―――恋は、突然やってくる。何の前触れもなく。
「わー、凄い背高いー」
突然背後から声がして、不機嫌そうに花形は振り返る。優に190cmは越えているであろう長身は、殆どの場合相手を見るためには見下げねばならない。そして今も現にこうして声の主の顔を見てやる為に、ひょいと顔を見下げた所だった。
「体格もいいし、何かスポーツやっていた?」
その相手の顔を見た瞬間、花形の思考は一瞬停止する。
―――はっきり言って、心臓が止まるかと思った。
「羨ましいなー俺もそれくらい背、有ったらなー」
―――無茶苦茶、美人だった。それも、とびっきりの。大きな黒い瞳も、白い肌も、筋の通った鼻も、紅い唇も。そして、さらさらの色素の薄い栗色の髪も。
「……中学の時は…バレーをやっていた………」
―――だがしかし、彼は幸か不幸か『男』だった。
「ふーん、どうりで。それじゃあ、相当運動神経もいいんだろうね」
にこにこと邪気の無い笑顔で聞いてくる。その顔は男だという部分を差し引いてもおつりが来る程、可愛かった。けれども、冷静になってみればこいつはただの変な奴である。うっかりと顔で騙されそうになってしまった。
「……お前…何が………」
「―――藤真」
何が、言いたい?……と、花形が言い掛けた時だった。その声に被さるように名前か一つ呼ばれたのは。
「一志っ!」
その声に反応するようにこの目の前の奴は、にっこりと微笑うと相手に手を振った。その笑顔が、ひどく綺麗で。
「授業始まるぞ」
「ごめんね」
まるで子供のような仕種でぺろりと舌をだすと彼…藤真は、一志の元へと駆け寄った。そして、ちらりとこっちを振り返ると。
「それじゃあね、花形君」
「……え?…………」
にっこりと微笑うと花形の疑問符を無視して、その場を去って行ってしまった。ひどく印象的な笑みだけを、花形に残して。
「―――何だ?あいつは………」
その場に独り取り残された花形は、未だ疑問が抜けない表情を浮かべながら独りごちた。
無理もない。彼とは正真正銘の初対面だ。それなのに自分の名前を知っているのだから。
それにいきなり訳の判らないような質問を並べ立てた。そして、何よりも。
……最後に見せた笑みが、ひどく印象に残って。
私立翔陽高校は、全国でも有数のスポーツ校で様々な県から生徒が集まる。中でも特にバスケ部の活躍は有名だった。県内でも王者海南に次ぎ常に第二シード校としての位置を保ち、毎年インターハイに出場する程だった。
「はーながた、お前さっき藤真サンとお話してたでしょー」
教室に戻ってくるなりクラスメートの中井が、いきなりそう言いながら花形に詰め寄ってきた。その顔が何だか妙に迫力が、ある。
「……藤真って、さっきの変な奴の事か?」
「…変な奴って…お前……よくもそんな事言えるなー」
心底呆れたような口調で中井は言うと、近くの机の上に座る。花形はその場に立ったままで、やっぱり中井を見下げる。
「あの人は、凄いんだぞ。中学ん時からスカウトが来るくらいのバスケのスーパープレーヤーなんだからな」
「……バスケ?」
中井の言葉に花形は、先程の藤真との遣り取りを思い出す。そう言えば自分の身長を羨ましがっていた……。
「そう、今年海南に行った牧と藤真って言ったら全中でも一二を争うガードでさぁ…凄かったんだぜ」
「・・・・・・」
「それに、とびきりの美人だしな」
「……お前…………」
「マジな話、一年の中じゃーダントツじゃんっ。先輩達ん中でも、もうチェック入れてる奴が相当要るって話だし」
「―――あいつ、男だろーが………」
あんまりな中井の言い方に今度は花形の方が、心底呆れてしまう。確かに美人だとは、思う。綺麗だとも認めよう。だがしかし、彼はれっきとした男なのだ。
「そんなの大した問題じゃないでしょう。やっぱり美人は美人だし♪」
いや、大問題だと花形は思う。確かにこの学校は大多数が男子生徒だが、一応は共学校なのだ。もっと健全な会話をしてほしい。
「見てるだけならば、害はないし、ね」
確かにそうかもしれないが、根本的な何かが違うと思わずにはいられない花形だった。
「でも、あの人ガード固いから堕とすのは至難の技だけどね」
「……………」
見ているだけならばと言って置きながらこのセリフである。思わず花形は頭を抱えてしまった。
「ほらさっきお前も見ただろう?あのとんがり頭の背が高い奴。あいつ長谷川一志って言うんだけど…藤真サンの幼なじみで…表向きは親友らしいけど、もっぱら裏では彼氏だって噂だぜ」
一体どんな奴がそんな噂をするんだ……と、思わずにはいられなかったが、敢えて花形は聞かなかった。何だか聞いたらとてつもなく恐い事になりそうな気がしたので。
「―――保護者の間違えじゃないのか?」
「なるほど、そう言う言い方も出来るな。確かにそうかもしれない」
花形の言葉にうんうんと納得する中井を余所に、花形は先生が来たのをいい事にとっとと自分の席に戻る。
――――幼なじみ、ね………。
授業が始まってからもその言葉が妙に、花形の頭から離れなかった。確かにそれならあの笑顔も、頷ける気がする。しかしただの幼なじみに、あそこまで甘えた仕種を見せるだろうか?そこまで思って花形は咄嗟に自分の考えを取り消した。これでは中井の話と同レベルになってしまう。それだけは避けたい花形であった。けれども。
けれども確かに藤真は美人だった。花形が生まれてから今までの人生の間で、こんなにも綺麗な人間を見た事がなかった。例えその人物が男であっても。確かに藤真はとびきりの美人である。
「……でも…あいつは…男だぞ………」
そう呟いてみても、何故か口の中の苦い思いが消えなかった。
「花形って、全中のエースアタッカーだったんだって」
藤真はコケティッシュな笑みを浮かべながら、一志に言った。一志は、何も言わずに藤真の話を聞いている。
「それにあの長身だろ?絶対に、バスケ部に欲しいよな」
「お前はバスケの事になると人が変わるからな」
「そうか?」
「ああ、お前はバスケの事になると本当に一生懸命だ」
そう言って一志は柔らかく微笑った。この自分勝手で我が儘でそして気まぐれな彼は、バスケの事に関してだけは本当に真剣になる。まるでバスケ以外のものが、見えていないとでも言うように。
「だって俺、バスケ好きだもん」
いや、実際見えていないのだろう。周りの者も、他人の気持ちも。だから藤真は、いくらでも自分勝手に、そして我が儘になれる。けれども。
「―――知っている」
全てを許してしまう。彼がどんなに我が儘を言っても、どんなに自分勝手に生きても、それを周りの人間が許してしまう。そう、この自分のように。
―――藤真がする事ならば全て、許してしまう。
それは藤真の最大の魅力であり、又彼の強さだ。彼が何よりも自分勝手で我が儘なのは、それは逆に言えば自分自身に何よりも正直だから。だから皆が、彼を許してしまう。どんな事でも。
「一志」
「何だ?藤真」
自分を見上げてくる大きな瞳に、吸い込まれてしまいそうになる。この瞳に見つめられたら、きっとどんな男でも彼の望みを叶えてしまうだろう。
「勝とうな、俺たち」
藤真の言葉に一志はこくりと頷く。判っている、彼が欲しいのはただ一つ『勝利』だけだ。それ以外のものは何一つ、彼は欲しくはない。だから。
「判っている、藤真」
彼の傍に要る為には、それを与えてやれる者にならなくてはいけない。
「何、花形帰るのかー?」
「ああ」
放課後になって即帰宅しようとする花形を中井は呼び止める。しかしそんな中井に花形は素っ気ない。随分と、無愛想な奴だと中井は思う。けれどもそんな事を一々気にしていたら、『お友達』なんて出来やしない。
「部活の見学はしていかないのか?」
「いいよ、別にもう決めてるから」
「あ、そーかお前ってバレー部からスカウト掛かってんもんなー。もう届け出は、出したか?」
「いや、未だだが」
「ふーん、なら未だバレー部じゃないんだ。だったらいいじゃん、見学行こうぜ」
「いや、今日は止めとくよ」
「ち、つまんない奴……」
中井はそう毒づきながら、一際目立つ花形の後ろ姿を見送ったのだった。
学校から自宅までは、約三十分程で着く距離だった。県外から多くの生徒が来る中で、そう言った意味で花形は恵まれていた。現に翔陽の生徒の約10%は寮生活を送っているのだから。
「……全く、今日は変な一日だった………」
無意識に花形は毒づいてしまう。それもこれもあの藤真のせいである。御陰で一日中奴の事が頭に離れなかった。男のくせして、とんでもなく美人で…そして、物凄く変な奴。
「……畜生…ムカつくなー………」
何だか気分がひどくすっきりしない。もやもやしている。何なんだろう?これは。物凄く、いらいらする。・・・・その時、だった。
「……え…………」
その原因が、花形の視界に飛び込んで来たのは………。
―――心臓が、魂が、震えた。
綺麗だと、思った。純粋に。本当に純粋に。
太陽を反射してきらきら光る髪も。すらりと伸びた足も。汗に濡れた肌も。
――――全部、綺麗だと思った。
そして、真っ直ぐに一点を見つめる瞳が。
その真っ直ぐな視線に、貫かれてみたいと思う程に。
「……ふぅ………」
藤真は大きく息を吐くと、額にべとついている汗を拭った。その時風が一つ藤真の廻りを通り抜ける。それが火照った肌にはひどく、心地好かった。
「…やっぱ、鈍ってるな……」
少しだけ拗ねたような口調で呟くと、藤真は足元に転がっているバスケットボールを持ち上げた。そして、公園に設置されているバスケットゴールを見つめて。
「・・・・・」
綺麗な指が延ばされて、手元からボールが離れる。それは綺麗な弧を描いて、ゴールに吸い込まれて行った。
「よしっ!」
そのボールを見届けると藤真は、嬉しそうに微笑った。それは本当に楽しそうで。その笑顔だけで、花形には判ってしまう。こいつがどんなにバスケが好きなのかを。そしてどんなにバスケを大切に思っているかを。だから。
「ナイス・シュート」
花形はそんな藤真を、最高の敬意で褒めてやる。それくらい価値のある顔を、彼は見せるから。
「…花形………」
少しだけびっくりしたような顔で、けれども次の瞬間にはにっこりと微笑って藤真はその存在を確認する。
「凄いな、お前。こんなに離れているのによくボールが入るな」
藤真が投げたボールを花形はゴールポストの下まで取りに行くと、それを器用にパスした。藤真はそのボールを受け取ると、くすりと一つ微笑って。
「練習すれば、きっと花形にだって出来るようになるよ」
まるで挑発するような笑みを、向ける。大きな瞳が強かな光を讃えていて、綺麗だった。
「ね、やってみない?」
「俺が?」
「そう、やってみてよ」
そう言って微笑う藤真はひどく、魅惑的だった。多分無意識だろうが、まるで男に媚びるような表情をする。・・・・これは、狡い。こんな表情をされたら、どんな男だって断れる筈がない。
「でも俺、バスケは授業でしかやった事無い……」
「見たいんだ、俺」
「……え?…………」
「花形がシュートする所、見たい」
一瞬、藤真の瞳の色彩が微妙に変化する。それは本当に極僅かな変化で、見逃してしまう程の…。でも何故か、花形にははっきりとその変化が見えた。だから。
「判った、ちょっとだけだぞ」
断れなかったのかも、しれない。
「畜生ー、何でこんなんのが入んねーんだっ」
最初はほんの冗談のつもりでやっていても、何時しかそれはむきになってマジになってしまうものである。
「腕に力入れ過ぎているんだよ。こうやって、軽くやればいいんだよ」
まるで手本のような綺麗なシュートをする藤真を真剣に見つめながら、花形は再びシュートする。
「やりーっ」
「ほら、出来た」
綺麗に吸い込まれたボールを見届けて、花形は嬉しそうに笑う。ポーカーフェースの彼には珍しい程、全身に喜びを表現しながら。
「そんなに、嬉しい?」
そんな花形をどう思ったのか、藤真はくすくすと微笑いながら彼に尋ねる。花形を上目遣いに見つめながら。
「…そりゃーね………」
自分にしては珍しい程、感情を出してしまったと花形は反省する。これではガキみたいでみっともない。けれども、藤真はそんな事全く気にしていないらしく。
「ね、バスケって面白いだろう?」
邪気の無い笑みを浮かべながら、そう言ってくる。その顔は不覚にも無茶苦茶に可愛いのだ。
―――全く……と、花形は思う。もしここで今押し倒されても、文句は言えないぞ……。そこまで考えて花形ははっと我に返る。余りにも、この考えは恐ろしすぎる。
「バレーなんかより、ずっと面白いと思わない?」
「…お前、何でそれを……そう言えば何でお前は俺の名前を知っているんだ?」
「知っているよ、花形透君。全中バレーのエースアタッカーで、将来はオリンピック選手にって期待されているんだろう?」
藤真の手が不意に伸びてきて、花形の髪に指を絡め取る。その指の細さにひどく花形は驚愕を覚える。これが同じ男の手なのかと。そして、また何処かで納得している。こんな綺麗な手だから、あんなにシャープなシュートも決められるのだと。
「俺、何でも知ってるよ。ずっと、見てたんだから」
「……え?………」
花形が疑問符を唱える前に、彼の指先が自分を引き寄せて…そして、一瞬唇が重なった。
「・・・・」
一瞬何が起こったのか判らずに茫然とする花形に、藤真は楽しそうに微笑った。そして。
「くすくす、変な顔」
「……お、お前………」
「キスぐらいで、そんな顔するなんてお前って意外と純情なんだね」
「そ、そういう問題じゃねーだろっ?!」
別に今更キスぐらいで驚く自分では無い。が、しかし相手が男となれば話は別である。いくらアイドル並みに可愛くても、モデル並みに美人でも。
「アメリカでは挨拶みたいなもんだよ」
「ここは、アメリカじゃないっ!!」
―――男だったら結果、ただの変態でしかない。自分は決してホモでは無い。
「あんま、ごたごた言うとまたキスするぞ」
唇を尖らせながら、拗ねた表情を見せる藤真はひどく子供のようで。そして、無茶苦茶に可愛かった。世の中とは本当に理不尽だと、花形は思う。こんなに可愛い男が存在していいものだろうか?
「……判ったよ………」
そして、そんな彼に負けてしまう自分も。全く理不尽だ。何だか出逢ってからずっと、こいつのスペースに巻き込まれている気がする。いや、確実に巻き込まれている。
「なら、宜しい」
―――本当にこいつは、判っているのだろうか?……そんな表情をしていたら、いつか絶対に男に押し倒されるぞ………。
「あ、俺そろそろ帰らなきゃ。一志が心配する」
藤真の言葉に今朝した中井との会話を思い出す。―――裏ではもっぱら『彼氏』だって噂だぜ―――。
「それじゃあね、花形。今度、逢う時は」
「……藤真?………」
「バスケ部、でね」
そう言って手を振ると、藤真は風のようにその場を去って行った……。