背徳の瞳 01 02 03 04 05

背徳の瞳





―――貴方をこの腕に、沈めたい。

「…そう、ゆっくり開いて……」
医師の合図と同時に白い包帯が取られる。そして征士はその言葉に従うように、ゆっくりと瞼を開いた。
「―――何か、見えますか?」
ぼんやりとしていた視界が次第に形を成してゆく。そして完全に視界が開けた時、征士の瞳に真先に飛び込んで来たのは、不安気に自分を見つめる蒼い瞳だった。
「―――当麻……」
征士がその瞳の持ち主の名前を呼んだ、瞬間。当麻の瞳からは堪えきれずに、ぼろぼろと涙が零れ落ちた。そして。
「征士っ―――!」
差し延べられた腕に、当麻は飛び込んでいった……。


ずっとふたりで居られるならば、何にもいらない。優しい過去も、綺麗な未来も。

「どうしたの?征士」
不意に視線を辺りに見廻した征士に、不思議に思って当麻は尋ねる。しかし征士は柔らかく笑って。
「何でもない。折角目が見えるようになったので、周りの風景を見ておこうと思ってな」
「征士、嬉しい?」
「―――え?」
「目が見えるようになって、嬉しい?」
「ああ、嬉しいぞ」
「良かったー」
そう答える当麻は、本当に嬉しそうで。本当に幸せそうだった。その表情を見て、征士は改めて思う。目の前のひとは自分の一挙一動に、感情を見せてくる。本当にどんな些細な事でも。当麻にとって自分が全てだとでも言うように。いや、きっとそうなのだろう。自
惚れでも何でも無く、本当に当麻にとって自分が全てだと征士は自覚していた。だから。
「…当麻……」
征士は、知っている。どうすれば当麻が喜ぶかを。どうすれば当麻が幸せになれるかを。
「何?征士」
「ありがとう」
自分を当麻に上げればいい。ほんの些細な事でも。全て。
「……征…士………」
「お前の御陰だ、ありがとう」
全部、上げればいい。当麻が望むだけ、全て。当麻が欲しいだけ、全部。
「ありがとう、当麻」
それだけの広さも余裕も、征士は持っているのだから。当麻に対してなら、幾らでも。


―――何故、こんなにも愛してしまった?


「俺、征士の事何にも知らなかったんだよ」
征士の足元にまるで子猫のように丸まると、当麻は思い出したように呟いた。
「征士はそう言う事…何も言ってくれなかったから…。だから、大変だったんだ」
「―――何がだ?」
征士は手を延ばすと、柔らかく当麻の髪を撫でてやる。そのさらさらの髪は、空を切り取ったような蒼い色彩をしていた。
「…征士が事故に、遇った時…誰にも連絡出来なくて……」
「―――それは、すまなかったな」
「……ううん…俺にとっては、ラッキーだった………」
当麻はゆっくりと顔を上げると、征士を真っ直ぐに見つめた。当麻はいつも、こうやって真っ直ぐに自分を見つめてくる。
「その御陰で、こうやって一緒に居られるから」
チーム内の誰もが征士の素性を知らなかった。彼は自分を孤児だと言っていた。それが真実かどうかは、分からないけれども。確かに、征士の身寄りらしき人物は居なかったから。
でもそんな征士だからこそ、今こうして傍に居る事が出来る。こうして、傍に。
「…ずっと…一緒に居てくれるよね……」
まるで今にも泣きそうな顔で、当麻は征士に告げる。当麻は自分に対して決して感情を隠したりは、しない。不安ならば不安だと、素直に征士に訴える。だから。
「そんな顔をするな。私は何処にも行かない。私にはお前以外に還る所など何処にも無いのだから」
その度に征士は、その感情を拾い上げてやる。当麻の零してゆく不安定な感情を、全て。
「…おいで、当麻……」
征士の広い腕が差し延べられる。当麻は素直にその腕の中へと飛び込んでいった。その広くて、優しい腕の中に。
「―――愛している、当麻」
「……せい、じ…………」
征士の言葉に当麻の瞳が驚愕に見開かれる。そんな当麻に優しく征士は微笑むと。
「愛している、当麻。記憶を失ってもこれだけは分かる。私はずっと、お前を愛していた」
そしてそれを証明するように征士は口付けた。初めて、だった。記憶を失ってから、初めて征士はその言葉を言ってくれた。当麻に、告げてくれた。
「……愛しているよ…当麻………」
それは何よりも当麻が征士から、欲しかった言葉だった。何よりも、欲しかった……。
「…もう、一生言って貰えないかと……思っていた………」
「―――何故?」
「…だって……」
堪えきれなかったのか、当麻の瞳からぼろぼろとせきを切ったように涙が零れ落ちる。そんな当麻の涙を征士はそっと拭ってやりながら。
「……馬鹿だな………」
と、呟いた。


―――もう何も、いらない。このままふたりで、いられるならば……。

「―――征士様っ!!」
それは、突然に。本当に突然に訪れた。風邪を拗らせてしまった当麻の代わりに、買物へと向かった征士に。その男は突然に、現れた。
「…良かった……ずっと捜していました……ご連絡が無いので……心配していましたが……まさか、こんな所におられてたなんて………」
「済まないが、私は貴殿を存じあげていない。失礼する」
そう言って立ち去ろうとする征士を、その男は必死で引き止める。そして。
「征士様、大変なのです。…お父上が…総帥がお亡くなりになったのですっ!」
―――ソウスイ?………
「お戻り下さい、征士様。総帥とのお約束を忘れたのですか?」
―――ヤクソク?………
「……征士様?…………」
突然頭を抱え出した征士を不信に思ってその男は尋ねてくる。しかし襲ってきた激痛の激
しさに、征士はそれを答える事は出来なかった。そして。
「―――征士様っ!!」
その痛みが頂点に達したと同時に、征士の意識はブラック・アウトした………。


―――大好き、征士。
俺、お前が何者でも構わない。どんな素性だって、構わない。そんな事関係ないから。
俺が好きなのは『征士自身』だから。今、目の前にいる征士だから。
だから、そんな事知らなくてもいい。
俺は征士が傍にいてくれたらそれでいいんだ。それだけで、いいんだ。

―――大好きだよ、征士。誰よりも、大好き。


―――儂が死ぬまでは、自由にしていい。征士。
お前の伊達家の戸籍も、素性も全て隠しておく。だから、儂が死ぬまでは、お前のやりたい事をするがよい。しかし征士、約束だ。
儂が死んだらお前がこの伊達家を継ぐのだ。この家を継ぐのは、お前だ。


「………征士様………」
重たい瞼を開いた瞬間、征士の視界に入って来たのは見慣れない真っ白な天井だった。そして次に飛び込んで来たのは、自分を心配そうに見つめる男の顔。そう、征士は知っている。この男が、誰なのかを……。
「―――榊………」
「……良かった……征士様………」
そう、彼は自分に仕えて来た部下だ。伊達家の次期当主である自分を、影ながらに仕えてきた……。
「……父上が、亡くなられたそうだな………」
そして自分は世界でも数本の指に入る資産家伊達家の、次期当主。いや、もう。
「……ええ……最期まで御立派な生きざまでした………」
「―――そうか………」
現伊達家の当主。彼の実子は自分だけだった。一生妻を持たなかった彼の、最初で最期の息子。
「…ならば、私は伊達家に戻らねばならぬのだな……」
「……征士様………」
そんな征士の言葉に榊は、胸が痛んだ。でも、もう後戻りは出来ないのだ。それが約束だったのだから。先代と征士との。でも榊は、思う。もう少しだけでもこの方に自由が与えられたらと。伊達家を継ぐのに征士は、余りにも若すぎる。幾ら彼がどんなに優秀でどんなに才能が有っても、未だ征士は二十二歳なのだ。あの家に縛られるのは、余りにも早過ぎる。未だ、彼には自由が与えられていい筈なのだ。
「そんな顔をするな、これは決まっていた事だ」
しかしそんな榊に征士は微笑って、そう言った。この時、榊は改めて思う。この方の強さを。自分が一生仕えるであろうこの人の、強さと優しさを。
「ただ、一つだけ我が儘を言ってよいか?」
「―――征士様?」
不意に征士の表情が変化した。それは見た者を魅了せずにはいられない程、綺麗な顔だった。そして殊更ゆっくりと、征士は告げた。
―――自分には、離れる事が出来ない者がいる、と。


―――誰よりも、愛していた。

「――――すまなかった、遅くなって………」
「…征士……」
帰ってきた征士の顔を見るなり、あからさまに当麻は安心した表情になる。よっぽど不安だったのだろう。当麻の顔は今にも、泣きそうだった。
ベッドの傍まで近づいて来た征士に、当麻は起き上がってしがみつく。その腕の強さと必死な動作に、征士は苦笑を隠しきれなかった。
「身体が冷える、中に入っていろ」
そう言って征士がベッドの中へと戻るように促しても、一向に当麻は離す気配は無かった。
仕方無く征士は、熱で熱い身体をそっと抱きしめてやる。
「……当麻………」
柔らかく髪を撫でてやりながら、優しく名前を呼んでやる。するとやっと安心したのか、当麻はゆっくりと顔を征士へと向けて来た。
「まるでお前は、子供のようだな。私がいなくては、何も出来ないでは無いか」
「……出来なくて、いい……それで征士が俺の傍にいてくれるなら……」
当麻の蒼い瞳が潤んで見えるのは、熱のせいだけじゃないだろう。分かっている、これは自分のせいだ。自分の存在が当麻をここまでしてしまった。自分が居なくては生きてはいけない程に。征士が、当麻を変えてしまったのだ。
「………何も…出来なくていい………」
孤独だった、当麻。父親の大きな手も、母親の温もりも。当たり前のものが何一つ与えられなかった当麻。それを与えたのは自分だ。何も与えられなかった当麻に、愛情を与えたのは他でも無い自分自身だ。でもそれは決して同情からじゃない。愛しいと、思ったからだ。愛していたからだ。だから、征士は後悔はしていない。ただ。
「―――ああ、そうだな。私が何でもしてやる」
ただ、当麻がそれでも不安がるから。幾ら征士が与えてやっても、それでも当麻は脅えるから。ただ、それだけが。
「…お前の望む事なら、何だって……」
どうしても、もどかしくて。


―――愛した方と、愛された方では、何方が罪なのだろうか?

「――当麻……」
「…何?征士……」
見上げてくる表情は、ひどくあどけなくて。まるで生まれたての子供みたいだった。
「……一緒に、来るか?………」
征士は、何処へとは言わなかった。そして当麻も何処へとは聞かなかった。当麻にとっては、聞く必要が無いのだ。だって当麻は征士が居ればそれだけで、いいのだから。当麻は、こくりと頷いた。彼にとって必要な事は『征士』と言う存在のみなのだから。
「―――そうか…………」
征士はそう言うと、そっと当麻を抱きしめた。もう言葉なんて、必要なかった。


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