは同じ位置にいる。
彼の前でだけは。
「―――花形……」
不意に掛けられた声に、花形ははっと我に返る。そこには、今まで自分の思考を占めていた超本人がいた。
「何だ?長谷川」
―――幼なじみだと、藤真は言っていた。何時も藤真はその言葉だけで、片づけてしまうけれども。けれどもその言葉に含まれている奥までは、見えないから。
「…いや…悪かったと…思ってな……」
それだけを言うと、一志は高野たちの所へと去っていった。
―――何だか、ひどくやり切れない思いが、した。
―――初めて瞳を交わした瞬間が、忘れられない。
「……花形…………」
居残りで練習していた藤真が校門へと出た時には、もう既に太陽は地上から消えていた。
「どうしたんだ?お前」
「…いや、ちょっとね……」
「ちょうどいいや、俺お腹ぺこぺこなんだ。奢ってくれよ」
藤真は花形の隣に並ぶと、上目遣いに彼を見上げた。身長差のせいか、何時も藤真は花形をこうして見上げていた。
「―――全く、お前は……。たまには奢ってやるとか言えないのか?」
無駄だと思ってもつい、花形は愚痴を零してしまう。多分藤真は相当周りに甘やかさせていたのだろう。奢って貰うのが当たり前だと思っているのだから。
「だって、花形金持ちじゃん」
現に今も全く悪びれずに、そう言ってくる。本当に悪気は無いのだろう、何故なら彼はそれが当然なのだから。
「ラーメンでいいか?」
「うんっ」
けれどもこんなに嬉しそうな藤真の顔を見てしまったら、奢るくらい何でも無いと思ってしまう。現に、自分も。この笑顔が見られるならばと。
「だから、花形って大好きだ」
まるで子犬のように花形の腕を掴んで、藤真はじゃれる。まるで子供みたいだと、花形は思う。本当に、子供みたいだと。でも。
「お前って、誰にでもそうなのか?」
でも逆にその無防備な姿はまた、男を挑発しているようにも思える。無邪気な、挑発。何も分かっていないような顔で、何も彼も計算された仕種で。
「何が?」
ふと、思う時がある。こうした藤真の一連の仕種や行動は、本当に無意識の内にやっているのかと。それとも知っていてわざとこうして、挑発しているのかを。
「いや、余り無防備にならない方がいいぞ。何時何されるか、分からないからな」
「もしかして、心配してくれてるの?」
コケティッシュな笑顔。男だと言う事が、理不尽な程。いや、実際に理不尽だ。女よりも綺麗な男なんて。
「……一応は、な………」
わざとぶっきらぼうに言った花形の言葉に、藤真は嬉しそうに微笑った。本当に、嬉しそうに。けれども視線を外していた花形には、見る事が叶わなかったが。
「何か、こーゆう所来るのって久し振りだな」
一番奥の窓際の席に座り互いに注文をすると、藤真は改まったようにきょろきょろと辺りを見渡した。それは初めて来た場所に遭遇した、子供のようだった。
「久し振りって、どの位だ?」
「んー、幼稚園くらい」
「……何だ、それわ………」
「だってしょうがないじゃん。俺、家族の団欒とか知らないし」
「―――え?」
藤真の言葉に花形はどきりとする。けれども藤真は何時も通りの表情を浮かべながら。
「俺ん家、父子家庭なんだよ。母親は、俺産んですぐに死んじゃったし……」
まるで他人事のように、その事実を告げる。冷たいとも思える瞳で。
「…それに俺、やばい子供だったしね………」
「―――やばい?」
「そう、俺の父親って某大会社の一人息子なの。そして更に俺が出来た時は、未だ十五歳だったんだ。な、やばいだろう?」
ちっとも深刻そうに見えない笑顔で、藤真は花形に言ってくる。本当に他人事のようだ。
いや、藤真にとっては肉親すらも他人なのだろう。でも。
「……藤真………」
でもそれは、逆に藤真が肉親の愛情を与えられなかった為だ。だから彼はこんなにも、残酷な瞳が出来る。
「何て顔、してんだよ。折角のいい男が台無しだぞ」
藤真は、子供だ。置き去りにされた、小さな子供。どんなに駆け引きが巧みでも、どんなに他人を扱うのが上手くても。彼は基本的な感情を何も与えられていない。
「そんなに変な顔、しているか?」
―――教えてやりたいと、思う。自分が、彼の知らないもの全てを。与えたいと、思う。
「している、情け無いぞっ」
プライドの高い彼は、きっと同情を嫌うだろう。けれどもこれは、同情なんかじゃない。
同情、なんかじゃない。この気持ちは。
「ごめん、俺って何にも知らなかったんだなーって思ってさ」
「……え?………」
もう、誤魔化す事も、偽る事も出来はしない。自分の気持ちに。例えそれが、どんな形であろうとも。
「藤真の事、何も知らなかった」
何処か自分は無意識にセーブをしていた。彼をもっと知りたいと思いながらも、これ以上踏み込んではいけないと、心の奥で警告していた。相反した矛盾した想い。けれどもそれは、たった一つの答えに繋がっているから。たった一つの、想いに。
「もっと、お前の事知りたい」
答えはこんなにも簡単で、こんなにも単純だった。複雑な感情の絡みは、解いていけばたった一つの事実しか残らないから。
「何か、口説かれてるみたいだ」
「口説いてやろうか?」
からかい半分にに言う花形に、藤真は楽しそうに微笑った。無邪気な笑顔。これが本当の藤真の顔だ。本物の、藤真の顔。
その顔を何時も、させてあげたいと思う。さっきみたいな冷たい瞳じゃなくて、本当の瞳を。本当の藤真の顔を。
――― 一番綺麗な藤真の表情を、この手で作って上げたい。
一面の黒いカーテンに、小さな金色の砂が散らばっている。それはきらきらと輝いて、とても綺麗だった。
「すっかり、遅くなっちまったな」
夜空を見上げている藤真の横顔を見つめながら、花形は柔らかい笑みを引きながら言った。
「大丈夫だよ、俺独り暮らしだし。お前は?」
藤真の視線がゆっくりと花形へと移動する。瞳が、かち合う。真っ直ぐに。
「俺は、平気だよ。でもお前の独り暮らしなんて、何かとんでもなさそうだな」
「何だよ、それわっ」
「だってお前家事とか出来無さそうじゃん。と言うよりも、しなさそう」
「うるせーっ」
べぇっと藤真は舌を出すと、思いっきし拗ねた表情で花形を見上げる。図星を指されて、物凄く不機嫌になってしまったみたいだ。
「いーんだよっ、俺ん家にはハウスキーパーが来てくれるんだから」
「すげー、贅沢」
「しょうがないだろ、向こうが勝手に雇ったんだから。だったら利用しなきゃ、損だろうが」
「お前、らしいな」
「何だ?そりゃ」
「―――いや、言葉通りだよ」
いい意味でも悪い意味でも、藤真は合理主義だ。必要と不必要の線がはっきりとしている。
必要なものは幾らでも受け入れるが、不必要なものはいとも簡単に切り捨てる。でも。
「嫌な、奴。どーせ俺は性格悪いって言いたいんだろう」
でも、それは仕方無いのかもしれない。特殊な環境で育った藤真が、唯一覚えた賢い生き方がそれならば。
「誰もそんな事、言ってはいないだろう?」
「顔に、書いてある」
細い藤真の指がぴんっと、花形の額を弾く。悪戯な瞳を、向けながら。
「でも本当の事だから、しょーがねーか。俺全然優しくないし、他人を平気で傷つけるしね」
「―――そんな事、無いよ」
「花形?」
降ろされようとした藤真の手が、寸での所で花形の腕によって掴まれる。その行為に驚いたのか、それとも花形の言葉に驚いたのか、藤真の瞳は大きく見開かれた。
「お前は自分で言う程、悪い奴じゃない」
「何でそんなの、お前に分かるんだよ」
「分かる、お前は正直だから」
確かに藤真は我が儘だし、自分勝手だ。きっと平気で他人を傷つけるだろう。けれども、それは。
「お前は、誰よりも自分には正直だ」
自分の心に正直に生きているから。誰にも従わず、誰にも捕らわれないで、自分だけの意思で。でも、それはまた。
「……花形………」
彼が何も教えて貰えなかったから。自分自身しか、持っていなかったから。
「…やっぱ俺、間違っていなかったんだな………」
「―――え?」
花形の疑問符に、藤真は答える事は無かった。ただ、柔らかく微笑っただけで。そして。
「花形、帰ろうぜ。あんま遅くなると明日に差し支える」
「そうだな。お前は何てったってレギュラーだものな」
「羨ましいか?」
「何時か、越えてやるよ。待ってな」
「―――ああ、待ってる」
星が一つ、空から落ちて行ったけれど。互いを見つめていた二人の瞳に、それは映る事は、無かった。
―――楽園を捜しに、行こう。太陽のかけらを手に入れる為に。