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――――冷たい夜は、嫌いじゃない。こうして体温を分け合えるから。

「ヴ〜バスケしたいっ」
机の上にうつ伏せになりながら、藤真は思いっきし不満を述べる。それを聞いていた花形は無意識に、苦笑を浮かべてしまった。
「お前、本当にバスケ好きだな」
「当たり前じゃん。いっちゃん、好き」
本当に藤真は、バスケが好きだ。ボールを持っていれさえすれば、すぐに機嫌がよくなってしまう程。そして。
「―――俺、よりも?」
藤真の一番綺麗な表情は、コートの上でしか見られない。あの時見せる表情は、どんなものにも代えられない。
「ん?何か、言ったか?」
「いいや、何でも無いよ。俺もバスケがしたいなーと思ってさ」
「なら、しよう」
「……え?………」
突然がばっと藤真は起き出すと、花形の腕を掴んで立ち上がる。相変わらずだ、と花形は思う。藤真は何時でも自分のしたい事を、抑えようとはしない。自分のしたい時にしたいだけ、自分の思うままに。
「どうせ、三年なんて自主登校だ。体育の授業をしたって、構わないだろう?」
「―――確かに」
そしてそんな藤真に、決して自分が逆らえない事も。自分は藤真の望みを、願いを、決して拒む事は出来ないから。

流石に一月の寒さは半端じゃなかった。校庭に出た途端、不覚にも身体が震えてしまう。
けれども藤真はそんな寒さなど全く気にせずに、とっととバスケットコートへと向かってしまった。
「はーながたっ」
手にボールを抱えながら手を振る藤真に答えるように、花形は彼に小走りに駆け寄ると改めて藤真を見つめた。
「何?花形?」
「いや、楽しそうだなと思って」
「楽しいよ、俺バスケしてる時が一番楽しい」
上目遣いに藤真は、花形を見上げて。そして口元に何かを含んだような笑みを浮かべて。
「特に、お前と一緒にやっている時が」
――――綺麗な笑顔でそう、答えた。

何時も、藤真は前だけを見つめている。
彼は勝利だけを見つめてコートの上に立っている。何時でも、どんな時でも。
だから自分は何時も、彼の背中を護っていたい。
藤真が何時でも前だけを見ていられるように。自分が後ろで支えてやりたい。
何時でも、どんな時でも。
―――自分は彼の傍に、いるから。

「…やっぱ、鈍ったかな………」
ぺたりと地面に座り込むと、藤真は悔しそうに言った。そんな藤真の前に花形は立つと、ゆっくりと藤真を見下ろした。視線が、かち合う。
「疲れたか?」
「うん、凄く。でも気持ちがいい」
そう言って藤真はにっこりと微笑った。その顔は凄く、嬉しそうだった。きっと水を得た魚と言う表現は、藤真にバスケを与えた時に使うのだろう。
「花形」
藤真が手を差し出す。花形は彼の意図する事を理解して、藤真を立ち上がらせてやる。藤真は前よりももっと、自分に我が儘になったと思う。けれどもその裏側に何時も『甘え』と言う感情が含まれていたから。
「もう戻ろう、風邪を引く」
「お前って本当、優しいな」
「―――藤真だから、だよ」
ぽんぽんと藤真が埃を払うのを見届けて、花形は歩き始めた。その後に藤真も付いてゆく。
一歩だけ、彼の後ろに下がって。
「……新鮮だな………」
「何が?」
「お前の背中見て歩くのって」
言われてみれば、そうかもしれない。追い掛けていたのは何時も、自分の方だったから。
前だけを進む藤真を、背中からずっと見ていたから。
「たまにはいいな。こう言うのも」
まるで何か新しいものを発見したみたいに、藤真は楽しそうに言った。とても、楽しそうに。
「そうか?俺は何だか落ち着かないぞ」
「何でだよ?コートの上では、俺ずっとお前の背中見てたんだぞ」
藤真の手が延びてきて、ぐいっと花形の背中を掴む。そして強引に自分の方へと向けて。
「もしかして、気付かなかったのかよ」
明らかに拗ねた表情で、自分を見上げてくる。そんな藤真に花形はつい、破顔してしまう。
「……何、ニヤけてんだよ……」
「ごめん、つい嬉しくて」
「何が嬉しいだよっ、この鈍感ヤローがっ」
「だって藤真は『監督』として、俺を見ていると思っていたから」
「……そりゃ、そーだけど………」
「だから、そんな事思いもしなかった」
「だからお前は鈍いんだよ。初めから、そうだった」
「……え?………」
「何でもないよ」
それだを言い残して藤真はとっとと独りで行ってしまう。花形は咄嗟に彼を追い掛けた。
―――その時、だった。
「藤真のお守りは大変だろう?」
花形の背後から声がしたのは。そして振り返った先には、花形がよく知っている人物がいた。

「……長谷川………」
今でもこだわっていないと言えば嘘になる。確かに自分は藤真の『信頼』も『好意』も得る事は出来たけれど。でも、今でも藤真は自分の前で彼の名を口にする時、やっぱり他人とは明らかに違う表情をするから。
「あいつは自分勝手で、我が儘だ。相手の都合など考えた事無いからな」
自分よりもずっと彼を知っていた。自分よりもずっと彼の傍にいた。多分、藤真本人よりも藤真の事を知っている……。
「でも、自分に正直だ」
一志の言葉を反論するように、花形は遮った。けれども別段一志は気にした風も無く、何時ものポーカーフェースを浮かべて。
「ああ、正直だ。あいつは自分に絶対に嘘は付かないからな」
「―――」
「それなのに、気付かないなんてお前も随分と鈍感だな」
「……え?………」
「分からないのか、お前は。藤真がどれだけお前を好きかを」
「……長谷川?………」
「なのにお前は俺と藤真の関係を疑っている。違うか?」
否定、出来なかった。確かに一志の言葉は真意を付いている。藤真がどれだけ自分に正直に生きていると知っていながら、そんな藤真を疑っている。彼との、関係を。
「―――済まない、長谷川………」
藤真は一志との関係を『幼なじみ』だと、言った。それ以上でもそれ以下でも無いと。それは嘘では無かった。なのに、自分は信じきれなかった。いや、近すぎる二人の関係に嫉妬していた。
「お前がしっかりしねーから、俺が何時まで経っても藤真の『保護者』から卒業出来ないんだよ」
そう言って一志は微笑うと、ぽんっと花形の肩を一つ叩いた。その手はひどく、暖かかった。

「だから、言ったじゃん。俺たち幼なじみだって」
「……藤真、お前聞いてたのか?………」
一志と別れて教室に戻るなり、藤真は少しだけ不貞腐れた表情でそう言った。
「だってお前が追っ掛けてこないんだもん。だからユーターンしたら、二人で語っちゃってるし」
「………………」
藤真の台詞に花形は閉口してしまった。やっぱりあんなに情け無い自分の姿は、余り見られたく無いもので。
「でも気にしてるなんて、思わなかった。お前何にも言わないから」
「―――藤真………」
「言えば、いいのに。そうしたら俺ちゃんと、答えるぞ」
一志の言葉を、思い出す。―――藤真は正直だ。そう、彼はとても素直だ。我が儘で自分勝手だけど。でも絶対に嘘は、付かないから。
「―――ああ、そうだな」
何時も藤真は、真っ直ぐな瞳を自分に向けていた。

――――気が付けば何時もそこに、君がいた。

「あ、積もってる」
もぞもぞとベッドから起き上がった藤真は、頭にシーツを被りながら窓を覗き込む。そこには一面の真っ白な世界が広がっていた。
「どうりで、寒い訳だな」
「当たり前だろ、そんな恰好じゃ」
バスローブ一枚羽織ったきりでベッドの近くの椅子に腰掛けている花形に、藤真は手招きしながらそう言った。花形は藤真に答えるように、ゆっくりと椅子から立ち上がる。
「それを言うなら藤真だって、同じだろうが」
「俺には、これがあるもん」
そう言って藤真は頭から被っているシーツを手でひらひらせた。その度に何も身に付けていない藤真の素肌が見え隠れして、それが妙に色っぽかった。
藤真の手が延びてきて、花形の首筋に絡まる。そんな藤真を抱き止めながら、花形はゆっくりと肢体をベッドへと沈めた。
「でも、花形の方が暖かい」
「俺はカイロか」
「うん、俺専用のね」
花形の腕の中で一番いい場所を捜し出すと、落ち着いたように藤真の身体が大人しくなる。
花形はそんな藤真の背中をそっと、撫でてやった。
「―――藤真………」
「ん?」
すっかり安心しきって見上げてくる藤真に、花形はひどく真剣な瞳をした。そんな瞳にかち合って、藤真は少しだけ戸惑った表情をする。
「聞きたい事が、ある。聞いてもいいか?」
少しだけ躊躇ってから、花形は一気にその言葉を吐き出した。それは今までずっと胸に止めて置いた事だったけれど。でも。
「いいよ、何でも聞けよ」
でも藤真はそう言ったから。例えその事で藤真を傷つける事になってしまっても。でも。
―――聞かなければ、自分たちは先へは進めないから。

全てを見通す事が出来る瞳が、欲しい。
君が独りで泣いている時に、すぐに見つけられるように。
大きくて広い腕が、欲しい。
君の全てを包んであげられるように。

「……何だ、知っていたんだ………」
藤真はひどく冷静だった。まるで他人事のように、言葉を綴る。
「―――済まないとは思ったが…長谷川達が話しているのを偶然に聞いて……」
「ショックだった?」
「……え?………」
「それ聞いて、ショックだった?」
ひょいっと藤真は上半身を起こすと、改めて花形を見つめた。こうすると、視線の位置が同じに、なる。
「―――ショック、だった。でもそれ以上に、自分が情け無かった」
「……どうして?………」
花形の手がそっと藤真の頬に掛かる。そしてその頬を大きな手で、包み込んで。
「俺は何にも、出来ないんだと思って」
もしも出逢うのがもっと早ければ。自分がこの手で護るのに。大切に、大切に護るのに。
「お前、バカ」
藤真の指が延びてきて、花形の形良い鼻先を軽く摘む。その行為に微かに花形の顔が歪むのを見届けると、藤真はくすりと一つ微笑った。
「何すんだよっ藤真」
「だって、お前が余りにも鈍感なんだもん」
「……鈍感?………」
そう言えば事ある事に、藤真に言われてきた言葉だ。そんなにも自分は、鈍感なのだろうか?
「そうだよ。お前鈍感過ぎる」
藤真の手が花形の首筋に廻ると、そのまま彼に口付けた。そしてゆっくりと花形を瞳に映して。
「俺があの事を忘れられたのも、二度と夢に見なくなったのも、皆お前がいたからだ」
「―――藤真………」
「お前がずっと抱き締めてくれたから、もう夢にも見なくなった。お前が俺を抱いてくれたから…あの時の心の傷が、消えた………」
ずっと傷は、胸を貫いていたけれど。でも花形が全て清めてくれたから。その手で、その唇で。その全てで。だから。
「…本当は…ずっと、苦しかった…男に輪姦されたなんて、訴える訳にもいかねーし…だからずっと、自分の胸に閉じ込めていた…でも、お前に逢えたから」
――――お前に逢えたから、他の事が考えられなくなった。
「最初は、トラウマがあったんだよ。男に抱かれるのは…でもお前、優しかったから」
「……藤真………」
「だから、平気だった。他の誰でも駄目なんだよ。お前でなきゃ。なのに何でそんな事、分かんねーんだよっ」
最後の方は駄々をこねる子供のよう、だった。子供のような、藤真。初めから、藤真は自分の前では子供だったのだ。どうしてそんな事にすら、気付かなかったのだろう。そうだ。藤真は何時も自分の前では…甘えて…いたのだ。
「ごめんね、藤真」
そっと彼を抱き寄せて、背中を撫でてやる。それに安心したように藤真は、体重を預けてきた。
「ごめんね、俺鈍感で」
「鈍感過ぎるぞ、ぼけっ」
「うん、鈍感過ぎる。ごめんね」
「………さっきから、謝ってばっかだ………」
「そうだね、ごめん」
「ほら、また」
少しだけ怒った顔で、藤真は花形を見上げる。けれどもその視線の先に、ひどく優しい花形の笑顔を見つけたから。
「ごめんね、藤真」
「しょうがないから、許してやる」
藤真は最高に綺麗な笑顔で、そう答えた。

――――もう何も、恐くはない。ずっと、ふたりでいられるから。

「俺、寒いの嫌いじゃないんだ」
腕の中の藤真がぼそりと、呟いた。そしてゆっくりと花形を見つめて。
「……どうして?………」
そう聞く花形の耳元に口を寄せて。藤真は一言、言った。

「だって、こうやって暖めあえるだろう?」――――と。


冷たい夜は、嫌いじゃない。こうして体温を分け合えるから。
――――こうして、抱きしめあえるから。

EPROUGUE


――――たった一つだけ、手に入れたいものがあった。

「一志、あいつの事が分かったんだ」
彼にしては珍しい程、藤真は興奮気味だった。よっぽど嬉しかったのだろう。けれども、そんな藤真の笑顔を見たのは、久し振りだった。
「あいつ?」
あの事件があって以来、藤真は余り微笑わなくなった。見せ掛けの微笑いならば、数が増えたけれども。心の底からの笑みは…殆ど見せなくなっていた。
「ほら、この間のバレーの、試合の」
「―――ああ、あの3番ね」
でも今目の前の藤真は、本当に微笑っている。本当に嬉しそうに。それが一志の心を安心させる。どんな理由でも、良かった。藤真の笑顔が取り戻せるならば。
この笑顔がもう一度、見られるのならば。
「花形透って、言うんだよ。でね」
上目遣いに一志を見上げながら、藤真は言葉を続ける。そんな藤真に一志は柔らかく微笑って、話を聞いてやる。
「俺たちの学校、受けるんだって」
「翔陽にか?」
「うん」
「―――そうか………」
一志は苦笑混じりに微笑うと、一つ溜め息を付いた。その溜め息は、自分たちの子供の時間への、別離だったのかもしれない。
―――ずっと一緒にいた何よりも大切な幼なじみへの。
「良かったな、藤真」
「うん」
素直に頷く藤真を見つめながら、一志は思う。彼は今自分のたった一つの星を見つけたのだと。たった一つの、大切な星を。

「――――バスケが、したいんだ。あいつと、してみたいんだ」


それはただの直感でしか、なかったけれども。
でも確かに自分は、感じたから。

――――それは俺が見つけた、たった一つの星だと。

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